そが夏なのだと言ったほうがいいかもしれない。林業にとってはやっかいな
真夏の下刈りという作業も 、雑草や小低木からみれば 、とんでもない迷惑な
ことである。ここには人それぞれの自然がある。自然保護と林業振興との、い
ずれの立場が優れているというのでもない。人はそれぞれの立場で自然に接
するのだということを、我々は心の底で認め合いながら生きているのである 。
いかなる存在にも凋落の時が来ることを、自然はその長い年月の移ろいの
中でも、また一年という短い間にも示してくれる。やがてブナの葉は落ちっ
くし、樹木全体が冬に備えた厳しい表情に変わっていく 。その厳かなたたず
まいといい、また風雪に耐えるけなげな姿といい、ブナ林が真の迫力を見せ
るのに、冬に勝る季節はないであろう。ある人はその姿をおそろしいと言う
かもしれない。またある人はそれこそ美の極致と評価するかもしれない。評
価はどうあれ、黒々と静まり返った冬のブナ林の中では、もうすでに何かが
動き始めている。巡り来る春に、再び山を覆いつくすブナの葉が、早くも必
要な枚数だけ冬芽の中に準備されているのである。ここでもまた、わたした
ちは自然の偉大さに驚かずにはいられない。自然の中に身を置いてみて、人
間は初めて自然の大きさにふれることができるのである。同時に、大自然の
一員として、その中に包み込まれた自分をも認識できるであろう。
ブナ林という自然界の片隅の、しかもその移り変わりのー断面をのぞいて
みただけでも、自然は、いかに多彩で奥行きが深いものであるかを知ること
ができる。その奥深さが実感できるのは、そこに大間がかかわっているから
にほかならない。確かに日本人は自然に極めて強い愛着を抱いている 。また
自然に対して研ぎすまされた感性を持っているのも事実である。それは日本
文化のさまざまな領域にも反映されていよう。しかし、それはあくまでも抽
象的な、観念的な自然でしかないのではなかろうか。わたしたちはもっと現
実の自然との一体感を取り戻さなければならない。自然を人間から切り離し
て眺めるのではなく、むしろ自然を友とし、自然の心に迫ることが大切なの
である。
これまで日本では、植物の名前一つにしても、むしろヨーロッパの文学作
品から多くを学んだような気がしてならない。実際に見たこともない植物な
のに、スグリとかアラセイトウなどという名前はよく目にしたものである。
しかもそれらの植物は、物語の背景としてかなり大切な役割を果たしていた 。
それに比べれば、詩や歌はともかくとして、日本の物語に登場する森の植物
は、その種類も数もしれたものである。ブナなども、今でこそ、名前を知ら
ない大たちは少ないが、ほとんど日本の物語の中に現れていない。こういう、
ちょっとした例からみても、日本人がどちらかといえば、情感という側面ば
かりで自然と付き合ってきたことを、改めて思わずにはいられないのである。
これから必要なのは、実際に大自然の中に身を置き、そこに新たな楽しみを
36日语综合教程第六册
見いだしていくことであろう 。
何はおいても、まず山へ行き、森を散策し、自然界の生の鼓動に耳をかた
むけよう。こうした自然とのふれ合いの中で、自分自身の心も再び息づいて
<るに違いない。
(『中学国語二』学校図書より)
竹とともに
竹を切って煮て、臼でついて、柔らかい餅にして、紙に漉いたり、人形面にした
りして二十年たつ。何もかも竹で作った人形で物語を舞わせてみようとの魂胆から
だが、やっているうちに、ものも言わぬ竹ながら、何やかや教わるものが多い。ー
つは、この植物は、寒冷地の軽井沢ではいくら植えても笹になって竹に成長しな
かったが、在所の若狭などでは、一年に親の背丈を越す新竹となり、ほうっておく
と、藪はジャングルだ。そこで、工房も最近は若狭へ移して、宅配便で運んだ手間
を省いている竹紙は、なかなか味があって、素人が漉いたのでも、筆ののりがいい、
岩絵の具のすばらしいにじみと鮮やかさも格別だ。だが、その紙も、筍の皮、親竹
の古いのなど、いろいろ取りまぜて漉かねばいいのができぬ。そこらあたりに、頑
固な個性があるような気がするのである。同じ繊維でも、若いのと親とでは人間で
も違うように、うまく言えないが、まぜて一人前の紙になるあたりがおもしろい。
若狭あたりでは、ほとんどの家は適当な藪を持っていて、筍を食うことから始
め、何やかや生活用具に、手近なのは箸から、火吹き竹、洗い物かご、桑負い、野
菜負い、うなぎ捕りのかごに至るまで、竹を使って親しんできた。だが今はほとん
ど村から竹細工師は消えた。便利なポリエチレン製の容器や、合成樹脂の登場で、
農家は洗い物受けのかごまで、ビニール製の、一色か二色かの量産品を愛用してい
る。したがって、昔は、家の周りに干してあったかごや道具に風味を感じたのに、
合成樹脂ではゴミみたいに思える。だが、人々はそれを使い捨てては新しいのを
買っている様子だ。そして、持ち藪をジャングルにしている。竹が泣いている。
子供のころの記憶だけれど、僕の生家は藪に囲まれた村はずれだったので、夕暮
れの鐘がよそより細く届いた。なぜよそより細かったか、今にしてわかった。竹は
空洞に音をためて生きるのだそうだ。それゆえ、藪に囲まれていると、自然の防音
装置になり、シンと閑寂なのである。尺八の音色が美しいのは、生まれてずうっと
ためた音を、人の息に誘われて引き出すからだ、と言った人がいた。まさかと思っ
て聞いていたが、あるいは事実かもしれぬ。竹にきいてみなければわからぬが、生
まれた場所に小さな清流でもあれば、日がなそのせせらぐ音は子守唄だったはず、
親の梢の葉にそよぐ風も、子は音楽のように聞いて育ったのかもしれぬ。
中国の成都へ行ったことがある。四川大学のそばに望江園という竹の公園があ
ると聞いて行ってみた。巨大な竹の藪を、上手に切って遊歩道にしている。竹は根
が張るから、よそへ出ぬようにがっちり石垣がある。案内者にきくと、三百種を越
第2課自然との出会い 37
す竹の保存だそうだ。石垣のわきは道になっていて、適度な日が落ちてくる。そこ
に石の机がある。わきに石の丸いすがあって、大学生が、本を読んだり、ノートを
とったりしている。
「蚊やブヨに襲われませんか。」
きいてみたら、
「蚊やブヨがいてこそ鳥がやってきますよ。すずめの来ない竹藪は寂しいでしょ
う。」
との答えだった。成都は竹の都と言っていい。百貨店をのぞいても、いすから机か
ら、一切の生活用具に竹製が多く、しかもそれが安かった。器用に編み込まれた紋
様入りのフタっき大かごが千円もしない。赤ちゃんが竹製の乳母車で押されてゆく
のも見た。竹の在所が、長い年月を、竹とともに暮らしている。当たり前のことに
感動をおぼえた。
京都の西の京など、昔は竹藪の海だった。そこを開発して、今は巨大都市が誕生
している。日本の場合は、根こそぎ地の皮をめくるみたいに、竹を切り殺して、造
成に取りかかる。それゆえ、町ができても、そこに、成都のようないくつかの竹の
生木をかたまりとした、歩道も、アプローチもない。殺風景だ。竹が号泣している
気がする。
「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ。」と言ったのは昔の俳聖である。僕
ら門外漢には、竹の嘆きを深く聞く才覚はないが、七日も煮て、三日も水車臼でつ
いて竹餅を作っていると、青竹だった生命がもう一つの生命に化身してゆくすばら
しさが見えてくる。そうして、その竹がどのような歴史を生きたかについても考え
させられる。在所の藪のありかはだいたいわかっているので、そこの持ち主の長男
で、戦死した同級生のことや、もちろんこれも冥界の大だが話好きだった親爺さん
の黒い脂ぎった顔などまで思い出されてくる。僕は、このごろ自然というものは、
やっぱり頑固に守らないと、歴史が崩れるような気がする。身近の作業の日常が、
そんな思いにさせるのである。
学知世界もいいが、たまには竹がためてきたことを聞いてやる時間は、これまた
美しいものとの邂逅と言える。この世の末期のみやげには学知よりも、そばに青竹
が一本光を浴びていればいい、そっちのほうに美しさがある、と思う。
(『高校国語二』第一学習社より)
I注釈
❶ 北村昌美(きたむら まさみ)(1926 - )
日本兵庫県出身。1950年日本京都大学農学部林学科卒。農学博士。森林学者。日本山形大学農
38日语综合教程第六册
学部教授、ドイツ・フライブルク大学客員教授を歴任。主な著作に、『森林と文化』『森をみる心』
(共著)『草原の思想•森の哲学』(共著)などがある。この文章は、『森を知ろう、森を楽しもう』
をもとに、筆者が加筆したものである。
❷雪国
特定な地域ではなく、降雪量の多い、ブナ林の植生の多い地域と考えたい。
❸ 水上勉(みずかみ っとむ)(1919 - 2004)
小説家。日本福井県に生まれた。少年時代に僧門に入ったが、17歳で還俗、その後さまざまな職
業を経て、文学に目を開き、1961年に『雁の寺』で日本直木賞を受賞。小説に『飢餓海峡』『越
前竹人形』『寺泊』などがある。本文は日本の「朝日新聞」によった。
❹竹で作った人形で物語を舞わせてみようとの魂胆
筆者は1985年、竹人形劇場を創設し、1986年には「若州人形座」を旗揚げした。
❺ 在所の若狭(ざいしょのわかさ)
日本福井県小浜市にある。筆者は福井県大飯郡の生まれ。
❻西の京
ここでは日本京都の西京区桂のあたりの造成地をいう。
〇 松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ 松尾芭蕉の言葉。
、新しい言葉
ブナ [名] ブナ科の落葉高木。幹の高さ約20メートル。淡
芽吹き(めぶき) [名] 緑色の花を開く。/山毛棒。
先駆ける(さきがける) [自ー] 樹木が新芽を出すこと。また、その芽。/树木
刚发芽,新芽’。
丸葉満作(まるばまんさく) [名] 他のものより先にすること。先んずる。名詞「先
駆け」で物事のはじめになること。まえぶれ。Z
たむしば [名] 领先,率先,比・••早一步;(作名词)先驱。
マンサク科の落葉小高木のうち、葉先が丸く花
辛夷(こぶし) [名] 弁が黄色い変種のもの。/圆叶金缕梅。
早春、辛夷に似た花が咲くもくれん科の落葉小
根雪(ねゆき) [名] 高木。/(玉兰科落叶小灌木)柳叶木兰。
もくれん科の落葉高木。早春、葉が出る前に白
新緑(しんりよく) [名] い大形の花を多数開く。/日本辛夷。
うっすら(と) [副] 降り積もったまま、春まで残る雪。/冬天的积
雪。
稜線(りょうせん) [名] 初夏の若葉のみずみずしい緑。/新绿。
あるかなきか(有るか無 [連語] 極薄い様子。かすかに。ほのかに。/薄薄地;隐
约,稍微。
きか) 山の峰から峰へ続く線。尾根。/山脊(的棱线)。
あるのかないのかわからない。いるのかいない
のかはっきりしない。/或有或无,似有似无。
第2課自然との出会い 39
ときめき [名] (喜び・期待などの強い感情のために)胸がど
きどきする。/心跳。
心境(しんきょう) [名] 心の様子。気持ち。/心境,心情,精神状态。
全山(ぜんざん) [名] ①すべての山。/所有的山。②山全体。/满山,
整座山。
っっじ [名] つつじ科つつじ属の常緑または落葉灌木の通
称。山地に多く自生、または観賞用として栽
培。春から夏にかけて開花。種類が多い。/柱
鹃,映山红。
低木(ていぼく) [名] 灌木に同じ。/矮木,灌木。
摂理(せつり) [名] 統べ治めること。宗教的にみて、世界を治め
人々を善に導く神のはからいをいう。神仏の
はからい、働き。神の意志。/天意,天命,神
的意志。
下刈り(したがり) [名] 幼木を保護するために下草を刈ること。/割去
树下的草。
凋落(ちょうらく) [名・自サ] 草木の葉がしぼんで落ちること。いままで盛
んであったものが落ちぶれる意にも用いられ
る。衰えること。/凋落,凋谢;衰败,没落。
厳か(おごそか) [形動] いかめしく、重々しい様子。/庄严,严肃,肃
穆,庄重。
佇まい(たたずまい) [名] 立っている様子。物の姿、ありさま。/样子,
姿势,形状。
迫力(はくりょく) [名] 圧迫する力。人の心に迫るカ。/动人的力量,
扣人心弦。
極致(きょくち) [名] この上もなく優れていること。また、その趣。/
极致,极点。
黒々(くろぐろ) [副] 甚だ黒い様子。/乌黑,漆黑。
静まり返る(しずまりかえる) [自五] すっかり静かになる。/鸦雀无声,万籁俱寂。
冬芽(ふゆめ) [名] 「とうが」とも読める。晩夏から秋にかけて生
じ、冬季を越え、春になって成長する芽。/冬
多彩(たさい) 芽。
Z[名] ①いろいろな色が入り混じって美しいこと。
美丽多彩,色彩缤纷。②いろいろな種類や変
化があって、にぎやかなこと。/(种类的)丰富
多彩。
奥深い(おくぶかい) [形] ①表から遠い。/幽深的,幽邃的。②意味が深
い。深遠でわかりにくい。/内容深奥的。
40日语综合教程第六册
愛着(あいちやく) [名] (「あいぢやく」の変化)愛情にひかれて思い切
研ぎ澄ます(とぎすます)
取り戻す(とりもどす) れないこと。/留恋,难以忘怀。
すぐり [他五] 鋭敏にする。/变得敏锐。
あらせいとう
[他五] ①一度他人の所有となったものを、再び自分の
知れた(しれた)
ものにする。/取回,收回。②前に存在してい
措く(おく)
散策(さんさく) たよい状態を取り返す。/挽回,恢复。
生(せい)
鼓動(こどう) [名] ユキノシタ科の落葉低木の総称。高さ1〜2
触れ合い(ふれあい) メートル。果実は甘酸っぱく食用。/醋栗。
息づく(いきづく)
臼(うす) [名] アブラナ科の多年草。南ヨーロッパ原産。高さ
つく(搗く) 5〇〜80センチメートル。ストックの名で普通
漉く(すく)
魂胆(こんたん) に知られている切花。/洋紫罗’兰。
なにやかや(何や彼や) [連体] ①言うまでもない。/不言而喻的,不说自明的。
② たいしたことがない。数少ない。/(数量)不多
的,有限的。
[他五] 途中で何かするのをやめる。/①中止,搁下。②
撇开,除去。
[名・他サ] 「散歩」の漢語的表現。ぶらぶら歩くこと。/散
步,随便走走。
[名] ①生きていること。/生。②命。/生命。③生き
ること。/生计。
[名] ① 心臓の収縮によって律動的な響きが胸に伝わ
ること。また、その響き。/(心脏的)跳动,搏动。
② (小刻みに)震え動くこと。/微微地颤抖。
[名] 縁があって、いままでまったく知らなかった人
と親しく付き合う(ようになる)こと。/接触。
[自五] ①呼吸する。息をつく。/呼吸,深呼吸。②活
動をし始めること。/开始活动。
[名] 円筒形の石・木などをえぐり、きねを使って、そ
の中で穀物をついて砕いたり、もちをついたり
する道具。/臼;磨。
[他五] 穀物などを杵でたたいて押しつぶす。/捣,舂。
[他五] 紙・海苔な・どの原料を水に溶かして簣の上に薄
く平らにしきのばす。/抄,漉纸。
[名] ①きもったま。たましい/魂魄。②(ある目的
を達するための)心中に隠されたたくらみ•意
図・策略。/计谋,阴谋,企图。
[連語] あれやこれや。いろいろ。副詞的にも使う。/这
个那个,种种。
第2課自然との出会い41
軽井沢(かるいざわ) [名] 長野県の東部の地名。もと中山道の宿場町。明
治中期以後避暑地となった。/轻井泽(地名)。
笹(ささ) [名] 竹類のうち、丈の低い小形のものの総称。/小
竹,细竹。
在所(ざいしょ) [名] ①住んでいるところ。ありか。/住所。②故郷。
国もと。/故乡。
藪(やぶ) [名] 雑草や低木、または竹などが密生しているとこ
ろ。/草丛,竹丛。・
ジャングル(jungle) [名] (熱帯地方の)草木がすきまのないほど茂ってい
る原始林。密林。/原始森林,密林;热带丛林。
工房(こうぼう) [名] 美術家・工芸家などが仕事をする部屋•建物。ア
宅配便(たくはいびん) [名] トリエ。スタジオ。Z工作室。
商品や新聞・雑誌などを、直接、客の家庭に届
けること。/快递。
のりがいい [連語] 「のり」は調子づくこと、つりこまれること、リ
ズムにのること。ここでは、筆がなめらかにす
べり、書き具合がいいこと。/好写。
岩絵の具(いわえのぐ) [名] 日本画に用いる鉱物質の粉末顔料。緑青・黄土・
朱など。水に溶けないので、膠水で接着する。/
(用在日本画上的)ー种矿物质粉末颜料。
にじみ(滲み) [名] (色・水・油などが紙や布などに)しみこんで広
がること。/•渗,润。
筍(たけのこ) [名] 春、竹の地下茎から出る新芽。うろこ状の皮に
幾重にも包まれている。柔らかいうちは食用に
なる/竹笋,笋。
手近(てぢか) [名・形動] すぐ手に取れるような近いところ。すぐそば。/
手边,眼前。
細工(さいく) [名・他サ] 手先を使って、器物・調度•小道具などの細か
い物を作ること。またそのもの。/细エ,エ艺
ロロロ 〇
ポリエチレン(polyethylene) [名] エチレンを重合させて得られる最も軽い合成樹
月旨。変質しにくい。/聚乙烯。
ビニール(Vinyl) [名] アセチレンを主原料とする合成樹脂繊維。/乙
烯基,塑料。
生家(せいか) [名] ある人が生まれた家。/出生的家,娘家。
閑寂(かんじやく) [形動] 文語。物寂しく静かな様子。/恬静,幽静。
尺八(しやくはち) [名] ハチクの根に近い部分で作った縦笛。長さ1尺
8寸で、前に四つ、後ろに一つの穴がある。/箫,
42日语综合教程第六册
尺八。
音色(ねいろ) [名] その音に独特な感じ。/音色。
日がな(ひがな)
せせらぐ [名] 朝から晩まで。一日中。終日。/一整天。
子守唄(こもりうた)
[自五] 水が浅く、音を立てて流れる。/浅溪。溪流。浅
遊歩道(ゆうほどう)
がっちり 溪的流水声。
石垣(いしがき) [名] 子守をする者が子供を寝付かせるために歌う
ブヨ Z歌。 摇篮曲。
すずめ(雀)
〔名] 遊歩のために作られた道路。/散步道。
紋様入り(もんよういり)
乳母車(うばぐるま) [副・自サ] 体つきや物の構造などがしっかりと安定してい
根こそぎ(ねこそぎ) て、力強くて簡単には壊れそうにない。/坚固,
造成(ぞうせい) 牢固,结实。
生木(なまき) [名] 石を積み上げて作った仕切りの壁。/石垣,石
アプローチ(approach) 墙。
殺風景(さっぷうけい)
[名]' ブヨ科の昆虫の総称。/蝴。
才覚(さいかく)
[名] 雀科の小鳥。比喩的に良くしゃべる人をいう。/
青竹(あおだけ)
化身(けしん) 麻雀;(谕旨)喋喋不休的人。
ありか(在り処)
冥界(めいかい) [名] 模様があること。/有花纹。
[名] 乳幼児を乗せて、押して歩く車。/婴儿坐小推
车。
•[名]- 草木を根まで全部抜き取ること。すっかり。/全
部,干净。
[名・他サ] 人間がすぐ利用できるように、手を加えて作り
上げること。/修成,做成。
[名] ①地に生えて、まだ生きている木。/地上长的
树木。②切ったばかりで、まだ枯れていない
木。/刚砍下未干的树木。
〔名] 道路から建物に続く小道。/(道路通往建筑物
的)小道。
[形動] ①景色や風景が変化に乏しく趣やうるおいがな
い様子。/杀风景。②面白みがなく、興ざめが
する様子。無風流。/缺乏风趣,不风雅的。
[名] 物事をするときのすばやい頭の働き。/才智,机
智。
[名] 青い竹。/青竹。
[名・自サ] 何かの生まれ変わり。後身。/化身。转世。
[名] もの、建物のある場所。/所在。
[名] 文語。人が死んだ後行くという想像上の世界。/
冥界,阴间。
第2課自然との出会い 43
親爺(おやじ) [名] (くだけた会話の中で他人に話すとき)成人男
脂ぎる(あぶらぎる) 子が自分の父親を親しんで言う称。相手、他人
学知(がくち)
邂逅(かいこう) の「父」を言うときは普通「•••さん」の形をと
言葉の学習 る。/父亲,老头子。
[自五] 脂肪が多くついてぎらぎらする。/油光发亮;
肥胖。
[名] ①学んで物事を理解する。/学而知之。②学徳
と知識。学問。/学问和品德。
[名・自サ] 文語。しばらく会わなかった人に思いがけなく
出会うこと。/邂逅。
うも J
係助詞。「も」は普通同類の物事をさらに付け加えるのに用いるが、また次の
用法もある。
/.述語を修飾する語(形容詞の連用形・副詞•数字•接続助詞「て」など)につ
けて、文意を強調する間投助詞的に用いる。
❶ どうしてこうE順序を間違えず、次から次へと植物たちは動き出すのであろ
う。(为什么植物们会如此有秩序地ー个接一个地出现呢?)
❷ 巡り来る春に、再び山を覆い尽くすブナの葉が、早くも必要な枚数だけ冬芽
の中に準備されているのである。(春天来临,山毛棒的树叶将再次覆盖山岭。
而这些树叶早在冬芽期间就已经如数准备好了。)
❸ ひき主切らぬファンがコンサートの会場へ押しかけてきた。誰一人として情
熱と喜びにあふれていない者はいない。(络绎不绝的追星族拥向音乐会会场。
每个人的身上都洋溢着热情和喜悦。)
❹ 本当によくもこんなに切手を集めたね。いっから収集始めたの。(竟然收集到
了这么多的邮票。你是从什么时候开始收集的呢?)
❺ 惜しく主、その時出張で大阪に行っていたので会えなかったのだ。(可惜我那
时出差在大阪没能见面。)
❻ コスモスの花は東京付近でもぼつぼつ咲き始めた。信州や那須の高原では1
月虫前から咲き乱れていた。(大波斯菊在东京附近已经慢慢儿地开了。而在
信州、那须的高原早在1个月前就已经是开得十分烂漫了。)
2.主題を詠嘆的に提出する。つまり、話し手が感慨をこめて主題を取り上げたり、
ほかにも同じようなことがあることを暗示したりすることで、表現を和らげて
44日语综合教程第六册
提不する場合に用いる。
❶ そのころには林内の根雪止ほとんど消えて、ツツジ類をはじめ、低木類が林
床を飾るのである。(那时,林内的积雪几乎消失已尽,杜鹃等低矮植物将装饰
森林大地。)
❷ 幼年期から少年へ、さらに青年へと成長していくように、森林全体虫また季
節とともに変化をとげていく。(从幼儿到少年,又成长为青年。整个森林就是
这样随着季节而变化着。)
佃 立秋もすでに過ぎ去り、暑さも今しばらくとは存じますが、皆様一層ご自愛
の程、お祈り申し上げます。(立秋已过,酷暑还将持续一段时间。望大家保
重。)
❹ 夜!!更けて、雪も降り出した。昼間は人でにぎわった南京路も今は人気が
まったくない。(夜深了,又下起了雪。白天人来人往的南京路现在是 1个人
影都没有。)
❺父と母も仲直りができ、また家には平和な雰囲気がもどってきた。(父母和好
如初,家里重新洋溢着祥和的气氛。)
泊 ~といし'、~といい ••・也好••・也好,无论是…还是…
名詞、名詞句を受けるもので、動詞・形容詞文の場合は「ことといい」の形
で用いる。例を挙げる表現で、批判や評価の文で使い、呆れた、感心、あきら
めなどの気持ちが表される。
❶ 鈴木さんといい田中さんといい、営業部にはおもしろい人が多い。(铃木也
好,田中也好,经营部里有趣的人不少。)
❷ あのホテルといい、このレストランといい、観光客からできるだけしぼりと
ろうとしているのが明白だ。(很清楚,无论是那家饭店还是这家餐馆都想尽可
能地从游客身上榨钱。)
❸ 家柄といい、学歴といい、申し分のない結婚相手だ。(无论家庭情况还是学
历,他都是个理想的结婚对象。)
❹ 品質がよいことといい、値段が安いことといい、希望にぴったりの靴を見っ
けた。(质量又好价钱也便宜,我找到了理想的鞋。)
❺ 車でいけることといい、静かなホテルがあることといい、彼の望み通りの場
所だ。(可以开车去,而且饭店的环境也彳艮幽静,正是他想要的地方 。)
三〜ずにはいられない 不能不,无法不 I
意志の力では押さえられずに自然にそうしてしまうという意味を表す。書き
言葉的。話し言葉では「ないではいられない」。
第2課自然との出会い45
❶ 泰山からの眺めは本当にすばらしいものだった。こんなすばらしい景色をっ
くってくれた自然の偉大さに、みな驚かずにはいられながった。(从泰山望
去,景致美不胜收。自然为我们创造了如此美景,我们不能不惊叹自然的伟
大。)
❷ 私は甘いものに目がない。おいしそうなケーキを見ると買わずにはいられな
へ(我ー见到甜食就不顾一切了 。看到好吃的蛋糕就会控制不住地想买 。)
❸ あれだけ馬鹿にされれば、だれだって反抗せずにはいられない。(如此遭人轻
视,无论是谁都要反抗的。)
❹ バーゲンセールと聞いては、無駄使いするとわかっていても、行かずにはい
られない。(听说商场大减价我就非去不可,明明知道这是在浪费钱 。)
❺ こんな手紙をもらっては、心配せずにはいられない。そうかといって今すぐ
飛行機で行くわけにもいかない。(收到这样的信让人无法不担心。但也不能
马上坐飞机去呀。)
迥 名詞ひとつにしても 哪怕是・•・也… J
「にしても」は名詞ひとつを受け、「小さな単位AでもBなのだから、ほかは
当然すべてBだ」という意味を表す。「にしても」は「さえ」と同じ働きをして
極端な例を示している。「名詞ひとつにも」とも言える。
❶ 彼女は本当に物持ちがいい人だ。ハンカチひとつにしても、大切に何年も
使っている。(她是ー个非常爱惜东西的人。哪怕是ー块手绢也十分珍惜地要
用上好几年。)
❷ 身につけている物ひとつにしても育ちのよさが感じられる° (他身上的穿戴
无一不能让人感到他出生在ー个家境很好的家庭。)
❸ 彼は、虫一匹にしても、そこには魂が宿っていると思っているのだから、蚊
に刺されても絶対殺さないのだ。(即便是被蚊子咬了他也决不会打死它。因为
他认为就是ー只小虫也是有灵魂的。)
❹ 私の小学校時代は物不足の時期だった。その頃は、米一粒にしても、疎かに
してはいけないといわれたものだ。俄读小学的时候物质生活非常地贫穷。那
时大人经常教育我们一粒米也不能浪费〇 )
0 確かに彼女は味噌汁ひとつにしても満足に作れないc母の目からみるなら嫁
失格かもしれないが、しかしわたしには味噌汁などどうでもいいのだ。(她的
确是连酱汤也做不好。在母亲看来是没有资格做媳妇的。可是对于我来说会不
会做酱汤无所谓。)
「名詞ひとつ」は「にしても」と一緒に使うほか、また次の用法もある。
❶ この子は怪我ひとつしないで育ったc (这孩子从小到大从来没有受过伤。)
❷ お引き受けしたからには、手抜かり一つなく、完全にやりとげてごらんに入
46日语综合教程第六册
れますわ。(既然接受了下来,我就会认真地毫不疏忽地去完成 。)
❸ 考えれば考えるだけ、彼は身動きもできなくなり、指一本さえ、動かせなく
なってきた。(越是想得多,他的身体也就变得不能动了,甚至连ー根手指都动
不了。)
❹・これはばかばかしいほど簡単な事件なのに、まだ何一つわかってはいないん
だよ。手がかりはむろんたくさんあるんだが、どれ一っとしてつかめないよ
うな有様なのだ。(这是个非常简单的事件,可是我们还什么都没有弄明白 。
线索是彳艮多,可没有一个抓得住。)
❾ もう万事準備され、すべてが君の決心ひとつだ。(已万事俱备,一切就看你的
决心了。)
上五、〜て(で)ならない 非常地…,•••得不得了 !
Aという自然に現れた気持ちや感覚が自分ではコントロールできない状態を
表す。抑えようとしても抑えられない状態のため、その感情の程度が非常に高
いことを表す場合が多い。「〜てならない」の前には感情や欲求を表す言葉や
「思える/感じられる」などの自発形に限られ、物の属性や評価についての言葉
を用いると、不自然な文になる。やや古めかしい言い方で、書き言葉に多く用
いられる。
〇 ダイエットしているのに少しも痩せないのが、不思議でならない。(明明在
减肥却一点儿也不见瘦下来,真是想不通。)
❷ 親を亡くした悲しみにじっと耐えている顔を見ると、不憫でならなかった。
(看着他一直强忍着失去亲人的痛苦,我不由得心中充满了怜惜之情。)
❸ わけがわからないが、死んだはずの夫がひよっこり現れるように思えてなら
ない。(不知为什么我老觉得死去的丈夫会突然出现 。)
❹ おじいさんは孫の帰りが遅くて、心配でならないようだ。(老爷爷对孙子的迟
迟不归担心得不得了。)
❺ せっかくの海外旅行なのに体調を崩したのが悔しくてならない。(难得有一次
去境外旅游的机会却感到身体不舒服,真是遗憾得不得了 〇 )
備…・今M•そー一恥星二・,一司展展却:"• •一一… …一j
よく「今でこそ〜が」の形で用いられる。「現在はその事柄は当然のことのよ
うに認められているが、以前はこれとまったく違い、正反対の状況だった」と
いう意味を表す。
❶ 日本経済は今でこそ衰えるー途を辿っているが、つい10年ほど前までは、
世界経済においてもアジアの奇跡として知られていた。(日本经济目前正日趋
衰败,可就在10年之前,在世界经济领域里日本却是以亚洲的奇迹著称 。)
第2課自然との出会い47
❷ 彼は今・M心を落ち着けてこの仕事をしているが、以前は何度やめようか
と思ったかしれない。(他现在算是定下心来工作了。以前也不知多少次想要辞
掉这个工作呢。)
❸ 呉さんは今でこそ日本語の勉強に全力を尽くしているが、入学当初は日本語
が希望専攻ではなく、転部願いを何回も出したそうだ。(小吴现在总算是全力
以赴地学习日语了。听说入学当初打了好几份报告要求转系,理由是日语不是
他报考的专业。)
❹この川は今静かに流れているが、ついこの間までは激しく逆巻いてい
た。(这河水现在是平静地流淌着,就在刚オ却还是波涛汹涌 。)
❺ 我々中国人も今でこそ外国旅行は行きたいならいけるようになっているが、
つい10年前までは、まだ夢で憧れに過ぎなかった。(我们中国人如今如果想
去国外旅游的话也能去了。可是就在1〇年以前那还只是个梦想而已。)
匕ら何を(は)おいても 首先…;其他的暂且不提
副詞的に使う。「ほかの事はさしおいても、これだけはまず」という意味を表
す。「何はさておき」に近い。
❶ 何をおいてもこの方面の基礎理論をよく勉強しなくてはならないC (其他的暂
且不提,这方面的基础理论一定要好好学。)
❷ 音楽は、耳で聞いて感動するものだ。頭でわかるとか、わからないとか言う
べき筋のものではあるまい。まず、何をおいても聞くことだC (音乐是用耳朵
听并为之感动的艺术。不是用脑袋来理解的艺术。首先是听。)
❸ 彼の何をするにも人の言い方に迎合するのが何をおいてもいやだ。(且不说别
的,我最讨厌他的就是无论做什么都没有主见这一点。)
❹ あの先生が講演するとあっては、田中さんなら何をおいても聞きに行くにち
がいない。(如果是那位先生作扌艮告的话,那田中肯定会不顾一切去听的。)
❺ わたしは、何をおいてもさしあたり明日の暮らしをどうにかしょうと、とり
とめもない考えをたどりながら、さっきから降る雨の音を、聞くともなく聞
いていたのである。(雨刚开始下,我心不在焉地听着雨声,心里还在没完没了
地想,眼下首先该想想明天的日子怎么过了。)
*—〜に至る 到达…—,
「〜に至る」は「到達する」という意味を表す。空間的にある場所に到達する
場合もあれば、変化の結果、ある段階や結論に到達する場合もある。書き言葉
的である。
❶ 自然破壊の極致に至ったとき、自然は管理し保護しなければならないという
48日语综合教程第六册
思想が生まれる。(自然破坏达到极致时,人们オ会意识到自然是必须管理并且
加以保护的。)
❷ この川は大草原を横切って流れ、やがては海に至る。(这条河横穿大草原,最
后流入大海。)
❸ 好きなもの同士が集まっていては、それは同類が集まったというだけで自己
啓発には至らない。(合得来的人聚集在ー起的话,那只能是同类相聚,不可能
有自我发现。)
❹ それも都市部の若者など一部の人たちの間に限られるだけであって、全国的
なブームには至らなかった。(那也就限于城市中的年轻一族,没有成为全国
性的热潮。)
また次のような用法もある。
厂「〜に至るまで」の形で、状態の範囲を示し、話し手の驚きや呆れの気持ちを表
す。「まで」と大体同じ意味である。(至,到。)
❶ 各自の生活に必要なものを、住居や自動車から、家庭用品や衣類に至るま
で,「手仕事」で作ることはまず不可能だ。(首先每个人的生活必需品,从房
子、汽车到家庭日用品和衣服类等不可能都自己生产。)
❷8歳の子供が学校でクラスメートを死に至るまでいじめるなど、まったく考
えられないことだ。(ー个8岁的孩子在学校欺负同班同学至死,这实在太难想
像了。)
❸ 今日に至るまでいろいろご援助をいただき、ありがとうございます。(至今得
到您各方面的帮助,太感谢了。)
❹ 都会から田舎に至るまでどこにでもおめでたい雰囲気があふれている。 (从
城市到农村,到处洋溢着喜庆的气氛。)
2「〜に至って」の形で、「事態がこんな極限の段階になってはじめて」、という意
味を表す。後ろの文にはよく、「ようやく•やっと」などの語を伴う。(直到…才…)
❶ 事態が厳しくなるに・T、政府はようやく伝染病対策本部を設けることに
決めた。(直到事态变得很严重了,政府オ决定设置传染病预防治疗中心。)
❷ 財産を蕩尽するに至って、彼はやっとギャンブルをやめた。(直到倾家荡产,
他总算不再赌了。)
❸ 危うく留年しそうな状況に至って、彼女はまじめに勉強するようになった。
(直到差一点留级,她オ开始认真学习起来。)
❹ 地下鉄事故の賠償問題に関する交渉は8月に至空ようやく一段落がつい
た。(关于地铁事故赔偿的谈判直到8月份总算告了一个段落。)
3「〜に至っては」は極端な例を挙げるときの表現として使われる。そんな程度に
第2課自然との出会い丨49
なったことに驚いたり、呆れたりする気持ちを表し、マイナス評価の事柄に使
うのが普通。(至于…)
❶ 私は何をしても不器用だ。スポーツに至っては学業以上に苦手だC (我无论做
什么都很笨拙,至于体育那就更不如学习了。)
❷ お金はいつも足りないが、今月に至っては5万円の赤字が出た。(钱是经常不
够花的,至于这个月嘛超支了 5万(日元)。)
❸ 今年の夏は例年になく暑いが、南京に至っては40度まで上がったそうだ。
(今年夏夭比往年任何一年都热,至于南京听说气温竟高达40度呢。)
❹ 事ここに至っては、裁判所に仲介を頼むしかない。(事已如此,只能请求法庭
调解了。)
❺ 玄関先の壁に、火の用心とかのためのお札を貼り付けている家は、今でも数
多く見られる。自動車に至っては、バック•ミラーの横に、交通安全のお札
とマスコットの人形をぶらさげてない車のほうが、むしろ少ないだろう。
• (如今不少家庭在玄关的墙上贴着寺院神符为了小心火烛。至于不在后视镜旁
挂交通安全神符或吉祥娃娃的汽车恐怕更少吧 。)
v------------------------------------------------------------------------------------------------------- ・ヽ
W—〜にして ー・——一—ー…―——一一ーーー——一———_________一——1
「〜にして」は次のような用法がある。
1. ある事柄が起こった時間や時点を強調するときに使う表現で、ある段階に到達
してはじめて何かが起こったことを表す。「今にして」は「今になって」「今と
いう時点で」の意味である。この用法は助詞「で」で置き換えが可能である。
❶ ドストエフスキーをはじめとするあの深刻なロシア文学はやはりそういう土
地柄にして始めて生まれたのであろう。(以陀思妥耶夫斯基为代表的深刻的俄
罗斯文学只有在那样的民风民情中才可能诞生。)
❷この年にUはじめて人生がどんなものであるかがわかった。(到了这把年纪
オ懂得什么是人生。)
❸ 親が40にして生まれた子だから、とてもかわいがられて育ったのだ。(他是
父母40岁时生的儿子,所以是在极其疼爱之中长大的 。)
❹ 今にして思えば、そのとき彼女はきっととてもつらかっただろう。(现在回想
起来当时她一定非常地痛苦吧。)
2. ある物(人)がふたつの属性や性質を持っていることを表す。「〜でありながら
なおかつ〜だ」の意味。硬い表現で、改まった感じや気取った感じを表すため
に使われる書き言葉であり、一般に古風な言い回しなどによく見られる。(既
是..•也是…)
50 日语综合教程第六册
❶ 彼女は僮大な科学者にしてふたりの子供の母親であった。(她既是一个伟大的
科学家,也是两个孩子的母亲。)
❷ 自然は美しいもの日m恐ろしいものだ。(自然是美丽的,也是可怕的。)
❸ 彼は政治家にして詩人である° (他是ー个政治家,也是ー个诗人。)
❹ これほどすばらしい味わいは中華料理にU中華料理にあらずといえるだ
ろう。(这样的美味可以说既是中国菜又不像是中国菜 。)
3. 副詞か特定の名詞につき、事柄の状況を表す。この用法は慣用的なものが多い。
❶ 暖かい部屋にいながらにして60キロ先の夜の海の状態まで知られるという
ことが不思議だ。(坐在温暖的屋子里就能知道60公里外夜幕下的大海的情况,
这真是不可思议。)
❷ つい少し前までの憂鬱な気分はたちまちに空消え、思わず口からハミング
がもれた。(不久前的忧郁心情一下子好了,嘴里不由得哼起了小调 。)
❸ 私は一夜にして有名になったテレビスターではない。40年近い勤勉努力に
よって今日に至ったのである。(我不是一夜成名的电视明星,是经过将近40
年的努力オ有今天的。)
❹ 売り出してからわずか30分にして品切れとなった。 (卖了 30分钟就卖光了。)
4. 「AだからこそB」「AでさえB」の意で、Bの部分は非常にAに合致している。
(•••况且如此,更何况是…)
❶ ノーベル賞を受賞したT氏は、少年時代劣等生だったという。あの人にして
そうなのだから、わが子が劣等生だからといって深刻に悩む必要もない。(听
说获得诺贝尔奖的T氏少年时代是个差生。他况且如此,那我们就不必为自己
的孩子是差生而烦恼了。)
❷ 私の母も時々料理の味付けに失敗するそうだ。主婦歴30年の母にしてそう
なのだから、結婚して間もない私が失敗するのもしかたがない。(听说母亲做
菜也时有失败。有30年家庭主妇经历的母亲况且如此,结婚不久的我做不好
菜也是情有可原的。)
❸ 夫に!ユ私の気持ちをぜんぜんわかってくれないのだから、ほかの人はなお
さらだ。(连丈夫都不能理解我的心情,更何况别人。)
❹ 長年日本で生活した人に!二日本文化をよく理解できないのだから、日本へ
行ったことのない私が理解できないと思うのは無理もないだろう。(在日本长
期生活过的人都觉得日本文化难以理解,那么从未去过日本的我有这样的感觉
也是可以理解的嘛。)
.ーまさか…ー—————…一…一—一———ーーーー…-一一 ,
1.副詞である。普通下に打ち消しや反語などの語を伴ってどう考えてもありえな
第2課自然との出会い51
いという推測を強める意を表す。よく「まさか〜だろう」「まさか〜はずはない」
「まさか〜とは思わなかった」などの形で用いられる。「まさか〜でしょうね」の
形で用いられる場合は強い疑いを表す。(不会…吧,怎么会…,根本没想到
会…)
❶ あのまじめな男がまさかそんな悪いことをするはずはない。(那么老实的人不
会干那种坏事的。)
❷ まさかあんなに急に飛び出されるとは思ってもいなかった。あんなふうに飛
び出されたら、おそらくどんな名ドライバーでも避けきれないだろう。(我压
根就没想到他会那么突然地蹿出来。那么突然地蹿出来,恐怕就是驾车一流的
司机也避之不及吧。)
❸ まさか中国経済がこんなに速く発展するとは、だれも思わなかったに違いな
い。(谁都没想到中国经济会发展得如此迅速 。)
❹ あなた、まさかほかに好きな人でもあるんじゃないでしょうね。(你不会是另
有喜欢的人了吧。)
2感動詞的に使う。「ともいえない」「わけにもいかない」などの否定表現を伴う
ことが多い。(该不会…,总不能…,难道是真的?)
❶ まさか本人に面と向かって、本人の悪口をいうわけにもいかないじゃない
か。(总不能当着本人的面说他的坏话吧。)
❷ まさかこんな服でパーティーに出るわけにもいかない。(你该不会是要穿这身
衣服去参加宴会吧。)
❸「あのふたり、離婚したんだって。」「えつ、まさか。うそでしょう。」(“听说
她们俩人离婚了。” “哎,不会吧。是瞎说的吧。”
❹ いくら真実だとしても、まさか7歳の子供にお父さんが事故で亡くなったな
どと思いやりのない話も言えない。(即便是事实,总不能对ー个7岁孩子说
“你爸爸因交通事故死了”这么残忍的话吧。)
3「まさかの+名詞」の形で、事態が差し迫った様子を表す。万一の場合、緊急の
場合という意味である。(一旦,万一)
❶ この辺りはあまり地震がないといわれているが、まさかの時に備えて、災害
保険に入っている。(传说这ー带没有地震。不过,为了防患于万一我还是加入
了重灾保险。)
❷ まさかの場合は、この電話をかけてください。(有什么事时请打这个电话。)
❸ まさかの場合は、エレベーターを使わずにこの階段をご利用ください。(万一
有什么事的时候,希望不要坐电梯,请用这个楼梯。)
52 日语综合教程第六册
表現の学習
根拠を表す表現
根拠を表す表現とは判断の手がかりを表すもので、「からして」「からすると
(からすれば・からしたら)」「から見て(からみると、からみれば)」「からいっ
て(からいうと・からいったら)」「ところから」「ことから」「ところを見ると」
「見るからに」「によれば」「をもとに」などあげればきりがないほどたくさんあ
る。次がその代表的な表現の一部である。
❶ この女客というのは、1月14 0の8時過ぎにひとりで来て、5日間滞在して
いたのだ。年齢、人相からみて、裕子に間違いない。(这个女客人是1月14
日8点过后来的,住了 5天。从年龄、长相来看没错是裕子。)
❷ あの態度からして、彼は自分のやったことをまったく後悔していないよう
だ。(那种态度,说明他对自己的所作所为一点儿没感到后悔。)
❸ あの口ぶりからいって彼はもう何もかも知っているようだから、もう隠し事
をやめよう。(听那口气他好像什么都知道了,我们就不要再瞒着他了。)
❹ 自然保護という点からいうと、ここでリゾート開発などをするべきではな
い。(从自然保护这个角度来看的话,这儿不应该建造度假村。)
❺ 電話の声からすると、どうも悩みでもありそうな感じだった。(从电话里的声
音来看他好像有什么烦心事儿 。)
0 今までの成績からみると、間違いなく 一流大学に受かるだろう。(从以往的成
绩来看你一定能考上一流大学〇 )
まとめ
「からして•からみて•からいって」は何かを判断したりするときの手がか
り・根拠を表す言い方で、ほとんど言い換えられる。
「からすると(からしたら・からすれば)」「からいうと」「からみると(から
みれば)」は「ある立場に立って判断すると」という意味と、根拠を表す場合と、
両方に用いる。根拠を表す用法なら「からして•からみて•からいって」、など
ともいう。
客観的•データ的なものの場合は 「からみると」がよく使われ、主観性が高
いものは「からすると」のほうがよく用いられる。
「からいって•からいうと」の後文には話し手の意見、主張を述べるものがよ
くき、「からみて•からして」は判断や推測の内容がよく くる。
❶ 東京などの大都会では、女性が夜でもひとりで歩けるし、また、犯人の検挙
率が高いということから、日本は治安のよい社会といわれている。(在日本东
第2課自然との出会い53
京等大城市,晚上女士1个人在外行走也很安全。另外犯罪的破案率也高。这
样日本就被认为是ー个治安很好的社会了。)
❷ ここは最近建設されたマンションで、周囲の共有地が割合広く、緑が豊か
で、建物が良心的に作られているところから、貯金をはたき、住宅ローンの
融資を受けて購入したのである。(这是最近建造的公寓房,因周围共用面积较
大,树木又多,大楼造得也算有良心,所以我就倾其所有,再加上贷款买了下
来。)
❸ 顔は真つ黒だが、手首が白いところを見ると、生まれつき黒いわけじゃな
い。とすれば、熱帯地方から帰ったばかりだということになる。(从他的脸色
黝黑但手脖子很白来看,他不是天生就是这么黑的。所以结论就是他刚从热带
地方回来。)
❹ 従来の絵画観によれば、自然の中に存在するものは、すべてそれぞれ固有の
色を持っていた。つまり、緑の草はいつも緑であり、青い衣装はあくまでも
青い衣装であった。ただその青や緑が、時に応じて明暗の変化を示すだけで
あった。(以往的绘画观认为自然界的物体其颜色都是固定的。也就是说,绿草
永远是绿的,蓝衣服必须是蓝色的。这样的蓝或绿仅仅是在不同的时候会显示
出明暗的变化,仅此而已。)
❺ 自然界も、ちょっと見には毎日移り変わっているにもかかわらず、全体とし
ては、ちゃんとつりあいが取れている。(自然界同样如此,表面上看起来每天
都在变化之中,而实际整体上是保持平衡的。)
まとめ
「ところをみると」は直接の経験を判断の根拠に、話し手が推量を述べる場合
に用い、「ところからみて」ともいう。「ところから•ことから」は後件の判断
をする根拠となる理由を表す。名前の由来を述べるときは「ことから」のほう
が比較的によく使われ、「ところから」はほかにもいろいろ理由があることを暗
示する。
「ちょっと見には」は見ただけですぐにわかるほどという意味を表す。同様な
ものには「見るからに」「見た目には」などがある。「によれば」は聞いたもの
の出所である。
£語や語句の構成 「I
7.〜入り
「入り」は名詞をうけ複合名詞を作る。それに「する」をつけると動詞にもな
る。「入り」で作られた複合語は「加入・入っている•はじまり」などの意味を
表す。
54 日语综合教程第六册
❶ 器用に編み込まれた紋様厶饥のフタっき大かごが千円もしない。(那些编得彳艮
好有着花纹的带盖子的大篮子价格也不到1000日元。)
❷ 変な芝居はやめなさい。ぼくはいま、あまり楽しい気分じやないんです。ば
か騒ぎの仲間入りする気はありません。(不要再做戏了,我现在很不开心,没
有心思跟你们胡闹。)
❸ 八方手を尽くして探しまわったあの本は昨日古本屋で手に入れた。思いもよ
らないことに著者の署名入りでさえあった。(我想尽办法到处寻找的那本书昨
天在旧书店买到了。没想到竟然还有作者的签名。)
❹ 日本のアニメ作品は世界のベスト20作のうち、9作品がランキング入りし
ているという。(听说日本的动漫作品有9部被排入了世界2 0部畅销作品之
列。)
❺ 昨日で梅雨入りだそうです。これから毎日湿度が高く、私たちの気持ちもじ
めじめするようになりがちですね。(听说昨天已进入黄梅。以后每天的湿度彳艮
高,我们的心情也容易变得阴郁起来。)
2.〜が張る
「〜が張る」はいろいろな意味として用いられている。「根が張る」「氷が張る」
「腹が張る」「肩が張る」「値段が張る」などいろいろあり、そしてそれぞれ違う
意味を持っている。「張る」は、また他動詞的な用法もあり、気をつけて使って
ほしい。
❶ あの人は塗が張堂たちだから、今回満足させてあげてもきりがないよ。(他是
一个欲望很强的人,即便这次满足了他还会有新的要求的 。)
❷ 値段も張らないし、わざわざ届けてもらうのも悪いような気がしている。(价
钱又不贵,还让人特意送来,我觉得不太好哎。)
❸ 大きな目の感じがいいわりに、顎が張り加減です。でもやっぱりきれいな方
ですよ。(两只大大的眼睛感觉不错,但下巴过于方了点 。不过还算是漂亮。)
❹9月から毎日のように残業をしているので、大変気が張っている。来週から
一週間休めると聞いたときの喜びも、それだけに大きかった。(9月份以来几
乎是每天加班,太紧张了。所以当听说从下周起可以休息一周时别提有多高兴
了。)
❺ こんなおいしい料理は本当にひさしぶりだったので、つい食べ過ぎてしま
い、今はちょっと腹が張っている。腹ごなしに散歩してくる。(好久没吃到这
么可口的菜了,不觉多吃了点儿,现在肚子有点儿胀。我去散散步消消食就回
来。)
第2課自然との出会い55
練習
ー、次の漢字にふりがなをつけなさい。
芽吹き 根雪 摂理 脂ぎる 全山 低木 臼 岩絵の具
極致 勝る 笹 紋様入り
軽井沢 凋落 樹木 佇まい 雑草 片隅 藪 合成樹脂
親爺 梢 筍
乳母車 邂逅 振興 宅配便
子守唄 心境 若狭 殺風景
二、 次の文の下線部の片仮名を漢字に直しなさい。
1. 各国に一歩サキガけて景気回復の道を踏み出したC
2. ブナの新緑はうっすらとりヨウセンを染めるc
3. 秋はシュウカクの季節だ。どこへ行っても果物の香りがする。
4. 真夏のシタガり作業はほんとにつらい仕事だ°
5. 四季折々ウツろい行く森の美しさに感動せずにはいられない。
6. 熱心にケナゲな様子で働く若者たちだ。
/オゴソかな成人式で国に役立つ人間になろうと誓った°
8. 日本人は自然に極めて強いアイチャクを抱いている。
9. このようなー連の事件を経て私の神経も上ぎすまされた。
10. 森をサンサクし、自然界の生の鼓動に耳を傾けよう。
11. キョウに編みこまれた乳母車だC
12. コウボウを若狭に移した°
13. 見事なタケザイクだ。
14. 母のセイカは寧波だ。
15. 口笛のネイロが冴える。
三、 次の質問に口頭で答えなさい。
1. 「この時こそが雪国に暮らす人々にとって最高に幸せな時なのである。」とある
が、なぜ「この時」が「最高に幸せな時」なのか。
2. 「天の摂理とは、まさにこのようなことを言うのではなかろうか。」とあるが、
「このようなこと」は具体的にどんなことをさすのか、文中の言葉を抜き出し
て答えなさい。
3. どうして植物にとって夏はもっとも生命感にあふれる時期なのか。
4. 「雑草や小低木から見れば、とんでもない迷惑なことである」とあるが、どう
いうことが、なぜ迷惑なのか。
5. 「ここには人それぞれの自然がある。自然保護と林業振興との、いずれの立場
が優れているというのでもない。人はそれぞれの立場で自然に接するのだとい
うことを、我々は心の底で認め合いながら生きているのである。」の部分には、
56 日语综合教程第六册
筆者のどんな主張が込められているのか。「それぞれの立場」とあるが、どう
いう立場なのか、二つ挙げなさい。
6.「厳かな」「けなげな」は、人間の凛とした様子や一途な様子を表現する言葉で
ある。「厳かなたたずまい」「風雪に耐えるけなげな姿」には、筆者のどんな見
方が表れているか。
/「抽象的•概念的自然」の具体例を、日本文化の中から考え出しなさい。
8. 日本人は「どちらかといえば、情感という側面ばかりで自然と付き合ってき
た」とあるが、それはどういうことを意味するか。具体的な例を挙げて説明し
よう。
9. 筆者は、これから私たちは、自然とどのように付き合っていくことが必要であ
ると述べているか、まとめよう。
10. 筆者は、竹から「教わるもの」はどんなものであると言っているか、まとめて
みよう。
11. 「そこらあたり」とは、どのような点をさすか。2点指摘しなさい。
12. 筆者は「竹が泣いている」、「竹が号泣している気がする」と書いているが、そ
れぞれにおける竹の嘆きはどのようなものか 、考えてみよう。
13. 筆者と中国の大学生との会話から、中国と日本両国の、どのような考え方の相
違がうかがえるか。
14. 芭蕉は、「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」と言ったが、筆者は、
「竹」からどのようなことを習っているか。
15. 筆者は、人間と竹とのかかわり方はどうありたいと考えているか、まとめてみ
よう。
四、 次の文の下線部の意味を説明した上で、全文を中国語に訳しなさい。
1. ブナの緑に先駆けてマルバマンサクが咲いた。
2. 日本人が自然に対して研ぎすまされた感性を持っているのも事実である。
3. 自然を人間から切り離して眺めるのではなく、むしろ自然を友とし、自然の心
に迫ることが大切なのである。
4. ものも言わぬ竹ながら、何やかや教わるものが多い。
5. 在所の若狭などでは、一年に親の背丈を越す新竹となり ……
6. 宅配便で運んだ手間を省いている竹紙は、なかなか味があって……
7. まぜて一人前の紙になるあたりがおもしろい。
8. 根こそぎ地の皮をめくるみたいに、竹を切り殺して...
五、 文頭にあげた言葉の用法として、次の文の下線部ではどのように使われているか。
意味あるいはその用法を説明しなさい。
7お. もしろい
そ①の仕打ちを見て おもしろくない気分になった。
第2課自然との出会い57
② その考えがおもしろい。
③ おもしろいことを言って人を笑わせる。
④ おもしろくない事態になったC
2おく
① あの人は奥さんとふたりの子供を田舎におビヱ、自分ひとり、こんな遠いと
ころへ来てのんびりなどしている。
② ほんのひとりかふたりの人をおいたりして、とても小さな店を経営している
そうだ。
③ 学校のほうはどうしても研究に力が おかれ、教育などが手薄だね。
④ 大学卒業後、京都に住みつき、ある中学校に身をおいた。
3.あたり
① 今度の企画は大変なあたりだった。
② そこらあたり}こ頑固な個性があるような気がするのである。
③ 若狭あたりでは、ほとんどの家は適当な藪を持っている。
④ あたりのやわらかい酒だから、いくら飲んでも酔わないよ。
六、次の語群から最も適切な言葉を選んで()に入れなさい。必要な場合は適当な活
用形にすること。
ア殺風景 イうっすらウ息づく 工先駆ける 才ときめきI
カ 静まり返る キ 奥深い ク 心境 ケ 研ぎ澄まされる コ 器用
1.日本大は、自然を愛し、自然に対応して生きることがその伝統の中に( )
ことを誇りにしている。
2田舎町の夜更けは車の音一つ聞こえず、しいんと( )ていた。
3. 昨日まで何ともなかったお菓子に今日はもう( )と黴が生えていた。
4. 深層心理とは( )隠れていて、普通は意識されない心のことである。
5. 中国は他国に( )てアジア金融危機から抜け出した。
6. 高校からずっと憧れていた大学に受かったという知らせを見たその瞬間、私は
胸の( )を強く覚え、喜びが胸いっぱいにあふれた。
/私の覚えている故郷はもっとずっとよかった。そう感じるのは、自分の
( )が変わっただけだ。今度の帰郷はけっして楽しいものではないのだ
から。
8.映画のおかげで、野中刑務所もすっかり有名になってしまったけど、土地の大
はあまり喜んではいない。刑務所で有名では、( )だから。ここは刑務所
より湖や原生花園のようなきれいなところがたくさんあるんだ。
58日语综合教程第六册
9.そのあくる日から2日間がかりで、久保君は私をスケッチした。鉛筆と画用紙
で、私を前後左右から( )描いた。
10.微妙な風の肌触りに秋を予感するほど季節の感覚が ( )ていた。
七、次の語群から最も適切な言葉を選び に入れて文を完成させなさい。た
だし、一つの言葉を必ず1回使うこと。
からいうと 見るからに によって ふまえて
からすると ところをみると ところから もとにして
からみて 見た目にも
1. 環境破壊という点、ここに化学工場を作るべきではない。
2. この空模様 いまにも嵐になりそうだ。
3. 雲南は山が高く、原始林がある、珍しい鳥や獣がたくさん
いるだろう。
4. すると、ひとりの日本人が むっとした様子で立ち上がって、
私の話に反対の意見を述べた。
5. このガラスの花瓶は 重くて、私はあまり好きではない。
6この提案は会社が置かれている現状を 作られたものである。
7. 双方ともうれしそうな顔をしている、交渉は順調に行われ
たようだ。
8. 成績だけを 学生を評価するのはよくないと思う。
9. その人の性格、そう簡単に納得するはずがない。何か説得
するよい方法でもあろうか。
1〇.真実はあの人の証言 明らかになり、田中さんも無罪釈放と
法廷が判決したそうだ。
ハ、括弧の中の言葉を使って次の中国語を日本語に訳しなさい。
1.即便是说奉承话,这所学校的教学水平也谈不上很高。但是学生都是ー些富家
子,捐赠多,设备很齐全。(お世辞にも/寄付金)
2我是个外行,不懂品质的好坏 。但从大小来看这颗钻石好像最贵 。你不会是想买
这个吧。(からみて/まさか)
3. 无论是气候还是景色,这儿是度假最理想的地方。所以我几乎每年都来。(とい
い、といい/休暇を過ごす)
4. 欧洲人是通过实际体验来把握自然的,而日本人却似乎只是从概念上去把握自
第2課自然との出会い59
然。或许可以说在日本人们更重视用情感来感受自然。(実体験を通す/情感に訴
える/ように思われる)
5. 无论谁都清楚地看到了地球环境已经遭到了破坏,并且这种破坏正在成为公害或
灾害降临到人类自己身上。(誰の目にも明らかだ/降 り•かかる)
6. 看样子那孩子没考上第一志愿难受得不行,快去安慰安慰他吧 。而且考上的那所
大学也没什么不好嘛。(第一志望校に受かる/〜てならない/たいして〜ない)
/付所购的公寓房房款时,他不由得想起了为了买这套房父亲常年的辛苦工作,以
及和母亲所过的简朴的生活。(分譲マンション/〜ずにはいられない)
8. 和那些一夜成名的人不同,为了追求艺术的巅峰他经常是废寝忘食不辞辛劳地努
カ着。(にして/極致を究める/骨を折る)
9. 此线还没有到通车阶段。据说原计划今年年内通车试运行的,可是因为资金的问
题要拖到后年才能完工。(に至る/竣工/試運転を行う)
10. 我们公司规模不大,生产的产品种类和数量也很有限 。但是公司认为即便是ー个
次品也会影响到公司的信誉,所以对质量要求很严。(しれた/名詞一つにして
も)
九、言葉の決まり
1.次の言葉の対義語を書きなさい。
特殊 ( ) 安定( ) 過密( ) 供給( )
) 平等( )
快調 ( ) 粗末( ) ’希薄( ) 否決( )
) 弛緩( )
質疑 ( ) 延長( ) 混乱(
冷淡 ( ) 現実( ) 利益(
2.次の①〜⑤の熟語の中から最も適当なものを用いて、次の各文の( )を補い
なさい。
ア彼の行動はまことに( )である。
イ( )に言うと、今後のことは全く ( )だ。
ウもっと( )するほうがよい。
ェ生徒は( )に答えた。
ォ あまりつまらぬことに(. )するのはよくない。
①単刀直入 ②言語道断 ③五里霧中 ④付和雷同 ⑤取捨選択
60日语综合教程第六册
3.次の修飾語の順序の訂正は、あとの四つの原則のどれに当てはまるか、記号で答
えなさい。
① 今日もクラスのみんなで僕が一番信頼しているK君をからかっていた。ー僕
が一番信頼しているK君をクラスのみんなで今日もからかっていた。( )
② 大きい真つ赤な店頭に並んでいるリンゴ。ー店頭に並んでいる大きい真つ赤
なリンゴ。()
③ 初夏のみどりがもえる夕日に照り映えた。ーもえる夕日に初夏のみどりが照
り映えた。( )
④ 1輪だけバラの花が奥の庭に咲いていた。一奥の庭にバラの花が1輪だけ咲い
ていた。()
ア句を先に、詞をあとに。
ィ 長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。
ウ大状況•重要内容ほど先に。
工 親和度(なじみ)の強弱による配置転換
十、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
日本というと、まず島国で、そして狭いという連想が、三題話のように語られる。
アメリカやカナダやソ連や中国やオーストラリアに比べれば、それは狭い。しかし、
日本列島の最北端宗谷岬に大差し指を置き、最西南端の与那国に親指を置く。開い
た指の幅のまま、地球儀を半回転させてアジア大陸からユーラシア大陸の西端に
持って行く。人差し指を北欧のフィンランドのヘルシンキに置くと、親指はスペイ
ンやポルトガルを優に含んでしまう。コンパスのようにぐるっと回転させると、地
中海をまたいで北アフリカに触れ、エーゲ海やギリシアはとっくに含んで、トルコ
•にまで行ってしまう。
全ヨーロッパを含む範囲である。日本は狭いと言ったのはだれだろうか。東西は
多少帯状であるが、南北にはとてつもなく長い。全ヨーロッパを含んでしまうほど
である。
G 南北に長いということは、気候の変化が激しく、①風土のひだが深いということで
あ ある。人の暮らしとは、(a )を解読してその地でいちばんよい方法を織り上げて
いくのであるから、②風土の条件に合わせて生きる形が変わってくるということなの
だ。日本が東西に長くなくてよかった。もしそうだったら、気候の変化のない代わ
りに時差が三時間ほどもあって。非常に暮らしにくい所になったはずだ。
ある年の一月末、私は北海道の知床の流氷の上にいた。テレビの仕事で、流氷の
下に⑦モグった水中カメラマンが送ってくるらイゾウを、流氷の上に設置されたモ
二ターで見たのである。流氷の下の水は氷点下1.5度、これ以下下がると凍結して
しまう水温である。流氷の下は⑰ブアツい水に㊂オオわれているために暗く、時間の
第2課自然との出会い61
たつのもわからなくなってしまう。しかし、流氷の上はたそがれになり、気温もぐ
んぐん下がってマイナス20度になった。風速1メートルで、体感温度は1度下がる。
風速ioメートルぐらいの風は、冬の知床辺りでは当たり前だ。すると私はマイナス
30度のところに立っていたということになる。
翌日私は東京の自宅に帰って一泊した。その翌日、別の仕事で沖縄に行ったので
ある。那覇空港に降り立つと、桜が咲いていた。確かめると、気温は23度というこ
とだ。沖縄にも友人は多く、ああ来た来たと/レンジツレンヤどんちゃん騒ぎをやら
かし、東京の家に帰ると一ア[深々とした⑦ヒロウを覚えた。厳冬一月末のこ
ろである。 !旅したのである。精神的に滲コウヨウしてい
私は53度の気温の差を[イ
たせいかこの差は簡単に越えられたのであるが、肉体の深いところに③ヒロウがお
りのようにたまった。日本はI ウ [狭くないということが、I エ その時
の実感だったのである。
dD 波線部⑦〜(§)のカタカナを漢字に直しなさい。
®( ) ®( ) ©( ) )
)
®( ) ®( ) - ®(
OB 下線部①について「ひだが深い」という比喩的表現がよくわかるように説明
しなさい。
OB ( a )に適当な二字熟語を入れなさい。ただし「気候」「風土」以外の語
が入る。
OD 下線部②について具体例をあげなさい。
〇6 Iア丨から「工Iに次の中から適当な副詞を選んで入れなさい。
aまさに b一切に c 一気に
dさすがに e絶対に fまさか
アイ ウェ
OD 下線部③「ヒロウがおりのようにたまった」を他の言い方で言いかえなさい。
dD 筆者はこの文章で二つの観点から「日本の広さ」を指摘している。それぞれ
どんな観点か説明しなさい。
62 日语综合教程第六册
so《語学の豆gw
同音語と類義語
同音語 同音異義語。発音が同じで、意味が異なる二つ以上の語のこと。日本語
は音節の種類が少ない上に、一語の音節数がほとんど三音節以内であるため、もと
もと同音語が多いが、これに二字の漢語が加わって同音語がいっそう多くなった。
ウツス(移す写す映す)
コウティ(肯定 高低 工程 公定 行程 校庭)
シセイ(姿勢市政施政 至誠私製死生)
同音語は普通、アクセント、文脈、あるいは聞き手の知識などによって区別される
が、紛らわしいときには、ワタクシリッ(私立)•イチリツ(市立)と言い分けたり、
漢語を和語に言い換えたりすることがある。
類義語 語形が異なっていて、意味がほぼ同じ語のこと。日本語には和語、漢語、
外来語および古語、方言、敬語などがあるため、類義語もまた多様である。このこ
とから谷崎潤一郎は、語の選択に関して次のように言う。
仮に皆さんが、「散歩した」という意味のことを言おうとするとき、類義語
をひととおり調べてごらんなさい。するとさしあたり、「散歩する 散策する
漫歩する そぞろ歩きする 杖を曳く ぶらつく」などの語を思い出される
でありましょう。そこで皆さんは、これら類義語のうちのいずれが最も今の
場合に適しているかを考えて、それを選ぶようにするのであります。(『文章
読本』)
できるだけわかりやすく親しみやすい語を選ぶようにしたい 。
[読み物
自然との触れ合い
•長谷川植男
私たち人間は過酷な自然の中で生き抜くためにいろいろな工夫を凝らし
てきた。そのおかげで今では豊かで便利な生活を手に入れ、快適な生活を
送っている。ところが、その代償として、多くの自然も失ってきている。現
•第2課自然との出会い63
在の都会生活は自然の過酷さから人間の肉体を守り、一年じゅう快適な生
活環境を提供してくれるが、そうした中で生きる人間は果たして心身とも
に健康であるのだろうか。だれの話だったか忘れたが 、動物の中で自らの
意志で家畜化していったのは人間をおいてほかにないと言う。快適な生活
環境になればなるほど、自然の中での人間性回復が必要になってくる。私
は登山を通じて私の自然観を養ってきた 。私の自然観は植物の名前を覚え、
動物や鳥の名前を覚え、その生態を知ることで、自然を知ろうとするもの
ではない。そうしたことも自然を知る上においては大切なことだろうが、私
は自分に備わった五感と心で登山という行為を通して自然を感じたいと
思っている。自然には二つの顔がある。—— 厳しい自然と穏やかな自然——
それらに接しながら、自然を身近に感じ、生きていきたいと願っている。
穏やかな自然とは取りも直さず、私が初めて山に登ったときに感じたあ
の母親のような優しく穏やかな自然であり 、その自然に包まれることで安
心する世界である。
私は時折、丹沢や奥多摩の小さなゲレンデに岩登りに行くことがある。
もっとも最近、ハイキングに行くことは極めてまれではあるが、岩登りの
ゲレンデはほとんどがハイキングコースの中にあり 、その岩場に出かけて
いく。
日だまりの中、垂直のハイキングを楽しみ、草の上に横になるとき、な
んとも言えぬ爽快感に浸ることができる。あるいは大きな石ころの上に寝
転べば、暖まった石のぬくもりが快く感じられる。空を流れ行く雲を眺め、
新鮮な空気を胸いっぱい吸い込む。目に痛いほどの緑が辺りを囲んでいる 。
私は軽いスポーツを楽しみながら、穏やかな自然の中で心身ともにくつろ
ぐとき、本当に自分が幸せであることを感じる 。だが、ただそれだけでは
私には十分な満足感が得られない。
冬の谷川岳や穂高岳、アンデスやヒマラヤに出かけていき、目も開けら
れないような吹雪の中でも必死に登り、生きている光景を思うと、なんと
も懐かしく、その行為がいとしく思えてならない。自然が過酷であればあ
るほど、その自然の中での人の営みが尊く思われてならない 。
パキスタンの8 000 メートル峰ナンガパルバットに一人で出かけたとき、
7500 メ ートルで雪洞を掘り、一晩その中で明かしたことがあった。日中の
気温がプラス20度、夜間の気温がマイナス40度という気温の較差の中での
登山は体には過酷なものだ。マイナス20度からマイナス40度への気温の
低下は温度差は20度だが、プラス20度からマイナス40度というのは、温
度差が60度にもなる。
日中、汗ばんだ肌着はすべて凍り付き、小さな火の気のない雪洞の中で
は、羽毛服の上下を着ていても、素肌でいるような感じがする。目をつむ
64日语综合教程第六册
れば、まぶたの奥から白い帯状のようなものがゆらめき引き抜かれていく。
あたかも魂を引き抜かれていくように気が遠くなっていく 。必死で自分を
取り戻す。眠ることが死ぬことだということを初めて体験した夜、足踏み
をし、自分を叱卩它しながら朝を待った。夜は永遠に明けないのではないか
と思えるほど長い長い一夜だった。
吹雪の谷川岳に登り、視界がほとんど利かない中でも、トレースを見極
める能力が身に付き、平然として吹雪の中を歩けるようになると、吹雪の
日もまた楽しくなる。そして、過酷な経験を乗り切れば乗り切るほど、自
然がより身近なものに感じられるようになる。
穏やかさとは対照的な、もう一つの過酷な自然は、その厳しさの中にも
美しさがある。私は静まり返った山が好きだが、風が吹き、吹雪で荒れ狂
う山も好きだ。そうした中で、ちっぽけな人間が、ちっぽけな私が、精いつ
ぱい努力し、登山を成し遂げる。人間の歴史から見ればどうでもいいこと
であり、はたから見ても、ばかばかしい行為かもしれないが 、自然が過酷
であればあるほど、それを克服したときの私の喜びは大きなものとなって
いく。
人間というのは、ともすれば安易な方向に流されていってしまうもので
ある。穏やかな環境の下で花見をし、自然を満喫し、自分の都合で自然を
賛美する。雨が降り、風が吹き、雪が降り、あるいは逆に日が照り輝きす
ぎるのを嫌うが、そうした自然の営みの中で、植物も動物も他の様々な生
物も健やかに育っていく 。だが、人間だけは、そうした自然の営みの中で
自分に快適なことだけを、よしとしている。自ら精神的にも肉体的にも自
然に適応できなくしている 。それが悪いと言っているのではない 。たまた
ま、私の脳の中にインプットされた遠い昔の野性の部分が、いかなる自然
の営みもごく自然に受け入れられるようにできていたのであろう 。
私は登山とは自然と人とのコミュニケーションのための行為であると
思っている。今、私が行っているような登山、極限の世界と言われるヒマ
ラヤで、人間の持つ本質的な能力、心臓のカ、肺のカ、内臓の強さ、そう
したものの限界にまで、自分をもっていきながら登山をするとき、写真に
写してみる美しいヒマラヤはどこにもなく、過酷で残忍なもの以外の何も
のでもない。しかしその中でも精いっぱい生きていることが 、自分のアル
ピニストとしての能力を表現していることになるならば 、そのつらさも喜
びに変わってくる。
穏やかな自然、過酷な自然、この両方が備わっているのが地球の自然で
あると思う。そしてそのどちらも登山によって私たちは体験することがで
きる。ハイキングをし、岩登りをし、沢登りをし、冬の岩壁を登り、吹雪
の渦巻く中を縦走していくことで、人間が自然の中で生きるということの
第2課自然との出会い 65
なんたるかが見えてくるような気がする 。
(『高校国語二』明治書院より)
k注釈. ゝ
〇 丹沢(たんざわ)や奥多摩(おくたま)
東京・神奈川にあり、首都圏に住む人が気軽に訪れることのできる場所である。
❷谷川岳(たにがわだけ)
日本群馬と新潟県の県境にある。標高1 977 メートル。険しい壮年期の地形を示し、積雪量が多く、
天候の激変を示す。
〇穂高岳(ほたかだけ)
長野県と岐阜県との県境にある。
❹アンデス(Andes) 安第斯
南アメリカの大陸南端フエゴ島から太平洋岸沿いにカリブ海岸まで、全長約9千キロメートルの
世界最長の山脈。平均高度約4 000 メートル。
66 日语综合教程第六册
3第 課
本文 水の東西
• 山崎正和
水の東西
「鹿おどし」が動いているのを見ると、
その愛嬌の中に、なんとなく人生のけだ
るさのようなものを感じることがある。
かわいらしい竹のシーソーの一端に水受 胃1|!題
けがついていて、それに覓の水が少しず
ソーはぐらりと傾いて水をこぼす。緊張 ”ぶ二い 4宿
が一気に解けて水受けが跳ね上がると
き、竹が石をたたいて、こおんと、くく、、もった優しい音をたてるのである。
見ていると、単純な、ゆるやかなリズムが、無限にいつまでも繰り返され
る。緊張が高まり、それが一気にほどけ、しかし何事も起こらない徒労がま
たーから始められる。ただ、曇った音響が時を刻んで、庭の静寂と時間の長
さをいやがうえにも引き立てるだけである。水の流れなのか、時の流れなの
か、「鹿おどし」は我々に流れるものを感じさせる。それをせき止め、刻むこ
とによって、この仕掛けはかえって流れてやまないものの存在を強調してい
るといえる。
私はこの「鹿おどし」を、ニューヨークの大きな銀行の待合室で見たこと
がある。日本の古い文化がいろいろと紹介される中で、あの素朴な竹の響き
が西洋人の心をひきつけたのかもしれない。だが、ニューヨークの銀行では
人々はあまりに忙しすぎて、一つの音と次の音との長い間隔を聞くゆとりは
なさそうであった。それよりも窓の外に噴き上げる華やかな噴水のほうが、
ここでは水の芸術として明らかに人々の気持ちをくつろがせていた 。
流れる水と、噴き上げる水。
第3課水の東西 67
そういえばヨーロッパでもアメリカでも、町の広場にはいたるところにみ
ごとな噴水があった。ちょっと名のある庭園に行けば、噴水はさまざまな趣
向を凝らして風景の中心になっている。有名なローマ郊外のエステ家の別荘
など、何百という噴水の群れが庭をぎっしりと埋め尽くしていた 。樹木も草
花もここでは添えものにすぎず、壮大な水の造型がとどろきながら林立して
いるのに私は息をのんだ。それは揺れ動くバロック彫刻さながらであり 、ほ
とばしるというよりは、音をたてて空間に静止しているように見えた。
時間的な水、空間的な水。
そういうことをふと考えさせるほど、日本の伝統の中に噴水というものは
少ない。せせらぎを作り、滝をかけ、池を掘って水を見ることはあれほど好
んだ日本人が、噴水の美だけは近代に至るまで忘れていた。伝統は恐ろしい
もので現代の都会でも、日本の噴水はやはり西洋のものほど美しくない。そ
のせいか東京でも大阪でも、町の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏し
いのである。
西洋の空気は乾いていて、人々が噴き上げる水を求めたということもある
だろう。ローマ以来の水道の技術が、噴水を発達させるのに有利であったと
いうことも考えられる。だが、人工的な滝を作った日本人が、噴水を作らな
かった理由は、そういう外面的な事情ばかりではなかったように思われる。
日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げ
たり、粘土のように造型する対象ではなかったのであろう。
いうまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形
がないということについて、おそらく日本人は西洋人と違った独特の好みを
持っていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思
想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた 。それは外界に対する
受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れでは
なかっただろうか。
見えない水と、目に見える水。
もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感する
のに、もはや水を見る必要さえないといえる。ただ断続する音の響きを聞い
て、その間隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿
おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかも
しれない。
(『高校国語1』第一学習社より)
文化論の落とし穴
ひと昔前、眼鏡をかけカメラを肩にして、猫背の観光客を見たら日本人だ
と思え、という浅薄な冗談がはやったことがあった。演説やあいさつをする
68日语综合教程第六册
時、アメリカ人はまずジョークで始めるが、日本人はおわびと弁解で始める
というのも、言い古された決まり文句の一つだろう。西洋の文化は罪を基盤
とした文化だが、日本人の行動の規範は他人に対する恥の感覚であるという
のも、もう長らく語り継がれてきた日本人への先入見である。わけかわから
ない微笑を浮かべて不気味な国民だという非難から、とかく感情的でヒステ
リカルに行動するという悪口に至るまで、過去百年、さまざまなタイプの
レッテルが日本人と日本文化に張られ続けてきた。
こうしたレッテルは、確かにある程度、日本人の現実を言い当ててはいる
ものの、たいていは事実の一面が誇張されているのは、言うまでもない。し
かも困ったことに、そうした事実が変わったのちにも、イメージは一つの固
定観念として、ひとり歩きをすることが多い。どうやら、人間にはだれしも
他国の文化や他民族の民族性について、安易な固定観念を抱いて安心する癖
があるらしい。日本人についてばかりではなく、世界のさまざまな国民や民
族の間で、互いにエスニック・ジョークというレッテル張りが楽しまれてき
た。ポーランド人はお人よしであり、イタリア人はいつも女性を口説いてい
るし、ドイツ人は数字と規則しか信じないなどというのは、その典型的なも
のだろう。
それにしても、とりわけ日本人については、近年に至って、この文化論的
なレッテル張りがいささか危険な域に達しているように見える。日本の急速
な経済成長と、世界の中での地位向上に伴って、日本人を見る外国人の目が
しだいに鋭く、険しくなってきたということだろう。貿易摩擦をめぐって、今
では日本人の経済活動を批判するだけではなくて、その背後にある日本社会
の特性、文化的な伝統そのものを攻撃するといった論調が目だってきた。ア
メリカのある政府高官が、日米の貿易不均衡を正すためには、日本の文化そ
のものを変えなければならないという、驚くべき発言をしたと報道されてか
ら、もうずいぶんの時がたった。
だが、実はそれ以上に不幸なことは、これに対応して日本人の側にも、自
分たちの文化にある固定観念の枠をはめて、それを変え難いものとするかた
くなな態度が芽生えてきたことである。経済の問題をめぐって、例えば「日
本的経営」という言葉が誇らしげに口にされ、その背後にある集団への忠誠
心とか、協調心というものが過剰に強調される傾向が見られる。
けだし、一般に他人に固定観念のレッテルを張り、その人の性格や行動を
決まり文句で決めつけると 、我々の頭の中は明快になり 、心が楽になるのは
事実である。現実が複雑であったり、世界がとらえどころがないと、我々は
不安になる。とりわけ、物事を精密に考えることの苦手な人たちは、とかく
現象の一面だけを見ることで思考を中断しようとする 。蛇は地中に潜るもの
だし、鳥は空を飛ぶものだ。そう思い込んでいれば、我々は蛇や鳥のそれ以
第3課水の東西69
外の微妙な現実について、忘れて暮らすことができる。同じように、我々は、
地球上にともに生きる他の国民や民族について 、常にこまやかな理解を示す
ほど暇でもなければ、また強い精神力を持っているわけでもない。そこで、エ
スニック・ジョークから高級な文化論に至るまで、わかりやすいー面的な説
明を聞くと、それに飛びつくことになるのだろう。
これに対して、逆に自分自身について、固定観念を持ったり、自分の属す
る国民や民族に文化的レッテルを貼りたがる性癖は、一見わかりにくい心理
のよう’に見える。しかし、これも実は、人生を安易かつ簡単に生きるための、
怠け者の知恵だと見ることもできる。というのは、この人生には芝居のよう
なー面があって、人はそれぞれ自分で決めた役を演じ 、そのことによって心
を安らがせることができるからである。
例えば、「男らしさ」という言葉があって、かっての男たちは、どこの国で
も男らしく生き、男らしく行動するように教育されてきた。すると、仮に人
生の悲しい事件にぶつかった時、人は男らしさという役を演じることによっ
て、それだけで悲しみに耐えることができる。親から習ったり、本で読んだ
男らしい人物のことを思い浮かべて、こういう時にはどういう顔をして、ど
ういうひと言を口にすればいいかを考える 。そして、それを身をもって再現
することによって、無意識のうちに一種のヒーローを演じて自分を励ますこ
とができる。複雑な人生のそれぞれの局面の中で、一つ一つの行動の形を決
めていくのは、だれにとっても簡単なことではない。その場合、もし我々が
日本人らしさとか、日本の文化的伝統といった簡単な観念を持っていると、
それを演じることによって自分の進路を簡単に選べるにちがいない。歴史を
学び、あるいは伝説の中の英雄物語を読み、最も日本人らしい人間はこうい
う時どう行動するだろうかと考えると 、特に危機に臨んだような場合に強く
なれるのである。
しかしこの場合、注意しなければならないのは、とかく問題の「らしさ」の
持つ多様性を忘れて、その一面だけを安易にのみ込む危険があることだろう。
実際、男らしさといっても、考えてみれば、ずいぶん多様な側面を含んでい
るはずであって、ある人は男らしさといえば腕力が強く、決断力があって、大
まかに行動する人間のことを思い浮かべるかもしれない。しかし現実には、
男は女性よりもはるかに小さなことが気になり、人間関係のこじれにこだわ
り、よく言えば繊細であり、悪く言えば感傷的になる性質も持っている。男
らしく振る舞うのは結構だとしても、この二つの側面のどちらを選ぶかで、
我々の行動は全く違ってくるはずである。そして、もし人が正確な目で事実
を分析しないで、早のみ込みに一つの先入見にとらわれれば、生き方はたち
まち間違った方向に固定されてしまうことになろう 。
考えてみると、我々は自分をあるしかたで認識するが 、実は、その自己認
70日语综合教程第六册
識がまた自己の実体を作るという側面を持っている。人間は、生きている自
分を見つめて自分のイメージを作るだけではなくて、いつの間にか自分で
作ったイメージに合わせて、逆に現実を生き始めてしまうという十生質を持つ
ている。文化論についても同じことで、もし誤った民族性のイメージを作り
上げてしまうと、その後の行動の中でこのイメージは補強され、増幅され、私
たちを思いがけない方向に引つ張って行くことになる。文化論というのは、
決して単なる事実の認識であるだけではなくて、実は行動の規範であり、ま
たひと回りして認識の枠組みにもなるという 、恐ろしい事実を見つめておか
なければならないだろう。
しかも、男らしさなどといういわば生理的、自然的な性格と比べた時、ー
つの社会の文化は格段に複雑であり、多様であって、それだけにその認識は
恣意的になりがちである。長い歴史の中で無数の個人が集まって、半ば無意
識のうちに作り上げてきた集合的な性格 、あるいは生活の様式が文化という
ものである。したがって、一つの文化について考えるにしても 、その歴史の
中のどの時点に焦点を当てるか、あるいは多様な広がりのどの一点を強調す
るかによって、まったく違ったイメージが浮かび上がってくる。それだけに、
文化および民族性のイメージを考えるにつけては 、我々は特別に慎重であり、
焦点の選び方に注意深くあらねばならないはずである。
(『新選国語1改訂版』尚学図書より)
・注釈
〇 山崎正和(やまざき まさかず)
1934年、日本京都府に生まれた。劇作家・評論家。1963年、『世阿弥』で岸田戯曲賞を受賞、劇
作家としての地位を確立した。その活動は演劇の枠を越え、文化論•文芸評論などにも優れたも
のがある。著書に『劇的なる精神』『鴻外 闘う家長』『不機嫌の時代』などがある。「水の東西」
は『混沌からの表現』により、「文化論の落とし穴」は1990刊の『日本文化と個人主義』によっ
た。 埃斯特家族
❷ エステ(Este)家
13世紀中ごろから18世紀末にかけて、北イタリアで勢力をふるった名家。
❸バロック(baroque) 巴洛克
17世紀のヨーロッパで流行した絵画・建築・彫刻•音楽の様式。現実的で動的な美術様式。
❹「西洋の文化は罪を基盤とした文化だが、日本人の行動の規範は他人に対する恥の感覚である」と
あるが、アメリカの文化人類学者ルースニベネディクト(1887-1948)が著書『菊と刀』(1946年
発表)の中でこのように類型化したものである。
第3課水の東西?1
!新しい言葉
鹿おどし(ししおどし) [名] 中ほどを支点にした竹筒などの一方に水をおと
し、たまった水の重みで下がると水が流出して
他方の端が落ち、その勢いで石を打って音を出
す装置。/竹筒敲石,添石。
愛嬌(あいきょう) [名] ①明るくて可愛らしい自然な魅力。/可爱之
处,动人之处,妩媚。②人に好かれるような振
る舞い。/(态度,言行)亲切。
けだるい(気だるい) [形] 体の状態や気分がなんとなくだるい。/倦怠
的,懒洋洋的。
シーソー (seesaw) [名] 長い板の中心をささえ、両端に人が乗って互い
に上下させるもの(遊び)。/跷跷板,压板。
水受け(みずうけ) [名] 水車で車の周りに取り付け、流れ込む水を受け
る装置。/(水车的)原斗。
覓(かけひ) [名] 地上に架設して水を通す樋。かけどい。/(架在
地面上的)引水筒。
溢す(こぼす) [他五] ①(中に入っているものを)不覚にもあふれ出さ
せたり、不注意に傾け落としたりする。/(液状
物等)洒,泼。②心の中に収めておくべきもの
を口に出す。/发牢骚,抱怨。
跳ね上がる(はねあがる) [自五] 何かにはじかれたものが、勢いよく上へ飛
ぶ。/跳起来,飞溅。
<ぐもる [自五] (声が)物の陰から出るように、こもって聞こえ
る。/(声音)含混不清。
音をたてる(おとをたてる) [連語] 音を出す。/弄出声音,发出声响。
ほどける(角牟ける) [自ー] 結んだもの、縫ったもの、もつれたものなどが
ときわけられること。/解开,松开。
時を刻む(ときをきざむ) [連語] 時の流れを知らせる。/告知时间。
静寂(せいじやく) [名•形動]あたりが静かな様子。/寂静。
いやがうえに(弥が上に) [副] 今までもその傾向が見えていたが、それにます
ます輪を掛けることを表す。/越发。
引き立てる(ひきたてる) [他ー] ①目立つようにする。/使…显眼,使…显得好
看。②(後進の者に)目をかけ、援助する。/照
せき止める(せきとめる) [他ー] 顾,关照(晚辈或落后者)。③励ます。/鼓励。
7流れなどを遮りとめる。 堵住,拦住,拦截。
待合室(まちあいしつ) [名] 駅や病院などで、時刻・順番が来るのを待つ部
屋。/候车室,侯船室,候诊室。
72日语综合教程第六册
素朴(そぼく) [名・形動] ①(色・形・暮らし方•人柄などが)飾り気がな
い様子。/朴素;淳朴,质朴。②ものの考え方
ひきつける
が単純であったり、物事の構成が余り緻密でな
ゆとり
華やか(はなやか) く深い味わいを欠いていたりする様子。/单
寛ぐ(くつろぐ) 纯,简单,素朴。
趣向を凝らす(しゅこうを [自他サ] ①発作的に全身性の痙攣を起こすZ痉挛发作,
こらす)
抽搐。②自分のそばへ引き寄せる。/拉到近旁。
別荘(べっそう)
草花(くさばな) ③優れた話術•演技カ・人柄などで、いつのま
添える(そえる)
とどろく(轟く) にか人に感嘆・尊敬の気持ちや親近感などを抱
息を呑む(いきをのむ)
ほとばしる(迸る) かせる。/吸引。
せせらぎ
間が抜ける(まがぬける) [名] 何かをしたあと、まだ自由にできる空間•時間•
ねじ曲げる(ねじまげる)
粘土(ねんど) 気力・体力などがあること。余裕。/宽裕,余地。
[形動] 色彩が豊かであったり変化に富んでいたりし
て、それに接する人にすばらしいという感じを
与える様子。/华丽,华美。
[自五] 気がかりな事や仕事のことなどを忘れてゆっく
りと心身を休める。/舒畅,轻松自在;舒舒服
服地休息。
[慣] 物事を実行する際、人の興味を引くような工夫
を念入りにすること。/别具匠心的,独出心裁
的,构思新颖的。
[名] 普段住む家以外に、避暑地•避寒地などに建て
た家。/别墅。
[名] 美しい花の咲く草。/花草。
[他ー] 本体となるものに、何かを加える。/添,附加。
[自五] どろどろ、どうんどうんという大きな音が遠く
から耳に響く。/(声音)隆隆,轰鸣。
[慣] 驚いた時などに思わず息がとまること。/ (因惊
险等)吃惊
[自五] 水などが勢いよく・飛び散る。/迸出,喷出,溅
出。
[名] ①浅瀬に水の流れる所。/浅溪,溪流。②小さ
な流れ(の音)/潺潺水声。
[慣] ①物事の最も大事な点が欠けている。/疏忽,
大意,马虎。②ばかげて見える。/愚蠢,糊涂。
[他ー] ねじって曲げる。ねじるようにして曲げる。Z
拧弯。
[名] 粘り気のある土。/粘土。
第3課水の東西 73
行雲流水(こううんりゅう [慣] (空を行く雲と、川を流れる水の意)一つのこと
すい) にこだわらず、一切を成り行きに任せるこ
と。/行云流水。
裏付ける(うらづける) [他ー] それが事実であることを客観的に証明するこ
と。/证明,证实,印证。
間隙(かんげき) [名] 「すきま」の意の漢語的表現。/间隙,空隙;(人
和人之间的)隔阂。
一昔(ひとむかし) [名] ふつう今から十年くらい前をさす。/往昔,过
去,昔日。
猫背(ねこぜ) [名]. 首が前に出て背中が曲がって見える体つき (の
人)。古くは「猫ぜなか」とも言った。/驼背。
浅薄(せんぱく) [名•形動] 学問・思慮に奥深いところがなく、すぐぼろを
出す様子。/浅薄的,肤浅的。
ジョーク(joke) [名] 冗談。しゃれ。/诙谐,笑话。
言い古す(いいふるす) [他五] 何回も言ったために、珍しくなくなる。/老生
常谈,说得陈腐了,老说没新意了。
決まり文句(きまりもん [名] そのような場面でいつも使われる、型にはまっ
く) た言葉。/老ー套的话,ロ头禅。
長らく(ながらく) [副] ある期間ずっとその状態を続けてきたことを表
す。/长久,长时间。
語り継ぐ(かたりつぐ) [他五] 次の時代へ順々に語って伝える。/传说下去。
先入見(せんにゅうけん) •[名] 先入観、先入主ともいう。最初に得た知識に
よって作り上げられた固定的な考えや見方。そ
れがあるために自由な思考が妨げられるものの
意に用いる。/先入之见,成见。
ヒステリカル(hysterical) [形動] 感情を抑えきれず、泣きわめいたり、怒ったり
する様子。狂乱的。/歇斯底里的。
レツテノレ(letter) [名] 商品名•発売元などを記して商品に張り付けた
紙片。ラベル。「レッテルを貼る」は、一方的
にその人物の人格や能力、思想傾向などの格付
けをする意。/商标,标签;「レッテルを貼る」
意为“给人戴帽子”。
誇張(こちょう) [名・他サ] 実際よりも大げさに言ったりしたりするこ
と。/夸张,夸大。
ひとり歩き(ひとりあるき) [名•自サ] 当事者の全く関知しない誤った情報が勝手に世
間に伝播していくこと。/流言不胫而走。
どうやら [副] ①十分とは言えないが、一応は満足できること
を表す。/好容易オ,凑合。②諸般の状況から
日语综合教程第六册
だれしも(誰しも) [副] して、大体そのように判断されることを表
エスニック•ジョーク [名] す。/多半,好像。
「誰も」の意の強調表現。だれでも。/不论谁。
(ethnic joke) [名] 民族性を題材にした冗談。/有关民族特性的笑
ポーランド(Poland)
话。
お人よし(おひとよし) [名・形動] 東ヨーロッパにある国。首都ワルシャワ。/(国
名)波兰。
正す(ただす) [他五] 気がよくて、人の言いなりになる(なって、だ
まされやすい)様子。また、その人。/忠厚的,
枠(わく) [名] 老实的;老实人,老好人。
①間違っている点などを直し改め、また、そう
はめる(嵌める) [他ー] なる傾きのあるものを、そうならないように気
頑な(かたくな) [形動] をつける。/改正,订正,纠正。②道筋にあっ
ているかどうかをはっきりさせる。/明辨。
芽生える(めばえる) [自ー] 器具のまわりをふちどったり支えとして縦横の
骨として入れたりする、細く切った木や竹。/
誇らしい(ほこらしい) [形] 框。
(穴の内側または物の外側に沿って)ぴったり入
けだし(蓋し) [副] るようにする。/镶,嵌。
自分の考えや態度を守って、いくら他人が説得
とらえどころ [名] しても、それに従おうとしない様子。/顽固,固
执。
とりわけ(取り分け) [副] 枝の先や種の中から、芽が現れる。物事や状態
細やか(こまやか) [形動] が起こり始める意にも用いられる。/出芽,发
芽;开头,发生。
一面的(いちめんてき) 一[形動] 得意で、自慢したい気持ちだ。/洋洋得意,自
豪,骄傲。
飛びつく(とびつく) [自五] 次に述べる判断は十中八九間違いがないだろう
という主体の見込みを表す。思うに/想来,莫
非。
証拠または論点としておさえるべきところ。っ
かまえどころ。/要点,要领,中心。
ことさらに。特別に。/特别,尤其,分外。
相手を思う心が細かい点まで行き渡っている様
子。/细致,入微。
(観察・主張などが)ある一つの(方)面だけにか
たよっている様子。/片面的。
①飛び上がって何かにとりつく。動物が好きな
獲物を早く自分の物にしようと思って、足をか
第3課水の東西?5
ける。/猛扑。②待っていたとばかりに、対象
性癖(せいへき) [名] に手を出す。/(被吸引得)急于做…。
安らぐ(やすらぐ) [自五] 性質上のかたより、くせ。/癖好,癖性,毛病。
平和で満ちたりた気持ちになる。穏やかな気持
身をもって(みをもって) [連語] ちになる。/安乐,安稳,平静。
①自分自身の行動において。/亲身,亲自。②
自分自身を危険な状態にさらして。/豁出去。
ヒ ーロ 一 (hero) [名] ①(スポーツで)その日の試合において、勝った
めに最も貢献した選手。/英雄,勇士。②小説
進路(しんろ) [名] などの男性の主人公。/男主人公。
これから進んで行く道。/去路,向前移动的方
決断力(けつだんりよく) [名] 向。
きっぱりと決める能力。/决断カ,魄カ,当机
大まか(おおまか) [形動] 立断的能力。
大体のところを押えるだけで、細かいところ
は、どうでもいいとする様子。/粗枝大叶,粗
こじれ(拗れ) 略,笼统。
[名] こじれること。もつれること。悪くゆがむこ
こだわる(拘る) [自五] と。/别扭,执拗,复杂化。
どうでもいい問題を必要以上に気にする。/拘
繊細(せんさい) [形動] 泥。
①きめが細かくて、優美な様子。/纤细柔嫩。②
感情が細かくて、鋭い様子。デリケート。/(感
情的)细腻,微妙。
早飲み込み(はやのみこ [名•自他サ] 人の言うことを全部聞かないうちに、わかった
み)
と、ひとりぎめし、結果的にはピントはずれの
補強(ほきょう)
Z言動をしたり失敗したりすること。早合点。
自以为是。
[名・他サ] 弱いところを手入れしたり足りないところを
補ったりして、強くすること。/加强,增强,强
化。
増幅(ぞうふく) [名•自他サ] 物事の範囲や程度を広げること。/增幅,放大。
単なる(たんなる)
枠組み(わくぐみ) [連体] ただの。/仅仅,只不过。
格段(かくだん) [名] ①枠を組んだもの。組んだ枠。/框架。②物事
の大体の組み立て。/轮廓,结构。
[名・形動] 普通の場合や在り来たりのものとは大分模様が
違っていることを表す。/特别,非常,格外。
恣意的(しいてき) [形動] 気ままな心。自分勝手な考え。思いっき任せ。/
76日语综合教程第六册
あてる [他ー] 恣意的,任意的,随意的。
慎重(しんちょう) [名•形動] あたるようにする。当たらせる〇/对准,贴紧,
捂住。
M言葉の 注意深くて、軽はずみな行動をしない様子。/
慎重,小心谨慎。
ら二》いやがうえにも 憩发__________________________ :
連語で、副詞的に使う。「すでにそうであるのに、なおそのうえに」「ますま
す」という意味を表す。文章語としてよく使われる。
❶ 酒が入り、宴会はいやがうえにも盛り上がった。(酒过三巡,宴会也越发热闹
起来。)
❷ 高齢化により、訪問看護に対する需要がいやがうえにも高まりそうです。(因
老年社会的到来,要求上门护理的人越发多了起来。)
❸ 資源の再利用には企業側の努力がいやがうえにも要求されている。(希望企业
努力做到资源再利用的呼声越来越高 。)
❹ 情報量の巨大化はそれを扱う個人の役割を相対的に縮小するのだが、「情報
化時代」とはまさにその傾向にいやがうえにも拍車をかける時代なのであ
る。(信息量的增大相对缩小了个人处理信息的作用。所谓的信息化时代正是这
种倾向越演愈烈的时代。)
❺ この日本列島における基本的文化の共通性は、特に江戸時代以降の中央集権
的な政治権力に基づく行政網の発達によって、いやがうえにも助長された。
(特别在江户时代之后,由于中央集权政治权カ下行政网的发达越发助长了日
本列岛的这种基本的文化共同性 。)
七三,ゆとり(がある/ない)(有/没有)宽裕,余地
「ゆとり」は、使った後もまだ有り余っている「時間・空間•お金•カ」など
を表す。よく 「ゆとりがある(ない)」という形で使う。
❶ 中国では、子供のころから少しでもいい大学、いい会社に入り出世すること
が目指されているので、子供たちは勉強に追われ心にゆとりを持つことがで
きなくなってしまっている。(在中国,孩子自小目标就是要进一所好学校,在
优秀的企业工作,出人头地。孩子们被学习压得喘不过气来,无法有一个平和
的心态。)
第3課水の東西?7
❷ 何よりも仕事のゆとりがほしい。このように仕事が次から次へと入ってくる
のでは心身とも疲れてくる。(我最希望的是工作不要太紧张。像这样工作一件
件接踵而来的话,那无论身体和精神都会感到疲惫不堪的 。)
❸「私のことをからかいに来たのだろう。」「ぼくにはそんな心のゆとりはない
よ。」(“你是来嘲笑我的吧。” “我可没有那份闲心。”)
❹ おいしいものでも、気持ちにおいしいと感じるゆとりがなければ、そう思わ
れないだろ5 〇 (即便是美味佳肴,如果没有品尝的心情,也不会觉得好吃吧。)
❺ 飛行機が大型化して、乗客数も増えてくると、いかにベテラン・スチュワー
デスでも、いちいち乗客の動きに目を止めているゆとりはない。(飞机大了,
乘客的人数也增加了。因此无论多么有经验的空姐都没有精力去ーー注意乘客
的动静。)
@ 趣向を凝らす 独具匠心,别出心裁 J
「趣向」は、物事を実行したり作ったりする上の変わったアイデア、の意。本
文中では、噴水を作るうえでのおもしろい工夫を言っている。「凝らす」は、心
や目・耳などを一点に集中し、一生懸命に何かをする、の意。「趣向を凝らす」
は、趣ある工夫を盛り込む、の意である。「凝らす」と一緒に使えるものとして
は、また「思い・工夫・意匠•装い•瞳」などがある。
❶ ヨーロッパでもアメリカでも、町の広場にはいたるところに見事な噴水が
あった。ちょっと名のある庭園に行けば、噴水はさまざまな趣向を凝らし
エ風景の中心になっている。(无论是欧洲还是美国,城市广场到处可见漂亮
的喷水。只要去稍有点名气的庭院,就会看到喷水独具匠心,成了风景的中
心。)
❷ 住宅の浴室にかぎらない。風呂に入ることを最高のレジャーと考える日本人
は、さまざまな入浴施設の開発にも趣向を凝らしている。(不仅是家庭浴室,
把洗澡视为是最好的休息方式的日本人在相关产业的开发方面也颇有创意 。)
❸ さすがに展覧会に出すだけあって、どの作品にもおもしろい工夫が凝らして
ある。(到底是可以拿来展出的作品,件件都是费尽脑汁做出来的。)
❹ あの辺りは、近代文明の粋を凝らした超高層ビルがずらりと林立していて、
まあニューヨークの中心街といってもいいところだね。(那一带集现代文明精
华的超高层大楼林立,可以说是纽约的中心。)
❺ 霧の先にいったいなにがあるのか、博は目を凝らして見ようとした.。(雾的
前面究竟有什么呢?博目不转睛地看着,想看个明白。)
78日语综合教程第六册
上段〜ようにみえる 让人感到,让人觉得,像是 j
話し手が見たところから判断して、「そのように思われる」「そう感じられる」
という意味を表す。非判断の表現として使われる。
❶ 父は去年よりずっと足が弱っているようにみえ、歩くときには体を揺らして
いるのだ。(父亲的脚像是比去年无力得多了,走起路来身体摇摇晃晃的 。)
❷ 先を争ってT国と貿易を行おうとしている国が多いけれど、この国は世界
中でもT国貿易に最も不熱心な国の一つであるようにみえる。(很多国家都争
着要和T国开展贸易,这个国家却让人觉得是世界上对T国贸易最不积极的
国家之一了。)
❸ 古いものは、芸術の水準を、新しいものは、この国の技術を象徴しているよ
うにみえる。(看来古老的东西象征着这个国家的艺术水平,新创造出来的东西
象征着这个国家的技术发展。)
❹ その誤りが修正されない限り、企業への影響は破滅的意味しかないというこ
とが、今になってはっきりしてきたようにみえる。(只要这个错误不加以改
正,那么对企业的影响只能是致命的。这点现在似乎是越来越清楚了 。)
❺ 彼は学生時代から友達も少なく、クラスの中では孤立していたようにみえ
&。(他从学生时代起朋友就不多,看上去在班级里挺孤立的 。)
国.ー〜となー・く................................................... 一…—一......... ................ I
1.「どこ」「それ」などの言葉について、一つの副詞を構成する。はっきり示さず
に、全体的に、漠然とそんな感じだ、という意味を表す。「〜とはなく」「〜と
はなしに」とも言う。
❶ この事件はいっとなく国内のみならず国際問題にまで発展している。(这事件
何时起已不仅仅是国内,甚至成了国际问题。)
❷ 迷惑だということをそれとなく伝えたが伝わらなかった。(我委婉地暗示他这
会是个麻烦,可他没有领会。).
❸ 彼は笑顔を見せてはいるが、どことなくかすかな哀愁を含んでいるように見
えた。(他虽然在笑,但表情却有着淡淡的哀愁。)
❹ 仕事上の交際以外には冷淡で、数少ない友達もいっとはなく離れて行き、孤
独ではあったが、夫婦の仲はよかった。(工作之外他很少和人交往,仅有的几
个朋友也不知何时离他而去。要说孤独真是孤独,但是夫妇之间的关系倒是不
错。)
❺ 最初からあの人を出張させるつもりだったわけではない。なんとはなしにそ
う決まってしまったのだ。(ー开始并没有打算让他去出差,也不知为什么就那
样定下来了。)
第3課水の東西 79
2数を表す疑問詞に「となく」をつけると、はっきりした数を示さないで、その
数量がかなり多いことを表す。書き言葉的である。(好多)
❶ 店員たちが朝のお務めのラジオ体操を、何十年となく NHKの流してきたあの
放送の録音に合わせてやりだした。(店员们跟着NHK播放的广播录音开始做起
了早操,几十年来从没间断过。)
❷ 燕が何羽と竺晴れ渡った青空を飛んでいる。(晴空万里的蓝天中几只燕子在
飞翔着。)
❸ 原始林の中には、巨大な樹木が何本と室 茂っている。(原始森林中长着很多
大树,茂盛极了。)
❹ 彼は若いわりに、世界選手権にはすでに何回と金堂参加した経験を持ってい
る。(他虽然年轻,可已有多次参加世界锦标赛的经验 。)
❺ 私が着いたとき、座が賑わい、宴もたけなわになっていた。テーブルの上に
は何本となくビールの空き瓶がおかれていた。(我到的时候宴会已进入高潮,
真是热闹极了。餐桌上放着好几只已经喝空的啤酒瓶 。)
会 間が抜ける 愚蠢,糊涂…"一I—ー ーー...............................ー ー_一 j
大事な点を落としている場合や、頭の働きが足りない場合に使う表現である。
本文中では噴水が西洋のもののように美しくも華やかでもないために、広場の
中心象徴になるものがなく、その広場の個性や独自の雰囲気が感じられない様
子を言っている。また、「間抜けな」「間抜けでない」のような言い方もある。
❶ 日本の噴水はやはり西洋のものほど美しくない。そのせいか東京でも大阪で
も、町の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏しいのである。(日本的喷水
还是不如西方的漂亮。因此无论是东京还是大阪,都市广场总让人觉得呆板,
缺乏表情。)
❷ いろいろなことを書きすぎていて、中心となることがなく間が抜けた作文で
ある。(这篇作文写的东西太多,中心不突出,呆板不生动。)
❸ 冬の間中央に置いてあったコタツを片付けたら、妙に間が抜けた部屋になつ
た。(整个冬天一直放在屋中央的暖炉收起来后,奇怪的很屋子突然变得不那么
生动了。)
〇 部屋の模様がえをしたのだけれど、本棚を一つ別の部屋に移したら、なんだ
か間が抜けた感じになってしまった。(我是改变了一下室内的布置。可没想到
把ー个书橱移至另ー间屋子后,似乎觉得屋子变得呆板不生动了。)
❺ 彼らはあまり優秀な学生ではない。といって、そう間抜けでもない。つま
り、ふつう程度の学生と言える。(他们不是优秀的学生,当然也不那么愚钝。
也就是一般的学生吧。)
80日语综合教程第六册
セ挨 〜とみる(みられる) 认为(被认为) _________ !
「と見る」は「判定する」または「見なす」という意味である。「と見られる」
はその受身の形で、「と考えられている」「と見なされている」「とされている」
の意味を表す。普通、事実の報道に用いる。
❶ 次の日の朝刊には、〇〇省課長補佐、佐山憲一の死が大きく扱われていた。
どの新聞も佐山の死は汚職に関係があるとみていた。(次日的早报都在醒目的
位置上报了〇〇部科长助理佐山宪ー的死讯 。所有的报J氏都认为佐山的死和
贪污有关。)
❷ 警察では、渡辺さんが何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと空、昨
日から公開捜査に踏み切り、渡辺さんの行方を捜している。(警方认为,渡边
很可能被卷入了一起什么事件,于是从昨天起开始公开侦查,寻找他的行踪 。)
❸ その中学生の死は、同級生のいじめにたえかねての自殺とみられている。(那
个中学生的死被认为是因为不堪忍受同学的欺负而自杀的 。)
❹ サハラ砂漠の下には、アマゾン流域全体を上回る地下水源があるといわれて
いる。これは2億5000万年前くらいにたまったとみられる水なので、気軽
に使えないのは残念だ。(据说撒哈拉沙漠的地下有着超过整个亚马逊流域的水
源。这些水源被认为是2亿5000万年前积存下来的,所以不能随便用实在是
件遗憾的事。)
❺ 自己資本比率が高ければ高いほど、総資本の安全性は高いものとみられ、企
業の資本維持が容易となる。(一般认为自我资本比例越高总资本的安全系数也
就越高,企业的资本维持就比较容易。)
え心 〜につけて(は/も) 每当…就…;无论・•・都… 丨
よく「〜につけ」の形で用いられ、「見る」「思う」「考える」などの動詞に付
き、「何かを見たり思ったりするたびに、それに関連していつもある気持ちに
なってそうする」という意味を表す。後ろには、感情や思考に関する内容が続
<〇また、「何か、何事」などの言葉と結びついて、それぞれ「どんな場合でも」
「何かのきっかけがあるたびに」という意味を表す。「〜につけ」の前に対立す
る意味の言葉を並べ、「どちらの時も」という意味を表す慣用表現もある。類義
表現としては「そのたびに」などがあげられる。
❶ 文化および民族性のイメージを考えるにつけては、我々は特別に慎重であ
り、焦点の選び方に注意深くあらねばならないはずである。(在考虑文化及民
族形象时,我们一定要特别地慎重,要十分注意焦点的选择方法 。)
❷ 川沿いの道を歩くにつけ、川から見える家並みを見るにつけずいぶん変わっ
たことに気付かされるけど、川は昔と変わらぬ姿で静かに流れている。(每<
第3課水の東西81
走在沿河的小道上,每当看到从河边能望见的ー排排住房时,就感到变化是那
么地大。但是河流却一如往昔静静地流淌着。)
❸ 日本に戻った森さんは、帰国後は何かにつけて、北京はこうだった、中国で
はこうだったと、かつての赴任地と比較する癖がしばらく抜けず、北京の生
活を懐かしんでいるようだった。(森回到日本后有一段时间无论遇到什么就爱
和以前工作过的北京比,说北京是这样的,中国是那样的,等等,非常怀念在
北京度过的那段日子。)
❹ 学校ではアメリカの子供たちに、家では日本の子供たちに、何かにつけて彼
らとの違いを笑われていたわたしを、母は慰めようとしてよく言ったもの
だ。「大人になったら、あなたがアメリカ人か日本人かなんて、誰も気にし
ないようになりますよ」。(无论发生什么,在学校我总是被美国孩子,在家总
是被日本孩子嘲笑我与他们的不同。这时母亲总是安慰我说,“长大后,就不
会有人在意你是美国人还是日本人了 。)
❺ よいにつけ悪いにつけ、あの人たちの協力を仰ぐしかない。(好也罢,坏也
罢,我们都只有仰仗他们的帮助了。)
表現の学習
上ら傾向を表す表現
「傾向を表す表現」とは、物事が置かれている状態・状汎または、動作がどん
な様子かを説明するときに使う表現である。「きらいがある」「むきがある」の
ような物事の本質をいう表現もあるし、「っぽい」などの接尾語を使うことで、
物事の外見から捕えた状態を表すものもある。主なものだけでも以下のものが
あげられる。
❶ 田中はやや肥満ぎ次ながら、がっしりした体格である。(田中虽然有点儿胖,
但身体长得挺敦实的。)
❷ 男というものはたいていあきつ・ものだ。そして馬鹿な目にあってから
やっと目がさめるのだ。(男人往往都有喜新厌旧的毛病,上了当オ会回心转
意。)
❸ さすがに母もこれ以上日本留学のことを押し付けがましく言っては逆効果に
なると思ったのか、黙って流し台に行った。(或许母亲也觉得再这么硬逼着我
去日本留学的话,事情会适得其反,所以就默默地到厨房的水槽那边去了。)
❹ 電話を切ろうとしたときだった。陸さんは急に「これからあなたのところへ
, 行ってもいいですか」と聞いてきた。低い声でためらいがちな聞き方だっ
た。(正要挂电话时,小陆突然低声地有点儿迟疑地问道,“我现在能不能去你
82日语综合教程第六册
那儿?”)
❺ この店は客のボトルを預からない。毎回、きちんと飲んだ分の支払いを済ま
せる。誰もが余り常連めいた顔をせず、バーテンはせいぜい天気の話くらい
しか相手にならない。(这店不寄存顾客的酒瓶。每回喝完酒后都清帐。无论谁
都不摆老顾客的架子,调酒师至多和你聊上几句天气之类的话。)
0 人間(じんかん)•至る所に青山あり、と言う。この言葉はやや感傷的な宣ら
いはあるが、大志を立てて大いに雄飛すべきであるという意味ではとても励
みになるものである。(都说“人间到处有青山”。此话听起来略显伤感,但却
是在激励人们要胸怀大志展翅飞翔 。)
〇 最近摘発された事件を政治腐敗と見なし、政治改革を実施しろという声が高
まる向きがあるようだ。(好像要求实行政治改革的呼声较高,他们认为最近揭
露出来的事件是政治腐败的表现 。)
まとめ
「〜きらいがある」は当人が好きこのんでしていることが、話し手の目には好
ましくない傾向に映り、しかもその傾向は外見から見たものではなく、本質的
なものであるという意味である。「〜向きがある」は、動詞「向く」から出た用
法で、物事の状態がある方向へと移行変化することを表す。そういう傾向•性
質があること、そういう傾向•性質を持った人がいるという意味である。どち
らも書き言葉である。
「ぎみ」で表す傾向•状態は現在幾分か現れているけれど 、あくまで話し手
の主観的な判断である。しかも好ましくないマイナス状態の傾向ととらえてい
る。
「っぽい」は感覚的な語である。常に、自己から見た、感覚的にとらえたその
主体の一つの属性となっているものを示す。「飽きっぽい大」「白っぽい顔をし
ている」のように、話し手の頭には、適当と考える基準値、顔色のイメージが
存在する。それと現状とのずれに対して「っぽい」を用いている。マイナス評
価になりやすい。
「〜がち」は、「ある状態に置かれた場合には、ややもすればそうなってしま
う恐れがある」という仮定条件や「現状がある状態のほうに傾きやすい状況に
ある」「そうはまだなっていないのだが、その状態になることが多い」という暗
示がこめられている。
語や語句の構成
「つける」「あげる」「あがる」は接尾語的に使われ、動詞連用形について複
合動詞になる。
第3課水の東西 83
/.〜つける
「やりつける•食べつける•行きつける」などいつもしていて、もうそれに慣
れている、「決めつける-しかりつける•押さえつける」など強い勢いでそれを
する、「聞きつける•嗅ぎつける•見つける」など感覚器官で捕らえて、それを
探りだす意味を表すのに使われている 。
❶ やりつけない仕事でうまくいかないようだ。(是件不太熟悉的工作所以做不
好。)
❷ ピカソの絵は絵について何の知識もない人々までをひきつける力を持ってい
る。(毕加索的画的魅力甚至能吸引那些没有任何绘画知识的人 。)
❸ 昨日までの梅雨空とは打って変わり、澄んだ空から輝かしい太陽の光が照り
つけている。(和昨天以前的梅雨天气完全不同,耀眼的阳光从清澈的天空火辣
辣地照射下来。)
❹ ありとあらゆる新薬を試みたが、一向に効果が上がらない。現代医学はこの
病気の進行をくいとめることができないのを見て、医者として胸をしめつけ
られる思いだC (试用了所有的新药都失败了,现代医学阻止不了病情的恶化。
作为医生我感到揪心般的难受。)
•❺ そのとき高野さんは隣のテーブルにいたんだ。騒ぎを聞きつけるとわざわざ
立って行って怒っているお客さんを一生懸命なだめたんだ。(当时,高野正在
隔壁桌上,听到吵闹后特意站起来走上前去劝解正在大发雷霆的顾客。)
2.〜あげる
「書き上げる•仕上げる•洗い上げる」など、期待通りに具体的なものを完成
させることを表す。「〜あげる」と「終わる」は入れ替えても使える場合が多い
が、「〜あげる」のほうが「完全に・満足感」がこめられる。ほかに、「でっち
上げる」など、頭などを振り絞って何かをするという程度の強調を示す用法、
「持ち上げる」など、上への移動を表す用法もある。
❶ まず、シャンプーで汚れをすっきり落としながら、やさしく洗い上げます。
(首先用洗发水洗去污垢,再用水轻轻地冲洗干净。)
❷ 言いたいことは早く言え。僕は仕事を無理に切り上げて出てきたんだ。(想说
什么快点儿说。我是硬把工作停下来来这儿的。)
❸ 遅れた条件から出発し、急速に近代的な国家を作り上げるのに必要な能力
を、私たちは充分に備えている。(我们完全有能力从落后的条件出发,迅速建
设现代化的国家。)
❹ 原稿を最終的な形に仕上げていく上で非常に有益だったのは、学生諸君から
のフィードバックであった。(学生们反馈过来的意见对于我们最后定稿有很大
的帮助。)
84 日语综合教程第六册
0 努力家の小林は、そこで10年あまり勤め上げたあと、33歳の若さで独立し
て、小林鋼材という会社を作った。(勤奋努力的小林在那儿工作了10多年之
后,33岁时离开公司自己办起了一家小林钢材厂。)
3.〜あがる
「出来上がる」など、予想・予定通りに具体的な事柄が完成したことを、「震
え上がる・晴れ上がる」など、無意志の自動詞についてその程度の極限を、「浮
かび上がる•飛び上がる・躍り上がる」など、高いところへ上がったり表れ出
たりすることを表す。
❶ 今日の新聞は今刷り上がったばかりで、まだ発送されていない。(今天的报纸
刚印好,还没发呢。)
❷ あまりこわかったので、わたしはぞっとして震え上がった。(实在太可怕了,
我寒毛凛凛地打了个寒颤 。)
❸ 昨夜のことを思い返すと、また不安が湧き上がってきて、目覚めたばかりの
木下を緊張させた。(再次回想起昨夜的事时,不安重新涌了上来 。刚醒来的木
下情绪又紧张了起来。)
❹ 衰えてきた日本語学習ブームが再び燃え上がることが期待されている。(我们
希望日渐衰弱的日语学习热能再次掀起高潮。)
❺ 資本金500万円程度の小さな町工場を、わずか数年の間に月取引数億円の会
社にのし上がらせた苦労は、あなたにはわかるだろうか。(让一家曾经只有
500万日元资金的街道小厂在短短数年内ー跃成为月交易量高达数亿日元的公
司,这其中的辛苦你知道吗?)
練習
ー、次の漢字にふりがなをつけなさい。
愛嬌 覧 無限 解ける 素朴 徒労 草花 芽生える
弁解 断続 間隙 行雲流水
寛ぐ 趣向 別荘 華やか 蓋し 腕力 拘る 誇らしい
慎重 増幅 実体 格段
基盤 規範 頑な 間隔
補強 無数 焦点 枠組み
二、次の文の下線部の片仮名を漢字になおしなさい。
1.センパクでいやらしくみえるC
2海面は所々に波をあげて 、セイシしているようだ。
3. 叫び声が夜のセイジャクを破った°
4. 空港のマチアイシッで待ち合わせましょう。
第3課水の東西85