5. 時間を半分にアッシュクする。
6. ネコゼのお爺さんの道路の横断を手伝う。
/事実をコチョウする。
8. シイテキに解釈している。
9. センサイな感覚の持ち主だ。
10.うそをつくセイへキがある。
三、次の質問に口頭で答えなさい。
I. 「『鹿おどし』が動いているのを見ると、その愛嬌の中に、なんとなく人生のけ
だるさのようなものを感じることがある。」とあるが、「鹿おどし」のどのよう
なところに「人生のけだるさ」を感じるのか。
2 「鹿おどし」は水の流れや時の流れをどのようなところに感じさせるのか。
3. 「静かに緊張が高まりながら」とは、どういうことをいったのか。
4. 「時間的な水」「空間的な水」とは、どういうことを表しているか。
5. 「鹿おどし」は流れるものを感じさせる仕掛けであるが、それがせせらぎや滝
と異なる点は何か。
6. 「鹿おどし」と「噴水」とは、ともに庭園にあるものだが、両者の根本的な違
いを示した語句を、文中から書き抜け。
7. 「人工的な滝を作った日本人が、噴水を作らなかった理由」はどのようなとこ
ろにあるか、整理してみよ。
8. 「外界に対する受動的な態度」とは、どういう態度か。
9. 「見えない水」とは、どういうことか。
1〇.本文では、「鹿おどしと噴水」を例に、「流れる水と、噴き上げる水。」「時間的
な水と、空間的な水。」「見えない水と、目に見える水」のように二つのものが
対比して挙げられている。これらの対比をもとに、筆者が比較しようとしたこ
とは何か。
II. 日本人についてのエスニック・ジョークとして挙げられている例を箇条書きに
せよ。
12. これらのエスニック・ジョークの中で、現実を言い当てていると思うもの、事
実の一面が誇張されていると思うものについて話し合ってみよ 。
13. 日本についての文化論的なレッテル張りは、どういう点で「危険な域に達して
いる」と筆者は述べているか。
14. 経済活動の背後にある「日本社会の特性」とはどういうものか。
15. 「それ以上に不幸なこと」とあるが、なぜそう言えるのか。
16. 筆者は、我々がお互いにレッテルを張りたがる理由についてどう述べている
86 日语综合教程第六册
か。
17. 「それ以外の微妙な現実」とは例えばどのような現実のことか。
18. 「地球上にともに生きるほかの国民や民族について、常に細やかな理解を示す」
には、どうして「強い精神力」が必要なのか。
19. 筆者は文化というものをどのように定義しているか 。文中の言葉で答えなさ
い。
四、 次の文の下線部の意味を説明した上で、全文を中国語に訳しなさい。
1. 竹が石をたたいて、こおんと、くぐもった優しい音をたてるのである。
2. 樹木も草花もここでは添えものにすぎず……
3. 噴水が音をたてて空間に静止しているようにみえる。
4. 東京でも大阪でも、町の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏しいのである。
5「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだ。
6. イメージは一つの固定観念として、ひとり歩きをする。
五、 文頭にあげた言葉の用法として、次の文の下線部ではどのように使われているか。
意味あるいはその用法を説明しなさい。
7. くせ
① 寝る前に少し小説を読むのがすでに<萱になっている。
② 髪の毛は生まれつき変なW堂がついていた。
③ 私の気持ちをわかろうともしないくせに、勝手なこといわないでよ。
④ くせのある文章でちよつと読みにくい。
2.をもって
① 当店は改装のため、本日をもってしばらく休業いたします。
② 論文の提出をもって、試験のかわりとする。
③ 最新の医療技術をもってしても、この病気を治すことは難しい。
④ 私、この度、老齢をもって会社の第一線から退くことになりました。
3けっこう
① 他方、「日本語などできなくともけっこうやっていけるのだ」などというまっ
たく誤った主張さえみられる。
② 忙しいときには子供でもけっこう役立つ。
③ 日本へ留学できたらまことにけっこうなことだ。
④ もうおなかいっぱいでおかわりはけっこうだ。
第3課水の東西 87
六、次の語群から最も適切な言葉を選んで( )に入れなさい。必要な場合は適当
な活用形にすること。
アもって イいやがうえにも ウでもって エ芽生える
才 絶対に 力なおかつ キ安らがせる クいわれもない
ケ ぐらりと コ早飲み込み サほとばしる
1. ( )秘密は厳守致しますので、ご安心なさって調査の方はお任せく
ださい。
2. 首相の支持率は今度の事件で( )揺らいだ。
3. チックタックという時計の音が夜のしじまに響いて、( )私を眠れな
くさせた。
4. 破裂した水道管から( )水で、辺りは水浸しになった。
5. 今朝庭を見たら、一週間ほど前に( )朝顔がもう10センチほどの
大きさになっている。
6. 彼は孤児院に大金を寄付することで、自らの罪深い心を( )ようとし
ているのでしょう。
7. 現代の各種抗生物質特効薬は中国固有の理論によれば、ひとつとして毒を
( )毒を制する原則に外れるものはない。
8. 自分の目で確かめもしないで、( )して結論を下すなら、必ずや大
問題になるに違いない。
9. すべてをお金( )始末しようという彼の態度がどうも私には気に入
らない。まさか金がすべての世の中ではないだろうに。
10. この頃妻はよく( )怒る。彼女にしても家事ばかりの生活はきっと
退屈だろう。
11. どれほど細心の注意を払って仕事をしても、( )偶発的事故を絶対
に避けることは難しい。
七、次の語群から適当な傾向を表す表現を選び、_______ に入れて文を完成させなさ
い。必要な場合は適当な活用形にして入れなさい。一つの言葉を必ず1回使うこと。
! ぎみ やすい がましい がち じみる
めく むきもある きらいがある まみれ っぽい
1.どうしてもう少し冷静になれないのか、あんな押し付け こと
をいってはあの子の気持ちを追い込むばかりだと、反省している。
88日语综合教程第六册
2お互いにただ黙っているということには間隙ができ のだ。
3. 彼は感情に走る人で、何かがあるとすぐ顔に出す 〇
4. 君のざっくばらんな話し方を快く思わない ようだから、言動を
慎んだほうがいい。
5. 電池が切れてきたと見えて、時計は遅れ だ。
6. すっかり冬 ました。今年はいつもよりすこし旬が早いように
思われますが。
7. 単なる子供 競争意識からそうしたのではないことは 、私自
身、よく知っている。
8. 単純で、泥 になる仕事だが、思いがけないことにも出会う。
9. 林はいたずら 笑って、信子と向かい合った椅子に坐った。
1〇. 一般に風邪というと、病気とも思えないような病気と見なされ
だ。
ハ、括弧の中の言葉を使って次の中国語を日本語に訳しなさい。
1.原先衣着讲究的小王有了孩子之后每天忙于家务和带孩子,好像顾不上打扮自己
了。(身なりにやかましい/構う/ゆとりがない)
2发现张爱玲死是9月8日的中午。据认为酷暑也使张爱玲体力不支无法外出,就
这样什么都没吃衰弱致死的。(あいまって/衰弱死する/と見られる)
3.无论干什么忍耐和努力是至关重要的,因为是你下决心想做的,所以你一定能够
做到。听说ー个出生在非洲小村落的少年凭着决不半途而废的信念,成功地徒步
横越非洲大陆,最后来到了美国,实现了在美国大学接受教育的梦想。(何事につ
けても/横断/夢を果たす)
4. 对每天无所事事闲逛着玩的人来说这也许称得上逍遥自在。可是在我看来这是在
浪费时间,只能说太傻了。(悠々自適/間が抜ける)
5. 小王想说不说的样子越发激起了大家的好奇心。(いやがうえにも/ひきつける)
6. 确实展示在这里的都是些精致的手工制品。不少东西由于制作过于精细反让人觉
得这东西实用吗?(見事/工夫が凝らされる)
/最近流行电视购物,也有专门的频道。不过通常要花很长时间说明一件商品煽动
人们的购买欲,而且同一个镜头要播上好几遍。(購買欲を煽る/となく /同じ
シーン)
第3課水の東西89
8. 这件衣服的款式是现在流行的,面料和颜色以及做エ都无可挑剔,正因为如此所
以价钱也就贵了一些。(仕立て/申し分ない/それだけに)
9. 无论是英语文化还是法语文化都属于纯文化类,似乎没有受到英语或法语以外的
其它任何语言的影响。(ようにみえる)
10.木村刑警还年轻,所以对犯罪嫌疑人的证词显得过于相信。(容疑者の証言/素
、 直/きらいがある)
九、言葉の決まり
1.次のことばの類義語を書きなさい。
心境( )修理( )散歩( ) 零落( )
) 会得( )
円滑( )遺憾( )応接( ) 肝要( )
) 達人( )
応答( )介抱( )安全(
寄与( )破産( )忍耐(
2次の①〜⑤の慣用句の意味として適当なものを、 あとから選びなさい。
.①一目置く( ) ②顔が広い( ) ③さばを読む( )
④やぶから棒( )⑤きもをひやす( )
ア行うのに苦労する イ驚いてぞっとする ウ思いがけないさま
工 相手が自分より優れているとみとめて、一歩ゆずる。才 数をごまかす
力 付き合いが広くて知り合いの人が多いこと
3.次の文の( )に適当な接続表現を入れなさい。練習②は後の語群から選
びなさい。
① 森林は、今まで木材資源、( )治水や炭酸ガス吸収などの役割を果
たす環境資源として価値づけられてきた。これからは子供を育てる場として、
( )高度な文明社会に疲れた人間が、新鮮な気分を回復する憩いの
場として、( )、さまざまな知識を提供し美意識を解き放つ場であ
る文化資源として、私たちの生活の中に位置づけられるべきであろう。
② 毎年、電力需要がピークとなる8月の最大電力需要は、電力9社合計で1億
4.133千万キロワット程度と予測され、供給電力はこれを9. 2%±回る予定
だ。
( )地域別に見るとA -B電力は10%以上のゆとりを持っているが、
C -D電力は8%台の余裕しかない。
( )昨年夏、あわや停電かというピンチに見舞われたC電力は、もし
昨年並みの猛暑となった場合、余裕電力は3%程度、約150万キロワットにと
どまるという。
( )、各社ともこの余裕電力を生み出すために徒来の発電設備増設計
90 日语综合教程第六册
画以上の、いわば応急対策を追加している。
( )、短期的に建設可能なガスタービンを追加したり、休止中の火力
発電所の運転を再開したり、夏に行う発電所の点検、補修時期をずらしたり、
今年運転を開始する新規発電所の試運転を早めたり 、といった具合だ。
(とくに、しかも、だが、たとえば)
十、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
これを見て、何だ「局面を開く」を「局面が開かれる」に変えただけではないか
と、そう思う人も多いであろう。そして、受け身的立場で表現するのが日本語らし
さなのかと、そう質問するかもしれない。「I丨日本語は、①自ら積極的にそうする
という立場よりは、成り行きとして②おのずとそうなるといった受け手の立場で表
すことが多い。「はらはらする」といっても気持ちは、はらはらした状態になる(つ
まり、させられる)のであって、周囲の状況から自己のあり方を規制される
(ア)的立場の語が日本語には特に多い。例えば、「食欲をそそられる」a「身
につまされる」「悪夢にうなされる」b「魅せられる」「とらわれの身」「焼け出され
る」「人に気取られないように……」「招かれざる客」など、いずれも受け手側の立
場から表現する。「!!」、先の、A氏の日本訪問の文も、訪問が積極的に両国の関
係に新局面を開いたのだという働きかける行為としてとらえるよりも、もっと消極
的に受け身で表すほうが、A氏の訪問により成り行きの結果として、おのずと局面
が切り開かれたのだという話者の態度が現れて、日本語らしさ、「m ]日本人の物
のとらえ方•考え方が前面に押し出されることになるからなのであろう。「!V こ
のことは受け身表現の問題だけではなく、③もっと表現形式の根本にかかわる日本語
の発想の問題とも関係してくるので、その仕組みを少し説明しておこう。
まず、初めの中国人の作文、C「A氏の日本訪問は、両国の関係に新たな局面を
開きました。」では、文の骨組みは「A氏の日本訪問は……局面を開きました。」で
ある。「両国の関係に」は、「何における局面か?」の説明として後から⑦ユえたと解
すればよい。A氏の日本訪問という事実に対して、話し手はそれが両国間に新しい
局面を開かせたと判断し、個人の積極的意見として提出する。発想のスタートは「A
氏の日本訪問」、それをテーマとして取り上げ、その日本訪問が「何をもたらした
か?」の問題提起と、それへの解答「新しい局面を開いた」の個人°ケンカイを示し
て、積極的に他者に押し付ける。話し手の意見提示の形でニュースを告げ知らせて
いる(イ)である。
| V」、d「A氏の日本訪問によって、両国の関係に新たな局面が開かれまし
た。」ではどうか。見て明らかなように、もはや「A氏の日本訪問」は文の骨組みと
はなり得ない。文中の主語と述語である「局面が開かれました」が中心となって、
その理由説明として「A氏の日本訪問」が取り上げられる。骨組みとなる「局面が
開かれた」ことが発想の出発点と言ってもいい。新局面の開いたことをまずそれと
⑰サッチし、「新たな局面が開かれた」と事実として受け止める。「局面を開いた」と
第3課水の東西91
他動詞で言うと、先の「何かが局面を開いた」という判断の文となってしまう。そ
こを「〜が〜れた」と受け身をつけることによって他動詞を自動詞化させ、格助詞
「が」で導くことにより、全体が一つの現象文となるのである。外の世界の疑う余地
のない事実としてまず「新たな局面が開かれた」と現実をとらえ、次に、それはな
ぜなのかの理由説明として、「A氏の日本訪問によって」と解説する。話し手の意見
の出ている部分はここで、前の©ノウドウ態の文と全く異なるわけである。
OD a・bの意味を簡潔に書きなさい。
a
b
⑦〜㊂のカタカナを漢字に直しなさい。
®@ © @
僧囲 n〜厂口に入る語を次の中からそれぞれ選び、記号で答えなさい。但
し、同じ語を重複して使えない。
ア確かにイ実はウだからエいわばオー方力ひいては
I II III IV V
(iD 下線部①②を最も端的に言い換えている語を本文中から漢字二字でそれぞれ
抜き出しなさい。
①②
晴❺(ア)に漢字2字の熟語を書き入れなさい。
(BD 下線部③「もっと表現形式の根本にかかわる日本語の発想」とはどういう意
味か。本文の語句を使って35字以内で説明しなさい。
OD c・d文の[仕組み]の違いを簡潔に120字程度でまとめなさい。
觸❸(イ)に入ることばを次の中から選びなさい。
aはず bわけ cため dこと eもの
dE)次の文は受け身文として正しいか、考えてみなさい。
① 環境破壊が問題とされる。
② あいつの自転車、僕に乗ってこられたよ。
③ 昨日あの人から思いがけずプロポーズされた。
④ 山田君は石につまづかれて転んだ。
92 日语综合教程第六册
⑤ この字はついに私にまともに書かれた。
文学・語学の豆知識
四字の熟語
熟語には三字の熟語もあるが、二字の漢語に一字の漢語のついたものが多
く、要求書•市役所・科学的などで、四字の熟語ほど重要ではない。
四字の熟語は、複雑な意味や気分が含まれ、故事または、漢字の意味と違っ
たものも多いから、一語一語しっかりと理解する必要がある。たとえば、ー
日千秋------ 日が千年のように長く思われる——ということから、待ちどお
しいことを意味するように。
四字の組み合わせには、二字の漢語が重なったものが多い 。
(1) 意味の似た二字の漢語を重ねたもの.................... 取捨選択
(2) 上の二字が下の二字の漢語を修飾するもの............. 読書週間
(3) 相対する意味の二字の漢語を重ねたもの................異口同音
(4) 対等の重さのある字を二つ並べたもの.................. 喜怒哀楽
(5) 上二字と下二字が、主語・述語の関係にあるもの...... 言文一致
(6)数を示す字を使って、いろいろな意味を表しているもの
....................... 一部始終•一挙両得•千差万別•七転八倒
!読み物
外国語の修得と文化の関係
•中根千枝
なぜ外国語が苦手か
日本人がその国の言語はおろか、国際語となっている英語やフランス語
さえよく話せないということは、今やよく知られているし、また、私たち
日本人も充分に知っていることである 。国際的スタンダードからみれば、外
交官から技術者にいたるまで、外国語に弱いといえよう。'東南アジア各地
第3課水の東西93
で日本人に関する問題が出ると、現地の責任者は必ず、語学のもっとでき
る人を、せめて英語をちやんと話せる人を送ってほしい、と訴えられる。
そして、事実、彼らの知る限り、満足に英語を話せる日本人は、例外的で
あるほど少ないという。国際的な仕事がますます増大する今日、このこと
は関係責任者にとって深刻な問題となっている。あるトップの方は、私に、
「いっそ、現地の者に日本語をおぼえさせろ」という意見があるが、どうだ
ろう、ときかれたほどである。
日本人が語学ができないのは、もちろん、日本では生きた外国語という
ものに接する機会がほとんどないという大きなハンディキャップのためで
ある。そして、よくいわれることだが、日本の外国語教育が実際に役立つ
ようになっていないことも指摘できよう。私は、むしろ、この学校におけ
る外国語教育の欠陥よりももっと大きな原因は 、日本人に語学の能力がな
いのではなく、意欲がないことであると思う。意欲がないのは、その必要
ならびに効用が充分認識されていないからである 。もちろん、なかには趣
味として語学がたいへん好きだという人がある。これはほんのわずかであ
るし、こうした嗜好は釣が好きだというのと同じで 、仕事のうえでの必需
として備えるのと違って趣味として楽しむのであるし 、そういう人が必ず
しも国際的な仕事をするとは限らない。したがって、ここで問題となるの
は、車の運転免許を得るのと同じで、好きでも嫌いでも必要なこととして
みなければならないということである。ドライブが必ずしも好きではなくて
も、一定の訓練と経験で充分運転ができるようになるのと同じで、自分は
語学能力がない、などということは理由にならないのである 。ただ、運転
と外国語の修得が異なるのは、前者は機械を媒介とするために、インパー
ソナルになるのでより容易であるといえよう。
外国語は何らの媒介なしに人間に直接対するわけで、それもまったく知
らない人や、充分背景のわからない人を相手にすることが多いのであるか
ら、日本人にとってますます不得手なことになる。母国語である日本語で
さえ、よく知らない人とうまく話のできる人は少ないのである。語学自体
の能力よりも、こうした社交的な慣習の欠陥のほうが致命的かもしれない。
実際、外国語の会話能力は、日本語と比例しているように私には思われる。
日本人は気心のあった人と共にいるというムードを楽しむが 、会話自体
(言語表現によるやりとり)を楽しむという風習はあまりない。話のやりと
りは、共にいるということを楽しむ要素の一部分となっている。したがっ
て、快適な会話というのは、気心の合った仲間ということが前提となって
いる。だから気心があっていれば、お互いに少しも口をきかなくても気ま
ずくなるということはない。多くの社会では、お互いにただ黙っていると
いうことは苦痛となる。そこに間隙ができやすいのである。その間隙を埋
94 日语综合教程第六册
めるために、気のきいたやりとりが発達してきているといえよう。
ある日本研究家のアメリカ人がしみじみ語ったことがある 。彼がかって
日本の地方都市(古い落ち着いた城下町の)で、中学校の先生をしていた
ことがあったが、その学校の職員室では、冬ストーブをかこんでよく先生
たちがお茶を飲みながら休むのがつねであった 。そうしたとき、日本の先
生たちは、ときとすると長い間お互いに一言も話し合わなかったりする。し
かし、それにもかかわらず、そこには何ともいえないあたたかい落ち着い
た気分が流れていたという。何もしやべらないで、あんなに充実した気分
にみち、お互いの心の交流が行われるということは本当に印象的であった、
と回想していた。
言語と文化のズレ
このように、言語を使わず、あるいはミニマムの使用でお互いの交流を
することができる日本人が、言語の効用をどちらかというと軽視すること
はうなずけるような気もする。日常生活を共にする親しい仲間との付き合
いで、言語をあまり注意してあやつるということがないために、言語によ
る表現能力はどうしても貧しくなる。実際、仲間以外の人と立派に話ので
きる人は少ない。しやべりすぎたり、座が白けるほど黙っていたり、時と
して失礼なことをいってしまったり、なかなかうまくいかないのがつねで
ある。田舎の生活では、その日常生活がほとんどよく知り合った仲でなさ
れるので、都会とくらべて農村の人たちの会話は驚くほどスムーズで、よ
<きいていると、決してまずいことや、相手を傷つけるようなことをいわ
ない。そして、ソトの人に対しては、レベルの違う対応をし、きわめて礼
儀正しい。これがさまざまな人人がより合い、接触する都会になると、ウ
チとソトの境界も乱れやすく、充分社交的な訓練もなくよく知らない人に
接せざるをえないので、平気で非礼なことをいったりしたりする人が多く
なる。同じ人でも農村に生活していたころと都会に出てきてからでは、た
いへん違ったりする。あんなにりっぱにスムーズに行動していた人が 、ど
うして、あんなに見苦しくなるのだろうと思うことがある 。
これは、日本人が外国人と接したときにも起こる一つの現象である 。
外国人の出席者が圧倒的に多かったあるパーティーの帰り 、ご一緒に
なった方(日本人)が私に、やれやれという感じで、「僕は外国人と英語で
話をしているときの日本人を見るのは耐えられない。とてもいやな気持ち
がしてならないのです」と話されたが、そういえば、私も、われわれ日本
人と話すときは教養のあることが感じられる礼節をわきまえた人が、外国
人と英語を話すとき、なぜあのように浅薄でいやらしくみえるのか不思議
第3課水の東西 95
な気がすることが時々ある。そういう人に限って、アメリカやイギリスの
アクセントを少しオーバーに使って 、自分の英語力を誇示するかのごとく
である。感嘆詞とか受け答えの文句など、とくにアチラ式で、私をゾーッ
とさせる方もいる。
それは、そうした表現にふさわしい日本人の感情の動きというものが文
化的にないために、それをあえてすると、きわめて不自然なことをやるこ
とになるので、見ているほうにも不快感を与えるのであろう 。ああいう時
の本人の心理構造はどういうふうになっているのだろう。あれは、「イカレ
テル」ということのあらわれなのだろうか。あるいは英語を一生懸命習い
すぎたためだろうか、そこまでやらなくても充分通じるのに、という気が
こちらにはする。
これほどの努力をあえてするのだから、こうした人々は相当英語の話せ
る人に多い。とくに日本で大学教育まで終え、それから異文化と接触する
ようになった場合が多い。したがって、外国語が非常にうまい、子供のこ
ろ外国にいた、というような人の場合には見られないものである。これは
まだ、自分の中に日本のシステムが確立されないうちに 、他のシステムに
接したため、異質との対決が硬直した形をとらないでできたためである 。
このような言語と文化のズレは必ずしも日本人の場合に限られてはいな
い。例えば、アングロサクソン系の、見るからに男性的な強い顔をしたイ
ギリス人が、日本語を女の先生から習ったために、日本女性の表現を知ら
ずに話しているなどという例がある。この気味悪さはとても私たちに耐え
られるものではない。こういう人が母国語の英語でしゃべるときと、日本
語のときには、まったく人物が変わったように映るものである 。
ちょんまげの日本人は立派にみえる
言語は文化を離れては存在しない。両者は不可分の関係にある。そして、
文化はそれを築き上げた人々の体質的な特色にまで密接な関係をもってい
る。
これについて興味深いことを思い出す。チベット人の友人が2、3週間の
予定ではじめて東京を訪れたときのことである 。彼らは見るものきくもの
のすべてがめずらしく、それをいちいち私に訴えるのであった。その中で
最も私に印象的だったのは、テレビで時代劇を見たときである。ちょんま
げの侍たちが出てくると、思わず、彼らふたりは叫んだ。「あれごらん、あ
あいう恰好をすれば、日本人があんなに立派にみえる!」江戸時代はわれ
われ日本人が自らの手で発達させた文化がすばらしい統合体を築き上げた
時代である。時代劇の魅力は、その統合の美しさ(日本人の体質にも感情
96日语综合教程第六册
にもマッチした、そしてその一部分を強調した)にあり、日本について何
の知識もない人々までをひきつける力をもっている 。
これに関連したこととしておもしろいことがある。近頃、バンコックの
テレビでは、日本のテレビの時代劇などがタイ語の吹き替えで放映されて
いる。タイ語のわかる在留邦人の方の話によると、(タイの文化は全体にた
いへんやさしく)タイ語には日本語のようにドスのきく文句もないし 、ロ
調もないので、とくにクライマックスのわたり合いなど、とても気分が出
なくて変な感じがするのだそうだ。言語における文化の限界がよく出てい
る例である。
江戸時代にくらべると、今日の私たちは驚くほどの外来の文化、また西
欧の刺激によって、伝統的にもっていなかった文化要素を消化している。し
かし、やはりいろいろな限界がある。異なる文化の受容は、自分たちのシ
ステムが許容する範囲でのみ行われるといえよう 。私たちの日常生活を機
能させているシステムによって、社会によって、よく使われる感情表現と
そうでないものがある。たとえば、アメリカ人のよく使うアグレッシブな、
また、一見、私たちには横柄にみえる応対というものは、日本では特殊な
場合にしか使われない。反対に、日本人の恥ずかしがる、などという感情
表現は、アメリカ人やインド人の場合にはずっと限られてくる。あるとき、
アメリカ人の友人が真剣な顔をして、「あいつ(日本人)は僕が少しもおか
しいことをいわないのに笑ったりした。なぜ、あんなに失礼なことをした
のだろう、まったく彼はけしからん」と私に訴えたことがある。日本や日
本人を少しも知らないアメリカ人にこれを説明することは骨が折れるもの
である。
このように、文化によっては、全然使わない感情というものがあるわけ
であるから、言語だけを修得するということは、厳密にいってできない相
談である。
(『適応の条件』講談社より)
注釈
中根千枝(なかね ちえ)
1926年東京に生まれた。東京大学文学部東洋史学科卒業。のち、ロンドン大学で社会人類学を専攻。
東京大学東洋文化研究所所長などを経て、現在、東大名誉教授。研究対象は、インド、チベット、日本
の社会組織。主な著書として、『未開の顔•文明の顔』『適応の条件』『タテ社会の力学』『家族を中心と
した人間関係』などがある。
第3課水の東西97
4第 課
詩 !1! 編
1.いし (え)
瓷のうへ
■ 三何莲治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの蔻音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の豊みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする瓷のうへ
k注釈
〇三好達治(みよしたっじ)(1900 — 1964)
日本の詩人。日本大阪府に生まれた。清空」「詩と詩論」「詩•現実」に参加の後、1934年堀辰雄•
丸山薫らと「四季」を創刊。詩集に『測量船』『南窗集』『艸千里』『駱駝の瘤にまたがって』な
どがある。随筆•評論も多い。
❷K 石だたみ、敷石のこと。
❸花びら 山桜の花弁のこと。
〇をみなご 少女。女の子。
❺ 語らひあゆみ 話しながら歩いて行く。
❻豈:音 「足音」のこと。
98日语综合教程第六册
をリふし 折々。時々。
翳り 日光のかげり。
「み」 接頭語、音調が上品でまるい感じがする。
廂 家の屋根。
風鐸 寺などの廂につるした鐘型の鈴。
影 孤影
2.しょうけい
小景異情(そのニ)
•室生屋星
""点:・〕;33 l 「丄長’ .* ■
ふるさとは遠きにありて思ふもの
项"V .
/ "(う)
3"顼 そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
‘ーゝ“ ひとり都のゆふぐれに
・一""(い)
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
产 遠きみやこにかへらばや
— 遠きみやこにかへらばや
L注釈
〇 室生犀星(むろう さいせい)(1889 —1962)
日本の詩人・小説家。本名は照道。日本石川県金沢市に生まれた。詩集『愛の詩集』『抒情小曲
集』により詩人としての地位を確立した。小説には、『性に目覚める頃』『杏つ子』などがある。
❷よしゃ
❸ 仮に、たとえという副詞「よし」に、感動の助詞「や」がついたもの。次行にかかる。
❹ 異土 故郷以外の土地。異国。異郷。ここでは東京。
❺ あるまじや あるまいよ。
❻ 都東京をさす。
ばや 自分の願望を表す終助詞。
第4課詩四編 99
㈠
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす繁萋は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりっ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
(二)
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを龌龊
100 日语综合教程第六册
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
注釈
〇 島崎藤村(しまざき とうそん)(1872 - 1943)
本名春樹。日本長野県に生まれた。日本の小説家•詩人。詩集『若菜集』『一葉舟』『夏草』『落
梅集』などの詩集により、新詩人の第一位の座を占め、その詩は当時の詩壇に新風を送った。の
ちに小説の創作に専念し、自然主義文学運動の記念碑である「破戒」を刊行し、『家』『夜明け前』
など多数の作品を発表した。
❷ 小諸なる古城 日本長野県小諸市にある。
❸遊子 家を離れて他の地にある人。旅人。ここでは前者の意。
❹なす 「のごとき」の意。
❺繫萋春の七草の一つ。
❻ 藉くによしなし 敷いて座るに方法がない。
❼わづかに
.本詩は、藤村自選の『藤村詩抄』(1927年7月刊)によっている。『落梅集』(1901年刊)では、
「はっかに」とある。
0 浅間 浅間山のこと。日本長野•群馬両県にある。
❾ 佐久の草笛 佐久地方で吹く草笛。
® 千曲川 長野県北東部を流れる川。北上して信濃川となる。
(Dいざよふ漂う
®濁り酒 どぶろく。ここでは粗末な酒の意。
第4課詩四編 101
®
僅 草枕旅寝。
8g漩 小さいことにかかわってこせこせとゆとりのないさま。
(B® 栄枯 栄えることと衰えること。栄枯盛衰。
過し 「過ぎ去った」の意。
百年 百年の長い間も振り返ってみれば、つい昨日のことのようだ。
(D この岸に愁を繋ぐ 川岸に立って、永遠の自然とはかない人生とを思い、哀愁の情に浸る。
(D
| 4.私のカメラ
•茨木 cり子
眼
それはレンズ
まばたき
それはわたしのシャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だからわたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ? わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを r
木洩れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったつけ
世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ
I注釈
❶ 茨木のり子(いばらぎ のりこ)(1926 -2006)
102 日语综合教程第六册
日本の詩人。本名三浦のり子。日本大阪市に生まれた。1953年、詩誌「權」を創刊。主な詩集
に、『対話』『見えない配達夫』『人名詩集』などがある。「私のカメラ」は、1965年、『鎮魂歌』
に収められた。
❷眼 眼球のこと
❸暗室 脳の暗喩
❹ライブラリイ
普通図書館の意で用いられる。この場合は「保管されたフィルム収集物」ほどの意。
[鑑賞
会mへ~~「一 ..... .......-…一ー—-…-………一—)
三好達治の全作品の中でも、最もよく知られ、日本国語教科書などにも多く
採択されて、愛唱されることが多い、きわめて知名度の高い名作の一つである。
一読して、やわらかな響きのある語が、流れるように、読者を晩春ののどかに
うららかな情景の中へと誘ってしまう。その語の響きの典雅さ、その情景の
若々しくまた高雅な雰囲気の美しさは名品といい、絶品といってもよい近代叙
情詩の傑作である。
まず詩は、〈あはれ〉という語から始まるが、この歌い出しはまことに大胆な
ものといってよい。日本文学の叙情の中で、〈あはれ〉は常套句であり、使い古
された語であり、もう一ついうならば語の表す範囲が広いために使うに便利で
はあるが、曖昧な意味に陥りやすい語ですらある。佐藤春夫の名作「秋刀魚の
歌」のように〈あはれ/秋風よ〉というような歌い出しもあるにはあるが、昭
和期の叙情詩人たちは、むしろこの〈あはれ〉を遠ざけることから出発してい
るといってよい。実際に詩を書いてみると、詩の冒頭に〈あはれ〉という語を
配した詩法は大胆というに値するだけのものがある。注意すべきはこの〈あは
れ〉が、陳腐に堕さず、花びらの散ってゆく折の、みやびにも美しい春の感傷
をいきいきと表現していることである。
花びらは流れるように降り、風に舞い、少女の頰に肩に散ってくる。その中
を二人の少女はなにごとかを語らいつつ歩いて行くが、その足音、—— おそら
<これはカタコトという下駄の音であろう——が空に響いて消えてゆく。芽ぶ
いたばかりの、新しい緑に映えて濡れたように光っているお寺の屋根。少女た
ちは、そのうららかにまぶしい空に向かって、ときどき目を上げて、語らい歩
み、通り過ぎて行く。遅い春の、典雅な風景である。(この寺が、東京文京区の
護国寺の境内だという説もあり、作者のイメージでは京都の寺であるとする説
もあるが、いずれにせよ、石だたみの長く続く、閑寂な寺院の風景である。)
この詩の恐るべき表現は最終三行にある。〈風鐸のすがたしづかなれば〉とい
う表現に〈ひとりなる/わが身の影をあゆまする〉と続いてくると、語感に敏
感な者ならば、作者の孤独感の深さが——前半のはなやいだ乙女たちの姿とは
第4課詩四編103
対比的に、一人己の影のみを道連れに、ひっそりと石だたみの上を歩いて行く
青年の孤独が——感じ取れるはずである。
少女たちの見上げるのは、花びらの散る華やいだ空と緑に潤う聲の輝き、そ
して孤独な詩人の目に映じたものは、廂に下がって動かない風鐸の孤影。どこ
にも、あらわにそういうことは書いていないが、最後の一行からは、俯いて歩
く姿さえも浮かび上がってはこないだろうか。一人ぼっちの、自分の影を、石
だたみの上に歩かせる、という孤独の表現の絶妙さに注意したい。
全行すべて文語脈で書かれていることにもこの詩の一つの特色を見ることが
できるだろう。〈賛〉という字の用い方とか、〈建音〉という字の字面からくる
印象、〈翳りなき〉という語の持つ、単に光と陰のみを表現するのではないニュ
アンスの複雑さ等々、工夫の凝らされた部分の多い作品であり、それがまた、
技巧として感じられず、作者のねらった効果としてきわめて自然に感じられる
ところに、この詩の完成度の高さを見ることができる。
感傷を書いて感傷に堕さず、自身の孤独を計量するかのように、石の上を歩
む己の影に定着して見せた作者の手腕は、近代的な自我意識を根底に据えたこ
の詩人の、客観的、知性的な叙情とでも呼ぶべきものの一典型であるといって
よいだろう。(原崎孝)
貝小景異情(その二). .
『抒情小曲集』の最初に置かれている全六編からなる連作詩。中で「その二」
がいちばん知られていて、単独でよく引用される。作者名を知らなくても、こ
の「その二」の冒頭の二行〈ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しく
うたふもの〉という箇所を口ずさんだことがある人は多い。それほどに知られ
た詩である。
都会生活者が出身地に戻ることをUターン現象と呼んでいるが、今日、地方
から出て来て都会に住む人たちの中には、心ならずも都会に永住する人が増え
ている。たとえば、帰るべき故郷が過疎地帯となっていて、そこに戻っても生
活の足場がない場合などは、故郷に寄せる思いは、ひとしお強いだろう。
また一方、ビルの谷間に生まれ育った都会の人においても、どこか別のとこ
ろに、山や野や小川のある自分の幻の故郷を追い求めることが、時にあるので
はなかろうか。今日、そのような豊かな自然は、もう地方に行ってもしだいに
残り少なくなって来つつあるのだけれども。
いずれの場合においても、故郷とは、自分がまだ幼くて、記憶も定かでない
ころの思い出につながるものである。広く愛唱されている「その二」を含む「小
景異情」全六編は、私たちが日々の繁忙の中で忘れがちになっている懐かしい
故郷、すなわち心の窓を、ソッと開いてくれる効用を持っているようだ。
「その二」については、まず書かれた場所についての論議がある。一つは作者
104 i日语综合教程第5•
犀星自身〈この作は、私が都にいて、時折窓のところに佇って街の騒音をきき
ながら、「美しい故郷」を考へてうたった詩である〉(『新しい詩とその作り方』)
と書いたのを受けて萩原朔太郎が〈年少時代の作者が、都会に零落放浪してい
た頃の作である。ひとり都の夕暮れに天涯孤独の身を嘆いて、悲しい故郷の空
を眺めている。ただその心もて、遠き都に帰らばや。遠き都に帰らばや。(注。
ここで故郷のことを「都」といっているのは作者の郷里が農村でなく金沢市で
あるから。)〉(「室生犀星の詩」)と書いた制作地東京説である。
もう一つの見方は、吉田精一の説である。すなわち〈東京の作でなく、故郷
金沢での作品と見るほうが妥当だろう。東京にいれば故郷はなつかしい。しか
し、故郷に帰れば「帰るところにあるまじ」き感情に苦しむ。東京にいるとき
「ふるさとおもひ涙ぐむ」その心をせめて抱いて、再び遠き東京に帰ろう。と見
るほうが、詞句の上で無理が少ない。〉(『日本近代詩鑑赏』)とするもので、現在
はこのほうが定説となっている。
この詩は、一読平明なようであるが、しかし、詩人の思いが複雑に屈折して
いるので、詩意が十分に汲み取りにくいところがある。実際、名古屋大学の学
生二十名を対象にして調査したところ、萩原朔太郎流の理解者の数と、吉田精
一流の理解者の数とはちょうど半々であったという。だが第八行〈そのこころ
もて〉で、その前の第七行までに叙してある「そのこころで」故郷を出ようと
していることが明らかである。つまり、出郷の際の詩であることを読み取ると、
あとは説明不要になる。詩人は出郷前に、早くも都(東京)から郷里(金沢)を望
郷しているという、この詩の倒置された構造に留意して読みたい。この「その
二」を、故郷への愛に受けとめることも、故郷憎悪に受け止めることもできる
が、〈ふるさとおもひ涙ぐむ〉詩人の、複合された望郷の念を十分にすくい上げ
ないと、この詩の眼目は消え失せよう。(安宅夏夫)
牛千曲川旅情の歌
千曲川のほとりにたたずむ藤村は「ー」で旅人の憂愁の思いを叙景に託して
表し、「二」で人生に対するむなしさ、はかなさを深く思い歌う。ともに哀切な
叙情として表現された『藤村詩抄』中の絶唱である。
「ー」は、三連各六行の文語定型詩である。
「第一連」では、最初のニ行を詩の序文として、小諸にある古城の近く、白雲
の下で悲しんでいる人生の旅人としての詩人を描き出す。詩人の悲しみにも似
て、近くは草もまだ生え出ないで、薄茶色のやせ地がむき出しとなり、遠くに
見える岡の辺りは雪も溶けて流れるかのように、明るく日が当たっている。
「第二連」で、詩人の目はやや遠くの風景をとらえる。ようやく霞み立つほど
の陽光が射すようになったが、緑色といえばまだ短い麦だけで、草花のにおい
もない。そんな畠中の道を、次の宿場ヘタ暮れまでに着こうと、行商人らしい
笫4課詩四編’105
旅人たちは急いで通り過ぎる。あわただしい旅人の姿も、詩人の悲しさをかき
立てる。
「第三連」では、夕暮れの思いを聴覚による情景に託して述べる。白く輝いて
いた浅間山も暮れて、心象としてのみくっきりと見えているだけだ。視覚に代
わって、聴覚に響くのは、昨年の夏聞いたかなしい音色の草笛だろうか、千曲
川の川瀬の音にかすかに聞こえてくるようだ。詩人は川岸の宿で酒を飲んで、
人生の悲しみをほんのしばし慰めたことだった。
「二」は、四連各四行の構成である。
「第一連」では、昨日も今日も何ら変わることはないのに、なぜ明日ばかり龌
龊と思い悩むのかと、詩人は激しく自己に問いかける。
「第二連」では、詩人は城址の石垣に沿って、谷間に下りて行く。そして川の
流れを見つめる。水は砂を押し流して激しく流れ、詩人の胸のわだかまりも流
されるようである。
詩人は「第三連」で、古城や川波が何を語るのか、静かに思いにふける。武
将たちの夢であった城は百年も経て荒廃しているが、川波は昨日のように何の
変わることもない。詩人は人間の営みのはかなさを思う。
「第四連」では、詩人は川の流れに沿って遠方を望む。心なしか暖かな日ざし
に、岸の柳も霞んで見える。荒涼たる風土にもまもなく春がやってくる。にも
かかわらず、詩人の心は暗いのだ。詩人は一人寂しく川岸の岩を伝わり歩きな
がら、哀愁を抱くのである。
ここには『若菜集』に見られた若々しい激情とロマンはない。人生のむなし
さに耐えて生き続けることの苦悩と悲哀とがあるだけだ。藤村は、この詩の成
る前年の明治32年4月に小諸義塾の教師となり、結婚して小諸の馬場裏で新居
を構えた。この詩は一児の父となろうとするころのものである。逃れられない
責任を感じつつ、漂泊への思いに鬱屈したであろう。彼は身近に春を予感して
も、まだ自分の生の実態を把握できずに、人生の旅の思いに憂えるのである。
眼前にある古城は、天下制覇を夢みた武田信玄の前線基地であった。今はそ
の夢も消えて荒涼たる城址があるだけである。藤村は杜甫や芭蕉と同じ憂いに
ひたるのである。『早春』で藤村は〈小諸に住むやうになってから、わたしはま
た一時遠ざかっていた杜子美や李白の詩の愛を喚び戻した。〉と述べ、『落梅集』
も李白の詩にちなんで命名したと説明する。伝統的な詩想に思いをいたすよう
になったのである。(市村和久)
發…私のカメー2—_I....... '…........ .—ーー ]
人間の眼とカメラの構造とはとても似ている。この詩は、そのだれでも知っ
ている眼とカメラとの構造を、読者との共通理解として十二分に生かし、話し
ことばを巧みに取り込んだ簡潔な独白体により、〈あなた〉とのさわやかで、充
実した「愛の生活」を歌い上げている。
106日语综合教程第六册
まず[第一・二•三連]では〈眼〉と〈カメラ〉との共通点が述べられており、
[第三連]の「髪でかこまれた暗室」という比喩がおもしろい。
[第四連]。〈だから わたし/カメラなんかぶらさげない〉で、読者は、やや
虚をつかれる。今日、大方の人は、カメラをテレビや電気洗濯機などとともに、
文明の利器として考えているのに、ここで急にカメラ無用論が飛び出したから
である。「わたし自身がカメラを内蔵しているのだから本物のカメラは無用」と
いう、自分の器官と感性に対するこの強い信頼感は読者をたじたじとさせるが、’
これは、肉眼でしっかりと見ることを忘れ、旅行先や外国でやたらとシャッ
ターを押す日本人に対しての鋭い皮肉ともなっている。
[第五連]において、この詩はガラリと転調する。まず〈ごぞんじ?〉という
問いかけが効果的である。[第四連]までは、眼とカメラとの特性と、むやみにカ
メラを持つ傾向に対しての批判であったが、この[第五連]において「詩人のカ
メラ」は〈あなた〉という特定の一人に焦点が合わされる。〈わたしのなかに/
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを〉というのは、いうまでもなく 「あ
なたの思い出」のことである。
[第六・七連]に進み、自分とあなたとの、ごく私的な〈フィルム〉の内容が
知らされ、[第六連]では二枚、[第七連]では四枚のフィルムが紹介される。さま
ざまな体験を経て、私たちは青年期から中年期へと足を踏み込んで行くが、男
女が二人で歩いてきたコースには悲しいこと苦しいことも多かったはずである 。
この[第六・七連]には、そうした人生の暗いフィルムは出てこない。しかし、こ
の六枚の、さわやかで健康なフィルムの背後に、どれだけの涙や嘆きがあった
ことであろう。もしも、この二人に涙や嘆きがなかったとしたら嘘であるが、そ
うした涙や嘆きを、あえて捨象し、人生の輝くシーンだけを提示したところに、
常に未来に向かい、開かれた姿勢で生き歌おうとする茨本のりこの詩の特質が
鮮明に現れている。
この[第六・七連]に見られる〈あなた〉の姿は、幾枚かのスナップ写真を見
るように実に印象的である。[第六連]は、「本洩れ日をあびて笑い、栗色の肌を
して波を切って泳いだ」若い日の〈あなた〉であり、[第七連]は、より現在に近
い〈あなた〉である。「煙草に火をつけたり、子供のような姿勢で眠る」そうし
た日常の〈あなた〉の、ちょっとしたしぐさやポーズが、私のフィルムに写し
取られており、〈あなた〉に対する〈わたし〉のあふれるばかりの愛情が言外に
伝わってくる。〈蘭の花のように匂う 森ではライオンになったつけ〉の二つの
フレーズは、いずれも性的なイメージとも解釈できるが、そう解釈した場合で
も少しもいやらしくない。それどころか、このイメージには香気と品格さえ感
じられる。
[第八連]。〈世界にたったひとつ だあれもしらない/わたしのフィルム・ラ
イブラリイ〉は[第六・七連]を受けての過不足ない見事な終局であるが、この
〈フィルム・ライブラリイ〉は、いつも〈わたし〉の横に眠る〈あなた〉さえも
第4課詩四編107
知らない「私だけの秘密の愛のライブラリー」なのである。一人の女性の、成
熟した愛の眼が感じられる最終連である。
この詩もそうであるが、茨木のり子の作品には、難しい語は一つも出てこな
い。日常生活の中から素材を取り出して、だれにでもわかる言葉で歌うこの詩
人は、健全な市民社会の代表ともいえるが、その健全な眼は、社会や我々の心
に潜むまちがった通念を遠慮なく指摘する鋭い批判の眼でもある 。「私のカメ
ラ」は、カメラに対して私たちが抱いている既成概念を一応認めた上でそれを
打破し、人間は、もっと一人一人、自分を信頼して個人的、個性的に生きるべ
きことを告げているのである。
茨木のり子の評論集『言の葉さやげ』の中に〈いつまでも忘れられない言葉
は、美しい言葉であるーー二っは殆んど同義語のように私には感じられてなら
ない。〉とあるが、これはなによりも茨木のり子自身の端正で力強く、しかも情
感に満ちた詩について語られる際に用いられてこそ、一番ふさわしい言葉とい
えそうである。(安宅夏夫)
(『現代詩の解釈と鑑賞事典』旺文社より)
紳林 習白
次の詩を読んで、後の問いに答えなさい。
乳母車
•三洛淳治
母よー
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並癇のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
麟々と私の乳母車を押せ
赤い総ある天鷲絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
108日语综合教程第六册
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道
dD 「そうそうと」について作者は、「擬音語」であると言っている。この詩の中
でもう一語効果的に使われている擬音語を抜き出しなさい。
dD 「そうそうと」とは、風のどのような感じを表現したものか、次の中から適
当なものを選びなさい。
ア激しい感じ イ 早い感じ ウ もの寂しい感じ
dB 「泣きぬれる夕陽」という表現方法を修辞上何と言うか。
「つめたき額」とあるが、額がつめたくなった理由を詩の中の言葉を使って
答えなさい。
dD 「季節は空を渡るなり」の意味を書きなさい。なお、「渡る」という言葉がこ
こに使用されているが、なぜ「渡る」が出てきたのかその理由についても書
きなさい。
意味:
理由:
(ED 第一連に「はてしなき並樹」という「道」をイメージする言葉があるが、第
四連の「はてしない道」とでは、どのような違いがあるか説明しなさい。
dD 第二連と第三連で、「私」が母に頼んでいること(呼びかけていること)は
何か、書きなさい。
(BB 「母」「私」「乳母車」「道」の四語を使ってこの詩の主題を書きなさい。
(1D 次の中から作者の詩集を三つ選んで記号で答えなさい。
ア 智恵子抄 イ 山羊の歌 ウ艸千里 エ 測量船 オ 春と修羅
カ純情小曲集キ若菜集 ク駱駝の瘤にまたがって
第4課詩四編109
文学・語学の豆知識
詩の味わい方
ー、詩の分類のしかた
(1) 文体(ことば)の上からみた分類
① 文語詩 文語調で書かれた詩で、明治初期から明治の末ごろまで
盛んに作られた。定型詩が多くこれに含まれる 。
② 口語詩 口語体で書かれた詩で、明治末期から現在に及んでい
る。自由詩はほとんどこの形体である。
(2) 内容の上からみた分類 ・
① 叙情詩 自分の気持ちや感情を主とした主観的な詩で 、感情が強
く表現されている詩、現代の詩は大部分がこれに属する。
② 叙事詩 物語や出来事をうたった詩で、小説のように筋を持って
いる。主観を述べず、内容を時間の順序に述べることが多く 、長
い詩が多い。(ダンテの『神曲』など)
③ 叙景詩 自然の景色の中に、美しさやさびしさを見い出して詩に
したもの。作者の感情は言葉の上では、はっきりでない。
④ 劇詩 詩を戯曲の形式で書いたもので、韻文体の対話が中心に
なっている。(シェークスピア、ゲーテの作品など)
(3) 形式の上からみた分類
① 定型詩現代詩の初期に流行した詩の形式で、文語調で書かれて
いるのがほとんどである。一句がきまった音数からなり、配列の
順序が一定の型にはまっているものをいう 。調子のうえから五七
調(藤村の「千曲川旅情の歌」)•七五調(「荒城の月」)•八五調・
七七調•五五調などがある。調べはやさしく、流麗である。
② 自由詩 字数・行数にこだわらないで、自由に自分の感情や思想
を歌ったもので、現在の詩はほとんど口語詩でこれに属してい
る。
③ 散文詩 普通の文章のような表現であるが、内容に詩的な情緒の
あるもので、詩としてのリズムを持っている。態度や言葉遣いに
散文との違いが見いだせる。(ツルゲーネフ「すずめ」など)
二、現代詩の表現技巧
① 対句 調子をととのえ、読者に強い印象を与える。
② 反復法 感動の力強いもりあがりを示す。
110日语综合教程第六册
③ 韻 美しいリズムが作られる。
④ 省略法余韻•余情がうまれる。
⑤ 体言止め 生き生きとした力強さが出る。
⑥ 倒置力強い呼びかけを示す。
⑦ 比喩 物事が的確に美しく読者に印象づけられる。
L読み物
ー、現代詩をどう読むか
•村野四郞
現代詩の本質を理解したり、作品を鑑賞したりすることは難しい、とー
般によく言われています。けれどもよく考えてみれば、現代詩ばかりでな
く、あらゆる芸術を理解したり鑑賞したりすること自体、そんなに易しい
ものではないでしょう。それはなぜかといえば、すべての芸術は常識とい
う意識の層の所産ではないからです。だれにも容易に理解できる通俗的な
意識の層を突き破って、その下層にある意識世界の表現でなければならな
いからです。
娯楽や趣味などは常識の層をかき回して、そこから生まれた日常的心理
のさざ波の表現にすぎませんから、だれにでもわからないというようなこ
とはないでしょう。
それだから、詩をそうした娯楽的なものと区別することを忘れ、やはり
寝ころがって聞いていればわかるものと思って、それで詩をわかりにくい
とすることは、鑑賞する者の側に本質的な錯誤があるのですから、それは
問題とするに足りません。詩に限らず、あらゆる芸術を理解しようとする
には、絶対に理解へのある種の抵抗は覚悟しなければならないこと、言い
換えれば、なんらかの精神的努力を傾けなければ理解できないことを、あ
らかじめ承知してかからなければならないはずです 。またそうした精神的
な努力を鑑賞者に要求するところにも、芸術の芸術たるゆえんがあるとも
いえましょう。芸術を理解しようとすることは、己を探り当てようとする
ことでもあるからです。
事実、現代詩は難しい。それが小説や戯曲に比べて、決して易しい文学
第4課詩四編11
とは言えないことは事実です。これは詩という文学の宿命で、その宿命は
まずその成立条件の中に胚胎しているといえます 。つまり、詩は圧縮され
凝縮された文学であること、したがってその表現は説明的 ・叙述的である
より、暗示的•飛躍的とならざるをえないこと、更にまたそのために、作
品を構成するそれぞれの言葉に、非常に大きくて複雑な意味の重圧が課せ
られねばならないこと、こうしたところにまず、詩という文学一般に共通
な難解性があるといえます。
元来、詩を鑑賞するということは、詩の中に述べられた思想を論理的に理
解するということだけではありません。それだけで済ませるものなら、なに
も詩は詩である必要がありません。真に詩を鑑賞するということは、思想や
感情がいかなる状態で表現されているか 、言い換えれば、それらが言葉の機
能によって、どんなに美的なものとして、「感じられる世界」に還元されて
いるかということを感受し、それを味わうことにあるといえましょう。
現代詩が歴史的に、遺伝的に受け継いできた諸性格を列記してみると、
その第一は象徴主義の朦朧性です 。対象を直接にそれ自体として指し示さ
ない。他のものの状況を描きながら雰囲気的な類推で、対象を暗示しょう
とする。すなわち直接的な記述の忌避。第二には表現主義、ダダイズムの
極端な個人的内面の叫喚的表現。第三には超現実主義の日常的•常識的な
連想の拒否と、潜在意識的なイメージの連結方法。こうした諸性格が、多
かれ少なかれ現代詩の詩的思考と表現方法の上に取り入れられ、詩を多分
に複雑で、個人的な意識の場とするに至ったということです。
このような諸性格は、近代という時代的環境が必然的に文学表現に要求
したもので、言い換えれば、このような方法でなくては、この新しい時代
に生きる自己を完全に表現できなくなったということでもあります。
そして、こうした諸性格が生まれてきたその根源には一様に、心理分析学
の線に沿った近代的自我意識の目覚めというものが横たわっているのです。
例えば、詩人が悲しいと感じた時、詩人はもはや以前のように悲しそう
な情緒を流露しただけでは済まされない 。ただそうした気分に酔うことに
よって自分を完全に表現しえたとは考えない。悲しいという意識は瞬間に
鋭い自意識によって分析され、その中から自己を確認しなければ、これを
表現に移そうとはしない。この分析の営みの中にあらゆる知的な近代精神
が動員されるという経路をたどります。
つまり現代詩においては、古い抒情的作品にみられるように、情感をた
だわけもなく流し出すという方法でなく、それは一時、知性(批評的意識
といってもいい)によってチェックされた後 、新しい一つの情緒の世界を
「創りだす」という方法にとって代わられたとみられます。ここから、「何を
112日语综合教程第六册
表現したか」ということより「いかに表現したか」という、現代詩の重要
なー性格が生まれでてきているわけです 。そしてこの創造過程に参加する
知性の働きが、現代詩に従来の詩にみられなかったような複雑な論理性を
与えるようになったとみられます。
日本詩史の上で、本当に現代詩らしい現代詩の原型を最初に示したのは、
高村光太郎あたりではないかと思います。それは自我意識の様相について
も、語法についても、このことはいえると思います。そうした意味で、光
太郎の記念的作品でもあり、日本現代詩の記念的作品でもある、あの有名
な詩「道程」を一つのサンプルとして考えてみましょう 。
道程
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
(『道程』)
この作品は、光太郎が若い日のデカダンスの夢の中から、新しい自我に
目覚めて立ち上がった時の作品で、’この中にはもはや古い時代の情緒的陶
酔は、どこにもありません。そしてそのストイックな感情の世界に、縦横
に張りわたされているのは、理知的な意志の鉄骨です。この作品の美しさ、
現代詩のもつ特殊のおもしろさは、人生の道程を前にした若人の清らかで
強い決意そのものではなくて、遠い道を前にした一人の男、どうやら独り
立ちのできるようになった白い足の青年、何かに頼らなければ前に進めな
いことを知っている気の弱い、しかも清純で謙譲なー人の青年の姿と、彼
の切実な語調をこめた独白とが、現前するようなイメージとしてドラマ化
されているところにあるといえましょう。
作者の知性が、単なる理屈としてでなく、劇的なものとして読者に感じら
れるように造型されたところに、はっきりと現代詩の性格をみることができ
ます。最後の二行のリフレーンは、その声調やポーズに多分にまだローマン
主義的•抒情的な余韻を響かせていますが 、現代詩としても、彼の作品とし
ても、これは初期的作品ですから、それもやむをえないところでしょう。
次に、光太郎とともに、大正期の詩に内面的にも形式的にも現代詩的な
性格を確立した萩原朔太郎の短い詩をー編取りあげてみましょう。
第4課詩四編 113
蛙の死
蛙が殺された、
子供がまるくなって手をあげた、
みんないっしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。
(『月に吠える』)
この詩にも、漠然とした忘我の抒情はもうありません。黄昏の一つの情緒
は、激しい自意識によって分解され、その中に対象は痛いように明確な形
象を露出させています。
そしてそれらの形象は、新しく一つの点景的なイメージのドラマを創りだ
しています。しかもこの可憐な「殺し場」のドラマは、その背後に、読者を
して十分に、世界の陰惨や人間の運命的な原罪意識を喚起させるような意味
の世界を、二重写しに定着させているのをみます 。つまり描きだされたイ
メージに、作者の批評的知覚を物語らせているともいえるでしょう。また批
評は感じられるものとして、イメ Jジに還元されているともいえます。
こうした光太郎や朔太郎の詩は、現代詩の先駆的作品ですから、その構
造はまだまだ簡単で素朴ですが、その後三十年にわたる外的条件の激しい
変化と、それに対応する現代詩人の意識は、彼らが書く作品の内部的構造
をいっそう複雑にしています。
(『高校国語n 新訂』教育出版株式会社より)
村野四郎(むらの しろう)(1901-1975)
日本の詩人。日本東京都に生まれた。事物を即物的、客観的にとらえ、それを明確なイ
メージによって知的に表現した。詩集に『体操詩集』『抒情飛行』『実在の岸辺』などがあ
る。
二、詩二編 •中原中任
(一)一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
114日语综合教程第六册
それに陽は、さらさらと、
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な固体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に 、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
(高校『国語I改訂版』大修館書店より)
中原中也(なかはら ちゅうや)(1907-1937)
日季の詩人。日本山口県に生まれた。フランス象徴派詩人たち、特にヴェルレーヌに作風
のうえで親近性がある。主な作品には、詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』、翻訳『ランボオ
詩集』などがある。「一つのメルヘン」は詩集『在りし日の歌』(1938年刊)に収められた詩
である。
(二)I was bom 吉野虱
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄の奥から浮き出
るように白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかっ
た。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを腹のあたりに連想しそれがやが
て 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさし
<〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
---- やっぱりI was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
第4課詩四編115
------ 1 was bomさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自
分の意志ではないんだね——。
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気と
して父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕
にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
——蜉蟾という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら
一体何の為に世の中へ出てくるのかとそんな事がひどく気になった頃があっ
てね----
僕は父を見た。父は続けた。
——友人にその話をしたら 或日 これが 蜉婉の雌だと言って拡大鏡で見せて
くれた。説明によると口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いて
も入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが、卵だけは腹
の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはま
るで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげ
ているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向
いて
〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね——〉。そんなことがあっ
てから間もなくの事だったんだよ お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれ
たのは—— 〇
父の話のそれからあとは、もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく
僕の脳裡に灼きついたものがあった。
——ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体—— 〇
(『現代詩の解釈と鑑賞事典』旺文社より)
吉野弘(よしの ひろし)(1926-2014)
日本の詩人。日本山形県に生まれた。『感傷旅行』『虹の足』『北入曾』『風が吹くと』など
の詩集や詩画集がある。
116 日语综合教程第六册
第uR 課
& 本・文 東京回顧写真展
—j—一— ............ .......... 一—.—・一
•小弛真理千!
私はいま、都心とは反対方向に向かう電車に乗っている 。冷房の効いた車
内に、乗客はまばらである。
梅雨が明けたと思ったら、連日三十五度近くまで気温が上がる猛暑が始
まった。白茶けたような濁った色を見せているものの、今日も東京の空には
雲ひとつない。日差しは強く、そのせいか、窓の外を流れる景色は不自然に
鮮やかで、強すぎるライトを浴びた舞台の書き割りのように見える 。
これから会いに行こうとしている人物が、何故、これほど私をとらえてや
まないのか、わからない。会ってどうする、と何度も自問してみた。何を話
すのか。何を聞いてもらいたいのか 。何を言ってもらいたいのか 。
答えは出なかった。話したいことは何もなかった。聞かせたいことも、言っ
てもらいたいことも何ひとつなかった。わたしはただ、その人に会いたいと
思っているだけだった。
郊外の小さな駅に着き、幾人かの乗客が降りて行った。開いた扉の向こう
に、線路に沿って咲き乱れる夥しい数の向日葵の花が見えた 。プラットホー
ムを去って行く初老の婦人が、向日葵に向かって勢いよく白いパラソルを開
いた。
次の駅でも似たような光景が繰り返された。その次の駅でも。またさらに
その次の駅でも。
だが、新たに乗ってくる乗客は少なくなっていった 。客は降りて行くだけ
で、気がつくと車両には、私を含め数人しか残っていない。
……それでも電車は夏の光の中を走り続けている 。
一ヶ月ほど前の木曜日のことである 。
勤め先の学校が創立記念日で休みになり、雨の日だったが、午後になって
から私は渋谷まで出かけた。世話になった医師に、どうしても心ばかりの礼
第5課東京回顧写真展117
の品物を贈っておきたかったからである 。
明け方になって、夫が急に胸が苦しいと言い出した時、その開業医はいや
な顔ひとつせずに診てくれた。疲れからくる不整脈だろう、心配いらないと
言われ、精神安定剤を処方された。早朝からたたき起こしてしまったことを
あやまると、医師は、どうせゴルフで早起きしなけりやいけなかったから、と
言って豪快に笑った。
その医師と親しくなったのは三年ほど前。もとより身体があまり丈夫では
ない夫が、具合が悪くなったといっては通いつめているうちに 、世間話に興
じるようになった。同世代同士の気安さか。以来、何かというと優先的に診
てもらえるようになった。
かなりのゴルフ好きで、僕が手にするものは二つしかない 、聴診器かゴル
フクラブだ、などと言っては笑わせてくれる。贈るものはあらかじめ決めて
あった。私はデパートの紳士服売場に行き、ゴルフウェア用の萌葱色のポロ
シャツを包んでもらった。
そういう時に限って、日頃、不義理を重ねている知人の顔が次々に頭に浮
かぶものなのかもしれない。知人から新茶を送ってもらい、電話で礼を言っ
たものの、そのままになっていたことを思い出したり、かと思えば、先頃、結
婚して勤めをやめたばかりの同僚の若い女性が 、新婚旅行先のミラノで美し
いスカーフをみやげに買ってきてくれたことを連鎖反応式に思い出したりし
た。
私は、中学校から短大までそろった私立の女子校に勤めている。といって
も、教師ではない。学校には別棟になっている大きな図書館が建っていて、私
はそこで働く学校司書である。
日頃、華やいだものとは無縁の生活を送っているせいか 、久しぶりに街に
出て、何か気のきいた物を買おうとすると、何にすればいいのかわからず、途
方に暮れる。デパートを地下一階から地上六階まで、二度も往復し、知人に
は老舗の和菓子屋の水羊羹、同僚の女性には涼しげなー輪差しを贈ることに
決めた時、すでに時刻は三時をまわっていた 。
日曜日以外で休みがとれた貴重な一日だというのに、何やら雑事に追われ
て終わってしまいそうな焦りにも似た気持ちにかりたてられた。品物の支払
いと発送手続きをすませると、私はデパートを出て、駅前にある大型書店へ
向かった。
司書になってから、早くも二十年たっている。毎日毎日、図書館で本に囲
まれた生活をしていながら、何も休みの日に書店めぐりをしなくてもよさそ
うなものだ、と誰もが言う。新刊書を眺め、そのうちの何冊かを手に取って
はページをめくり、次に作家別に並べられた棚をひととおり見て歩く 。小説、
ノンフィクション、文庫本、評論、詩歌、全集……順番に店内を一巡するの
118日语综合教程第六册
に、一時間ですんだためしはない。それは、私のささやかな、欠かすことの
できない楽しみのひとつであった。
時には、長い間探していた本、古書店をまわる以外、手にいれる方法が見
つからなくなってしまった本とふいにめぐり合うこともあった 。•どういう風
向きなのか、出版社が古い本を復刻版として出してくれることが多くなった
せいであるQ本好きの快楽、と一言で言い切るのも癩なのだが、そんな本と
出会うとやはり、快楽を感じないではいられない。
その日も同じだった。ずいぶん前からほしいと思っていて、いつのまにか
見かけなくなってしまった厚手のイギリスの翻訳小説が、復刻版として新刊
コーナーの片隅に並んでいた。
手にとったとたん、どうしてもほしくなった 。上下巻合わせて七千六百円 。
学校図書館用の希望図書リストに入れておけば、何の問題もなく受け入れら
れるであろうことはわかっていた。だが、図書館の本はあくまでも図書館の
本であって私有物ではない 。
少々、値段が張るのを気にしつつも、私は本を手にレジに並んだ。
あの時、レジカウンターにいた女店員がベテランで、きびきびした応対を
してくれていたら、私は生涯、二度と、あの記憶をこれほど生々しく甦らせ
ることはなかったかもしれない。たまに掘り返してみることはあっても 、記
憶は次第にぼんやりと輪郭を失って定かではなくなり 、現実にあったことな
のか、夢に見たことにすぎないのか 、区別がつかなくなっていったに違いな
いのだ。そして、やがては若かったころの幾千幾万の苦い思い出と共に 、小
箱の中に閉じ込め、封印してしまうこともできたはずなのである。
だが、私の応対に当たったその女店員は、入店して間もないと思われる新
米だった。いや、ひょっとすると、学生アルバイトだったのかもしれない。彼
女は代金の計算を間違えたばかりではなく 、ブックカバーをかけようとした
時に不要な折り目をつけてしまい、やり直さねばならなくなった。
女店員は、顔を赤らめながら、私に向かって何度も「すみません」と繰り
返した。極度に緊張している様子だった。
正視するのは気の毒だった。私は彼女の失態に気づかなかったふりをしな
がら、ぼんやりとレジカウンターに並べられているものを眺めていた 。
いろいろなものが目に入った。某、英会話教材の広告パンフレット 、タレ
ントの署名入りのエッセイ集、発売されたばかりの中高年向け月刊誌 。
写真展の割引入場券は、カウンターの片隅に置かれていた。プラスチック
の、何の変哲もない円筒形の筆立てのようなものに 、束になって押し込まれ
ていただけだったと思う。
入れ物には「ご自由にお取りください」と書かれた紙が貼ってあった。紙
を貼りつけてあるセロハンテープは半分剥がれ 、剥がれた部分には埃とも手
第5課東京回顧写真展119
垢ともつかない汚れが付着していた。
何故という理由もなく、私は一枚、引き抜いてみた。〈東京回顧写真展 過
ぎ去りし宴〉とあった。
写真家の名は小寺行秀。聞いたことも見たこともない、私の知らない名前
だった。
全国にチェーン店をもつ、その大型書店の協賛で、二週間にわたって開か
れていたらしい。日付を見ると、その日が最終日だった。
「これ、いただいていきますよ」
カバーをかけ終えた本を受け取りながら 、私は若い女店員に言った。彼女
は「どうぞ」と言ったが、早くも次の客から数冊の本を手渡され 、代金の計
算をし始めていて、上の空だった。
この入場券を持参すると、おとな四百円の入場料金が三百五十円になりま
す……券にはそう書かれてあった。
五十円安くなるから、という理由で、名も知らぬ写真家の写真展を覗いて
行く気になったわけではない。そもそも、何故、割引入場券を手にとったの
かも不明である。「東京回顧」という言葉に、四十も半ばを過ぎた私が郷愁を
覚えたからか。それとも、「過ぎ去りし宴」という写真展のタイトルに気を惹
かれたからか。
その両方だったような気もするし、どちらでもなかったような気もする 。
雨の日の休日、すべて用がすんだからといって、これから夕食用の惣菜など
を買いそろえ、電車に乗り、降りてからまたバスに乗り、そんなふうにして
当たり前のように家に帰るのが、突然いやになったからかもしれない 。
写真展は、そのビルの最上階にあるギャラリーで開かれていた。私はエレ
ベーターを使って六階まで上った 。
買物客で賑わう他のフロアと異なり、六階は閑散としていて静かだった。
エレベーターを降りるとホールをはさんで右側がギャラリー 、左側はガラス
で仕切られただけの、何もない空間になっている。貸し店舗らしく、ガラス
のあちこちにテナント募集中の貼り紙が貼られ、掃除に手が回らないのか、
どことなく埃がたっているように見えるのが住びしげだった 。
ギャラリーの入口付近に人の気配はなかった。白いテーブルクロスがかけ
られた机の上に一つと、机の脇の床の上に二つ、それぞれ、けばけばしい色
の花で埋め尽くされた籠が置かれていたが、花の大半は生気を失い、萎れか
けていた。
机から離れた衝立の陰で、中年の男がひとり、まるで人目を避けるように
背を丸めて椅子に座り、厚手の本を読みふけっているのが目に入った 。くた
びれた感じのする紺色のサマージャケットを着て、ジーンズをはいている。
場違いと思われるほど気むずかしそうな視線が、本のページの上を泳ぎま
120 日语综合教程第六册
わっていて、どこか近づきがたいような印象があった。
男が私を見つけてのっそりと立ち上がったので、私は軽く会釈をした。割
引券と一緒に四百円を差し出すと、男は白いクロスのかかった机の下を覗き
込み、四角い菓子の缶を取り出して 、中から五十円の釣銭を返してきた。
どうも、と私が言うと、「ごゆっくり」と男は早口で言った。そして、にこ
りともせずに椅子に戻り、再び本に目を落とし始めた。客は私以外、誰もい
なかった。
黒いスチール製のフレームに収められた写真は 、撮影年度順に展示されて
あった。すべてモノクロ写真で、タイトル通り〃過ぎ去りし宴〃だけで構成さ
れている写真展のようだった。誰かの結婚披露宴、新宿駅西口での反戦
フォーク集会、誰かの通夜、忘年会とおぼしき大衆酒場でのどんちゃん騒ぎ、
全共闘系学生による街頭デモと集会、政治家が開いたホテルでのパーティー
風景、川べりでの花見の賑わい、グループサウンズの公演で熱狂している少
女たち。渋谷で初めて行われたウーマンリブの大会……。
作品を解説するパンフレットのようなものはどこにも置かれていなかった 。
展示されている写真の脇に、わずか数行の説明文のようなものが書かれた白
いプレートが貼ってあるだけである。しかもそれは、撮影日時や場所を細か
く特定しているわけではなく、例えば、「一九六九年秋。新宿駅西口にて。反
戦/フォーク集会」といった具合の、きわめて簡素なものでしかなかった。
全部で六、七十点ほどだったろうか。興味をそそられる写真ばかりだった
とは言いがたい。展示されている写真には、素人くさいスナップ写真も数多
く混ざっていた。また、何故、この写真にわざわざ〃回顧〃という意味をも
たせる必要があったのだろう、と思われるものもあった。
さしたる説明文がなかったせいか。時代を物語る風景が、私のような年代
の者にとってはありふれたものばかりだったせいか。過ぎ去った時代への感
傷めいたものはさほど味わうことができなかった 。むろん、専門家が見れば、
違ったものを見いだすことができたのかもしれない。だが、写真に門外漢の
私には難しかった。
ギャラリーの奥に窓が見えた。天井まである大きな窓で、外の様子がよく
わかった。雨足はさっきよりも強くなったようだった。相変わらず、客は私
だけだった。
腕時計を覗いた。残る写真は数点だけになっていた。急いで残りを見て早
く帰ろう、と私は思った。
足を速めながら一枚一枚、見ていくうちに、ふと私は歩みを止めた。初め
は何なのかわからなかった。それはただ単に、他の多くの写真と同様、大勢
の人間が雑多にいりまじって写っているだけの写真にすぎなかった 。
なのに私の頭は、写真の内容を読み取る前にそのすべてを把握していた。
第5課東京回顧写真展 121
ぐらりと頭が揺れた。
「ー九七八年秋。東京郊外の家。新築記念のガーデンパーティー」……説明
にはそう書かれていた。
息をのみながら、写し出されている風景に目をこらした。見たことのある
写真だった。それどころか、そこに写っている家は、私が知っている家だっ
た。或る意味で、私の愛した人を象徴してやまない家だった。
正面に、天井までの高さのある両開きの大きな窓が三つ 。完全に洋館仕立
てになっている。観音開きに開け放された窓の外には幅広いテラスが伸びて
おり、そこでは幾つかのテーブルを囲んで、十二、三名の着飾った人々が歓
談している。テラスから四段ほどの階段を降りたところが庭で 、ここでもま
た、十数人の人々が、立ったままグラスを手に談笑している 。
よく晴れた日で、人々の影が長く地面に伸びている。晩秋の日差しに満ち
た午後の風景。東京郊外に建てられた、贅を尽くした家の新築記念パー
ティー.... 〇
庭で立ったまま談笑している人々の中に 、忘れようとしても忘れることの
できない人々の顔が見える。袴田亮介•阿佐緒夫妻。そして秋葉正已……。
画面左手の隅のほうで、正巳はシャンペングラスを手に、カメラに左半身
を見せながら退屈そうに空に向かって煙草をふかしている。誰も彼に話しか
けておらず、彼もまた、誰かに愛想をふりまこうとはしていない。意地になつ
て孤独を守り抜こうとしているように見える 。
一方、袴田夫妻は画面の右端にいて、居合わせた客に向かって愛想よく笑
みを投げかけている。夫妻のまわりには、華やいだ人垣ができている。対照
的な雰囲気をたたえた男と女が、それぞれ画面の両端にとらえられているせ
いで、写真は奇妙にシンメトリーな構図を描いているように見える 。
覚えている。すべて覚えている。
あの日、阿佐緒は寒がっていた。日差しは強かったとはいえ、時折、吹き
抜けていく風が思いのほか冷たい日だった。七分袖になった美しい芥子色の
ワンピースを着ていた阿佐緒は、客の目にふれないところで両腕をこすって
は「鳥肌が立っちゃう」と言って笑ったものだ。
あの日、私もこの家のどこかにいた。どこかにいて、これと同じ風景を見
ていたはずだった。
そう思うと、ふいに床がゆるやかに波打って、立っていられなくなるよう
な錯覚にとらわれた。
前略
手紙をありがとう。まさかあのような場所で、あなたと会うとは思っても
みなかったので驚きました。八年ぶりだったそうですが、確かに計算してみ
122日语综合教程第六册
ると、その通りですね。早いものです。
そのうち、僕のほうから連絡するっもりでいたのですが 、ここのところ仕
事が重なり、遅くまで帰れない日が続いて 、休日は阿呆のようにぼんやりす
るばかりでした。あなたに限らず、誰かに手紙を書くことはおろか、電話を
する気力もわかず、それでいながら自分でも説明のつかない漠然とした焦燥
感にかりたてられて、じっとしていられない日々が続いていたところです。
ともあれ、そんな折だったこともあり、手紙は本当に嬉しく拝見しました 。
あなたが手紙の中で指摘していた通り、僕はああいう華やいだ場所は苦手
で、逃げるように帰ってしまったくせに ……そして、ろくに阿佐緒と話もし
なかったというのに、僕の中に巣くう阿佐緒の面影は 、あの日以来、ますま
す大きくなってしまったような気がしています 。いい年をした男が、餓鬼の
ころからの淡い思いを未だに引きずっているというのは恥ずべきことに違い
ありません。ですが、正直なところ、あんなパーティーには誘われても行か
なければよかった、と後悔にかられる始末。
いや、むしろそれよりも、あの馬鹿げたほど大きな家の庭造りを頼まれた
時、どうしてうちの父親が二つ返事で0Kしようとするのを阻止できなかっ
たのか、と悔やんでさえいます。袴田さんの妻が阿佐緒であることを知って
いたら、僕は親父を殴り倒してでも、庭造りを辞めさせていたに違いない。秋
葉造園には他にも仕事はある。何もよりによって、袴田邸の庭を引き受ける
必要はなかったんです。
こんなことを言っても、今さら遅いということはわかっています。それに
僕は、現実にはまったく別のことをやった。親父が引き受けた仕事先に阿佐
緒が住むことになっていると知り、いてもたってもいられなくなって、親父
と共に袴田邸に通いつめたのですからね。哀れというよりは滑稽です。我な
がら呆れます。
それにしても、あなたにしかこんな打ち明け話はできない。ここまで読み
終えて、苦笑しているあなたの顔が目に浮かぶ。笑うのなら、笑ってほしい。
僕はもともと、あなたの前ではどういうわけか、隠し事ができなかった。あ
なたが僕の露悪趣味を引き出したのか 、それとも、もともと僕の中に潜在的
にあなたに対する特殊な甘えがあったのか、そのあたりのことは定かではあ
りません。
ともかく、僕はあなたに会うとどういうわけか、自分を暴露したくなる。さ
ぞかし、あなたは迷惑なことでしょう。申し訳ないと思いつつ、今もこうし
て、ひとたびあなたに向けて言葉を発し始めると 、尽きることなく語り続け
ていたくなる自分を感じてとまどっている次第 。
学校図書館の司書をなさっているとのこと。いかにもあなたらしい、と思
いました。中学時代、あなたはいつもどこか怖いような印象がありましたが 、
第5課東京回顧写真展123
それはどこにでもいる単なるガリ勉少女の、鎧で固めたような怖さではな
かった。あなたにはあのころから、あなた自身の世界があった。少年にとつ
て、そんな少女は不可解で怖いものなのです。でも、あれほど不可解だった
あなたに、僕はまっさきに自分を打ち明けることになったんですからね。そ
こに、どんな心理のからくりが働いたものやら、考えてみれば不思議です 。
毎日の力仕事のせいで、筋肉ばかりが発達し、精神のほうは追いつきませ
ん。精神なんぞ、いっそ麻痺してくれればいい、と願っているのですが……
現実はかなわず、三文の値打ちもないくだらない神経が、愚かしくも研ぎ澄
まされていくばかりです。
しかし、それにしても、週刊誌に載ったあの写真には心底、参りました。ま
さか僕まで写ってるとは夢にも思わなかったですからね。阿佐緒は有名人と
結婚していたのだ、とつくづく思い知らされた次第です。有名な変人、と言
い換えてもいいですが。しかし、僕はあの変人は嫌いではない。
またいずれ、連絡します。
ー九七八年十二月二日
秋葉正巳
青田類子様
(『欲望』新潮社1997年7月より。本文のタイトルは編集者がつけたものである。)
9注釈
〇小池真理子(こいけまりこ)
1952年東京都に生まれた。日本成蹊大学国文科卒業。1989年に『妻の友達』で日本推理作家協会
賞受賞、1998年に『恋』で直木賞受賞。本作品で1998年島清恋愛文学賞受賞。
❷ 全共闘(ぜんきょうとう) 日本全学共斗会议
全学共闘会議の略。1968、1969年の日本大学闘争時に生まれた学生の闘争組織。1969年9月大学
闘争が警察力で解体させられた。日本全国大学の各全共闘と新左翼8派が集まり全国全共闘が結
成されたが、その後、一部は過激グループや住民運動などに入り込んだ。
新しし、言葉
猛暑(もうしょ) [名] きびしい暑さ。ひどい暑さ。/酷暑。
白茶ける(しらちやける) [自ー] 色があせて白っぽくなる。/退色发白。
ライト(light) [名] 光線。照明。/照明,灯;光线。
書き割り(かきわり) [名] 芝居の舞台で、建物・座敷•景色などを描いた
124日语综合教程第六册
もの。大道具の一つ。/布景。
扉(とびら) [名] 引き戸。開き戸。/门,门扇。
咲き乱れる(さきみだれる) [自ー] 一面に美しく咲く。/盛开,开得十分灿烂。
向日葵(ひまわり) [名] 菊科の一年草。北アメリカ原産。8月〜9月、茎
の先に黄色の大きな花をつけ、観賞用。種は食
パラソル(parasol) 用・採油用。/向日葵。
明け方(あけがた) [名] 洋風の婦大用日がさ。/太阳伞。
[名] 夜が明けようとする頃。/黎明,拂晓。
不整脈(ふせいみやく) [名] 脈が規則正しくないこと。/脉搏紊乱,脉搏不
整。
早朝(そうちょう) [名] 朝早いころ。明け方。/早晨,清晨。
叩き起こす(たたきおこす) [他五] 戸などをたたいて眠っている家人を起こす。
転じて眠っている大を無理に起こすこと。Z
叫醒。
通いつめる(かよいつめる) [自ー] いつも行き来する。/经常来往。
興じる(きょうじる) [自ー] 「興ずる」とも。ある物事をおもしろがり楽し
む。/感觉有趣,感觉愉快。
ゴルフウェア(golfwear) [名] ゴルフをするときに着る服。/高尔夫球月艮。
萌葱色(もえぎいろ) [名] (芽が出たばかりの葱のような)黄色がかった緑
色。薄緑色。/黄绿色,葱绿色。
ポロシャツ(polo shirt) [名] 半袖で、共えりのスポーツシャツ。ふつう前が
途中まであいていて二つまたは三つのボタンで
とめる。/开领短袖式衬衫。
不義理(ふぎり) [名・形動] 大に対して、交際上当然なすべきことをしない
こと。また、その行い。特に借金を返さないで
いること。/对不起人,忘恩负义;欠债不还。
先頃(さきごろ) [名] この間。/前些日子
ミラノ (Milano) [名] イタリアの都市名。/(地名)(意大利)米兰。
一つの事件の発生をきっかけとして次々に同類
連鎖反応(れんさはんのう) [名]
の事件が誘発されること。/连锁反应。
別棟(べつむね) [名]' 棟を別にしている建物。/另ー栋房子。
司書(ししょ) [名] 図書館などで書物の整理・保管などの専門的な
事務をする職員。また、その資格。/图书管理
员。
華やぐ(はなやぐ) [自五] 明るく華やかになる。/热闹起来,富有生机,昌
盛
第5課東京回顧写真展125
無縁(むえん) [名・形動] 縁がないこと。関係がないこと。/无缘。
老舗(しにせ) [名] 同じ商売で先祖代々続き、客の信用を得て繁盛
している店。/老店,老字号。
水羊羹(みずようかん) [名] 寒天を多く加え、水分の多い羊羹。/ (水分多的)
羊羹。
一輪差し(一輪挿し/いち [名] ー、二輪の草花を生ける小さな花器。/(可以插
りんざし) ー两朵花的)小花瓶。
何やら(なにやら) [副] 何かしら。何だか。/总觉得。
焦る(あせる) [自五] (早く思いどおりにならないかと)いらいら気
を揉む。/焦急,焦躁。
駆り立てる(かりたてる) [他ー] 人を促して何かをしなければ(どこかへ行か
なければ)ならないような状態にさせる。/迫
使,驱使,逼迫。
発送(はっそう) [名・他サ] 郵便物・荷物などを送り出すこと。/邮寄,寄
送。
書店めぐり(しょてんめ [名] 本屋をめぐってまわる。/逛书店。
ぐり)
新刊書(しんかんしょ) [名] 新しく発行する本。/新书。
ノンフィクション(nonfiction) [名] 虚構のまじらない読み物。/非小说类文学,非
虚构作品;纪实文学,扌艮告文学。
文庫本(ぶんこぼん) [名] 出版物の形式の一つ。一般に普及させる目的で
出される小型(A6判)で簡単な装丁の、廉価な
叢書。/袖珍本丛书。
ささやか [形動] ①規模などが小さくぼそぼそしている様子。こ
ぢんまりとして目立たないようす。/细小的,小
规模的,小小的。②わずかな様子。/微薄的。
復刻版(ふっこくばん) [名] 版本を再刊する場合、前と同じ体裁の版を作っ
て原本どおり作製すること。/再版书。
癩(しゃく) [名・形動] 不愉快で、腹が立ってむしやくしやすること。/
使人发火,令人生气。
値段が張る(ねだんがはる) [連語] 値段が高くつく。/价钱过高。
レジカウンター(register [名] 金銭登録機を扱う受付台。/收款处,收银台。
counter) [名] その道に長年の経験があり、熟達した人。/老
ベ7"フ ン(veteran)
手,老把式。
きびきび [副] (副詞は「と」の形でも使う)態度•言動などが
元気よく、敏速でしまりのある様子。/麻利,
126日语综合教程第六册
利落。
輪郭(りんかく) [名] ①物の周囲の形を表す線。/轮廓。②物事のあ
らまし。/概要。
定か(さだか) [形動] 文語。はっきりしている様子。確かな様子。/
清楚,明确。
封印(ふういん) [名・自他サ]封をした所にその証として印を押したりつけた
りすること。また、その印。/贴封条,加封印。
新米(しんまい) [名] 新たに従事したばかりで、まだその事に十分慣
れていない人。/新人,新手,生手。
ブックカバー (book cover) [名] 本の表紙にかぶせる、紙・布・ビニール製のお
おい。本の保護•美観を目的とする。/(书的)
护封。书皮。
折り目(おりめ) [名] ものを折ったときにできる二つの面の境目。筋
目。/折痕。
顔を赤らめる(かおをあか [連語] 顔を赤くする。/脸红。
らめる)
某(しおり) [名] ①そこを通ったという覚えのために、草木の枝
を折り曲げて目印として置くこと。/折断树枝
做路标。②読みかけの書物に印としてはさむ紙
など。/书签。
パンフレット(pamphlet) [名] 宣伝や説明をのせた、仮とじの薄い本。/小册
子。
タレント(talent) [名] 俳優・歌手•司会者など、ラジオ•テレビの芸
能番組に出演する人。また、その中でも特に、
多芸で人気を集めている人。/ (电视、广播中常
出现的)演出者,广播员,节目主持人(包括常出
现的文化名人等)〇
エッセイ集(essayしゅう) [名] 随筆・随想集。/散文集。
何の変哲もない(なんのへ [連語] 特に取り立てて言うほどのこともない。普通
んてつもない) と変わったところもない。/平淡无奇。
筆立て(ふでたて) [名] 筆•鉛筆などをさしてたてておく筒形の用具。/
笔筒。
セロハンテープ(cellophane [名] セロハンの片面に接着剤を塗って作った接着
tape) 用の透明なテープ。/透明胶带。
剥ぐ(はぐ) [他五] ①上にかぶっているものをむきとる。はが
す。/剥下,揭下。②身につけているものを
取り去る。脱がす。/扒下,扒去。③官位など
第5課東京回顧写真展127
を無理に取り上げる。奪い取る。/剥夺。
手垢(てあか) [名] 手の垢。手が触れてついた汚れ。/手上的油污。
宴(うたげ) [名] (雅語)酒盛り。宴会。酒宴。/宴,宴会。
チェーン店(chainてん) [名] チェーンストアともいう。共同大量仕入れ・共
同広告・共同設備による小売店の集団。連鎖
店。/连锁店。
協賛(きょうさん) [名•自他サ] ある計画などに賛成し、その実現のために援助
すること。/赞助。
上の空(うわのそら) [名・形動] ほかの事に心が奪われて、目の前のことに注意
が向かないこと。/心不在焉。
持参(じさん) [名・他サ] 必要な(指定された)金品を用意してその場に
行く。Z自备。
タイトノレ(title) [名] ①(書物・映画などの)表題。題名。/标题。②
映画の字幕。/字幕。
惣菜(そうざい) [名] 普段の食事のおかず。副食物。/家常菜;副食。
ギャラリー (gallery) [名] 美術品を陳列する部屋。画廊。/美术馆,美术
展览室,画廊。
フロア(floor) [名] 階。/楼面。
ホール(hall) [名] ①大広間。/大厅。②公会堂。集合所。/会场。
③「ダンスホール」の略。/舞厅。
貸し店舗(かしてんぽ) [名] 貸し出す店。/出租的店铺。
テナント募集中(tenantぼ [名] 家屋•店舗・土地などの借り手を集めている
しゆうちゅう) ところ。/(正在)招租。
手が回る(てがまわる) [慣] 処置・世話などが行き届く。/照顾得周到。
住びしい(わびしい) [形] 風景などがさびしくもの静かな趣がある。/寂
寞,冷清。
テーブルクロス(table cloth) [名] テーブルにかける布類。テーブルかけ。/台布,
桌布。
けばけばしい [形] ひどく派手で人目を引く様子である。/花花绿
绿的,花里胡哨的。
萎れる(しおれる) [自ー] ①草花が生気を失って萎む。/枯萎。②カが抜
けて弱る。/蔦。
衝立(ついたて) [名] 「衝立障子」の略。/屏风。
くたびれる(草臥れる) [自ー] ①体を使いすぎてこれ以上働くのがいやにな
る。/腻烦。②長いときを経て、若々しさがな
くなり、気力が衰える。/疲乏。
128 日语综合教程第六册
紺色(こんいろ) [名] 青と紫とを合わせた色。/深藏青色。
サマージャケット [名] 夏に着るコートに似て、丈の短い上着。/夏
(summer jacket) 天穿的夹克衫。
場違い(ばちがい) [名・形動] ①そのことをすべき場所でないこと。/不适场
合的。②本場の品物でないこと。/不地道的。
気難しい(きむずかしい) [形] 親しみにくい。扱いにくい。/不和悦,难侍候。
のっそり [副] (副詞は「と」の形でも使う)動作がのろい
様子。ぼんやりと立っている様子。/动作迟钝;
呆立在面前。
会釈(えしやく) [名・自サ] 浅く頭を下げて礼をする。/点头,打招呼。
にこりともせずに
[連語] ちっとも笑わない。/不苟言笑。
スチー ノレ製(steelせい) [名] 鉄鋼でできたもの。/钢制的。
フレーム(frame) [名] 枠。ふち。/像框。
モノクロ(monochrome) [名] (「モノクローム」の略)白黒の画面や映像作
品。/黑白照片。
フォーク(folk) [名] 民衆。Z民众。
通夜(つや) [名] 死者を葬る前に、死者の親類・縁者が棺を守っ
て一夜を明かすこと。/守灵。
思しき(おぼしき) [名] •••と考えられる。…と思われる。/好像是,仿
佛是。
大衆酒場(たいしゅうさか [名] 一般の人々が行く酒を飲むところ。/小酒馆。
ば)
どんちゃん騒ぎ(どんちや [名・自サ] 酒を飲み、大いに歌い騒ぐこと。/喝呀唱呀
んさわぎ) 地大闹。
街頭デモ(がいとうdemon [名] まちの通りでの行進や集会。/街头示威游行。
stration) [名] 川のふち。川ぶち。/河边,河畔。
川べり(かわべり)
グループサウンズ [名] エレキギターを中心楽器として、数人で編成
(group sounds) したロックグループの総称。/(由4~5人组成
的)摇滚小乐队。
ウーマンリブ(women's lib) [名] 女性解放運動。/妇女解放运动。
板。金属板。看板。/板,金属板,招牌。
プレート(plate) [名] 非正式に取った写真。/随意拍的照片。
(文語。打消しの語を伴う)特にこれというほど
スナップ写真(snapしやしん) [名]
さしたる(然したる) [連体]
の。/(没有)什么,那么样的。
ありふれる(有り触れる) [自ー] どこにでもある。多く、「ありふれた」の形で
第5課 東京回顧写真展 129
使う。/常有的,不稀奇的。
雨足(あまあし) [名] ①雨が降り移っていく状態。/雨势。②線のよ
うに見えて激しく降る雨。/雨下得彳艮猛。
洋館仕立て(ようかんじた [名] 西洋風の建物。/西洋式建筑物。
て)
観音開き(かんのんびらき) [名] 真ん中で左右に開く仕組みの戸。また、その開
き方。/左右对开的两扇门。
開け放す(あけはなす) [他五] 窓•戸などをすっかり開ける。また開けたまま
にしておく。/全打开,敞开。
アフス(terrace) [名] 洋風の建物で、一階の居間や食堂などから直接
庭に出られるように設けた空間。/阳台。露台。
着飾る(きかざる) [自他五] 美しい衣服をきて外見を飾る。/盛装,打扮。
贅を尽くす(ぜいをつくす) [連語] 贅沢を限度までする。/极尽奢华。
愛想を振りまく(あいそを [連語] 人に対する好意や親しみを示したり与えたり
ふりまく) する。/ (对人)表示好感。
人垣(ひとがき) [名] 大勢の人がまわりを取り囲んで立ち並び、垣根
のようになったもの。/人群,人墙。
シンメ トリー(symmetry) [名・形動] 左右対称。釣り合い。調和。/对称。
吹き抜ける(ふきぬける)
[自ー] 風が吹いて通り過ぎる。/刮过,穿过。
七分袖(しちぶそで) [名] 袖の一種で、肘と手首の中間までの長さのも
芥子色(からしいろ) の。Z中袖。
[名] 芥子菜の種を粉にした粉末のような黄色。/芥
末色。
こする(擦る) [他五] 強く押して擦る。/擦,揉。
鳥肌が立つ(とりはだがた [慣] 毛をむしった後の鳥の皮膚のように、肌の毛
つ) 穴がぶっぶっと浮いて見える。/起鸡皮疙瘩。
巣くう(すくう) [自五] (鳥などが)巣を作ってすむ。文脈により、好
ましくない考えや厄介な病気が、人の心や体に
しっこくこびりついて離れない意にも用いられ
る。/筑巢,搭窝;(病等)老是不见好。
面影(おもかげ) [名] 問題にする人の昔の顔かたちの特徴で、主体の
記憶に残っているもの。/面影,模样。
餓鬼(がき) [名] 子供を卑しめて言う語。/小孩儿,小家伙,小
鬼。
恥ずべき(はずべき) [名] (道徳・人間性に反しているので)恥ずかしい
と思うのが当然だ。/可耻的。
二つ返事(ふたつへんじ) [名] はいはいと、すぐに承知すること。/立即答应,
130日语综合教程第六册
よりによって(選りに選つ[慣] 满口答应〇
て) もっと他に選び方があるのに、ことさら(変な
ものを)選ぶ。/(选了又选)偏选,偏偏。
露悪趣味(ろあくしゅみ)[名] 普通の人なら隠そうとする自分の欠点などをわ
ざとさらけだす。/好在别人面前露丑。
さぞかし [副] 「さぞ」の強調表現。/想必,一定。
がり勉(がりべん) [名] 俗語。学校の勉強だけを一生懸命する人(こと)
をはたから皮肉っていう語。/死扣书本的学生。
からくり(絡繰り•機関)[名] 拼命用功的人。
①ちょっと見にはわからない複雑な仕掛けで内
三文の値打ちもない(さん[慣] 部から動きを操作する装置。/(巧妙的)机关,自
动装置。②普通では不可能と思われることを、
もんのねうちもない) なんとかごまかしてつじつまだけうまく合わせ
ておくやり方。/计策,诡计。
心底(しんそこ) [名・副] 値打ちが非常に少ない。/ 一文不值。
心の底から。/真心地,从心底里。
言葉の学習
匕3^ なIこかというと 张嘴就…,动辄•・、 动不动就…ノ
「なにかというと」で使われ、「何かきっかけがあるたびに」という意味を表
す。後節には人間の行為を表す表現が続き、いつもその行為が繰り返されると
いう意味になる。「何かといえば」「なにかにつけて」ともいう。
❶ 鈴木先輩にはなにかというと相談に乗ってもらっている。そしていつもすば
らしいアドバイスをいただける。(有什么事我都找铃木前辈商量。而且每次
都能得至)J很好的建议。)
❷ なにかというとあいつはこの話をして人を脅かす。まったく見てはいられな
い。(我实在是看不下去了,这家伙动不动就用这话吓唬人。)
❸ 彼を相手にするな。やつはなにかというとかんしやくを起こすよ。(别招惹
他,他动不动就会发火的。)
❹ 彼はなにかというと乱暴にふるまう。まったく見るに忍びない。(他动不动就
发横,简直让人看不下去。)
❺「でも、このように仕事に成功したのはまったく先生のご指導のたまもので
第5課 東京回顧写真展 131
す」真由美はなにかというと、よくそんな言葉を口にした。(“不过,我在事
业上的成功全靠老师您的栽培”,真由美常常把这话挂在嘴上。)
冷m何も〜ない没必要…,并不是…,决不是… j
「ことはない・必要はない」などの打消しの語を伴って「どういうことが原因
であるにしろ、そこまで〜しなくていい/そうする必要がない」という意味を
表す。また、「わけではない•のではない」を伴って自分の行動に関して相手が
どう考えているかを受け止めて、その考えが実は正しくないと否定するのにも、
「ものではない」を伴って主張を強めるのにも、使える。
❶あの子はまだ子供じゃない。何もそう怒ることはない。(她还是个孩子,你跟
她生什么气啊。)
❷団体旅行で添乗員もいるのだから、何もそんなに心配する必要はない。(没
必要那么担心,团队旅游有随同跟着。)
❸不安感には、何も孤独になった時にだけ襲われるものではない。(人并不是
只在感到孤独时オ会感到不安的。)
❹何を言っているの。私は何もあなたが嫌いで反対しているわけではないの
よ。(说什么呀。我并不是因为讨厌你オ反对的。)
❺これは何も人に調子を合わせて言っているのではなく、僕の本音なのだ。
(这决不是为了迎合什么人才说的,是我的真心话。)
を》ためしカヾな ______
動詞過去形を受け、「いままで一度もそんなことはなかった」という意味。非
難の気持ちを伴うことが多い。
❶私は高校生のころ、気がよわくてみんなから軽蔑されていた。女の子にもて
たためしがなく、友達が少なかった。(读高中时,我的胆子很小,大家都瞧不
起我。从来没有女孩子喜欢过我,朋友也不多。)
❷大学祭の出し物についての討議などが予定に組み込まれてはいたが、残念な
ことには予定通り行われたためしはない。(有关校园艺术节活动安排的讨论,
虽说时间上已经作了安排,但遗憾的是这种安排从来都是落空的。)
❸彼は競馬が好きだが、予想は一度も当たったためしがない。(他喜欢赛马,可
是一次也没有赢过。)
❹ あの人は何をやっても三日坊主で、本当に3日と続いたためしがない。(他
呀,做什么都是三天打鱼两天晒网,从来坚持不了 3天。)
❺ 政権がどんなに変わってもあの人は失脚したためしがない。起き上がり小法
師というものだ。(无论怎么改朝换代他都能保住自己的乌纱帽 。这就叫不倒
翁。)
132日语综合教程第六册
(何の)変哲もない 平平常常的,极其普通的 J
「変哲」は、普通と違っていること、変わっていることという意味で、「変哲
もない」は、特に取り立てて言うほどのこともない。普通と変わったところも
ないという意味を表す。
❶ 聞いていても面白くも変哲もない話だから、途中抜け出して帰った。(听下去
也就是ー些无趣的平平庸庸的内容,所以中途我溜出来回家了。)
❷ 何の変哲もない浅い竹のざるが15 000円などというのを見ると、これは
いったいどういう人が買って、何に使うのかと首をかしげたくなる。(真是
看不懂了,ー个普通的不能再普通的浅竹篓卖!5 000 9元。会有什么样的人
来买呢?买了派什么用呢?)
❸ いくら、どんな変哲もない人生であっても、必ずそれなりの精彩があると思
う。自分さえ満足できれば、それだけでいいだろう。(无论多么平淡的人生都
会有属于它自己的精彩。只要自己觉得满意就行。)
❹ それがちょっと見たところでは、何の変哲もない、どこにでもあるような、
なぜそこが選ばれたのかなどと思ったりするような場所なのだ。(那是ー处乍
ー看没什么特点、几乎到处可见的那种地方,普通得令人会想为什么会选这儿
呢。)
❺ 私は激しい競争に疲れてしまって、却って世や他人と争わない、楊さんの変
哲もない生活に憩いを感じた。(对于激烈的竞争我感到疲倦了,相反小杨的那
种与世无争、与他人无争、普普通通的生活却让我感觉到了一种放松 。)
~とも~ともつかぬ 既不像…又不像…,既不是••・也不是…J
「とも」は格助詞「と」に係助詞「も」がついたもので、「と」のついた語句
を強めるのに使う。名詞につき、「〜ともいえず〜ともいえない」という意味を
表す。
❶ まわりを見ると、喫茶店とも飲食店ともっかぬ小さな店がある。太郎は遠慮
するその男をそこに誘った。(太郎看了一下周围,有一家既不像咖啡馆又不
像饮食店的小店,便招呼那位客气的男士走了进去 。)
❷ ー瞬、林は驚きとも、喜びともつかぬ声をあげた。私の話を聞いて、こんな
に喜ぶとは思わなかった。(刹那间小林似惊似喜地叫了起来。没想到我的话
会让他这么高兴。)
❸ ある週刊誌から小説とも随筆ともつかぬものの連載を依頼された。ちょうど
手が空いているので喜んで引き受けた。(一家周刊社向我约稿连载既不像小
说又不像随笔的文章。我正好闲着,就高兴地接受了下来。)
第5課東京回顧写真展133
❹ 林との結婚生活について、愚痴とも不満ともつかない話を繰り返していた。
(他反复地说着和小林结婚后的生活情况,既不像是在抱怨,也不像有什么不
满。)
❺「ええつ、年をとるとだんだん子供にかえるの」などと冗談とも本気ともつ
かない口調で聞いた。(“啊,年纪大了当真会返老还童? ”他半开玩笑半认真
地问道。)
〜はおろか〜も 别说・•・就连…也… !
よく 「AはおろかBも〜ない」「AはおろかBさえも〜ない」の形で用いら
れ、AはもちろんBも、AどころかBさえ、という意味を表す。程度の盤いもの
はAで示す。古めかしくかたい文体で、話しことばでは「〜どころか」を使う。
❶ もうすぐ海外に行くというのにチケットの手配はおろか、パスポート主用意
していない。あの子はぐずぐずして何をしているのかしら。(马上就要出国了,
别说订票,就连护照都还没有办好呢。那孩子磨磨蹭蹭的也不知在干些什么。)
❷ 企業はおろか、役所に五よく不祥事が起きている。(岂止是企业,政府机关也
时有舞弊事件发生。)
❸ 今でもはっきりと記憶しているが、私の子供のころ母はいつも忙しかった。
母に食事を作ってもらったことはおろか、朝食を一緒にとったことさえもな
かったのだ。(至今我还清楚地记得,小时候母亲经常很忙。别说为我做饭,就
连ー起吃早饭的时候一次都不曾有过。)
❹ 今年の冬は異常気象で雪はおろか、雨金降らなかった。やっぱり地球温暖化
の影響が大きかったのね。(今年冬天气候异常,别说是雪,雨也下得很少。地
球温暖化的影响不小啊。)
❺ 被災地では食べ物はおろか、水さえも足りない状態だ°その上、天気がだん
だん暑くなってきて、万一伝染病でもおこったら大変なことになってしま
う。(在灾区别说食物就连水都喝不上。再加上天气渐渐地热起来,万一发生传
染病什么的就糟了。)
上盛〜始末だ结果竟然是…
動詞文に付いて、悪いことを経て、とうとう最後にもっと悪い結果になった
という意味を表す。•状態を非難する気持ちをこめて言っているから、ふつうマ
イナス評価のことを述べるのに用いる。「••・のようなことになってしまった」に
言い換えられる。
❶ 何をしても長続きせず、次々に仕事を変えている始末だ。(他干什么都没个长
性,结果竟是不断地换工作。)
134日语综合教程第六册
❷ あまりに厳しい修業に、とうとうやめる者まで現れる始末だった。(终于有人
受不了如此艰苦的学习,提出要求退学。)
❸ 自分の誕生日もすっかり忘れていた。母に「誕生日、おめでとう」と言われ
るに至って、ああそうだったのか、と改めて思い出す始末だった。(我连自己
的生日都忘得一干二净,竟然直到母亲说“祝你生日愉快”时オ想了起来。)
❹ 彼は金遣いが荒く、給料を半月で使い果たしてしまうという始末だ。こ
んな使い方では幾ら金を稼いだとしても足りないだろう 。(他很能花钱,
结果是ー个月的工资竟然半个月就给花完了。这种花法即使赚再多的钱也
不够。)
❺ 彼は本当に仕事をする気があるのかどうか、疑いたくなる。遅刻はする、約
束は忘れる、ついには居眠り運転で事故を起こす始まだ。俄怀疑他是否真心
想工作。上班迟到,不遵守约定,竟然开车打瞌睡出了交通事故 。)
初ふ〜てでもー即使二(做)也筮二•ーー _ …ノ
動詞連用形につく。強硬な手段を示す言い方である。後ろに強い意志や希望
を表す表現を伴って、それを実現するためには、たとえそのような極端な手段
を用いるにしても、ためらわないという強い決意を表す。
❶ まあ、そう怒ってはいけないよ。企業の世界というものは、きびしいものな
のだ。なんとしてでも他社を抜かねばならぬ。(不要那么生气嘛。企业的世界
是很残酷的。我们一定要千方百计地超越其他公司。)
❷ どんなことをしてでも、明日中に不足分の3万円を工面しようと思った。
(我想明天无论如何一定要筹措到那不足的3万日元。)
❸安心してください。いやだと言ったら、引きずってでもここにつれてきます
から。(放心吧。他不愿来的话我就是拖也要把他拖来。)
❹ あなたの将来を思うと、ママは生死をかけて仕事をしてでも学校に入れてや
りたい。(ー想到你的将来,妈妈就是累死累活地干也要把你送到学校读书。)
❸ 姉さん女房は金の草鞋を履い:探せっていうじやないか。せっかく気に
入る人に恵まれたのだから年齢なんか気にしないで付き合ってみろよ。(不是
说女大三抱金砖吗?好不容易有了喜欢的人就别在意年龄了。试试看嘛。)
かよりに(も)よって偏偏挑,偏巧这时,偏巧
もっと他に選び方があるのにことさら変なものを選ぶ、という意味を表す。
❶ よりによってあんな男と結婚しなくてもよかったのに。結婚して一年も経
たないのに離婚するなんて。(挑来挑去怎么偏偏挑了那么个男人结婚呢。结婚
还不到ー年就要离婚,真是的。)
第5課 東京回顧写真展 135