普通高等教育“十一五”国家级规划教材 总主编谭晶华
新世纪高等学校日语专业本科生系列教材
《日语综合教程》第七、八册
课文曲译与竦习答案
编著季林根皮细庚
也上海外语教育出版社
外教社 SHANGHAI FOA€IGN IANGUAG6 EDUCATION PR€SS
图书在版编目(CIP)数据
《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案/季林根,皮细庚编著.
ー上海:上海外语教育出版社,2009 (2019重印)
(新世纪高等学校日语专业本科生系列教材)
ISBN 978-7-5446-1251-7
I ・日…II •①季…②皮…nr•日语一高等学校一教学参考资料
IV. H36
中国版本图书馆CIP数据核字(2009)第025946号
出版发行^ 上海タト语報育出廠辛E
(上海外国语大学内)邮编:200083
电 话:021-65425300 (总机)
电子由区箱:[email protected]
网 址:http://www.sflep.com
责任编辑:应允
印 刷二上海信老印刷厂
开 本:787X10921/16 印张 10.5 字数211千字
版 次:2009年9月第1版 2019年3月第9次印刷
印 数:2100册
书 号:ISBN 978-7-5446-1251-7 / H • 0514
定 价:19.00元
本版图书如有印装质量问题,可向本社调换
质量服务热线:4008-213-263 电子邮箱:[email protected]
編考的a
《日语综合教程》第七、ハ册出版后,承蒙广大读者的厚爱,均已重印 。
同时,我们不断收到读者的来信,希望能有一本相关的学习参考用书 。为了
满足广大读者的需要,方便广大读者学习和使用,我们编写了这本《日语综
合教程》第七、八册的课文翻译与练习答案。
本书的内容由练习参考答案、课文参考译文和学习指导讲解三部分组成。
其中,第七册的练习参考答案及学习指导讲解由上海外国语大学的季林根教
授承担,部分课文译文选自已出版的经典译作,其余部分由华东师范大学的
朱芬及周祥卷承担。第八册内容均由上海外国语大学的皮细庚教授承担,其
中“故乡"ー篇的译文选用了鲁迅先生的原作。
本书在编写过程中得到・了上海外国语大学日籍教师稻森信昭和樱田芳树
老师的悉心指导,华东师范大学的高宁教授在第七册译文的审校过程中,也
给予了很大帮助。借此机会谨向各位表示由衷的感谢。
由于我们水平有限,再加上时间仓促,书中难免存在错漏,恳请广大读
者给予批评指正。
编者
2009年5月10日
目次
第七册 课文翻译与练习答案 1
第1課 二つの川のほとりで........................................ 3
第2課
第3課 辛夷の花..................................................... 9
第4課
第5課 ナイン......................... 17
第6課
第7課 わたしの夏—— 1945年•広島 ............................... 28
第8課
第9課 みやこ人と都会人........................................... 35
自然と人間.............. 44
城の崎にて.................................................. 52
案内者....................................................... 60
手作り幻想.................................................. 67
第10課徒然草...................................................... 74
第八册 课文翻译与练习答案 ............................................... 81
第1課 漢字の性格.................................................. 83
第2課 日本の渚..................................................... 90
第3課羅生門...................................................... 94
第4課 故郷.....................................................102
第5課 エッセイ............. 112
第6課 TUGUMI——告白—— .................................. 127
第7課 新しいパラダイムを求めて ...............................138
第8課文化と理解............................................... 147
第9課古典.................................................... 157
第10課漢文訓読..................................... 16
笙弟 皿
/W
课文翻译与练习答案
1第 課
二つの川のほとりで
L学營勿デ%き
1. 「川」の何が話題として提出されているか、注意すること。
身近な川の昔の美と今の醜が話題となっている。
2. 文中に出てきた麻生川と片平川の環境を想像しながら読むこと〇
麻生川:川土手に桜並木があり、かっては、川岸に生い茂る真葛やススキ、密生した
野草など豊かな生命の息吹があった。片平川との合流地点は蛍も生息で
きるほど水のきれいなところであった。
今では、工業排水や投棄物によって、川は汚れ、劣悪不快な光景になって
しまった。
片平川:かって、片平川のほとりは関東有数の湧き水地帯で、多摩丘陵の雑木山が
澄み透った地下水を豊かに保っている。あふれ出た水は小さな野川をな
して田んぼの中を流れていた。片平川は水の美しい川であり、草木染めも
できるほどであった。
今では、投棄物によってすっかり汚れている。
3, 本文を読みながら麻生川の今昔の姿の相違点を見つけ出すこと。
昔:川土手に桜並木があり、しかも川岸に生い茂る真葛やススキ 、密生した野草と
いった豊かな生命の息吹があった。夏は蛍が顔にぶつかるほど飛んでいた。
今:高いフェンスが張られ、工業排水や投棄物によって、川は汚れ、劣悪不快な光景
になってしまった。
昔の美と今の醜
4, 本文に使われている擬人法表現を見つけ出し、その前後関係に注意すること。
•「私がこの川と出会ったのは」
美しい川の水と草木染めの関係
•「ただ桜だけがしいんと静まって、街道の排気ガスのかすかな臭気の中にさびし
そうに微笑んでいる」
今も昔と同じように美しく咲き続ける桜のことと、苛立ちやすく退廃した「現
第七册第1課二つの川のほとりで 3
代」の人間の心の荒廃を対照的に述べている。
•「醜い、情けない、哀れな麻生川」
荒廃した「現代」を憐れみ、哀しんでいると同時に、自然と環境との関係改善を
願っている〇
5. 「醜い猥雑なもの」「劣悪不快な川の光景」「いら立ちやすく退廃した現代」につい
て、表現の意味内容を理解すること。
「醜い猥雑なもの」
空き瓶とか、空き缶、発泡スチロールの箱、ビニール袋などを意味する。
「劣悪不快な川の光景」
単に川の汚れに対して述べているのではなく 、川の汚染の原因に人間の心の荒
廃があることをも含んで批判する表現である 。川の汚染が、投棄された物ととも
に、投棄する人によってより汚されていく実態に対しての筆者の強い憤りが表さ
れている。
「いら立ちやすく退廃した現代」
川の汚れは、何より人工のものであり、他者を思いやる心が欠けてしまっている
「現代」のことを意味する。
6. 鴨の親子に関する表現を見つけ出すこと。
① ヘドロ状の滓の浮かぶ川の中州に上って、水を眺める(時もある)。賢い鴨はど
うも日を選んでやってくる。
② ついにこの川でひなを育てだした。桜が咲いても帰らず、懸命にひなに餌のある
ところを教えている(ようだ)。けなげなかわいい鴨の子が、親を中心に逆立ちを
しては川底の藻をあさり、中州や川べりに憩う(姿が見られるようになった)。
③ かわいいおしりを上に向けて、ほとんど逆立ちの連続で、餌をあさっても、餌は
極めて乏しく、鴨たちの空腹は一日中癒えない様子である。
④ 夕方になると、リーダーが率いて思い思いのねぐらに帰っていく(ようだ)。
⑤ 夕闇の底から鴨の鳴き声が聞こえてきた。
7. 「投げ入れる」と「投棄」との表現のニュアンスの違いについて考えること。
「投げ入れる」
本文では、餌をあげることを通して、鴨への同情の気持ちを表す。
「投棄」
本文では、鴨に餌をあげることは行政の「規則」違反にあたるという非情さを表す。
8. 「道行く人」「みんな」「人間」といったそれぞれの言葉のつながりについて考えること。
いずれも人間であるが、「道行く人」は鴨をかわいがる人間である。「みんな」は、
4 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
筆者を含めて、苛酷な環境では生きていられないと気づいたすべての人のことを
指す。本文の中の「人間」は、「みんな」と同じように、「道行く人」を抽象化した人の
ことを指す〇
!一……一棟一…1
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1) 次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
音色 滓 清冽 あさ(漁)る 猥雑 粋 清婉 心行く
いら(苛)立つ けなげ(健気) 寵い 藻 妖籃 癒える
わび(イ宅)しい
(2) 次の単語の意味を覚えなさい。
平べったい=平らで薄い。/扁平的,平坦的。
たじろぐ=しり込みする。/退缩,畏缩。
二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)f课文参考译文
三、 本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1. 草木染めの美しい布を染めるためである。染織家にとって川は美の源泉だか
ら。/今まで利用してきた川が汚染されて、その水が使えなくなったのである。
2. 色鮮やかで光沢のある、鮮麗な色彩は、手間をかけて成育させる材料の植物や
様々な工夫とともに、何よりも染め、さらすための美しい水が必要であること
が感じられる。
3.,川に対して一種の擬人化表現を用いるところに 、筆者の自然への慈しみの心
が表されている。
4. かつては蛍が飛び交い、美しい水が絶対条件の草木染めがされていた川が 、今
では様々な投棄物によって「猥雑な汚らしさを見せている」ほどに変貌してし
まったこと。
5. 環境汚染は時代進歩の産物であり、人工的なものであって、他人のことを思い
やる心がかけていること(が見えてくる)。
6. 「自転車や空き缶が投げ込まれている川」という退廃した様子と対照している。
7•「高いフェンス」ではなく、自然(桜)によって自然(川)を守るという昔の人の知
恵を指す。
第七册第1課二つの川のほとりで 5
8. 物言わぬ桜と自転車の間に、「退廃した現代」の人間たちの心の荒廃を嘆く対
話だろう〇
9. これは筆者の主張したい意見である。きれいな自然環境の再生を図ろうと
期待している。
10. 単に川の汚れに対して述べているのではなく、川の汚染の原因に人間の心の
荒廃があることをすべての人間に訴えたいのである〇
11. 汚染のひどい麻生川に鴨などが来るはずがないと信じているという理由。
12. 本文では、空腹が満たされないという意味である。
13. 「気の毒な」は、餌の少ない鴨の親子への思いやりであり、「わびしい」は、川の
汚染に対しての筆者の哀しみの現れである。
14. バブル経済の崩壊をさす。
15. 過酷な環境を指す。
16. 第1段落
「坂を下ると…」〜「••・飽くなく物を投げ込む人のことを思った。」
筆者の家の近所の片平川は、かつては水の美しい川であり、草木染のでき
るほどだったのに、今では投棄物によってすっかり汚染されている。染色家
の山崎氏を烏川のほとりに訪ねた折に、改めて美の源泉としての川の意味に
思いをめぐらせた。
第2段落
「この片平川を併せて…」〜「••・悪い状況になってしまっているのだ。」
麻生川の場合も環境が悪化しており、自転車の投棄のようないら立った現代
の退廃が示されている。桜の美は、そうした状況を静かに語っているようだ。
第3段落
「この、醜い、情けない…」〜終わり。
現代の退廃によって汚れた麻生川に鴨の親子が住み着いた。不況による環
境の浄化とともに、人々の目が鴨の成育によって、環境改善に向かうことを筆
者は願っている。
四、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。
問1 文章中の下線部①「いつの間にか平気になった」は、作者の薔薇に対する気持
ちがどうなってきたことを示していると思うか。io文字以内で答えなさい。
愛情が深まったこと
問2文章中の(A )に入れる文として、次のア〜エのうちから、最も適当なもの
を選んで、〇をつけなさい。
ェ
6 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
問3文章中の(1)に入れることばとして、次のア〜エのうちから、最も適当な
ものを選んで、〇をつけなさい。
ア
問4文章中の(2 )に入れることばとして、次のア〜エのうちから、最も適当な
ものを選んで、〇をつけなさい。
ウ
問5文章中の下線部②「ほとんど総毛立つ思いをした」のはなぜか。次のア〜
エのうちから、最も適当なものを選んで、〇をつけなさい。
イ
問6文章中の下線部®〜®の漢字に振り仮名をつけ、かなを漢字に直しなさい。
©(なえき) (©(じ) ©(りん)
(©(納得) 〇(無造作) 〇(隅々)
L"参考g
两河今昔
朱芬译
下坡就是一条小河,叫片平川,没多远就汇入了麻生川。合流处架有一座小桥,夏天
站在上面,萤火虫扑面而来,久负盛名。然而,这已是30年前的情景。如今护栏高高筑
起,空瓶、空罐、泡沫盒、塑料袋依旧不断扔进河里,一片驳杂。
小河历史不短,却毁于旦夕。与它初会是!8年前,印象至深的是那清澈见底的河
水。往上走ー点,有一座寺庙,叫草木寺。战后,印染家山崎青树从信州移居至此,用“草
木染色法”成功地染出了漂亮的布匹。片平川两岸是关东有名的泉水区,多摩丘陵的杂
木林下蕴藏了丰富的清泉,喷涌而出,即为无名之河。它们流淌于田野之间,咿咿呀呀,
低声浅唱,就像哼摇篮曲一般。“草木染色法”就是用清澈的井中之泉进行印染、漂洗的,
不过,等我住到片平时,山崎先生已经撤离此地,移居群马县乌川河畔。大概是为了更加
丰富、更加清冽的水源而去的吧。
我曾去乌川河畔拜访过这位山崎先生,获益匪浅。譬如说紫草,就要从播种育苗做
到在月下欣赏它可爱的白花,不如此,紫根就长不好;再譬如他告诉我,染出 2丈7尺桃
红色布需要多少桃树,红花印染要染几轮,至于苏木印染和青茅印染又是如何如何,多
得让人记不住。言谈之间,他还让我欣赏了各色“草木染色法”制成的绸布。匹匹都光彩
亮丽,那鲜艳是平安朝时代的人们做梦也想不到的,我惊叹不已。不过,那美丽的源头是
第七册第1課二つの川のほとりで 7
美丽的水啊!我至今仍时常回忆起那时的事。这20年间,我总想起已变得不堪入目的
片平川河底的污物,总忘不了没完没了往河里扔东西的人们。
而与片平川汇合后流得更远些的麻生川,情况又如何呢?就在几年前,麻生川还未
采取防护措施,围栏也没围上。我当时还不觉得那是行政措施跟不上,反倒敬畏于河堤
上丛生的甘葛藤的顽强生命力,陶醉于好几种芒草形成的“麦浪”,欣赏着野草宝库般的
茂密草丛。
然而,没多久,麻生川也被改造成人工河床,岸边筑起了高高围栏,空罐子、雨伞之类
的东西开始越栏入河。这回颇具特色的是,扔的东西里面,有自行车 。大概是哪位老兄
看到沿河小道上密密麻麻立了一排上班上学都需用的自行车,感到不满吧。多的时候,
甚至四五辆ー起扔。台风过后水位上涨,自行车卡住了许多脏东西,那光景着实恶心。
麻生川大转弯的地方,架了一座桥,连接两岸街道。站在桥上,俯视丢弃着自行车、
空罐头的河流,仿佛一下子看清了浮躁颓废的现代社会的真面目。然而,回头朝上游看
去,却意外地发现,沿河是一片灿烂的樱花树。以前人们就是用这情趣盎然的方式来守
护河堤的。到了樱花盛开的季节,只需几日,河景便焕然一新。晨樱的清婉,午樱的烂
漫,夜樱的妖艳,都可以尽情享受。夜晚的樱花尤其美丽。既不见河的污浊,又无赏花人
的打扰,只有樱花静静地开放,在若有若无的汽车尾气中寂寞地微笑。它也许在同河底
那折了羽翼横躺着的自行车无声地交谈着呢。这世界,已不堪入目。
有一年,这丑陋、悲哀的麻生川,突然飞来了几只野鸭。刚开始以为是阴差阳错,因
为它们也不是每天都来。有时立在淤泥堆砌成的河中沙洲上,眺望水面 。这聪明的野
鸭,似乎知道挑日子来呢,专挑周六、周日或雨后,也就是工业废水少,河水较干净,河里
食物较多的日子。更惊人的是,后来野鸭开始在这里繁殖了。到了樱花盛开的时节也不
北归,而是拼命告诉小鸭哪里可以捕到食 。从此便可看到勇敢可爱的小鸭跟着老鸭探
入水中寻觅河底的水藻吃,或在河中沙洲、河岸休憩。
它们撅着小屁股,从不敢怠慢,可还是觅不到多少食物。看来它们都没有填饱肚子
的时候。行人也会觉得可爱可怜,停下脚步张望片刻,那时总有一阵辛酸涌上心头 。也
有人偷偷投点面包屑,但向河里投食是明令禁止的,终究无法给鸭子们供食。那些鸭子
能不能长大啊—— 这常会成为当时人们的话题。
人们看到老鸭携小鸭河中游的景象,也许就不再往河里扔东西了吧—— 大家都这
样祈祷。就从那时起,经济萧条悄然来袭。河水渐次清澈起来,肥皂沫似的泡沫没了踪
影。今年野鸭的种类也有所增加,长尾鸭多了,还有绿头鸭。一天来的鸭子多的时候超
过30只。傍晚,领头的鸭子会领着鸭群各自回巢。前几天,听到暮色中传来鸭子的叫
声,或许又有小鸭出壳了吧。现代社会的野鸭开始在如此残酷的环境中定居,面大类,或
许也到了厌倦繁荣,开始反思的时候了吧。希望如此。
(摘自《国语展望第92号》1993年刊)
8 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
2第 課
辛夷の花
員室擊デ%き...
1. 車内の様子と筆者の態度を考えること。
車内の乗客:筆者夫婦のほかに、商人ふうの夫婦連れ、冬外套を着た男。
乗客の様子:筆者以外の人は寒さに嫌悪を感じて、雪には関心を示さなかった(座
席を移った)。具体的にいえば、「妻」は読書、商人ふうの夫婦連れは会
話に熱中し、冬外套の男は寝ている。
筆者の態度:寒さには困惑するが、突然の吹雪を、むしろ雪国らしい旅情をかきた
てるものとして喜び、感傷的な物思いに浸っている。
① 「こちらの窓際に強情にがんばっていた。」
② 「雪はいっこう苦にならない。」
③ 「なんだか残り惜しそうに〜しみじみと見入ることができるまで。」
④ 「雪国の春の真つ先に〜ぽたぽたと落ちているにちがいなかった。」
2. 車窓風景に対する筆者の感想をまとめてみること。
雨後の車窓風景がより生き生きとして、すがすがしかった。
3. 宿の女中と筆者の心情を比べること。
思いがけない吹雪で、宿の女中は同情の気持ちを示したが 、筆者は、雪はいっこ
う苦にならなかった。むしろ、それを雪国らしい旅情をかきたてるものとして喜
んだ。
4. 時間の経過に従って、筆者の雪に対する気持ちを整理してみること。特に、筆者の
感傷的気分に注意せよ。
雪に対する愛着の気持ちと雪国と別れるときの惜しむ気持ち。その気持ちと雪
国との別れに感傷的な気分を理解するには、文章中の次の表現をよく読むといい。
① 「こちらの窓際に強情にがんばっていた。」
② 「雪はいっこう苦にならない。」
③ 「なんだか残り惜しそうに〜しみじみと見入ることができるまで。」
④ 「雪国の春の真つ先に〜ぽたぽたと落ちているにちがいなかった。」
第七册第2課辛夷の花 9
5. 雪国と別れるときの筆者の気持ちを考えること。またその気持ちを描写するとこ
ろをよく読むこと。
例えば、「なんだか残り惜しそうに見やっていた。」「もう木曾路ともお別れだ。」
「気まぐれな雪よ、〜しみじみと見入ることができるまで。」といった部分は、雪
国と別れるときの筆者の気持ちを表している。
6. 辛夷の花に対する筆者の執着を考えること。「旅の哀れ」に注意せよ。
辛夷の花への筆者の執着は、「その辛夷の白い花らしいものを見つけようとし
た」によって表されている。
辛夷の花への執着は、筆者の新たな旅情への関心を示したものである。辛夷の
花は「雪国の春真つ先に咲く」という性質をもっために、筆者はそれに心を引き付
けられたのである。また、筆者の辛夷の花への執着は、雪への愛着の気持ちと、雪
国と別れるときの感傷的な気分によるものである。
「あわれ」とは、直接的な悲しさではなく、何かもの悲しい、しみじみと心に触れ
る心情を指すと思われる。これは古語の「もののあわれ」と同質の感情に近いもの
である。本文の場合は、筆者が最初から浸っていた感傷的な旅情を意味し、雪国の
春の前ぶれである辛夷の花を見つけることによって 、その感傷にしみじみ浸りた
いと筆者は思っているのである。もし筆者が初めから妻と同じところに座ってい
たとしたら、辛夷の花にもさほどの感傷を感じ得なかったであろう。
7. 妻との会話を読んで、両者の気持ちの違いを考えること。
両者の言葉を取り上げて説明してみよう。
(筆者)「せっかく旅に出てきたのに……やつもないもんだ。」
これは、ぞんざいな言い方。照れ隠しと、妻への隔てのない親しみの気
持ちを表す。実は、筆者は妻との会話を通して、妻とともに車窓を眺め、辛
夷の花を見つめようとするのである。
(妻)「だって、わたしなぞは、旅先で……不満そうな顔をして僕のほうを見た。」
普段本を読むひまがないから、たまにその時間があって、旅先でまで文句
を言われるのは、かなわないという不満の気持ちを表す。
(妻)「あら、あれをごらんにならなかったの。」
本ばかり読んでいないで、外の景色を見ろと注意した夫より 、自分のほ
うがちやんと外の景色を見ていたのよという気持ち。
(筆者)「うそを言え。」 。
本を読んでいた妻が花が見られたので、とても残念に思う。
(筆者)「何、まぐれ当たりに……川のほうには……。」・
自分の見られなかった悔しさからの負け惜しみと言い訳の気持ち。
10 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
自分の見ていた川のほうにも、花以外に面白い景色があったことを告げ、
妻に対抗し、また、自分の不注意を言い訳しようとする気持ちQ
(妻)「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」
偉そうなことを言っても、頼りない夫をおかしく思うとともに、面倒を見
てやろうという気持ち。
8,最終段落の筆者の気持ちを考え、またそこに至るまでの筆者の気持ちを整理して
みること〇
文章全体にわたって、筆者は雪と辛夷の花に関心を集中している 。前半は雪、
後半は辛夷の花に分かれて描かれている。そのどちらも雪国らしい旅情を味わ
いたい気持ちを表している。最終段落に筆者は目を合わせて、この目で見られな
かった辛夷の花を心の中で想像したのだろうが、筆者の真の目的は、花自体にあ
・るのではなく、「旅のあわれ」に浸りたいということである。
9«本文に「……」が多く使われているが、それぞれ何を意味しているか、またどんな
働きをしているか。
余韻を持たせ、やわらかい雰囲気を作り出す働きを持っている。具体的にいえば、
会話の場合ーー言外の心情を匂わせ、余韻を持たせる。
文末の場合—— 同じ心情や行為が続いていく時間の経過を表し、余韻を持たせる。
io•本文に「そんな」「その」といった指示語が多く使われているが、それぞれ何を意味
しているか、またどんな働きをしているか。
•指示語の示す意味は、本文を読むときに前後の関係を考えながら 、確認するこ
と(ここでは省く)。
•「そんな」「その」といった指示語の多用は、文章の続き方が滑らかになる。ま
た、はっきりと断定しない婉曲な言い回しで、文章にやわらかさを与えている。
I 練習
■----- ---------- --- -----
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1) 次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
強情 •気兼ね 相槌 空ける 観念する
(2) 次の単語の意味を覚えなさい。
くっきり=輪郭、境界線が明らかで際立っている様子。/鲜明,显眼,清楚。
ひとしきり=しばらくの間、盛んである様子。/ー时,ー阵。
第七册第2課辛夷の花 11
気まぐれH①そのときの気分で思いつきで行動する様子。②変わりやすく
予測が立たない様子。/①容易冲动。②反复无常。
ひょいと二①不意に、突然。②身軽な様子。/①忽然,无意,偶然。②轻轻地,
纵身。
まぐれあたり=偶然に当たること。/碰巧,歪打正着。
ちらりと二①光かげなどが一瞬の間、わずかに目に触れるさま。②うわさが
わずかに耳に入るさま。/①ー闪,一晃。②略微;偶尔。
とばっちり=傍にいて禍のかかること。巻添え。/牵连,连累。
出し抜け=不意にことをするさま。いきなり。/冷不防,突然。
観念する=あきらめること。/死心,断念。
二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)f课文参考译文
三、 本文の内容に基づいて次の質問を答えよう〇
1. たいへん寒いことに、車内の客が少ないことが加わる。わびしさが増す効果
がある。
2. 薄日が急に雲の合間から差し込んで、明るくなる感じ。
3. 春の半ばというのに、これはまたひどい荒れようだから。
4. 雨や雪が、強く降ったり、またやんだり、天気が一定しないで変化している
から。
5. 雨や雪の晴れた合間に、うまい具合に山々の景色が見られて、すがすがしい
思いをすることもあったから。
6. 雨も上がる(雨も小降りになる)のではないか。
7 .信濃境の山間部に差し掛かるとき、雨が上がり、美しい山の景色を見ること
ができたから。
8 .はるばる異郷から来た旅人が、ちょうど天気の悪い日に来合わせて、これから
旅立つのに、難儀することだろうことを、気の毒に思う気持ちから。
9.今回、たまたま偶然、特別に天気の悪い日にぶつかったのではなく、地元では
最近、悪い天気が続いていることを教えて、旅人を慰めるから。
io. rこの木曾の谷の向こうには、すっかり春めいた、明るい空が広がっているか、
それとも、うっとうしいような雨空か」という疑問。
H•小声で言ったり、相づちを打ったりする話し方。
12. 雪の中でまだ車内の寒さがかなり厳しいこと。
13. もともと雪は苦にならない性格で、雪を眺めるのが好きなうえに、木曾路を
はなれるとなると、いよいよ雪に愛着が湧いてきたから。
12 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
14. 雪との別れに感傷的になり、周囲のことも忘れてぼうっとしている気持ち。
15. ただ通りすがりの花を見るというだけの理由で、一大事でも起こったような
態度をとった自分が、子供っぽいような気がして、恥ずかしがるという理由。
16. いつも家で忙しく、本を読む暇もないのに、たまに来た旅先でまで文句を言
われてはかなわないという理由。
17. 列車で通りすがりの、山あいの辛夷の花をいっしょに見ることで、自然の風景
を味わったり、訪れた土地への別れを惜しんだりする感慨を共有すること。
18. 妻はずっと本を読んでいたのに、自分の見られなかった辛夷の花をいくつも
見つけていたのが残念だったから。
19. 雪融けの水のしずくを、辛夷の花の蜜のしずくにたとえることで、雪がぬる
み、花が香りだす春先の山の美しさを象徴的に描いている。
2〇.あくまで筆者の心の中の心象風景である光景を、あたかも実際の風景のよう
に確信し、花を見られなかった後悔を、逆に美しい思い出に昇華している。
四、次の文章を読んで、次の質問に答えなさい。
問1この文章を読んで、筆者が実際に行ったと言いきれるところは、どことどこ
なのか。その場所を全部選んで、〇をつけなさい。
ァイウキ
問2この文章の内容にふさわしい季節はいつなのか。次の中から選んで、〇を
つけなさい。
ア
問3文章中の下線部O〜①の「ばかり」を意味のうえから次のように分けてみ
た。どの分け方が正しいか、正しいと思うものの記号に〇をつけなさい。
ェ
問4筆者は、「何がどうだった」から、下線部②「守り神のような気がした」のか。
次の中から二つ選んで、〇をつけなさい。
エオ
問5バスの動きと走っている場所を考えて、本文中の( )の中に入る表現と
してもっとも適当と思われるものを次から選んで、〇をつけなさい。
ア
問6文章中、筆者が杉並木の大きさに圧倒されていることが、もっともよくわか
る表現はどこなのか。15文字以内で答えなさい。
見上げるばかりの大きな杉の木
問7下線部①「それ」は何をさしているか。
杉の木々をさしている。
第七册第2課辛夷の花 13
問8下線部③「もし」のかかっている言葉を書きなさい。
ながめていられたら
問9筆者はあたりのようすがどのようであったから、下線部④「墨絵を思い出し
た」と表現したのか。次の中から最も適当なものを選んで、その記号に〇
をつけなさい。
ェ
L"参考欧・…
木莲花
周祥卷译
“我想前往春光明媚的奈良观赏盛开的浸木花①,可是万没想到途中取道木曾路②
时,竟遇上了暴风雪……”
我从木曾小旅店拿了几张彩色明信片,ー边在明信片上写着遇雪情况,不时透过车
窗向木曾山的深沟峡谷望去,风雪遮夭盖地地扑向沟谷。
阳春三月,竟下起这么大的暴风雪!真是冻煞人!而且车厢内只寥寥几人,除我们
之外,有一对同我们ー起从木曾站上车的商人模样的夫妇,似乎是到哪儿去洗温泉,再
就是穿厚大驚的男子了。不过,车过上松ー带之后,雪势骤然缓和下来,那微弱的阳光偶
尔也射进车厢。我想反正再冷也不过这段路程,所以一直忍耐着 。可是别人都恋慕阳
光,移身到另ー侧的座位上去了。妻也终于只拿一本正在阅读的书坐了过去。独我一人
仍旧固执地坐在这边紧靠车窗的位置,双目频频瞧着那木曾的山川谷壑,雪不时地犯神
经似的忽而纷纷扬扬下上一阵……这次旅行一开始就碰上了怪夭气。说它不好,当然
无可置辩,可是要认为它好,也可以说相当顺乎人意了。首先,火车出发时,风雪相当猛
烈,不过,当时我就想:早晨这么没命地下,傍晚抵达木曾就会放晴的,果不出所料,近午
时刻转成小雨,当我从烟雨迷蒙中瞧见白雪皑皑的甲斐群峰时,真有一种清新爽快之
感。火车临近信浓境内,夭遂人愿,雨也收住了,掠过车窗的富士见ー带的荒原枯野,或
许是雨后的缘故,显得生机勃勃,甚至带上了春天的绿意。不一会,白茫茫的木曾山群
峰,远远地、轮廓鲜明地映入我的眼帘……
当晚,我们宿在木曾福岛③的小旅店,清晨睁眼ー看,大出所料,又刮起了暴风雪。
① 又称马醉木,常绿灌木,叶有剧毒,可作杀虫剂。
② 日本古来的交通要道,沿木曾山谷而走。
③ 古代木曾路途中的ー个关口,现为小市镇。
14 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
“想不到竟下起大雪来……”小店女招待员送来炭火盆,颇为同情地说道。“这些日
子动不动就刮风下雪,真叫人没办法。”
说真的,雪我倒从来不怕 。尽管今晨风雪大作,我们还是顶风冒雪离开了小旅
店……
此刻,我们乘坐的火车正在木曾山的峡谷中飞驰。这峡谷外面是一片春光明媚的
辽阔蓝天?抑或沉闷欲雨的云雾世界?我似乎总是这么惦记着,不时把脸紧贴车窗仰望
峡谷的上方。然而,被群峰遮掩的狭窄天空中,只有不知从何处飞来的数不尽的雪花狂
飞乱舞,除此则ー无所见。打刚オ起,那微弱的阳光就是在这狂雪中不时地突然照进车
厢的。看来仅仅这么几丝阳光着实是靠不大住的,不过,看情形也许走出这雪国之后,会
有风和日丽的春天在那儿等待着我们……
坐在隔壁座位的那对中年夫妇像是本地人,男的似乎是批发店老板ー类的人物,他
悄声说了什么,于是颈上缠着白围巾的病弱女人也轻声附和着。察其表情并不是顾及
我们オ那么悄声细语的。我根本没注意他们。倒是坐在对面一排最头上的那个穿大蹩
的男子引起了我的注意。他躺在座位上不住地辗转反侧,并且常常突然站起身来在地
板上跺ー阵脚。我的妻背着脸坐在他的隔壁,一直用自己的大衣裹住脚在看书,这男子
ー跺脚,她便回过脸皱起眉头看看我。
就这样,火车驶过了三四个小站,我仍旧独自紧靠本曾川ー侧的车窗坐着,此时漫
天大雪也渐渐小起来,只是若有若无 、稀稀零零地飘落着,我颇为惋惜地朝天空瞅了又
瞅。和本曾路就要告别了。啊,反复无常的雪呀!在我们这些旅客别去之后,你向本曾
的群峰上再洒落ー些吧!只需再下一会儿工夫!以便我们能从平原的一角回首细细地
眺望你那漫天飞舞的风姿——
正当我沉浸在这种空泛的想象中的时候,邻座夫妻的低语偶然传入我的耳中。
“刚オ我看见对面山上开了雪白的花哪!那是什么花呀? ”
.“那叫本莲花!"
ー听说本莲花,我赶忙转过脸,探出身,想从对面山顶上找到本莲ー类的白花。我想
即便看不到他们所指的那ー株,兴许在那ー带山上会发现其他盛开的本莲花呢!可是
因为我一直凭窗独坐,突然毛毛怔怔向对面山上东张西望,夫妇俩不知出了什么事,以
疑惑不解的眼光朝我望来。我感到好窘,便趁机站起来向妻的座位走去,她的座位同我
恰成对角,我边走边向一直坐在那儿聚精会神看书的妻说道:
“好不容易出来旅行ー趟,谁像你,光知道埋头看书!偶尔也观赏ー下山光水色嘛!”
我说着,在妻对面坐下,目不转睛地注视着车窗外边。
“可我,要不是旅行,平日哪来闲空从从容容看书呀!”
妻颇为不满地瞅了瞅我:
“噢,是吗? ”其实,我并非因为妻看书オ发牢骚的,只是想哪怕ー点点也好,把她的注
意力引向车窗外边,和我ー起在对面山际发现ー两棵盛开着洁白花朵的本莲,体味一下
第七册第2課辛夷の花 15
旅游的情趣。
因此,我对妻的回答未予理睬,只是低声说道:
“他们说对面山上木莲花开了。我想看看哪!”
“啊呀!你没有看到吗?”
妻ー听说木莲花,简直喜不自胜,瞅着我说道:
“我看到好几棵开花的木莲……”
“别瞎说啦!”
这回,我不满地反驳说。
“我再怎样埋头看书,现在外边是什么风景,开了什么花,还是知道得一清二楚
的哪!"
“得啦!你那是瞎猫遇死耗子,碰巧了。我可是眼睛一直盯着木曾川这边的河流ー
带,根本就……”
“瞧!那儿有一棵!”妻当即以手指山打断了我的话。
“在哪儿?”我问。经妻这么一指,我只觉得那儿有些白色的东西ー闪而过。
“方才看到的是木莲花吗? ”我心不在焉地敷衍了一句。
“瞧你,真叫人没办法!”妻更得意洋洋起来,并说道:“好吧,我再给你找到ー棵!”
可是,看来很难再找到ー株盛开的木莲花了。我和妻为了发现木莲花,把两张脸紧
贴着车窗向外张望,眼前仍旧是一座座草木枯黄、尚少春色的大山,山前仿佛是ー些残
余的雪花,不知从何处飞来,星星点点向下飘落。
我失望地闭目静坐了一会儿。终于未能亲眼看到雪国春天中最先开放的那些木莲
花。我只在脑海里描绘出ー株盛开的木莲,醒目地屹立在一个山峰上,她那洁白的花朵
上刚オ飞落的积雪一定正在融化,雪水仿佛花朵自身的水珠一滴一滴向下滚落。
(选自《堀辰雄全集第三卷》筑摩书房1977年版)
编者注:该译文选自《日本随笔选集》(上海译文出版社1986. 7, pp. 497 —501,略有
改动)。
16 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
3第 課
ナイン
学習の手引き
1. ①時間はいつか。②場所はどこか。③人物は誰と誰か。またどういう関係か。
① 時間
•東京オリンピックが開かれたのは1964年10月のことである。
•「わたし」が中村さんのところにいたのは1964年の暮れから1967年までであ
る。作者の「わたし」は、当時のことを回想の形で書いたのである。
•「中村さんはスポーツ紙を眺めながら……」とあるが、ある参考書によると、中
村さんは王貞治が巨人の監督に就任したことについての報道を読んでいたと
いう。王貞治が巨人の監督に就任したのは1983年11月8日だから、作者の
「わたし」が中村さんの店を訪ねたのは、その翌日の11月9日と考えられる。
② 場所四谷の新道
③ 人物作者の「わたし」と中村さん
「わたし」は放送関係の仕事をしているが、昔、中村さんの仕事場の二階を借りて
いた。中村さんは中村畳店の主人である。二人は大家と店子の関係である。
2. 「わたし」と「新道」との関係を考えること。
作者は、四ッ谷駅から放送局へ行くには、途中新道を通らなければならないそう
だ。だから、新道は作者にとってかつて住んでいたところであり、今は帰り道、通
り道になるとも言える。
3. 「新道」の今の様子と昔の様子を整理すること。
今の「新道」
飲み屋に食べ物や、喫茶店が林立し、厚化粧で、「素つ気のない小路」、相手の懐中
を当てにしないとやっていけない「脆い通り」になっている。
昔の「新道」
豆腐屋、ガラス店、ワイシャツ店など生活にかかわりのある店があり、しかも大
和屋のような、さまざまな人が新道に住んでいた。だから、昔の新道は商店街では
あるが、人が住み、生活するところでもあった。
第七册第3課ナイン 17
4. 「わたし」が「新道」についてどのように思っているか、整理すること。
昔の新道には、生活があり、小路全体に自信のようなものがみなぎっていた。現
在は華やかだが、素つ気のない小路で外から来る客の懐中を当てにしないとやっ
ていけない「脆い通り」になってしまった。
5. 新道少年野球団について次のような情報を整理すること。
メンバーは9人、監督は暑気あたりのため、途中やめてしまった。新道少年野球
団のメンバーは監督のない状況で、試合を続けた。この点から、新道少年野球団は
監督の指導の下で訓練を受けたとは考えられない。
メンバー名前 家業 その後の情報
投手 英夫 畳屋 畳屋
捕手 正太郎 洗濯屋 「寸借詐欺」?
一塁 明彦 洋品屋 丸の内にある会社の社員
二塁 洋一 惣菜屋 新宿のホテルのコック
三塁 忠 ガラス店 コンピュータ技師
遊撃手 光二 文房具店 神奈川県で中学校教師
左翼 常雄 豆腐屋 <埼玉で自動車学校を経営
中堅手 (触れなかった)
右翼 誠 魚屋 放送局の前で小料理屋
6. 新道少年野球団の強かった理由を並べてみること。
① 新宿区少年野球大会で準優勝したこと。
② 決勝戦を延長12回まで戦った上での準優勝。
③ 相手のチームに投手が3人もいるのに対し、新道少年野球団には1人しかいな
かったこと。
④ 投手の英夫は、かんかん照りの中、準決勝とあわせて19回も投げぬいたこと。
7. 主将「正太郎」の名前について考えること。
「正」とは、「なおす」「きちんとする」「おさめる」「まっとうな」「正しい道理」「主に
なる」などの意味、「太郎」とは、「長男」、同類の中での第一の者という意味を表す。
それに、正太郎の名前と「洗濯屋」という家業、正太郎の小説での役割を併せて考
えると、みんなの汚れを引き受け、それを洗い流していく役割を象徵的に表してい
る。つまり、みんなの誤りを正し、なおしていく役割を象徴的に表している。
8. 中村さんが「正太郎のことは口にしたくない」理由を整理すること〇
中村さんも騙された被害者の一人であり、正太郎の行為は、過去の新道少年野球
団の栄光を傷つけるものだから。
18 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
9.正太郎に騙されたことについて、英夫の考えをまとめてみること。
正太郎に騙され、その穴を一日も早く埋めなくてはと思って、仕事に精を出す
ようになった。本気で仕事をするようになったのは、正太郎のおかげだからと感
謝している。
io•正太郎が英夫の前に立って日陰をつくった理由と、正太郎が常雄まで日陰に入れ
る理由を考えること。
まず、捕手の正太郎には英夫が疲れていることが一番よく分かったから。新道
少年野球団側にすれば、ここで英夫が打たれたり、倒れたりしたら、試合は負けて
しまう。英夫を支え、励ますことがチームの勝利にもつながるという理由。
また、新道少年野球団のメンバーはたった9人で、一人でも倒れたら試合はでき
なくなり、試合に負けてしまう。弱い人を守っていくことがチームの勝利にもつ
ながっていくという理由。
11.英夫や常雄を日陰に入れた行動から正太郎はどんな人間か、考えること。
常にチーム全体の状況を見て行動するリーダー性の高い人物であり 、弱いもの
を守ろうとするやさしい人物である。それに、みんなで助け合い、協力し合って
困難を乗り切っていこうとするたくましさを持つ人物でもある。
12 •作者が「西日」を小説に取り入れた狙いを考えること。
作者が「西日」を小説に取り入れた狙いを考える場合に 、まず、「西日」はこの小
説の中でどのような意味を持っていたかを考える必要がある。
決勝戦で、西日は英夫たちナインを苦しめるものである。また西日があったか
ら、日陰を作るという行動も生まれ、ナインたちの中に自信や誇り、信頼感を生み
出すことができたのである。
したがって、作者が「西日」を小説に取り入れた狙いは、困難をともに乗り越え
る中で生まれたナインたちの仲間に対する信頼や誇りと自信を読者に伝えよう
とするところにあるのではないかと考えられる。
第七册第3課ナイン 19
練習
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1)次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
そけ そうざい なこう配ばい しょきあた ねぎら(労)う たてう
素つ気 惣菜 暑気中り 建売り
けお うけあ おおあま すんしゃく みす おんなでい
気圧される 請合う 大甘 寸借 見据える 女出入り
かざ(翳)す こうじょう さぎ こが みそ
口上 詐欺 木枯らし 見染める
(2)次の単語の意味を覚えなさい。
詰めかける=その場所がいっぱいになるほど、大勢の人が一か所に押し寄せ
る。/拥到,挤到,蜂拥而来。
素つ気=要素・におい。面白み。趣。/气味,味道;趣味。
勾配=傾斜面の傾きの度合。斜面。傾斜。/斜面,斜坡,坡度。
見染める=異性を一目見てその人を恋い慕うようになる。/ー见钟情。
請合う=約束する。保証する。ひきうける。/保证,担保;承包。
建売り=業者が最初から売る目的で家を建てて売りだすこと。またその家
屋。/建房出售,商品房。
女出入り=女に関してのもめごと。/因拈花惹草引起的纠纷。
気圧される=全体の感じや相手の勢いに圧倒される。/被(气势)压倒,镇住。
だらだら=なだらかな傾斜が続く様子。/倾斜度小而长,缓缓。
(注:因含义较多,故省略了与本课无关的内容。)
二、 次の慣用句や連語の意味を覚えなさい。
膝を進める —— 凑过身去倾听,听得津津有味。
眉に唾をつける—— 倍加小心,提高警惕。
性根を据える——下决心……,决意……。
気が、ある 有意思 。
ひと肌ぬぐ——真情帮助。
ねんごろになるーー男女相爱;成为亲密朋友。
一目も二目もおく ーー略逊ー筹,有差距;礼让。
鼻にかけるーー炫耀,傲慢。
三、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)课文参考译文
20 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
四、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
I. その場でとっさに思いついての行動。
2••①新宿区少年野球大会で準優勝したこと。②決勝戦を延長12回まで戦った
上での準優勝。③新道少年野球団には投手は1人しかいなつかたこと。(相
手チームには3人いた)④投手の英夫は、かんかん照りの中、準決勝とあわせ
て19回を投げぬいたこと。
3. 当時の様子:豆腐屋、ガラス店、惣菜屋、ビリヤード屋、普通の会社員、歌舞伎
役者などさまざまな人が生活していた。
現在の様子:ほとんどが飲み屋、食べ物屋、喫茶店になってしまった。
(昔と同じ店はワイシャツ店と畳店く、、らい)
「私」の思い:当時は、生活があった。自給自足していた。小路全体に自信のよ
うなものがみなぎっていた。現在は、厚化粧で素つ気のない小路
になり、華やかな小路だが、人の懐中をあてにする脆い通りにな
ってしまった。
4. 新道が賑やかな街になるにつれて、地価が上昇し、処分すれば郊外に家を建
てても、大金が残るため、親たちが競争して土地を処分して 、新道を出てしま
ったから。
5. 人が住み、生活する町ではなくなったことを表している。
6. 中村さんも騙された被害者の一人であり、正太郎の行為は、過去の新道少年
野球団の栄光を傷つけるものでもある。それで、口にしたくないと言うので
ある。
7«中村さんは、英夫や常雄がなぜ正太郎を許すのか理解できない。それが正太
郎のことを誰かに聞いてもらいたいという気持ちにもさせているのである。’
8•息子の英夫の職人としての腕が一人前になっていると見て、英夫に仕事をあ
る程度任そうとしている。
9.正太郎に騙され、その穴を一日も早く埋めなくてはと思って、仕事に精を出す
ようになった。本気で仕事をするようになったのは正太郎のおかげだと感謝
している。
io,捕手である正太郎には英夫が疲れているのは一番よく分かったから。
控え投手のいない新道少年野球団側にすれば、ここで英夫が打たれたり、
倒れたりすれば、試合に負けてしまう。英夫を支え、励ますことがチームの
勝利にもつながるから。
II. 自分たちの力に対する自信と誇り、チームメイトに対する信頼と誇り、そして、チ
ームが一丸になって戦うことができた喜びと一体感を読み取ることができる 。
12.「正ちゃんは一見、悪のように見えるけど、やはりぼくらのキャプテンなんです
第七册第3課ナイン 21
よ。結局は、ぼくらのためになることをして歩いているんだ。」という内容。
13. 「西日」は英夫たちナインを苦しめたが、その「西日」があったからこそ、ナイン
の信頼や団結も生まれたという意味を持っている。また、「西日がささなくな
った」ことは、もはやそこにはかっての信頼や友情や団結は生み出されないこ
とを示している。
それに、「西日がささなくなった」と同時に、失われたものもある。社会変化
の中で、困難さがなくなっていくが、逆に失われたものもある。新町という町、
そこでの人々のつながりや生活や人情といったものは、二度と戻っては来ない。
14. (幾通りの説明ができる)
①野球のチーム。②九人で1チーム。一人でも欠けたらチームとしては成り立
たない。つまり、九人で一つのまとまりである。/ナインの一人一人がかけが
えのない大事な存在である。③チーム競技である以上、チームワークが不可欠
のものである。④新道少年野球団のチームの人数。ぎりぎり九人のチーム。
⑤ほかの者にはわからないが、ナインだけにわかるものがある。
15. 主要主題
困難をともに乗り越える中で仲間への信頼や誇りが生み出された。そし
てそのかけがえのなさ、その信頼や誇りは、時がたち、町や人は変わっていっ
ても、人の心の中に変わらずに生き続けている。
副次主題
① 経済成長の中で、古きよき町が失われていく寂しさ。
② 古きよき町、そこでの人情、生活への懐古。
五、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。
問1 下線部①「ほのぼのと」と同じ意味で使われているものを、次の中から選ん
で、〇をつけなさい。
ウ
問2下線部②「ひろびろと奥深く思われて、まるでおとぎ話の世界のようにな
る」というのは、どんな様子なのか。次の中から選んで、〇をつけなさい。
ア
問3下線部③「やっと気がついて」とあるが、どういうことに気がついたかを書
きなさい。
みちにまよったこと
問4下線部④「こんなだから」というのはどんなことを言っているのか。そのわ
けを述べている部分を文章の中から探し出して、12文字で書きなさい。
方角がわからなくなる
22 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
問5下線部⑤「わたしはふぶきの夜は小屋の中にとじこもって、いろり火をたい
て風の音を聞く」という文の中で、「わたしは(主語)」に対する述語を三つ
書きなさい。
1.とじこもって 2.たいて 3.聞く
問6下線部⑥「それ」とは、何をさしているか。その内容を書きなさい。
風の音
問7この文章を二つの段落に分けるとすれば、どこで改行したらよいか。改行
の初めの5文字を書きなさい。
わたしはふ
L"参考産艾•…
九星棒球队
朱芬译
没有想到广播局的工作很早就结束了,我便顺道去拜访四谷车站前新道街上中村
的店铺。中村是榻榻米店的老板,店铺门面虽小,里面却有个很大的作坊。东京奥运会
那年年底,我租借了作坊的二楼,ー租就是三年。三房一厅,两间6铺席大小,ー间4铺
席半,餐厅带厨房有8铺席大,还外加宽敞的浴室和通风良好的阳台,月租金不过4. 5万
日元,大概比当时的市价便宜两成。总而言之,二楼如此宽敞,ー楼“中村榻榻米屋”的作
坊自然更小不了。如今,二楼住着中村的长子英夫夫妇。
中村一边浏览着体育报,ー边嚼着放在“茶叶筒”里的薄脆饼,见到我便用他那粗壮
的满是针茧的手指轻轻敲敲火炉旁的榻榻米说:
“来来,一起吃点心。”
聊天的话题受体育报标题的影响,自然落到棒球上。不一会,中村突然凑近我说:
“新道少年棒球队,当年厉害吧。”
那口气仿佛狮子队巨人队①也不在话下。
“总之,在新宿区少年棒球大赛上获得亚军,那不是一般的厉害吧。而且决赛加赛至
12局オ定胜负,这无异于新道少年棒球队夺冠嘛。通常夺冠的球队都有3名投手,大轻
松啰。可新道只有英夫ー个投手。他ー个人,连同上午的半决赛,连续19局一路狂投。
那可是炎炎夏日下的19局啊!英夫也好,新道少年队也好,都是好样的!”
“我记得呢,那光景。是我借住在这里的第二个夏天的事嘛。”
①日本职业棒球队队名。
第七册第3課ナイン 23
“这么说,当时您也挤进外濠公园棒球场来了?”
“没有,我是从广播局回来的路上,撞上了他们的胜利游行呢。”
也许是因为附近上智大学的学生变多了,加之四周建起许多公司大楼,这4米宽,不
足百米长的小小新道街,如今成了四谷ー带最繁华的地段。开得最多的无非是小酒馆、
饭店或咖啡店。为了招揽顾客,家家“浓妆艳抹”,可总觉乏味。十七八年来“容颜”无改
的只有街头的衬衫店和街尾这家榻榻米店了。当年的新道街充满生活气息,豆腐店、玻
璃店、副食店、台球室,还有丈夫在公司上班的寻常大家。从四谷车站出来,从新道街穿
行的人们,要爬ー个缓坡。坡道正中,住的是歌舞伎演员大和屋(十世岩井半四郎)。夏
夜,在原色木门前,大和屋和两个上初中的女儿,经常在那块不大却洒过水的石板上燃
放纸捻小焰火。两个女儿后来也成了著名演员。一句话,那时的新道,自给自足。大部
分日用品都能在新道街上买到,新道小店也只面向本街人家,生活没有问题。这样的新
道街,虽然微不足道,却完全能够自给自足。小街无处不充满着自信。现在确实繁华许
多,可是看到不依赖外来客的腰包便无法生存的景况,总觉得小街变得脆弱起来,心里
无奈得很。
“棒球队队长,洗衣店家的孩子正太郎,捧着’亚军‘奖杯经过大和屋门前时,正好被
我撞见。正太郎旁边就是英夫,跟着后面是其余七名队员,小家伙们簇成一团,嗨呦嗨呦
地走过来。我听说教练是台球室的大叔,可没见着,记得当时还觉得奇怪来着。”
“台球室的教练啊,决赛刚开始,就中暑倒下了。年过六旬有三四的老人了,不能责
怪什么。可就这种没教练的情况下,他们还是十二场都挺过来了 。新道少年棒球队,一
个字——强啊!”
“大和屋带着两个女儿走出来,递给正太郎一个红包,那情形还历历在目。大和屋犒
劳一句’打得好,辛苦了’,刚刚还嗨呦嗨哟的九个小伙子,哇的一声,齐刷刷哭起来。”
“应该是懊悔得很吧。”
“那九人现在都在干什么呢?英夫的情况自不必说了。”
“各奔东西啰。”
中村眼皮套拉了下去。
“ー垒手,洋货店家的明彦,大学毕业进公司了。洋货店把地皮卖了,举家搬到千叶,
听说明彦在那里进了丸内公司。二垒手,副食店的洋一呢,在新宿一家宾馆做厨子。”
中村对解散后球员的动向了如指掌。从他那得知,三垒手,玻璃店的小忠,当了计算
机工程师;游击手,文具店的光二,在神奈川的ー个初中当老师;左外场手,豆腐店的常
雄,在埼玉经营一家驾校。
“这附近,只剩下右外场手,鱼店的小诚。他在广播局门口开了家小餐馆。”
“豆腐店的常雄成了驾校的经营者,倒是意外。当年还是六年级的小学生吧,掐指ー
算,现在也オ刚刚30岁吧。年纪轻轻就经营起一家驾校,岂不是很厉害。”
“是这么回事,他起初做出租车司机的时候啊,被公司老板的女儿看上了。这老板还
24 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
经营着一家驾校。”
“啊,原来如此。”
“如此个个都离开了这新道街 。这里地价高,三四十坪①的土地,ー转手,除了可以
在郊外造ー幢房子,还能余下不小一笔。所以家长纷纷将这里的土地出手,余款呢,存作
养老金。对了,大和屋家也搬到若叶町去了。”
不知为何,中村偏偏跳过了洗衣店的正太郎。为何不愿提及他的事情呢?他可是新
道少年棒球队的4号击球员、接手以及队长啊!
“哎,我真不想提正太郎。”中村像是看穿了我的心思。
“只要听到那家伙的名字,饭都变得不好吃。就因为他,英夫被骗了价值85万日元
的草席。事情都这样了,我要去警察局报案,英夫还威胁我・报案我就出走, 。袒护竹马
之友固然可以,可也得有个度吧。”
嘴上虽说不想提,可话茬一旦打开,中村便口若悬河了。两年前的冬天,一天,正太
郎突然造访,说要订购榻榻米。他当时是这么说的—— 我现在在练马一家房地产公司
工作了。之前一直让大家不放心,这次是真的决心改头换面,你们就请放心吧 。我们公
司呢,是专门建造成品房出售的。如今打交道的那家榻榻米店尽卖些劣质品给我们,负
责大很头疼。见这情形,也是为了向公司表现一下,我就自告奋勇地说了大话: “榻榻米
的事,包在我身上吧。”我的请求可能过分了些,可实在抱歉,能不能明早之前帮忙弄到 5
栋成品房用的榻榻米?——中村先生说,他是高度警惕地听完这番说辞的。因为此前已
多次听到传闻,说正太郎以向朋友挪借的名义行骗。可是拗不过英夫的求情,一句“您就
相信小正吧”,中村就豁出去了一ー为儿子的好朋友赴汤蹈火一回吧。自己店里存货不
够,还向同行周转调度了一部分。第二天一早,货物如数交到带着卡车过来的正太郎手
上。而他,从此再没出现过。
“那个时候要是把他交给了警察,后来常雄也不至于吃那些苦啊 。常雄差点服毒自
杀啊。”
去年春天,正太郎又来到了常雄的驾校,央求常雄雇他做事,哪怕打扫卫生也行。于
是常雄让这位老友坐办公室。夏天,那家伙携办公室金库中的400多万日元消失得无影
无踪,常雄妻子也同时离家而去。好像正太郎不知道什么时候勾搭上了常雄的妻子。常
雄一度想自杀。就在这时,妻子狼狈而归。
“妻子好像受了巨大打击,据说从此变了个人似的,对常雄尽心尽力,这倒是因祸得
福。不过至今一回想起服毒自杀那会儿,常雄还是止不住泪流满面。常雄当初可是胆子
最小的8号击球手,是最怕死的ー个啊。连这孩子都想到死了,一定是痛苦难当啊……”
“那,常雄后来怎么处理的?他起诉正太郎了吗?”
“他也还是袒护了那家伙。也没去报警什么的,什么也没做。”
①日本土地面积单位,约1坪= 3.306平方米。
第七册第3課ナイン 25
“堂堂新宿区少年棒球大赛亚军队队长,何以堕落成这个样子啊!”
“我也搞不明白。不过,洗衣店他们家老是起争执,为老头子拈花惹草的事。每每父
母争执得厉害,正太郎那孩子就离家出走。”
“爸爸,帮我检查一下做好的榻榻米吧。”
英夫ー边脱下套在手上的皮护袖,ー边从里头走了出来。
“这不,今天四点必须得出货。"
“你看着行就行了,任谁也不会不满意的。”
虽这样说着,老头子见儿子这样敬重自己的地位,还是很开心的,轻快起身,
“这会儿,正说你们几个姑息正太郎的事呢。即便如此,当年的新道少年棒球队,强
啊! ”ー边念叨着ー边走了进去。.
“你父亲就要隐退了吧,如今事事都放心交给你了嘛,听刚オ你们的对话就这么觉
得呢。”
“若如您所说,也是多亏了正太郎啊。”
英夫把手放到火炉上烘,右手指起了好几个针茧。
“被正太郎骗了 85万以后,我才知道要好好工作。怎么说呢,应该说是想尽早把小
正闯下的纸漏给填上吧,所以拼命干活。就说常雄吧,我想他对小正应该也是又恨又感
激。常雄的事也跟您说了吧?”
我点了点头。
“常雄老婆仗着常雄是上门女婿,一直傲慢任性得很。可自打跟小正闹出事以后,就
变了个人。小正看似是个恶人,可果然还是我们的队长,终究还是在做ー些为我们好的
事情。”
“毕竟是并肩作战到决赛的战友嘛,所以オ如此信任是吧。嗯,可以理解。”
“叔叔,您不明白的。”
英夫瞅准了我的心思这样说道。
“我爸也不明白。因为他是在堤坝上的树荫底下观看比赛的。我初中高中一直打棒
球的,高三终于打进了西东京大赛的决赛。可都没有那个夏天那么叫人刻骨铭心。”
英夫坚定的语气给人ー种压迫感,我稍稍挪动了一下身体 。英夫轻声嘟嚷着,仿佛
在揣摩如何表达。他最终这样开始了:
“话ー说出口,感觉就像是编造出来的。怎么说呢,是这样的,不管是半决赛还是决
赛,我们队的选手席都在三垒那边,也没个遮阳棚什么的,就光光一张长条木凳。”
从四谷车站新宿方向出口出来以后,沿着漫长的护城河大道一直往下走,到了市谷
就能看见一座三角形的公园。那就是外濠公园棒球场。公园是填了外护城河比较低洼
的一段建造起来的。当时,棒球场的铁丝网还没围起来,所以直接从护城河大道走过来,
下得堤坝,便进入了球场。堤坝上种着樱花树,可堤坝ー带是ー垒位置和球网后方的看
台。也就是说,三垒这边的选手不得不一直处于烈日的炙烤下,而一垒那边的选手至少
26 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
在自己队进攻时,可以在樱花树堤坝的遮挡下擦ー擦汗水。位于三垒的新道少年棒球
队,在那烈日下奔跑一天,一定累得够呛。
“大约是第六场决赛的时候吧,我精疲カ尽地回到椅子上,却感到忽的一下清凉起
来。一看,竟是小正站在凳子前帮我挡住了烈日。不一会,其他几个队员也都学着小正
站到我前面来。这情形一直持续到第十二场。我能一直投到终场,都是因为有这帮队友
为我遮挡西晒。有次,常雄中途站不住,摇摇晃晃起来,也是小正发的话——’常雄也到
阴凉里头歇会儿,别不好意思,这是队长的命令!‘胜利游行时的哭也是喜极而泣。我们
在不可能有一丝阴凉的地方,创造出阴凉来了。对于这样ー支棒球队来说,还有什么是
我们办不到的呢!当时就是这样ー种心情。这信念至今还残存于心中的某个角落。正
因为如此……"
从中村榻榻米店出来,我从护城河大道,往市谷方向走去。隔着铁丝网眺望棒球场,
秋风卷起漫天的沙尘,在球场上飞舞。回首仰望西边,公司大楼高高林立,在棒球场上投
下阴影。十几年过去了,这里已不再有西照的阳光投射。
(摘自《九星棒球队》1987年版)
第七册第3課ナイン 27
竺用Wr- S深B
わたしの夏—— 1945年•広島
・掌習0予弓Iき…
1. 原爆投下後の混乱した病院の様子を、文章の展開に従って、確認すること。
・祖父の病院に被爆者たちがトラックによって、次々と運ばれてきたときの様子。
•一睡もせずに被爆者の治療に追われた祖父の様子。
・ヤカンを持って被爆者の間を走り回ったときの筆者の様子。
・被爆した父のために薬をもらいに来た少女の様子。
•全身火傷を負った、全裸の少女が苦しんでいたときの様子。
•三日後の病院の様子。
2. 文章の展開に従って、筆者の体験したできごとをまとめてみること。
•疎開先の祖父の家で朝食時に原爆投下の衝撃を体験したこと。
•母とともに祖父の病院の受付の仕事に駆り出されたこと。
•被爆者が次々と運ばれてきたときのこと。
•手当てを受ける順番待ちの被爆者たちに対応していたこと。
•麦藁帽子をかぶった少女に、被爆した父親に飲ませる薬をせがまれたこと。
•全身火傷を負った、全裸の少女にいきなりモンペのすそをつかまれたこと。
•「新型爆弾」のうわさを聞いたこと。
•緑井国民学校に救護所が開かれ、被爆者たちが移されたときのこと。
•待合室の敷台に妊婦がぐったりとしていたときのこと。
•久しぶりに家に戻って食事をしたこと。
3. 筆者の感慨を記述した部分を見つけ出し、当時の筆者の気持ちをまとめてみること。
•手当てのしようもないのに、次々と重傷者を病院に送り込もうとする救護班に
怒りを感じたこと。
・負傷者たちに水を飲ませるために、ヤカンをもって走り回るので精いっぱいと感
じたこと。
•薬を処方できるものを捕まえることもできず、少女を帰らせることしかできな
かったときに、自分の無力さを痛感したこと。
•全身火傷を負った、全裸の少女にいきなりモンペのすそをつかまれた時に、恐怖
28 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
を感じたこと〇
•勇気が足らず、愛が足らずと後悔していること。
•ぞっと身の毛のよだつ感覚を覚えたこと。
•もう助からないと看護婦から聞いたときの気持ち。
•自分の手が異臭を放っていると気づき、原爆による独特の腐臭を感じたこと。
練習
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1) 次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
しゃにむに(遮二無二) 自重 すが(縄)る くまど(隈取)る
煤ける 振りほど(解)く よそよそ(余所余所)しい 一縷
よだ(弥立)っ ひしめ(毒)く
(2) 次の単語の意味を覚えなさい。
しゃにむに=めちゃくちゃに。がむしゃらに。/盲目地,ー个劲儿地。
きりきり舞い二①片足で体を強く回すこと。②せわしく仕事などに迫られ
ること。/①单脚旋转。②忙得不可开交,忙得不可收拾。
すがる=たよりとする。/依赖。
煤ける=煤がついて薄黒くなる。/烟熏,熏黑。
くまどる二①色彩で濃淡を付ける。境目をぼかす。②顔を紅、墨などで彩
る。/①用颜色渲染;勾画轮廓。②勾脸谱。
よだつ=寒さまたは恐怖、畏怖のために身の毛が立つ。/毛骨悚然。
よそよそしい=見知らぬ他人同士のように親しみがなく、冷淡である。うと
うとしい。/冷漠,冷淡,不亲热。
泣き沈む=ひどく泣いて、悲しみに沈む。泣き崩れる。/哭得死去活来,痛哭。
振りほどく =もつれたり絡まったりしたものを振り動かして解き放す。/甩
开,抖开,挣脱开。
ひしめく =大勢が押し合って騒ぎ立てる。/拥挤。
ぐったり=体力や気力がなくなり、倒れそうな様子。また、植物が生気を失っ
ている様子。/十分疲乏,精疲カ尽。
二、次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)-课文参考译文
第七册 第4課 わたしの夏—— 1945年•広島 29
三、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1. 治療することもできない病院に何も考えずにただ負傷者を置いていこうとす
る救護班の存在を非難する気持ち。
2. わずかな望み。
3. その時、何もできなかったという悔恨が強く心に残って、今なお自分を責めて
いる気持ち。/被爆した少女の父を救うことは不可能だったが、苦しんでいる
父に何かしてやりたいと一心に願っていた少女には、たとえ気休めでも何かで
きたはずであるという自責の念が、今も筆者の心に痛みとなって強く残ってい
て、筆者を苦しめている。
4•被爆した少女の外見に本能的に恐怖し、恐怖のままの行動に出てしまった自分
をひどく恥じている思いが込められている。
5. 今までになく人々をひどく傷つける効果を持った爆弾という点で「新型」とい
うことばに強い恐怖感を抱いたのである。
6. 極限の状況の中での個々の記憶という物が、実際は全体像の一部分に過ぎな
いことを意味している。
7. 核兵器という新たな兵器が作り出す脅威と絶望を実感的にとらえ、それに対
する嫌悪の気持ちが表されている。
8. •疎開先の祖父の家で朝食の時に原爆投下の衝撃を体験した。
•母とともに祖父の病院の受付の仕事に駆り出され 、次々と重傷者が運び込ま
れた。
•手当てを受ける順番待ちの負傷者たちに対応していた。
•麦藁帽子をかぶった少女に被爆した父親に飲ませる薬をせがまれた。
•全身やけどを負った全裸の少女にいきなりもんペのすそをつかまれた。
•「新型爆弾」の噂を聞いた。
•緑井国民学校に救護所が開かれ、負傷者たちは移された。
•待合室の敷き台に妊婦がぐったりとしていた様子をこの目で見た。
•久しぶりに家で朝食をした。
9. •手当てのしようもないのに、次々と重傷者を送り込もうとする救護班と荷台
の上と下で怒り合った。
・負傷者たちにヤカンの水を飲ませるために走り回った。
•薬を処方できるものを捕まえることもできず、少女を帰らせることしかでき
なかった。自分の無力さを痛感している。
•恐怖のあまり少女の指を振りほどいた。
•ぞっと身の毛のよだつ感覚を覚えた。
•もう助からないと看護婦から聞いた。
30 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
•自分の手が異臭を放っていることに気がついた。独特の腐臭を感じた。
10.•死にゆく父に薬を飲ませたことで残される家族の気持ちを救うことができ
たはずと自分の力のなさを悔しく思った。
•勇気が足らず、愛が足らずと後悔している。
•広島の人間にとっては、ピカッときてドンと一切が壊滅したのだから、「ピ
カドン」がふさわしい名称である。
•原子爆弾が、地球上に新しく生み出した、耐え難い悪の臭いだった。
四、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。
問1 下線部①〜⑤のカタカナを漢字に 、下線部⑦〜@の漢字を平仮名に直しな
さい。
①(張) ②(増) ③(荒々) ④(油断) ⑤(奥)
⑦ (なだれ)0)(きようふ)©(わたげ)㊂(かきね)せ(えとく)
問2 (ア)〜(エ)には「( A )一夜」または「( B )一時」と同じ語が入るが、前後の
意味を考えながら、AまたはBの記号で下記の( )に記入しなさい。
ァ(A) イ(A) ウ(B) エ(B)
問3次のことばの中から適当なものを選んで(I )の中に記号で記入しなさい。
0
問4下線部(1)はどういう意味なのか、説明しなさい。
目を覚めさせられる
.問5 (H)の中に入る最も適当な語をよく考えて、漢字1字で答えなさい。
情
問6下線部(2)「萌え」という部分と同じ意味のことばを文中から見つけ出し、そ
の言葉のもとの形で答えなさい。
色づく
問7下線部(3)「そういう」は何を指しているか、説明しなさい。
一時にぐんぐんといういきおいで伸びていくこと。
問8下線部(4)「新しい芽」と同じ意味を表していることばを同じ段落の中から
見つけ出し、7文字でぬき出して書きなさい。
ひたむきなもの
問9この文章中で、®札幌における春の訪れの様子、⑧よその土地における春の
訪れの様子を、それぞれたとえを用いて表現したところがあるが 、その部
分をそれぞれ1〇文字以内で抜き出しなさい。
のちょうど洪水のように
⑧軽く くすぐるように
第七册 第4課 わたしの夏ーー1945年•広島 31
問10この文章は、主としてどんな内容が描かれているか 。次のア〜工の中か
ら最も適当なものを—選んで、記号で答えなさい。
イ
课文参考译文
我的1945——广岛之夏
朱芬译
1945年8月6日上午8时15分。广岛上空,原子弹爆炸。
当时我读女中,病休在家,正与母亲和伯母一家围坐在早餐桌前。我们住在广岛县
安佐郡绿井町的今井医院(祖父的医院)医生住宅房。那里是距核爆炸中心约9公里的
疏散地。刚从爆炸的强光与气浪冲击中缓过神,我就被叫出来随母亲投入到接待病人
的工作中。医院门前,满载重伤者的卡车ー辆又一辆开来,转瞬间医院四周遍布伤员,惨
不忍睹。
那时祖父六十多岁,样子要比如今的同龄人苍老许多。然而,6日早晨之后,他“中
饭晚饭都没吃,通宵达旦处理伤员还是忙不过来。次日情况也大同小异。”(《回忆札记》)
劳累过度,几次昏倒,每次都是打ー针又爬起来继续做手术。
医院的助理医师、X光片技师早就被征集入伍了。6月最后一次征兵,连继任院长,
华发已生的伯父也披挂入营了。如今,护士 6人,女护理3人—— 祖父曾在札记中细数
他的“兵力’’。总之,没有男人。执刀手术的只有祖父一人,许多人未治先亡,简直束手
无策。
伤员还不断送来,我们怎么敢接收?送来也是丢在ー旁等死啊!满载重伤员的卡车
一到,车上拼命想把伤员往“医院”塞的救护员就和车下的我们声嘶力竭地对喊起来。
大家身处绝境,却没有一个人抱怨。负伤者越是忍耐、谦让,越是让人倍感痛心。偶
尔有人拘谨客气地问一声“快轮到我了吗?”,翻开登记簿—— 可怜见的—— 他前面还排
着几十个人。
手术间那边我从未扫过一眼。外科室毛玻璃内侧是祖父和护士们的战场,这边则
是我们大家庭的天地,只要不是喂奶的女人,都在打杂。其实也只是穷于应对蜂拥而至
的病人,忙得不可开交,至于具体做了些什么也想不起来了。
对医务工作一窍不通的我们,实际上也帮不上什么忙 。只是在呼唤着“水……
水……”的伤员中间穿来穿去,端茶送水,夜以继日,日以继夜。就连那水,也知道“对伤
口不利……”,每个人都能自持,只喝一点润润喉。那三天,医院实际上也兼做了收容所,
32 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
我从那些重病人身上受了三天的二手辐射。
有一次碰巧我在药房,窗口来了一个戴草帽的女孩,她央求我:
“我爸爸在这治疗后回家了,可是发高烧,很痛苦。能不能请医生出诊啊?”
这简直是做梦般的奢望。连ー次治疗还没轮到的病人,ー个接ー个地倒下,这一点
她也非常清楚,我只能以此拒绝。在当时,发高烧就意味着基本上没有希望了。女孩紧
抓着窗子的铁栏杆,继续央求:
“那至少给点药吧,至少给点退烧药吧……”
眼前的柜子里摆着ー瓶瓶药,而我却不知道哪瓶是退烧药。心里明明知道不行,可
还是出去想抓个护士问问。可她们一路小跑,来去匆匆,丢下ー两句话便从眼前消失。
这当然很正常。我失落地回到药房,等待我的是女孩那急切的目光,而我,只能充当扼杀
她最后一抹希望的角色。女孩额头抵在窗子上痛哭起来,握着铁栏杆的手指似乎快要
折断,周正的脸庞都扭曲变形了。
如今已过去半个世纪,那女孩还时常来看我,一握住铁栏杆便泣不成声。我想,当初
哪怕知道哪种药无毒也好啊!面粉也好,砂糖也好,只要能斟酌着取出一丁点当时的稀
罕物,郑重其事地放进药袋递给病人家属,该有多好啊!至少日后,他们也能得到些许安
慰——至少,我给濒临死亡的父亲(丈夫)服过退烧药的啊!
还有让我更加自责的事情。因为衣服不是被烧光就是被炸飞,不少病人赤身露体,
头脸已经分辨不清,像是浇上了沥青,上面黑乎乎地粘满“沙砾’',血肉模糊。一位跟我年
龄相仿的女孩,脑袋和额头就像糊上沥青,全身皮肤焦黑,仿佛被墨汁浸透ー样,身上还
血迹斑斑。
她倒在候诊室里间的墙壁旁不能动弹 。也不知道是第几天了,我疾步从她身边走
过的时候,她猛然拉住我裙裤裤脚ーー伤痕累累的瘦弱身躯竟爆发出如此大的カ
量—— 她恍惚地把脸转向我:
“拉—・我ー起一来,身一体ー好一痛 "
然而,那一瞬间,我却猛地被突如其来的恐惧攫住ーー如今已无颜再说 。其实是我
缺乏勇气,缺乏爱心,我就那样下意识地甩开了那只攥住裤脚的手。
“新型炸弹”的传闻散布开来,已是 7号傍晚时分。难以忘记听到消息毛骨悚然的感
觉。“原子弹”这一名词究竟何时初闻,已记不清。只因它“霹雳”一下来了,然后“轰隆”
一下,一切毁于一旦,广岛的人们一直用“霹雳轰隆”来形容,“原子弹”则是个无人提及的
名字。
最近,泰子伯母说起:
“第一辆卡车上,不知怎地有个没有负伤的男孩混杂其中,约摸10岁,来了没多久就
ー阵抽搐死掉了。当时爷爷就说,肯定是种新型炸弹。哎,果不其然啊……”
母亲伯母她们互相说起当时的情况,发现大家虽处同一境况,彼此的体验和记忆却
第七册 第4課 わたしの夏——1945年•広島 33
各不相同,仿佛每个人拿着完整拼图中的一片。只是每个片断,都充斥着绝望和混乱。
后来我们议论起当时医院接收的伤员究竟有多少的问题。大家意见不一,从不足
100人到200人,都有说的。而《广岛原子弹爆炸战灾志》第4卷第2编(广岛市政府,
1971年编)上记载着:今井医院收容300 A,处理死者80人。
爆炸后第三天,总算在绿井国民学校设立了救护所 。傍晚之前,伤员全部转移。夜
幕即将降临,我站在前院。几秒钟前还塞满伤员的屋子,如今空空如也,只留下阵阵异
臭。候诊室的地板上,还躺着一名妇女,一件单衣裹着大肚子,筋疲力尽地靠在柱子上,
ー张乌青的脸,仰望着天空。认识的护士经过,小声对我说:
“那个人,哎,肚子上被炸了个洞,羊水都流尽了,医生说,母子都保不住……”
那天晚上,终于再次回到家中吃晚饭。这オ注意到自己手上散发的异臭。那不同于
通常的尸体腐臭,是原子核分裂导致生物从内部腐烂而散发出的独特腐臭,是由于原子
弹爆炸,地球上新生出的ー种难以忍受的恶臭。
无论怎么洗手,只要筷子送到嘴边,手靠近鼻子,喉咙就条件反射般堵住。自己没觉
察,其实恐怕不仅是手,全身都散发着无比难闻的恶臭。
后来我们这些眷属没再去救护所帮忙,但祖父仍手持听诊器,身穿白大褂,带着两
三个护士奔向学校。那身影,至今记忆犹新。他的手记中也有记述。
大约持续ー个多月,祖父看完医院的病人便匆匆赶往学校诊疗。这期间处理的受
难者人数又达3000人。
一般症状多表现为:烧伤、割伤、挫伤、跌伤、骨折、脱臼、褪毛、痢疾腹泻等等。从死
亡诊断书来看,那段时间的死亡人数又达 155人。医院储存的够三个月医疗用的卫生材
料在这ー个多月里消耗殆尽。
(选自《原子弹爆炸表现与检阅》1995年刊)
34 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
5第 課
みやこ人と都会人
、豈胃〇壬弓Iき……
1. 全文を通読して、日本人の京都が好きな理由を整理すること。
•若いときに海外旅行をさんざんして 、大人になって「長いフライトは疲れるから」
と思うから。
•景気低迷のとき、グローバル・スタンダードについていけないので、「和風で勝負
する」という雰囲気が高まった。ここでの「和風」とは日本文化のことを意味す
る。「和風」を追及する人にとって京都は「和のテーマーパークー」であるとも言
えるから。
•京都は「お楽しみの重層性」を持つから。
•京都は日本の首都として千年以上の歴史を持ち、そこに文化遺産もたくさん残っ
ているから。
2. 90年代における京都が人々に与えるイメージについて考えること。
•年寄りくさいイメージが濃厚である。
•伝統芸能や着物などの人気はまったくぱっとしなかった。
3. 景気低迷の時期に一部の日本人の考え方がどう変わったかについて読み取る
こと。
景気低迷で、日本を代表する東京が「たいしたことないしー」となったときに、一
部の日本人は「東京がだめなら、京都があるじゃないか」と思い、グローバル・スタ
ンダードで勝負できないときに、「和風で勝負する」と変わった。
4. 日本人がいかに自国の文化をディスカバーするかについてよく読み取ること。そ
の具体的な例をまとめてみること。
•高価なオートクチュールの代わりに和服を着ること。
•大会社の社長婦人、医師夫人、弁護士夫人の代わりに家元夫人、老舗の若女将と
いった和風セレブに憧れること。
•にわかクリスチャンは「仏像」に興味を持つようになること。
•ドイツの包丁の代わりに日本製の「有次」を使うようになることなど。
第七册 第5課 みやこ人と都会人 35
5. 「和風病者」の意味と彼らのとった行動を考えること。
「和風病者」とは、非常に熱心に和の道を突つ走る人のことを言う〇
「和風病者」のとった行動
•高価なオートクチュールの代わりに和服を着ること。
•大会社の社長婦人 、医師夫人、弁護士夫人の代わりに家元夫人 、老舗の若女将と
いった和風セレブに憧れること。
•にわかクリスチャンは「仏像」に興味を持つようになること。
•ドイツの包丁の代わりに日本製の「有次」を使うようになることなど。
•せっせと京都詣でをするようになること。
6. 京都とディズニーランドの共通点を見つけ出すこと。
ディズニーランドには、夜のパレードがあるように、京都の祇園や宮川町には
夜のお楽しみがある。それにリピーター率。
7. 「裏メニュー」について、筆者の述べていることを注意しながら読むこと。
東京は「見たまんまの町」に対して、京都は「裏が裏として存在している」町であ
る点がポイント。詳しい例は「8」を参照すること。
8. 筆者が京都に惹かれた理由を読み取ること。
・「裏メニュー」があること。
•「雑誌によく載るところ」と「絶対雑誌に載らないところ」とがあること。
•「京都の人は何でもかんでもしゃべってしまうわけではない」こと。
•「本当に大切な事物はひっそりと秘蔵されていたりする」こと。
•「歴史も人も味も芸も、重層的に構成されているように見える」こと。
•見慣れない「奥」のほの暗さに興味を持つこと。
9. 東京と京都の相違点について、筆者の並べている例を注意しながら読むこと。
東京「見たまんまの町」「裏を裏のままで放っておいてくれない」
京都「裏が裏として存在している」
10.歴史の面から見た東京と京都の相違点を整理してみること。
東京「江戸には将軍がいたけれど、帝はいなかった」「体育系の都市」
京都千年にわたって「京都はずっと、京で都」だった。「文化系の都市」
11•筆者が文中で述べている江戸が発展した原因を読み取ること。
雑食性。明治維新。「帝が東にやってきて、江戸が東京」となった。
36 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
12,京都が文化の中心地となった原因を読み取ること〇
戦時中は空襲に狙われなかったし、戦後は東京のようにバンバン開発されなか
った。首都という汚れ役を東京が担ったから、京都は伝統文化をそのままに保つ
ことができたのであるといった原因が考えられる。
練習
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1) 次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
横溢 罹患 しにせ(老舗) 滾る 帝 お披露目 貪欲
開帳
(2) 次の単語の意味を覚えなさい。
ハタと二①思いがけずに出会ったり、急に思いついたりする様子を表す。②そ
れまで続いていた考えや言葉がそこで急に行き詰まる様子を表す 。
③鋭いまなざしでにらみつける様子を表す。/①(动作)忽然,一下
子。②ー时卡住;ー时想不起来。③狠狠瞪ー眼。
セレブ=有名人。名声。高名。/名人;名气。
アミューズメント=娯楽。楽しみ。/娱乐,消遣;乐趣。
アンティーク=古代の遺物。古美術品。骨董品。/古玩,古代美术品;古董。
リピーター=同じ店や催し、同じ旅行先などに何度も行く人。/常客,熟客。
フリーク=特定の物事に夢中になっている人。/发烧友,……迷。
汚れ役=映画、演劇で汚らしい扮装で社会的の地位の低い人物を演じる役。
また、道義的に世間から好ましく思われない人物を演じる役 。例え
ば、売春婦、暴力団、浮浪者などの役。/扮演下等人物以及反面人物
的角色。
二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)f课文参考译文
三、 本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1. 京都を特集した雑誌や京都を舞台にしたテレビドラマなど、「京都の」という冠
をつければ、さくらも紅葉も祭りも殺人もグッと魅力的な響きを帯びるから。
2. 30を過ぎて、ある程度人生を経験した大人になってから足を踏み入れるべき土
俵なので、20代ではまだ若すぎるから。
第七册第5課みやこ人と都会人 37
3. 京都
4. 社会全体の雰囲気
5. 「ついていかない」の主語は日本人であり、「和風ってところ」は「自国の文化」
を指す。
6. コーヒー・紅茶から緑茶へ、洋酒から日本酒へ、洋菓子から和菓子へ、外国車
から日本車へ、インテリアから和風へなど。
7. 「三拍子」とは、必要とされる三つの基本的な条件を指す。
例:アミューズメント——神社仏閣、博物館
物販ーー漬物、和菓子、扇子、アンティーク
飲食ーー懐石、甘味、うどん、肉など。
8. 一回行っただけで理解してしまうような施設やイベントではなく、「また行き
たい」というリピート心を刺激するような「裏メニュー」や「楽しみ」がある
状態。
9. 留まることなく京都の奥深い味わい(魅力)に取り付かれていき、中毒状態の
ようになって、そこから抜け出せなくなること。
10. お金には換えられない、奥(裏)にあるもの。つまり、京文化の真髄。
11. 貪欲な街東京はお金で何でも買えるので、表も裏もない。たとえ裏があって
も、お金になるものであればすぐ公表してしまうということ。
また、いろいろな土地から人が集まってくる平等な街なので、異質なものも
均ーに消化されてしまい、奥(裏)にしまっておくべき特別なものはなくなっ
てしまうということ。
12. 江戸は徳川家を中心とする武士集団が武断政治を行っていた本拠地であると
いう意味。伝統的文化都市の京都に対して言っている。
13. 平等な街。お金があればどんなものでも買うことができ、どんなサービスで
も受けられる。共同体意識も希薄なので、よそ者を排除することもない。
14. 京都の老人が今でも持っている「天皇は、ちょっと東京に行ってはるだけ」とい
う感覚を指す。
15. 「本当だったら京都が首都」という意識を指す。
16. 例えば、自然環境を大切にする、伝統文化に根ざした国を意味する。
四、次の文章を読んで、後の質問に答えなさい。
問1(A)〜(D)の中に入れることばとして、最も適切なことばを、次のア〜クの
中から選んで、〇をつけなさい。
Aエ B才 Cア Dキ
38 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
問2下線部©と@の「か」には、筆者のどのような気持ちが表されているか。そ
れぞれについて、次のア〜カの中から選んで、〇をつけなさい。
(Sエ (©イ
問3①の段落から③の段落までの文中で、何が、どんなふうに、どんなだ、の構
成でつづられている文を抜き出して書きなさい。
春の日ざしが今宵の月夜を約束するかのように明るかった。
問4下線部(1)「しだれ桜の満開の姿と、春の宵の満月が呼応する情景」とある
が、その情景が表されている段落を探し、その番号を書きなさい。
⑤
問5次に示した文を、本文中の@®©©のうちのどこかに入れるとすれば、どこ
が最もよいか、その記号を書きなさい。
©
問6下線部(2)「心の眼が開けた」とあるが、このことばの意味に最も近いことば
を、次のア〜才の中から一つ選んで、〇をつけなさい。
ウ
問7筆者は、自然と人間との関係をどのように考えているのか、それを表してい
るー文の初めと終わりの5文字を書きなさい。(句読点は字数に入れない)
最初の5文字:生成と衰滅 終りの5文字:がっている
I课文参考译义
京城人与都市人
朱芬译
日本人为何如此钟爱京都——我每次逛到书店的杂志专柜,都会自问。妇女杂志
也好,男士杂志也好,旅行杂志也好,美食杂志也好,稍不留神,全都推出了京都特辑。连
电视上播放的两小时悬疑片里的杀人事件,也往往发生在京都。只要冠上“京都”之名,
无论是樱花还是枫叶,是庆典还是杀人事件,都一下子套上了魅力的光环。我不禁想到,
在日本就算有人“对京都不感兴趣”,但总不会有人“讨厌京都”吧。
笔露真情,我本人当然也是喜欢京都的,只是与京都的神交还不算久 。记得小学时
曾收到班里学习成绩最好的朋友寄给我的一张明信片,上面写着:
“我们全家来京都了,晚上在圆山公园看了樱花。”
我记得当时感慨万千—— 全家去京都旅行,书香门第果然不一样啊!我自己则是
第七册第5課みやこ人と都会人 39
高中学校学期旅行オ去了京都。那时的感想就两个字“迷糊”。
二十多岁时,也曾和男朋友一起去京都旅行,却也没有留下什么特别的印象 。清水
寺啊,南禅寺豆腐火锅啊,在我心里不过是“有别于平日的约会”的舞台而已。但是,在京
都这个舞台上,当时同样二十多岁的男友,却显得有点难托终身。其中的缘由,那时的我
是不明白的。直到年过三十,加入“剩女”行列之后,オ忽然感到“京都好开心啊”。到了
不能再和年轻人ー决高低的年龄以后,见到京都我就想:“中年人该去的天地,莫非在
此……?”
看看自己周围,相同情况的女性,似乎也都喜爱京都。她们既有一定的经济基础,又
有空闲时间,长期的单身生活培养出她们充满理智的好奇心,况且年轻时没少去国外旅
行,所以,动不动就抱怨“漫长的飞行好累人啊”……于是乎,这下能去的地方,不是只有
京都了吗?
当然,京都的人气,不是单靠大龄女青年支撑起来的。京都旅游是不分男女,老少咸
宜的。但是,我却认为,这空前的京都人气,或许跟日本的不景气有关。
直到90年代初期,日本经济势头良好,人们的兴趣所在和向往之地依旧是欧美。那
时的日本意气风发,“勇争世界第一”的氛围浓厚。于是,本土的东西就意味着昔日黄花,
传统艺术、和服等难以引人注目。
可是,后来日本经济低迷,全世界弥漫起“日本没什么了不起”的氛围,这下子日本人
想:“不忙着跟国际标准接轨,就在’日本特色’这一点上取胜,不也行吗?”
说“日本没什么了不起”,是就东京那一面而言的。与欧美各国抗衡过来的,是东京。
东京那一面变得“没什么了不起”时,日本人便琢磨着:“东京不行了,我们不是还有京
都嘛。”
这就好比,一位日本女性,无论穿着多么昂贵的巴黎高级时装,一旦到了宴会上,与
外国女性并肩,总是相形见细。她就会想啦,“对啊,穿上和服不就好了。只要穿着和服,
至少我是日本人,不逊于日籍洋人藤吉妮呢。”
如此一来,日本人开始挖掘本上文化。人们常说“大人出麻疹,格外严重”,那些患上
“和风情结”的大人们,对“和风”的追求几近狂热。过去渴望成为大公司董事夫人、医师
夫人或是律师夫人的女士们,如今憧憬成为梨园世家掌门夫人或老字号年轻女掌柜等
传统式名人;曾经为了在港区著名教堂举行婚礼,甚至临阵加入基督教的人们,如今又
说“最近觉得佛像很吸引人”;就连菜刀,也不再追捧德国“索林根”,改用日本“有次”
牌……
京都便成为这类人的圣地。不必等东海铁路客运公司来劝诱:“啊,这就去京都吧”,
“和风情结”患者早已心急火燎地赶去京都参拜了。
对于“和风情结”患者而言,京都,可以说就是“和风主题公园”。成为主题公园不可
或缺的三样东西:景点、购物和饮食,京都正好一样不缺 。神社佛阁、博物馆等景点设施
应有尽有;腌菜、日式点心、扇子外加古董,购物也显得颇具魅力;至于饮食,“怀石料理”、
40 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
甜品、乌冬面、肉,样样齐备。进ー步描述的话,就像迪斯尼乐园夜晚有游行表演ー样,在
京都,只要去祇园或宫川町,晚上也有很多乐趣等着呢……
还不仅仅是这些。主题公园要旷日持久生存下去,最重要的是游客回头率。京都一
如迪斯尼乐园,在这点上也不逊色。
提高回头率的秘诀是“乐趣的多重性”。也就是说,如果只有那些去了一次便兴致殆
尽的设施、活动,游客便会觉得“不过如此”,就此别过。就像有些饭店有私家珍藏菜单一
样,需要准备ー些绝非一眼扫过便能完全领悟的东西。每个季节都有不同的乐趣,才能
激起游客“还想再来”的兴趣。
比如迪斯尼乐园吧,更新游行节目单时,据说,其实在比公布的更新日期提前几夭
的彩排中,早有新节目的首次亮相;又听说其实园内有家会员制秘密俱乐部,是唯一能
喝到酒的地方等等。总之,只有内行的人才会有这许多消息。迪斯尼发烧友们越陷越
深,小道消息传得越多,越疯狂地想知道更多,想去更多次。
京都呢,也ー样。游客刚开始只是去那些旅游指南上列出的小店,但随着游玩次数
的增多,渐渐想去旅游指南上没有的小店或是只有当地人オ去的寺院。也可以为了“一
年仅此一天制作的点心”或是“每隔七年开龛一次的佛像”慕名而来。
还有那些刚开始只是追赶着季节性明显的樱花、枫叶而去的游客,也把京都挖掘得
愈来愈深,“好像梅雨中的京都也很美”,还有“新绿色的京都”“雪中的京都”“过年时的京
都”……
另外,大家知道,迪斯尼发烧友会拿最佳烟火观赏点来炫耀:
“一般人可不知道哦,这里オ是最佳位置!”
京都迷们也会情不自禁地炫耀:
“很多秘密连京都人都不知道呢,我知道有个大楼的屋顶,可以看到’五山’点火节篝
火全景!啊,随便提一下,京都本地人可不说’大’字点火节,别说错了哦。”
我也会不由得以为杂志电视已把京都所有的街道介绍遍了,而且,也确实听到有京
都的店家说:
“自打杂志采访报道以来,小店再也没冷清过。”
然而事实不尽如此。其实,京都有“经常上杂志的店”,也有“绝对不上杂志的店”。
而且,即便接受杂志采访,店家也并不是什么都透露的:
“怎么说呢,为了经营也会接受一些采访,不过……”
——真正珍贵的东西,还是会悄悄藏起来的。
正是这一点,深深吸引了生在东京长在东京的我。东京汇聚了来自五湖四海的大
们,是个平等的大都市。只要有钱,什么样的东西买不到,什么样的服务享受不到?由于
地方集体意识淡薄,外来者既不会格外感到他乡的温暖,也不会感到他乡的排外。无论
是久居于此,还是昨日迁居而来,都生活得相差无几。这就是东京。
或可称之为“ー览无余的城市”。举个简单易懂的例子:即便某家餐馆有私家珍藏菜
第七册第5課みやこ人と都会人 41
单,杂志偏偏要曝出个“私家珍藏菜单特辑”,岂不是失去了“藏”的韵味?可以说,东京
这座城市的贪欲,使得内蕴不成为内蕴。
与此相反,京都则能尊重内蕴的隐秘性。如果“内’’这个说法不太恰当(因为像“内日
本”这类词现在似乎忌讳说),或可换作“深”。正如那些京都小店铺,从临街的大门进去,
可以一直往“深处”走,细长连绵。同样,历史、人文、美味或艺术,其构成也可以看作是多
重的。对于我这个东京人来说,难得见到京都这种“隐匿于深处的朦胧”,觉得特别稀罕,
不知不觉就按捺不住,欣然前往。
无论是京都、东京,还是纽约、伦敦,大凡住在都市里的人们,都有这样的经验体会:
“这世间,形形色色的人都有。”
大都市不断有外面的人来,人们无暇ーー大惊小怪。身边的人用手抓咖哩饭吃也
好,把包顶在头上搬运也好,都不会眼珠骨碌碌地盯着人家感叹“好奇怪啊”,只会想“是
啊,这样的人也有啊”。
但是,我觉得京都人和东京人的处理方式还是有微妙差别的。东京人看见身边人
用手吃咖哩饭,惊讶之余会模仿,回家了也继续沿用人家的习惯,感叹一句“原来可以这
样啊”。
京都人惊讶之余也会瞬间涌起模仿的念头,可回到家便会想“虽然如此……”,还是
拿起勺子吃咖!®饭。
虽然在不把“与己不同之人”当怪物看这点上,东京人和京都人无异。但东京人是将
“不同之人”统ー消化吸收,京都人则是将众多的“不同之人”ーー细分,兼容并存。东京
单调乏味,而京都多重多样,正体现于此吧。
究其原因,我想还是源于历史的差异。所谓“七九四平安京①”,定都京都,是公元
794年的事。此前很长时间都城是奈良,直至桓武天皇两次迁都,先短暂逗留长冈,后终
于定都京都(当时还不叫京都)。自此千年,京都一直是京城帝都。总之,“京都”,即言
“这里是京城”,地名已如实述说了这是怎样ー个地方。
“东京”也有“京城”之意,不过,那是“东边的京城”。正如“纽约(New York)"之名取
自“新约克(new York)”那样,东京的命名也如出ー辙。虽然东京从江户时代开始就是
城市,然而,江户只住着将军没住夭皇。文化传统下的京都人看待武士传统下的江户城,
总带着几分优越感:“是呀,乡下也要变城市嘛。”
我想,正是江户时期酝酿了东京的杂食性。江户常年驻扎着来自各藩的武士,聚集
了全国各地的人们。从京都的角度看,就是全国乡下人聚集到了乡下地方江户,并且觉
得“不能让人家耻笑我是乡下人”,于是拼命努力,促成了江户的发展。另ー方面,或许江
户人想通了:“无论怎样,说到底我们还是乡下人”,于是培养出这种不知道该称之为宽容
还是迟钝的心态。
日①语中有 “鳴くようぐいす平安京”的说法,其中“ナクヨ’’同“ 794”的日文发音谐音,暗指794这一年份。
42 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
此后,经历诸多,及至明治维新,将军被废除。1868年,终于天皇东迁,江户更名为
东京。东京继续发展,京都则保留为文化中心。
据说,至今京都的长者们仍然觉得 “天皇只是去东京转转”。“京都オ是正都”的意
识,可见一斑。
这想法也合情合理,不过,另一方面,我又认为定都东京是件幸事。若是定在京都
了,战时遭受空袭的岂不成了京都,而且战后还要遭受开发建设的炮轰,京都恐怕全变
成今天的京都车站一般。正是东京担当了首都这种卑污角色,京都オ得以将“内蕴”保持
住。……反而言之,如果一直将京都作为首都,日本该又是另一番样子吧。
如今,全日本的县厅所在地都沦为“小东京”,只有京都,始终是京都。不仅如此,还
吸引众多地方冠名为“小京都”。东京人觉得京都有魅力,可能就是因为,京都一直是城
市,却从未变成“小东京”。
(摘自〈首都与帝都〉《小说新潮》2004年第8期)
第七册第5課みやこ人と都会人 43
-'玲、*'
自然と人間
学習の手引き
「季節」について
1•日本人の花見が好きな理由を知ること。
日本人の伝統的な季節感と関係していること〇
2. 子供の頃の筆者の不満の理由を読み取ること。
冬になると、自然界の植物や動物さえ活動を休止させたり、冬眠に入ったりする
のに、人間だけが一年中変わりなく働きながら暮らすから。
3. 山里を歩くようになったときの筆者の「解放感」の意味を理解すること。
近代文明の発達した都市の生活に「束縛」を感じる〇筆者の言った「解放感」とは
「束縛」からの「解放感」という意味。
また、山里を歩くことによって、筆者は季節の循環にあって、感受性が開かれて
いくことへの感動でもある。
4. 春と晩秋の山里の、自然と人々の暮らし方の関係について考えること。
春になって、万物が活動を始め、山里の活動も始まる。晩秋になると、自然が生
命活動を閉じ、山里は静寂を迎える。つまり、自然の営みと人間の営みが一体とな
っており、人間は自然のリズムとともに山里の暮らしを展開していく。
5. 文明の発達と人間の暮らし方の関係に関する筆者の考え方を読み取ること。
近代文明の発達は幸福を増大させようとしたが 、結果として人間の暮らしと自
然のリズムの不調和を増大させることである。これは人間の歴史の「皮肉」である
と筆者は指摘している。
6. 自然と人間の関係の立場から、筆者の「近代文明」への批判意識を理解すること。
人間は自然の恩恵を受けながら暮らし、その自然は季節とともにしか存在しえ
ない。したがって、自然に制約されない生活を作り出した近代文明は、人間と自然
との関係を失わせ、自然を荒廃させていると批判している。
44 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
『ヤドカリ」について
1. 文体の特色、特に擬人法のもたらす効果を考えること。
臨場感を感じさせる効果と、ヤドカリを身近なものに感じさせるとともに、小さ
な動物に共感的な感情移入をする筆者の優しい人柄をも感じさせる効果。
2. ヤドカリを偶然発見したときの筆者の心理 、ヤドカリの逃走を手助けする時のヤ
ドカリに関する描写を読み取ること。
筆者の心理
① 「どこへ行こうとしているのだろう」という小さな関心。
② 「そうか、ヤドカリは歩いて海へ帰るつもりなのか」「それはヤドカリの自由へ
の逃走であった」という大きな感動。
ヤドカリに関する描写
① (箱に入れられた時)ヤドカリが落胆した様子。
② (潮風が伝わってきた時)ヤドカリが興奮した様子。
③ (岩場まで来た時)ヤドカリの喜びの様子。
3. 筆者がヤドカリの「自由への逃走」を通して言いたいことを考えてみよう。
① 人間はヤドカリのような生への衝動を失って久しいのではないかということを
言いたい。
② 現代人の精神の空洞のことを言いたい。
4. 筆者がヤドカリを房総の海に放す理由を考えてみよう。
それは単なる動物愛護の精神でも気まぐれでもなかったはずである。ヤドカリ
の激しい、生きようとする衝動と生への憧れを見て、ヤドカリの自由への逃走の時
に現れた健康さとたくましさに感動したからである。
5. ヤドカリを海に放して、帰り道に筆者の考えることについて注意して読むこと。
① ヤドカリへの羨望——その生きることへの迷うことなき逃走。
② ぼくたちはそのような生への衝動を失って久しいのではないか。
6. ヤドカリと現代の人間とはどのように対比されているか、考えてみよう。
一言で言えば「自由への逃走」を行うヤドカリとそれをしない人間との対比であ
る。具体的にいえば、次のとおりになる。
ヤドカリ
① 「自由への逃走」、つまり海を目指して「生きることへの迷うことなき逃走」を敢
然と決行すること。
② 「生きることへの憧れを、体いっぱいに表現」すること。
第七册第6課自然と人間 45
現代の人間
① ヤドカリに比べると、「生きようとする衝動」を失い、まるで生きることが「憧
れ」ではなくなったかのようである。
② 「生きるという問題」が精神の中でブラックボックスのように、あるいは空白の
円のように広がっている。そして、ドーナツの輪の上を回るように生活してい
るうちに、次第に真ん中の空白は大きくなってきている。
③ しかし、そうした追い詰められた精神を持ちながら、それでも屈折したバラン
スを保ちながら生きているところに、悲しさがある。
k……顶東……習____
ー、次の言葉を覚えなさい。
(1) 次の単語の読み方と日本語の漢字を覚えなさい。
律令 静寂 証 そぶ(素振)り 宴 突先 渾身 錘
(2) 次の単語の意味を覚えなさい。
しょんぼり=気落ちして沈んでいるさま。/无精打采,垂头丧气,消沉。
ありったけ=ある限り。全部。/全部,所有,一切。
せかせか=物言い、動作などが落ち着かず気ぜわしいさま。せせこましいさ
ま。/慌慌张张,急急忙忙。
二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
(略)f课文参考译文
三、 本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
『季節』について
1. 秋は命の衰退期で、生命が閉じようとする季節に処刑することによって、処刑
された魂が生まれ還るのに支障がないからである。
2. 自然界にある植物や動物さえ休みの期間があるのに、人間だけが休みがない
ことに不満を持っていた。なんとなく損な動物に生まれたような気がした
から。
3. それは「ほとんど変わりないリズムで働く」ことからの解放感である。
4. 自然のリズムとともにある暮らし方。
春には春の労働、夏には夏の労働、秋には秋の労働、冬には冬の労働が永遠
に戻ってくる。その労働と結ばれた暮らし方。
46 《日语综合教程》第七、八册课文翻译与练习答案
5. 山里の人々が季節とともに暮らすこと。つまり、春になるとともに活動が始
まり、晩秋には山里は静寂を迎えること。
6. 「季節を克服する」とは、つまり季節を無視することである。或いは、人間は
自然の制約を技術によって脱することである。
7. 季節と共存し、季節としての時間の流れを引き受けなければならないと筆者は
主張している。というのは、人間の背後に、季節とともにしか存在し得ない自
然の世界がある。そして人間は自然の恩恵を受けながら暮らしているから。
8. 文明の発達が、結果として人間の暮らしと自然のリズムの不調和を増大させ
ることであった。その矛盾が「皮肉」なのである。
9. 季節と付き合い、やり過ごしながら、季節に助けられて暮らすということ。
io ・満開の桜の下で花見の宴を盛り上げているとき 。
11. 春という桜の季節に、花見を楽しみながら、私たち人間もまた季節とともに
生きていることを実感している。
12, 四季という時間の流れがあるということが感じられる。
『ヤドカリ"こついて
1. 「道路の隅をセカセカト歩いては立ち止り、ため息をつくようなそぶりを見
せてはまた歩みを速めた」という描写。
2. 抑圧と束縛から解放されようと、「自由」な世界を目指して逃げ去ること。具
体的には、ヤドカリが飼われていた狭く不自然な場所から、本来の生の場所
(海)へと逃げ去ることである。
3. ここの「躊躇」には、一匹のヤドカリのためにそこまでする必要があるかとい
う躊躇も含まれるが、本当は、ヤドカリの「自然への逃走」を一時的に「挫折」
させるかどうかと躊躇したはずである。
4. これはヤドカリの本能的な生への憧れだから。
5. そこに激しい、生きようとする衝動や生への憧れが見られ、その健康さ、逞し
さを現代の人間たちはすでに失っているのではないかという思いにとらわれ
たから〇
6. 自分が生きることの意味が分からなくなったり、また生きる意味が希薄にな
っているように感じられるということ。「ブラックボックス」のようにその意
味が分からず、「空白の円」のようにその中味がない、といったことを意味
する。
7. 「ドーナツ」は、中心となる部分がなく、周辺(表層)しかない。したがって、「ド
ーナッの輪の上を回るように生活」をするとは、つまり「生きるという問題」
或いは「生きる意味」は何かという生活の中心的な課題が顧みられず、変化す
第七册第6課自然と人間 47