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Published by johntss124, 2021-06-21 19:15:07

日语综合教程8

日语综合教程8

H普通高等教育“十一五”国家级规划教材 总主编 谭晶华

新世纪高等学校日语专业本科生系列教材

日语综合教程

第八册

皮细庚编著

\2Z上海外语教育出版社

外教社 SHRNGHfil FOR0GN IflNGUfiGC €DUCRTION Pfl€SS

图书在版编目(CIP)数据
日语综合教程.第8册/皮细庚编著.
ー上海:上海外语教育出版社,2017 (2019重印)
(新世纪高等学校日语专业本科生系列教材)
ISBN 978-7-5446-4965-0
I •①日…II•①皮…IH•①日语一高等学校一教材!V. H369.39
中国版本图书馆CIP数据核字(2017)第120395号

出版发行: 上海タト语銀育出版社

(上海外国诺大学内)邮编:200083

电 话言021-65425300 (总机)
电子邮箱: [email protected]
网 址:http://www.sflep.com
责任编辑:应允
印 刷:常熟高专印刷有限公司
开 本:787X1092 1/16 印张12.75 字数391千字
版 次:2017年6月第1版 2019年H)月第4次印刷

E卩 数:2100册

书 号:ISBN 978-7-5446-4965-0 / H - 2193
定 价:33.00元

本版图书如有印装质量问题,可向本社调换
质量服务热线:4008-213-263 电子邮箱:[email protected]

新世纪高等学校日语专业本科生系列教材编委会

总主编:

谭晶华

编委:(以姓氏笔画为序)

王勇 浙江工商大学

王健宜 南开大学

叶琳 南京大学

皮细庚 上海外国语大学

许慈惠 上海外国语大学

纪太平 厦门大学

杨讪人 广东外语外贸大学

严安生 北京外国语大学

吴侃 同济大学

吴大纲 上海外国语大学

陈岩 大连外国语学院

张威 清华大学

陆留弟 华东师范大学

庞志春 复旦大学

胡振平 解放军外国语学院

修刚 天津外国语学院

洪栖川 东北师范大学

高宁 华东师范大学

高文汉 山东大学

宿久高 吉林大学

谭晶华 上海外国语大学

总涔

21世纪是ー个国际化的高科技时代,也是ー个由工业社会进ー步向信息社

会转化的时代。科学技术的高速发展、新兴交叉学科的涌现、人文文化与科学

技术间的相互渗透和融合、社会的信息化以及知识、信息传播技术的日新月异

加强了世界各国文化的交流、碰撞与合作。要想在激烈的世界竞争中立于不败

之地,就要占领人才培养的制高点,培养出世界一流的高素质 、高水平人才。

由于社会对外语人才的需求已呈多元化趋势,以往那种单ー外语专业的基础

技能型人才受到挑战。今后我们仍然需要培养《源氏物语》的专门研究家,但

是高校外语专业的教学必须从过去的“经院式”人才培养模式向宽口径、应用

性、复合型人才培养模式转化。社会要的不光是懂外语的毕业生,还需要思维

敏捷、心理健康、知识面广博、综合能力强的精通外语的专门人才。

我国的外语教学界已充分认识到,对国家建设发展急需的外语专业人才加大

培养カ度,提高其能力和素质是ー项迫在眉睫的任务。随着我国日语专业教学

点设置的不断增加和招生规模的逐年扩大,日语专业本科生的教学改革、学科

建设及教材出版亦取得很大的成绩,各地先后出版了一批在全国有影响的优秀

教材。正因为社会对日语人才的培养提出了更高的标准,同时对日语学科的建

设也提出了新的要求,因此,日语本科生教材的编写和出版也应该顺应潮流,开

拓创新。 •

我国外语教材和图书出版的基地、领头羊之一的上海外语教育出版社(外教

社)以高度的责任感和高瞻远瞩的视野,在充分调研的基础上,抓住机遇,于2003

年8月邀请了全国主要外语院校和教育部重点综合大学日语专业的近20位专家
在上海召开了 “全国高等学校日语专业本科生系列教材编写委员会会议”。代表

们完全认同编写“新世纪高等学校日语专业本科生系列教材”的必要性、可行

性及紧迫性,并对编写立意、教材构建、编写审校程序提出了许多积极、中肯

的建议和要求。之后,外教社又多次召开全国及上海地区专家学者会议,分头

撰写编写大纲,确定教材类别、项目,讨论审核样稿。经过两年多的努力,终

于迎来了第一批书稿的付梓。

本套教材共分语言知识、语言技能、语言学与文学、语言学与文化、语言学

与翻译(中日对译)、人文科学、经济贸易、测试与教学法等若干个板块,可以说

几乎涵盖了当前我国・日语专业所开设的全部课程。编写内容根据因材施教的原

总序I

则,深入浅出,反映各个学科领域的最新研究成果;编写体例采用国家最新有关
标准,カ求科学、严谨;编写思想贯彻了在帮助学生打下扎实的语言基本功的基
础上,培养学生分析和解决问题能力的原则,全面提高学生的人文 、科学素养,
养成健康向上的人生观,成为合格的外语专门人才。

本套教材编写委员会云集了我国日语界学者专家,其中不少是高等学校外语
专业指导委员会的委员。每ー种教材均由编写委员会的专家们仔细审阅后确定,
有的是从数种候选教材中遴选,总体上代表了中国日语教材学发展的方向和水
平。我们相信,外教社这套“新世纪高等学校日语专业本科生系列教材 ”的编写
和出版,一定会促进和提高我国日语专业本科生教学质量的稳步提髙,其前瞻
性、先进性和创新性也将为日语教材的编写拓展更为广阔的视野。

谭晶华
上海外国语大学常务副校长

2 日语综合教程第八册

<言

日语专业教学大纲中指出:教材是师生在教学活动中的依据,选用或编写合
适的教材是搞好教学的保证。教材的题材要广泛,并且比例适当,要注重实践
性,适当编写包括日本社会、文化、风俗习惯以及科普常识方面的文章。语言
要规范、生动、丰富。文章体裁要多样化,掌握好教材的难度。

日语专业高年级教材在过去20多年间出过少量的几套,由于当时日语专业
高年级教学大纲尚未制定,现在看来,已出的教材与教学大纲的规定尚有一些
距离,也不很符合教学大纲的规定 。近年来,随着我国高等教育走向大众化,设
置日语本科专业的学校越来越多,各校都急切地期待着高质量的日语专业高年
级教材更早更多地问世,以备各大学择优使用。

本套日语专业高年级教材作为本科高年级综合日语课的主干教材,力图贯彻
教学大纲规定的要求,编出符合目前日语专业现状的适用教材,既注重语言知
识的传授、语言技能的训练,又顾及日本社会、文化的介绍和理解。本套教材
的框架设计、布局结构将有助于提高学生的思维创造和分析鉴赏能力。

本套教材经申报,已批准为教育部“十五”重点教材建设项目,谭晶华教授
为总主编,第五册由陆静华教授编写,第六册由陈小芬教授编写,第七册由季
林根教授编写,第八册由皮细庚教授编写,编成后的油印教材均经过两轮以上
的使用,并广泛听取了中、外教师的意见,几经修改而成。

愿本套教材的推出为中国日语专业本科教育更上一层楼贡献绵薄之カ,相信
我国的日语本科专业建设一定会有更蓬勃的发展。

总主编
2007年6月

偏寿的话

《日语综合教程》(五一ハ)的第八册,与前面3册教材ー样,经过了两轮试用
和修改,终于也要出版了。至此,作为ー套完整的日语专业高年级教材,同时
也是ー套“十五”国家级规划教材,得以展现其完整的面貌,奉献给广大的日
语学习者,我们衷心地希望这套教材能够对国内的日语教学起到ー定的促进作
用,同时也希望这套教材能够为广大的使用者所接受,所喜爱。

第八册的编写,秉承本套教材的ー贯宗旨,在选材时既考虑到语言教学的精
益求精的要求,-同时更注重文章内容的筛选和组合。按照《高等院校日语专业
高年级阶段教学大纲》的要求,精读课既要注意文章体裁的多样性,更要兼顾
文章题材的广泛性。考虑文章体裁的多样性,是为了提高语言教学的质量和完
善日语学习者的语言知识面;考虑文章题材的广泛性,是为了使日语学习者对
日本的现实和历史的方方面面有一个更全面的了解。为此,作为本套教材的最
后ー册,本册教材在筛选文章时,在充分考虑语言规范和思想内容的基础上,更
多的是注重文章体裁和题材的完整性。因此,在文章体裁方面我们增加了日本
的汉译日文章,即第5课《故乡》(鲁迅作品的日语译文),而第9课《古典》和第
10课《汉文训读》则兼有题材和体裁两方面的思考,《古典》ー课包含有古典物
语、随笔以及课外阅读中的古典和歌,《汉文训读》包含有汉文、汉诗以及课外
阅读中的日本人创作的汉文、汉诗。

第八册教材如果说与前3册教材在编写思路上略有不同的话,那就是更加强
调日语学习者的自主性学习。其原因是不言而喻的。因为无论是在校学生还是
社会学习者,他们都已经具备了较为扎实的语言基本功和语言理解能力以及对
日本的各种了解,而且在客观上也不能像以往的精读课那样投入大量的授课时
间,这既没有可能,也没有必要。简而言之,第八册教材强调日语学习者的自
主学习和独立思考。基于以上思路,第八册教材的编写内容与前面各册略有不
同之处,下面简要作几点说明。

1.如前面所说,第八册在充分考虑语言规范和思想内容的基础上,更多的
是注重文章体裁和题材的完整性。为此,第八册的文章选择既不拘泥于

编者的话1

语言上的高难度,也不回避语言上的高难度。
2, 第八册与前面各册ー样,在课文之后有“单词表”和“语言与表达”。但

是,“单词表”不再考虑列出课文中出现的所有的新词语,只考虑列出有
一定难度的和值得提示的部分词语;“语言与表达”也不再以基础语法解
释为主,而是以课文中的原文为线索,分析句中起重要语法作用的词语
或句型的意义、作用以及使用时值得注意的问题。
3. 如上所述,第八册强调学生的自主性学习和独立思考。因此,这ー册教
材在“学习指南”和“练习”两个部分主要是针对课文内容提出思考问
题,除少量的语言问题之外,大多是对文章的内容结构 、人物心理、社
会背景以及作者的写作意图和思想意识进行提问。此外,每ー课的“练
习”部分都增加了一篇读解文,其内容尽量与课文内容有一定的关系,目
的在于从不同的角度扩展有关方面的知识,同时也给日语学习者提供更
多的思考和练习的机会。基于同样的目的,考虑到课外阅读文章是有意
识地安排在整个教材中的有机组成部分,本册教材在每一篇课外阅读文
章后面也增设了 “学习指南” ー项。
第八册教材在整个编写过程中,曾经得到日语专家山崎道生和稻森信昭两
位先生的大力帮助,特别是稻森先生在第八册教材的整个试用过程中,对文章
的选择和编写内容的斟酌,给予了悉心的指导,在此谨向两位先生表示衷心的
感谢。
同时,对支持本教材编写工作的上海外国语大学的有关老师和上海外语教育
出版社以及责任编辑应允女士表示衷心的感谢。
限于编者的能力和时间,本册教材难免有种种不尽如人意之处,或者说可能
存在某些缺点和错误,敬请各位批评指正。

编者
于2007年8月

2 日语综合教程第八册

目次

第/課 漢字の性格 1
16
♦本文 33
♦注釈 50
善新しい言葉
♦言葉と表現 目次1
<学習の手引き
♦練習
<読み物言葉についての新しい認識

第2課: 日本の渚

♦本文
■♦・注釈
<新しい言葉
♦言葉と表現
♦学習の手引き
<練習
<読み物飛翔

第3* 羅生門

<本文
#注釈
毒新しい言葉
♦言葉と表現
♦学習の手引き
<練習
♦読み物セメント樽の中の手紙

I故郷......

:奪本文
!奪注釈

:♦新しい言葉
:擧言葉と表現

、参学習の手引き

:♦練習 73
:#読み物山月記

「第"タ課; Iエッセイ..........

:橋を架ける
:♦注釈
:♦新しい言葉
\参学習の手引き

i ♦練習
木のぬくもり

:♦注釈
;整新しい言葉
! ♦言葉と表現
:尊学習の手引き

;♦練習
心が生れた惑星

;♦注釈
[善新しい言葉

:♦言葉と表現
:够学習の手引き

:♦練習
:♦読み物 人は獣に及ばず

第U課 TUGUMI—— 告白—— ........................ 97

♦本文
♦注釈
善新しい言葉
♦言葉と表現
♦学習の手引き
♦練習
♦読み物癒しとしての死の哲学

!'* …""占> 宀” \ 新しいパラダイムを求めて .................................. 117

啖 <本文
♦注釈
♦新しい言葉
♦言葉と表現
<学習の手引き

2 日语综合教程第八册

:<練習
:♦読み物現代日本の開化

漏w*I文化と理解........... 143
177
:#本文
:#注釈
: <新しい言葉

: <言葉と表現
、審学習の手引き

;■#練習 ,

!鬱読み物出たがりと引つ込み

♦ 一古典の文章に親しむ
<二物語竹取物語源氏物語平家物語
<三随筆枕草子方丈記徒然草
<読み物古代の和歌

万葉集古今和歌集新古今和歌集

第"課 漢文訓読.....

奪ー・訓点について
♦二漢詩を読む
#三・漢文を読む

読み物日本の漢文学

目次 3

1第 課

1本文 漢字の性格

•金田一春産

日本語を文字の面から眺めてみますと、一番大きな特色は、日本語はさま
ざまの字を使う言語だということです。

調布市青山二—13—3 ゆりが丘ハイムA 206
これは、私の勤め先の同僚である人の住所なのですが、これを見ていただ
きますと、「調布市青山」——漢字、「二」は漢数字ですが、「13」と「3」は
アラビア数字、「ゆりが丘」—— 平仮名と漢字、「ハイム」は片仮名、「A206J
にはローマ字まで使っている。皆さんがたにとっては何でもない、ごく普通
な文字使いとお思いかもしれませんけれども、こういった複雑な文字を使い
合わせている国は、地球上ほかにはないと思います。日本人は、子どものと
きからこういう文字の使い方に慣れております。
世界の文字は、大きく分けて、表音文字と表意文字の二つに分かれます。表
音文字といいますと、文字が音だけを表すもので、たとえば、仮名などは代
表的なものです。「キ」という文字は「キ」という音だけを表しますから、「キ」
という音が使われる言葉なら何にでも使えます。「キジ」でも「キイロ」でも
「キ」’が書けます。
それに対して、表意文字というのは、発音といっしょに意味を表す文字で、
漢字はその代表です。たとえば「本」という文字は「キ」という音も表しま
すが、同時に草本の「本」を表しますから「キジ(雉)」を「本地」と書くわ
けにいかない。それでは「本の地」という意味になってしまう。もし「黄色」
を「本色」と書いたらこれは本の色になってしまいますから、こういうこと
は許されない。つまり、漢字というものは、発音だけではなくて、いっしょ
に意味も表すという特殊な文字だということになります 。
世界の文字は、多くは、仮名、ローマ字、ハングル(朝i•羊半島で使用されて
いる文字)、あるいは昔のギリシアの文字など表音文字です。発音だけしか表
しません。このほかに、インドの文字、アラビアの文字なども表音文字です。

第1課漢字の性格1

I&_ワ字) love you.
(m>^)叫伊せA!号外普勅UH.

世界の文字
漢字はその点大変珍しい文字です。発音のほかに意味も表す表意文字とい
うのは漢字のほかには、強いて言えば、アラビア数字——1、2、3、……
がそうです。「1」は「イチ」と読み、数のイチを表すときにしか使えません
から、「位置」の代わりに使って、「横浜市は東京の南に1する」と書くこと
はできません。この間、私のところへ来た手紙に「金田1」様というのがあ
りまして、妙な感じがいたしました。これは表意文字の一種でありますから、
やたらに使えないのです。もっとも数字は数しか表せませんから、表意文字
のうちでも特殊なものです。
われわれ日本人は漢字という文字に慣れていますが、欧米人の目には随分
珍しい文字と映るようです 。神秘的な呪文のように思われるそうです。

缺今東

ろで人 が掲 才
。石が そ示 —
び板
炭ス えの ケ
をト て向 ス
いこ ト
入I るう ラ
とに の
れブ こ富 譜
てに ろ士 面
いシ 。山 台
るャ 。
とベ
こル

欧米人からみた漢字のイメージ

これは、いっかある週刊誌に出ていたことですが、欧米人にとっては、「東」
という字は、オーケストラの譜面台に見えるそうです。「合」の字は、掲示板
の向こうに富士山がそびえている形に見えるそうです。「映」という字に至っ
ては人がストーブにシャベルで石炭か何かを入れている形に見えるそうです
が、これはうまいですね。

漢字の第一の重要な性質は、表意性、つまり、ほかの文字と違いまして、発
音を表すと同時に意味も表すということです。仮名、ローマ字は発音しか表
さない。漢字は意味も表すということで、漢字は強い印象を与えるというこ
とがあります。

たとえば、街を歩いていて、トラックに硫酸でも積んであるのか 、「危」と

2 日语综合教程第八册

いう漢字が書いてありますと、ちょっと見ていかにも危ない感じがします。

これが平仮名で「あぶない」と書いてあったり、ローマ字で「abunai」と書い
てあったのでは、それほど危険というような印象を受けません。作家の三島

由紀夫さんはカニが嫌いだったそうです。料理屋へ行ってお膳の上にカニが

出てきますと、しりごみをし、顔色が変わったそうです。「蟹」という文字を
見ても鳥肌が立ったとい、うのです。これは、おそらく漢字で書いてあったか

らで、平仮名で「かに」と書いてあれば、そういう気持ちにはならなかった

のではないでしょうか。漢字というものは、そういう特別の効果•力を持つ

ものです。

また、漢字は意味を表すということで、時には読めなくても実際に用を果

たすということがあります。そのために簡^^に書けるという中生質があります。

代表的なのは、新聞などで見ます野球の成績表です 。「東軍」とか「西軍」と

かのチーム名の右の方に「打」「得」「安」「点」「振」「球」と書いてあって、

下に35 410……と数字が書いてある。この漢字は一体どう読むのか。トク、
アン、・ ••…でいいのか、「安」と書いてヒットと読むのか、私にはわかりませ
んが、意味はそれでわかりますね。「打」は打数の意味、その次の「得」は得

点の意味だとか、「安」はヒットの意味だとか、「点」は打点でしょうね。以

下、三振、四球の意味だとわかる。これは漢字の力であります。

更軍 I
田 打得安2点0燃1球0朦0盗0失0
即山 川 2 1 100 00 石 田 打3得2安0点1废球0 1襪1盗3失1
欵小 口 0 0 201 00 山 口 3 1 1 0 1 1 01 0
村 1 0 010 00 中 島 4 1 3 1 0 0 00 0
客 H西J 鈴 木 1 1 200 00 坂 本 3 1 2 1 0 0 10 1
山 本 0 0 000 00 小 林 3 0 1 1 0 0 10 0
二 島 0 0 000 00 荒 木 4 0 2 2 0 0 00 1
岛 1 0 000 00 中 野 3 1 1 0 0 1 00 0
B大 良 柄 0 0 000 00 内 田 2 1 1 0 0 1 10 0
高 谷 1 2 000 01 西 村 2 0 1 1 0 0 20 1
左一 三 水 田 2 0 200 00
} 金 田 0 0 000 00 残・墨 6 27 7 12 7 1 4 6 4 4
関 西 村 0 0 100 00
田 0 0 100 00
(1投1) 中
投左 村

残塁 6 354 104 10 11 〇 1
_ 野球の成績表

この漢字の性質を有効に使ったものは、新聞の求人広告です。たとえば「事
務経理多少 高卒年32迄」—— これは事務員を求めているわけですが、経理
の多少できる人、高校卒業程度、年は三十二歳までの人。次に「固給15万」
とあるのは、固定給十五万円ということでしょうか。「隔土休」は隔週の土曜
日が休み。その次の「歴持」というのは履歴書持参という意味でしょうね 。「細
面」というのは別に細おもての人という意味じやないようで、「委細面談」と
いう意味。これだけの意味をこんなに簡単に書けるということは漢字なれば
こそでありまして、仮名やローマ字ではとても書けるものではありません。

第1課漢字の性格 3

港免©) 鹽経

寵水

费遇道

161± 璽 前 理
仲歷
㈱保管 町持

し兀 !№±5* 1 I * 細万卒事

D - A面昇年務
設歴 B 給32経

備持 産年迄理

工細見現 業1•多
夢面習場 K.K賞固少
(0000)監 (0剛)与給
0000 留 0000年15高

新聞の求人広告

漢字のそのような性格からして、新しい言葉ができた場合に漢字で書いて
ありますと意味がすぐにわかる、といったようなことがあります。たとえば、
「失語症」を英語でaphasiaというそうであります。aphasiaというのはギリ
シア語からきた言葉で、イギリスの中学生には説明されなければ、意味はわ
からないそうです。a ーというのは「何かが欠如している」という意味、pl^i

というのは「話す」という意味、そして一iaは名詞であることを表す接尾辞
ということになって、ギリシア語を知っていればわかりますが、中学生ぐら
いでは意味がとれない。ところが、漢字で書いた「失語症」のほうは「話す
ことを失う病気だ」と見当がっく。何か、ものが言えなくなる病気だろう、と
小学生でもわかります。これがもし、仮名で書いてあったり、ローマ字で書
いてあったりしたのでは、わからない。やはりこれは漢字の大きなプラスの
面です。

漢字は表意文字であるところから、それを組み合わせますと新語がいくら
でもできます。もっともこれらの語は、耳で聞いたのではさっぱりわかりま
せんが、意味の面からはすぐ理解できるという長所があります。

会社の「社」の字を“会社”という意味で使うと、いろいろな言葉ができ
ます。「出社」-一会社に出ること、「退社」——会社を退くこと、そのほか
「入社」「来社」「帰社」「在社」……こういったことは、英語の単語では言え
ないと思います。「本社」「支社」「貴社」「当社」「弊社」「自社」「他社」ある
いは「社内」とか「社告」とか、いろいろな言葉ができるというのは漢字な
ればこそでありまして、これは、仮名やローマ字を使っていたのでは、この
ような芸当はできません。

『日本語の特質』(1991)による

4 日语综合教程第八册

I注釈

❶金田一春彦(きんだいちはるひこ)(1913 — 2004)
国語学者。東京都生まれ。著書に『日本語の方言』『日本語』などがある。

❷調布市
東京都調布市。

❸譜面
楽譜に同じ。「一台」。

〇 三島由紀夫(1925 — 1970)
小説家、劇作家。『金閣寺』などがある。

❺固定給
能率や出来高に関係なく、一定の金額が保障されている賃金。

!新しい言葉

ハイ厶(德Heim) [名] わが家。マンションなどの名前として使われる。
呪文(じゅもん) [名] ①まじないの文句。②ふつうのことばを用いな
い、祈願の文句。
オーケストラ [名] ①「管弦楽」に同じ。②管弦楽団。
(orchestra) [名]
土砂などをほる、先のとがった鉄製の用具。ショ
シャベル(shovel) ベル。スコップ。
①あとへさがること。②おじけること。ためらい。
しりごみ [名•自サ変] 寒さ・恐れのため、毛をむしられた鳥の膚のよ
鳥肌が立つ(とりは [慣] うになること。あわ膚。
くわしいこと。委曲。詳細。
だがたつ) [名] ①曲芸。はなれわざ。②あぶない仕事。
委細(いさい) [名]
芸当(げいとう)

言葉と表現

・占ー〜坦こー —_____________ _ _____________________ __________…,

「がた(方)」は接尾語。
1.大勢の人であることを表す語。「あなたがた、

第1課漢字の性格5

2. 人々を敬う語。「先生がた」「おえらがた」「皆さんがた」。
3. 属すること。「武家がた」「幕府がた」。
4. ころ。時分。「夕方」「夜明け方」
5. だいたい。おおよその量。「五割がた」。

会ー〜ーヾも~か___ __—————ーー…一—一…________一一一一—「ー…一…一—…J

「でも」は副助詞。

1. ほかにも選択肢があることを含みながら一例を挙げるのに用いる。文脈に
よって、実際にはそのものを婉曲に指すことが多い。
❶コーヒーでも飲みませんか。
❷山下さんにでも聞いてみたらどう?

2. 「〜でも〜か」の形で、例示的な事柄、または不確かな事柄を表すのに用い
る。
❶ たとえば、街を歩いていて、トラックに硫酸でも積んであるのか、「危」
という漢字が書いてありますと、ちょっと見ていかにも危ない感じがし
ます。

なお、「〜でもしたら」「〜でも〜(か)のように」なども、例示的または比
喩的な意味を表す表現である。全体的に婉曲な表現をする文では、「でも」がよ
<使われる。

❶ そんな大金、落としでもしたら大変だから、銀行に入れたほうがいいで
すよ。

❷ じや、君はあくまでも知らぬとでもいうのか。
❸ 老婆は、ひと目下人を見ると、まるで弩にでもはじかれたように、飛び

上がった。

写、角詞+なれBこそ(Mめ義) ___ 一 I

「〜なればこそ(である)」は連語。名詞について、それが原因であることを
表す。「なれば」は文語の断定助動詞「なり」の已然形「なれ」に「ば」がつい
たもので原因を表し、「こそ」はその原因を強調するものである。

❶これだけの意味をこんなに簡単に書けるということは漢字なればこそであり
まして、仮名やローマ字ではとても書けるものではありません。

なお、.現代語では、動詞の仮定形に「ばこそ」がつく形がある。これは接続
助詞「ば」に副助詞「こそ」がついた形で、全体として接続助詞に準じて使わ
れる。理由を表す。•やや古めかしい言い方。文末に「のだ」を伴うことが多い。

6日语综合教程第八册

❶あなたを信頼していればこそ、お願いするのですよ。
❷君のためを思えばこそ、こう言うんだ。

咬名詞+からし匚〜」

「から」は格助詞。「からして」は格助詞に準じて使われる。

7.原因。「〜によって」「〜のために」の意。
❶ 漢字のそのような性格からして、新しい言葉ができた場合に漢字で書い
てありますと意味がすぐにわかる、といったようなことがあります。

2. 根拠。極端な例や典型的な例を示して、「それでさえそうなのだから、まし
て他のものは言うまでもない」の意。
❶リーダーからしてやる気がないのだから、ほかの人たちがやるはずがな
い。
❷ 恰好からして何だか不まじめな人だろう。

3. 起点。やや古めかしいまたは堅い言い方。
❶ 始めて汽車の中で出逢った時からして、何となく人格の奥床しい細君と
は思った。

なお、用言(または用言に準ずるもの)につく「からして」は接続助詞に準
ずるものである。

❶元来中学の教師なぞは社会の上流に位するものだ空空、単に物質的
な快楽ばかり求めるべきものでない。

k学習の手引き

❶ 筆者の指摘する漢字の性質を箇条書きにまとめてみよう。
❷ 漢字は、私たちの生活にどのような利点をもたらしているか、また使うときにどの

ようなことに注意しなければならないか、話し合ってみよう。

練習

ー、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1.「日本人は、子どものときからこういう文字の使い方に慣れています。」とある
が、「こういう文字の使い方」とは具体的にはどのような使い方のことか。
2「世界の文字は、大きく分けて、表音文字と表意文字の二つに分かれます。」と

第1課漢字の性格7

あるが、本文中で「表音文字」「表意文字」はそれぞれどのような意味で用い
られているか。
3. 平仮名と片仮名はどのようにしてできたのだろうか。
4. 「漢字はその点大変珍しい文字です。」とあるが、このように言えるのはなぜか。
5. 「……、妙な感じがいたしました。」とあるが、筆者はなぜ妙な感じがしたのか。
け「漢字というものは、そういう特別の効果•力を持つものです。」とあるが、具
体的にはどのようなことをさすのか。
/本文中の野球の成績表の漢字が、どのような意味を表しているか、説明してみ
よ。
8, 本文中に新聞の求人広告の例を一つ写しているが、それを、たとえば「USA」
のような省略法と比べてみよう。
9, 本文中の新聞の求人広告から筆者が引用した略語について、どのような意味
か、整理せよ。
7Q「漢字のそのような性格からして、 」とあるが、どのような性格か。
11. 「これらの語は、耳で聞いたのではさっぱり分かりません」とあるが、それは
漢字のどのような欠点を示しているか。
12. 「会社の『社』の字を“会社”という意味で使うと、いろいろな言葉ができま
す。」とあるが、これと同じように「学」や「校」を用いていろいろな熟語を
作ってみよう。

二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
7.これは、いっかある週刊誌に出ていたことですが、欧米人にとっては、「東」と
いう字は、オーケストラの譜面台に見えるそうです。「合」の字は、掲示板の向
こうに富士山がそびえている形に見えるそうです。「映」という字に至っては人

、 がストーブにシャベルで石炭か何かを入れている形に見えるそうですが、これ
はうまいですね。

2会社の「社」の字を“会社”という意味で使うと、いろいろな言葉ができます。
「出社」——会社に出ること、「退社」一会社を退くこと、そのほか「入社」「来
社」「帰社」「在社」…… こういったことは、英語の単語では言えないと思いま
す。「本社」「支社」「貴社」「当社」「弊社」「自社」「他社」あるいは「社内」と
か「社告」とか、いろいろな言葉ができるというのは漢字なればこそでありま
して、これは、仮名やローマ字を使っていたのでは、このような芸当はできま
せん。

三、 次の求人広告を中国語に訳しなさい。
男女従業員聳聴擊可
咼給優遇委細面

8日语综合教程第八册

四、次の広告文を読んで、後の問に答えなさい。

NISSAN
人間のやさしさをクルマに
サニーはことし30周年
そう、サニーはことし30オ。30年も、みんなに愛していただ

いた「ありがとう!」のキモチで、'95バージョンは装備もドー
ンと充実しています。モチロン、もちまえの燃費も上々。室内
も広い。走りだってスバラシイ。
•お問い合わせ:全国共通•フリーダイヤル(0120-315-232)

dD この広告文に何種類の文字が使われているか。
この広告文に何種類の符号が使われているか。

嫡❸ 「バージョン」という語のなかにある横棒「一」と、電話番号の「0120-315
〇)
-232Jの中にある横棒「ー」とはどう違うか。
次の各種の語は片仮名で書く理由がそれぞれ違う。その理由について述べて

みよ。

a.サニー バージョン フリーダイヤル

b・ドーン(と) モチロン スバラシイ
c・クルマ キモチ

五、次の1〜6の文中の下線を施した漢字の読み方を記しなさい。また、その読み方が
音と訓のどちらに属するかを説明しなさい 。
/.ア振ったバットが空を切る。
イ白球が空に舞い上がる。
ウ 空になった観客席。
2ア先祖代々呉服商を業とする。
イ容易な業ではない。
ウ業の深い人。
3. ア長屋の大家さん。
イ大家の令嬢。
ウ書道の大家。
4. ア絵画の展覧会。
ィ広重の浮世絵。
5. ア時計を質に入れる。
イ製品の質が落ちる。

第1課漢字の性格9

6.アアマゾンの鬼地を探検する。
イ深奥部で起きた地震。

六、次の各語を読んでみなさい。

雨上がり 雨水 雨靴 雨戸 小雨 春雨
針金 金物 金具
酒癖 酒屋 居酒屋 小遣い 小僧 小川
何点 胸に一物 胸毛
白黒 白髪 白雪 天下り 稲刈り 稲妻
上積み そよ風 風上
火花 火影 何者 船旅 爪痕 爪先
掌 木の葉 梢
教える 教わる 天の下 気配

荒れ地 荒波 身の上

呼び声 声色 親船

目上 目の当たり 手拍子

気色 気持ち 人気

!読み物

言葉についての新しい認識

•池上嘉産

言語の問題が多くの人たちに様々な形で現在ほど強い関心を抱かれるように
なったことは、これまでなかったのではないかと思われます。もちろん、これま
でも言葉に対する関心は幾つかの形であることは確かにありました。例えば、漢
字の誤記が多くなったとか、敬語が乱れているとか、外来語が使われ過ぎると
いった議論がそうです。これらはだれしもが多かれ少なかれ気付いている言葉の
問題に関するものですし、漢字制限とか、仮名遣い、送り仮名なども、物を書こ
うとすれば、たちまち意識せざるを得ない言葉の問題です。しかし、すこし考え
てみれば分かるとおり、現在における言語への関心はもっともっと深い所にある
何かと結び付いているように感じられるのではないでしょうか。

言語に対する深い関心が現代においで具体的にどのような形で現れてきている
かということ—— このことを考える前に、そうではないいわば伝統的な言語観と
はどのような性格のものであるか、ということをまず確認しておいたほうがよい
と思います。

言語について書かれた教科書的な書物を見てみましょう。そこに見いだされる
言語の定義は平均して次のようなものですーー「言語は思想を表現し伝達する手

10日语综合教程第八册

段である。」
この定義は、それ自体もちろん間違っているわけではありません。それどころ

か、表現、伝達ということが言語にとって基本的に重要な働きであるということ
は疑いもない事実です。ただ、現在における言語に対するより深い関心というこ
ととの関連で、特に注意しておくべきことが一つあります。それは言語を「手段」
としてとらえているということです。

一般に「AはBの手段である。」という場合、私たちの関心は専ら達成される
べき目標であるBのほうにあります。そして、もう一つのAのほうについては、
Bという目標を達成する手段として働く限りにおいて価値があり得るもので、そ
のもの自体として固有の価値があるものではないというような意味合いが与えら
れがちです。先程の定義に当てはめて考えてみますと、「(表現して伝達されるべ
き)思想」が目標(B)であり、一方「言語」がその目標を達成すべき手段(A)で
あるということ—— 従って、「言語」そのものは伝達されるべき重要な「思想」と
比べて価値の低いものということ——になります。このことは、言葉を使って伝
達を行う場合の自分の心理を内省してみてもすぐ明らかでしょう。話し手である
場合と聞き手である場合とを問わず、私たちが専ら関心を抱き、注目の対象とし
ているのは伝達される内容です。一方、その際用いられる言葉については、例え
ば「ア」の音が多かったとか、半濁音が一つもなかったとかいった形で、言葉そ
のものに関心が向けられ、注目の対象になるということは普通は起こりません。

もう一つ、定義の中の「表現」という言葉にも注意しておくとよいと思いま
す。伝達の対象となるべき「思想」そのものは文字どおり影も形もないもので、
それを手に取って渡すというようなことのできないものです。従って、伝達のた
めには、まずもって相手に知覚できるようななんらかの形に「表現」しなければ
なりません。そのために私たちはよく言葉という手段を利用するわけですが、そ
の際、普通の考え方ですと、既にまとめられた「思想」というものがまず存在し
ており、「言葉」は要するにそれに衣をかぶせて知覚可能な形に置き換えるだけ
—— つまり、文字どおり、「表に現す」だけ—— の働きをするということになり
ます。重要な「思想」のほうは既に論理なり理性なりによって、言語とは関係の
ないレベルでまとめ上げられており、その後、表現の段階になって初めて言語が
介入してくるというわけですから、言語の役割は全く表面的、付随的なもの——
要するにつまらぬもの—— というふうに解されるのです。

現代における言語への関心は、言語というものが実はこのような「手段」以上
の何かであるという認識に始まっていると言うことができます。

そのきっかけとなった一つのことは、「外から見た日本語」という視点でしょ
う。例えば、日本語には主語が二つあるというようなことが言われたりします。
目的語が二つあるということならば、私たちでも英語を習うと早速教えられる直
接目的語と間接目的語というのでおなじみですから別に驚かないでしょう。しか
し、主語が二つということはまず聞いたことがないでしょうから 、日本語は本当

第1課漢字の性格 11

にそのように変わった言葉なのだろうかと考えたくなります。(このような場合、
実際に意味されているのは、「象ハ鼻ガ長イ。」のような文の「象ハ」と「鼻ガ」、

という二つの部分のことです。)このような文法のレベルの問題からもっと細かい
語法の問題になってきますと、同じような種類の指摘はますます多く経験するこ
とができます。例えば英語ですと、’lam glad', 'You are glad' , 'He is glad ‘な
どは、どれをとってみてもごく自然な表現です。ところが日本語では「ボクハウ
レシイ。」はよいとしても、「アナタハウレシイ。」、「カレハウレシイ。」は不自然
な感じがします。何か勝手な、押し付けがましい判断が行われているという印象
を受けます。「ボクハウナギダ。」という表現は、この種の関連でいちばん有名に
なってしまったものです。この表現に対応する英語の表現は、<I am an eel,と
いうことになりそうです。この英語の文はく私はうなぎという魚である。〉とい
うことを意味します。ところが、日本語の「ボクハウナギダ。」は例えば鰻丼を
注文することに決めた場合にも使える言い方です。従って、日本人は自分がうな
ぎという魚であると主張することによってうなぎ料理の注文ができるという変
わった言語の使い手であるというわけです。そして、これが更に進むと、しばし
ば日本語が非論理的であるという断言に連なることは周知のとおりです。

日本語が本当に非論理的なのかどうかということは今はさておくとしても、日
本語についてのこのような外からの指摘は、内なる当事者である私たちが予想も
しなかったことであるだけに、私たちの目を、改めて私たちが日ごろなんの気な
しに使ってきた言葉というものそのものに向けてくれます。そして、そのように
外には変わったものとして映る日本語とはいったいどのような言語なのか、更
に、そのような言語を使っている私たちは、いったいどのような人間なのかとい
うふうに、日本人のアイデンティティーという根源的な問題までが掘り起こされ
てきます。言語の問題がかってとは比べものにならないほどの深い意味合いを持
つものであると認識されるようになるわけです。

実は、このような形での日本語への反省は別に外国人からの積極的な(場合に
よっては、かなり一方的な判断に基づいた)指摘を待たなくとも、もともと十分
起こり得たはずのものです。中学で初めて英語を習って、英語ではbrotherとい
う語だけで済ませて、いちいち「アニ」か「オトウト」かという区別をしないと
いうことを知ったときの軽い戸惑いと新鮮な驚きの気持ちは、だれしも経験した
はずのことです。そのような気持ちは言葉に対する感覚として本当に大切なもの
なのでしょうが、それがその後の外国語教育で十分に生かされていないという現
状はいかにも残念なことです。

語彙のレベルでのこの種の食い違いは、その気になればいくらでも気が付くは
ずです。日本語の「イネ」、「コメ」、「ゴハン」は英語ではみんなriceに統一され
てしまいますが、それでよいのかなと思いたくなるでしょう。逆に、日本語の「ツ
ミ」が英語ではcrimeとsinに区別されるのも意味ありげです。このような違い
は、それぞれの言葉を使っている人たちの文化的な関心の違いを反映しているの

12 日语综合教程第八册

ではないかということは十分想像でき.ます。例えば、日本の伝統的な文化におい

て、長男と他の息子たちの間に設けられていた差別、食生活において米の占めて

いた地位、原罪意識の欠如などが、言葉の上にその跡をとどめているのでしょ

う。このように、言語は文化を象徴するという機能を持ちます。この点を認識す

ることは、言語が思想の単なる表現、伝達の手段以上の何かであるということを

認識するまず第一歩です。国際的な共通性を目指してしばしば意図的に標準化さ

れている専門用語とは対照的に、文化的な意味合いの深く染み込んでいる語は、

他の言語のある語と一対一に対応させるのは困難です。色や好みを表す「渋イ」

という語が、この方面のことについての英語の書きものの中ではそのままshibui

という形で使われているのも当然のことです。 "

言語というものも社会の一つの制度のようなものですから、急に変わるという

わけにはいきません。そのため、文化を象徴するといっても、その象徴されてい

る文化は文字どおり現代のものというよりは、伝統的なものであるということが

よくあります。先程挙げた例も、どちらかというとそういったものです。その上、

言語に現れている区別がすべて、なんらかの文化的な事情と結び付けて解釈でき

るかというと、もちろんそういうわけにもいきません。例えば、日本語なら「〜

ノ上二」という同じ言い方で済ませるところを英語ならon, over, aboveなどを区
別して選ばなくてはなりません。でも、英語におけるこのような細かい区別が英

語圏のなんらかの特定の文化的特徴と関係しているかというと、すぐには判断し

難いのです。

しかし、文化的な意義がすぐ見いだせそうな場合も見いだせそうもない場合

も含めて、次のようなことは言えます。つまり、言葉の上で区別があるという

ことは、そのような区別がないという場合と違って 、表現、伝達しようとする

対象にある特定の特徴が備わっているかどうかを常に注目していなければなら

ないということです。例えば、「アニ」と「オトウト」という違いが言葉の上で

ありますから、日本語では兄弟ということが問題になる場合、常にく年長〉な
のかく年少〉なのかという違いに注目しなけ兀ばなりません。英語なら、特別

の必要の生じない限り、その点への注目はなしで済ませるわけです。逆に、「〜
の上に」という関係が問題になるとき、英語では二つのものが接触しているか
どうか、一方が他方を覆うような形になっているかどうか、高低という視点を
取り入れるかどうか、などが関係してきます。つまり、言葉の上で区別がある
かどうかということで、ある対象のどの点に注目し、どの点に注目しないで済
ませるかということが違ってくるわけです。私たちは日常の生活で表現、伝達
の手段としては圧倒的に多く言語というものに依存していますから、言語に
よって定められた形でどのような点に注目するかということが習慣として身に
付くということが十分起こり得るわけです。従って、使っている言語が違えば、
同じ対象と面していても同じようにはとらえないという可能性も生じてきます。
よく言われるように、言語が違えば物の見方も違ってくるということです。

第1課漢字の性格 13

このような違いは、ごく日常的な面では、例えば私たちが英語を使うと、ど
うしても日本語の癖が入り込んで、なかなか英語らしい英語にならないという
ような形で現われてきます。(逆に、日本語のできるアメリカ人が、お米屋さん
へお米を買いに行って「ゴハンクダサイ。」と言ってびっくりされたというよう
なことも起こるわけです。)しかし、抽象的な概念を表す語彙とか、あるいは、更
に語法、文法の面にも同じように違いがあって同じような作用をしているかも
しれないということを考えてみるならば、その影響は実はもっと根本的なとこ
ろで働いていると考えることもできます。言語は人間の表現、伝達の手段であ
るどころか、むしろ知らないうちに人間を支配している君主であるかもしれな
いのです。この認識は深層心理学における「無意識」の発見にも比することが
できるでしょう。

このようなことは、自分が生まれ育った母国語という一つの体系の中に安住し
ている限りは気付き難いことです。私たちは、たまたま自分が身に付けたものが
最も自然なものと思いがちです。そして、違った可能性があることを考えること
すらしないで過ごしているものです 。しかし、同じ夜空に散りばめられた星で
も、民族が違えば必ずしも同じ配列(つまり、星座)をそこに認めないのと同じよ
うに、言語が違えば、同じ対象でも多かれ少なかれ違った枠を通して眺めている
ということが起こります。このようにとらえられた言語は、単なる表現、伝達の
手段以上の何かであることは確かです。これが現代における言語についての認識
を支えているーつの柱です。

『ことばの詩学!(1982)による

注釈

❶ 池上 嘉彦(いけがみ よしひこ)(1934—)
京都府の生まれ。意味の問題を日常の言葉から文学の言葉、更に文化や記号と結び付けて考察し
ている。著書に『意味論——意味構造の分析と記述』『意味の世界』『「する」と「なる」の言語
学』『記号論への招待』などがある。

❷ アイデンティティ(identity)
自己同一性。本文では独自性。

❸ crime と sin
crimeは法律上の罪。犯罪。sinは宗教・道徳上の罪。

❹原罪
キリスト教で、人類のすべてが生れながらに負っているとする罪。

❺深層心理学
人間の精神活動の中の無意識の領域を研究する心理学。

14日语综合教程第八册

学習の手引き

〇「言語は思想を表現し伝達する手段である」という言語の定義についての筆者の考え
をまとめてみよう。

❷「言語は、単なる表現、伝達の手段以上の何かである」とはどういうことか、考えて
みよう。

❸「外から見た日本語」という観点から日本語の特色として指摘されていることをまと
め、それ以外にも自分で気づいたことを挙げてみよう。

❹ 文化が違うことによって、もののとらえかたが違うし、そして表現の仕方も違うと
いうことについて、中国語と日本語を比べて、気づいたことを挙げてみよう。

❺ 日本語を習ってから、中国語の特色として気づいたことをあげてみよう。
❻ 日本語を使うとき、どうしても中国語の癖が入り込んで、なかなか日本語らしい日

本語にならない、というようなことを挙げてみよう。

第1課漢字の性格 15

2第 通

日本の渚

I・本文

•加藤真

はくしやせいしょう

私は幼少の頃を、駿河湾の白砂青松の渚で過ごした。無数の貝が波遊びを
する渚の情景は、遠い日の忘れられない記憶のひとつである。砂浜にたたず
めば、海岸線に沿って果てしなく続く砂丘と松林に 、沖に向かって果てしな
く広がる海と空に、視線は吸いこまれてゆき、日々の悩みや悲しみも、一瞬
忘れてしまう。解放感で心が真つ白になり、ふと気がつくと汀線に貝殻が落
ちている。その貝を昔の人々は忘れ貝と称したが、忘れるための道具は、実
は忘れ貝そのものではなく、そのような貝が打ち上がる美しい渚だったのだ
ろう。

高度成長期に入る前の日本には、松林に抱かれた自然のままの砂浜があち
こちに存在した。しかし現在、多くの渚は人工護岸の海岸に変えられていて 、
渚と砂丘と松林という連なりはほとんど残されていない 。松林は切り開かれ、
砂丘はやせ細り、わずかに残された砂丘を四輪駆動車が走りまわる。

たとえば、能登半島の増穂ケ浦は、とりわけたくさんの貝が打ち上げられ
る海岸である。日本海から吹いてくる北風に吹かれながら、美しい汀線をた
どり、打ち上げ貝を拾いゆけば、寒さも忘れて、海がはぐくんでいる生物の
多様性にうっとりしてくる。しかし現在、打ち上げられる貝の多様性は、海
の汚染や渚の生態系の荒廃を反映して、各地の渚で激減している。

このように白砂青松の渚には、人間活動のさまざまな影響が忍び寄ってい
る。松林の伐採、砂丘の縮小、海岸の人工護岸化、海岸線の後退、海の汚染
や富栄養化などだ。

人口の増加にともなって、過剰な上地利用を追求した結果、人の居住地や
耕作地は渚のすぐ近くまで迫ってきた。そのため、防災の名のもとに、海岸
線は松林や砂丘にかわって 、コンクリートの防波堤で固められていったので
ある。

16日语综合教程第八册

人の居住地から遠く離れた自然海岸にも、「なぜこんなところに。」と思わ
れるような人工護岸が造られていることも少なくない。美しい渚は人工護岸
一つで、その価値をいちじるしく損なわれる 。

最近は、「水に親しむ」といううたい文句で、海岸線に階段状の堤防を造る
ことがはやっている。松林や砂丘をつぶして造る堤防は、たとえ人が座って
海を眺められるように階段状になっていたとしても、けっして渚にやさしく
はない。渚と砂丘と松林は大きな生態系の連環の中にある。松林は渚へ栄養
分に富んだ地下水を供給し、波は渚と砂丘へ砂を供給し、また多くの寄りも
のをもたらす。渚と砂丘と松林は帯状に連なり、それらの間を移動する多く
の生物をはぐくんでいる。そのような生態系の連環を絶ってしまう人工護岸
は、自然海岸にもっともふさわしくないものだ。

多くの砂浜が直面しているもう一つの問題は海岸線の後退だ。全国のほと
んどの河川にダムができ、川は、土砂を山から海へ運ぶという本来の役割を
果たせなくなっている。海への土砂供給が減少し、砂丘はやせ細り、海岸線
は後退しつづけているのだ。

海岸線の後退に対して現在行われていることは、護岸堤の外側に消波ブ
ロックを放りこみ、砂の持ち去りを少なくするために離岸堤や潜堤を渚の沖
につくり、養浜のための突堤を海岸線から突き出させ、別の海から大量の砂
を搬入するというような、対症療法的なものが多い。そこには満身創痍の渚
の姿がある。

現在、さかんに行われている人工渚の造成は、砂の搬入によって渚の土着
の生物を生き埋めにし、砂の浚漾によって砂地の生態系を破壊する行為にほ
かならない。砂が搬入される場所にも、砂が浚藻される場所にも、大きな爪痕
が残る。自然の砂浜と造成された人工渚との本質的な違いは、渚に生息する
生物の種多様性だ。渚に打ち上げられる貝の種数を比べれば、人工渚のその
貧困さは歴然としている。形ばかりの環境復元は、本質的に生態系破壊であ
るが、そのことに気づいている人は残念ながら多くない 。

日本列島が白砂青松の渚で縁どられていた時代、渚は子供たちの遊び場
だった。そのころ日本は貧乏な国だったが、渚で遊ぶことを通して彼らは豊
かな感性を心の中にはぐくんでいた。渚が遠い存在になってゆく今、わずか
に残っている変貌をとげる前の自然の渚の姿を 、未来をになう世代に見てお
いてほしいと思う。松林と砂丘と波がおりなす渚の風光や 、そこに見られる
生物たちの躍動や多様性は、おそらく言葉では伝えることができないもので
あり、どんなに予算を注ぎこんだ公共事業によっても「復元」できるもので
はない。

自然の海岸線にこれ以上手を加えるのをやめることが先決だ。松林の本陰
に寝ころんで松の枝をつたう風の音を聞き、砂丘に咲き乱れたハマエンドウ

第2課日本の渚17

の花むらの中に座って広い海を眺め、汀線に打ち上げられたくさぐさの貝を
拾い、渚に足を浸してフジノハナガイの波遊びを見る 、そんな体験をした子
供たちは、大人になっても、渚や砂丘を四輪駆動車で走りまわったりするこ
とはないだろう。

『日本の渚』(1999)による

❶加藤真(かとうまこと)(1957-)
生態学者。静岡県生まれ。主な著書に『日本の渚』などがある。

❷駿河湾
静岡県中部の湾。

❸汀線
海面と陸地とが接する線。

❹忘れ貝
二枚貝の離れた一片。

❺高度成長期
1955年から1973年にかけて、日本経済が急激に成長した時期のこと。

❻人工護岸
水害を防ぐために設けられた堤防などのこと。

❶能登半島
石川県北部、日本海に突出する半島。

❾生態系
ある地域にすむ生物と環境をひとまとめにした体系。

❿富栄養化
燐や窒素などの栄養物質の流入によって、プランクトンが異常発生し、水質が悪化すること。
寄りもの
浜辺に打ち寄せられたもの。

®消波ブロック
護岸に使用する、波を弱める大型のコンクリートブロック。

®離岸堤
沖合いに海岸線と平行に築造する堤防。

必潜堤
波の力を弱めるために設ける水中構造物。

®養浜
後退した海岸に砂を供給して砂浜を造成すること。

的突堤
陸から海に長く突き出した細長い堤防。

®浚浬
水底の土砂をさらって、深くすること。

18日语综合教程第八册

®ハマエンドウ

マメ科の多年草。海岸の砂地に生える。

(Dフジノハナガイ

フジノハナガイ科の二枚貝。

新しい言葉

渚(なぎさ) [名] 海・湖などの、波打ち際。みぎわ。
白砂青松(はくしゃせい [名] 白い砂と青い松。海岸などの美しい景色を言う言
葉。
しょう) [自五] しばらく立ち止まっている。じっとその場所にい
たたずむ(佇む) る。
美しいものなどに心を奪われて、ぼうっとしてい
うっとり [名] るさま。また、気抜けしたさま。
そのものの特徴などを強調する短い宣伝文句。
うたい文句 [名] キャッチフレーズ。
縁をつくる。特に、物のへりや周りに色を塗った
縁どる(ふちどる) [他五] り布切れをつけたりして細工を施す。
種類や品数の多いこと。さまざま。いろいろ。
くさぐさ [名]

言葉と表現

上二X ~にともなって~

「にともなって」の前と後に変化を表す表現を用いて、前に述べる変化と連動
して後に述べる変化が起こるという意味を表す。あまり個人的な事柄でなく、
規模の大きい変化を述べるのに使う。書きことば的でフォーマルな文体。

❶ 人口の増加にともなって、過剰な土地利用を追求した結果、人の居住地や耕
作地は渚のすぐ近くまで迫ってきた。

❷ 気温の上昇にともなって湿度も上がり蒸し暑くなってきた。
なお、「にともない」の形もあるが、「にともなって」のさらにかたい言い方。
❶高齢化にともない、老人医療の問題も深刻になりつつある。

匕^一…~にほかならない __ ______

1.「名詞+にほかならない」の形で、「それ以外ない」「まさにそのものである」

第2課日本の渚19

と断定的に述べる場合に用いる。
❶ 現在、さかんに行われている人工渚の造成は、砂の搬入によって渚の土

着の生物を生き埋めにし、砂の浚渓によって砂地の生態系を破壊する行
為にほかならない。
❷ しかし法務省が多くの手数をかけて司法試験を施行したということは、
無名の青年たちの中から将来の支配階級となるべき人材を捜し出そうと
いう意図にほかならない。
❸ この会を成功のうちに終わらせることができましたのは、皆様がたのご
協力のたまものにほかならない。
2. 「〜から(ため)にほかならない」の形で、ある事柄が起こった理由や原因
がそのこと以外にない。まさにそのためであると断定的に述べるのに用いら
れる。
❶ 子どもたちがおばあさんのうちへ遊びに行きたがるのは、小遣いをもら
えるからにほかならない。
なお、「ほかならぬ」を連体詞に準じて使う場合がある。
❶ほかならぬ君のことだ。

I学習の手引き

❶『日本の渚』の置かれている現状について、次の点からまとめてみよう。
1) 人工護岸の造成
2) 海岸線の後退・河川へのダムの設置
3) 人工渚の造成

❷「……そんな体験をした子供たちは、大人になっても、渚や砂丘を四輪駆動車で走り
まわったりすることはないだろう。」とあるが、どうしてそう言えるのか、考えてみ
よう。

練習

ー、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
7.「松林は切り開かれ、砂丘はやせ細り、わずかに残された砂丘を四輪駆動車が走
りまわる。」とあるが、筆者にとって四輪駆動車はどのような意味を持つと考え
られるか。
2「『なぜこんなところに。』」の後には、どのような言葉が省略されていると考え
られるか。

20 日语综合教程第八册

3「最近は、『水に親しむ』といううたい文句で、海岸線に階段状の堤防を造るこ
とがはやっている。」とあるが、発案者は、なぜこのような案を出したのか。ま
た、この案のどこに問題があるのか考えてみよう。

4「松林や砂丘をつぶして造る堤防は、たとえ人が座って海を眺められるように階
段状になっていたとしても、けっして渚にやさしくはない。」とあるが、どうし
てそう言えるか。

5「対症療法的」とは、この文章ではどういうことか。
6. 「形ばかりの環境復元は、本質的に生態系破壊である」とあるが、ここから筆者

の渚に対するどのような考え方が伺えるか。
7. 「そのころ日本は貧困な国だったが、渚で遊ぶことを通して彼らは豊かな感性を

心の中にはぐくんでいた。」とあるが、どのような感性をはぐくんでいたと考え
られるか。
8. 「自然の海岸線にこれ以上手を加えるのをやめることが先決だ。」とあるが、あ
なた自身はどうすればよいと考えるか。
9. 自分が始めて海岸に立ったのはいつか。また、その時、どんな気持ちだったか
思い出してみよう。

二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
1.砂浜にたたずめば、海岸線に沿って果てしなく続く砂丘と松林に、沖に向かつ
て果てしなく広がる海と空に、視線は吸いこまれてゆき、日々の悩みや悲しみ
も、一瞬忘れてしまう。解放感で心が真つ白になり、ふと気がつくと汀線に貝
殻が落ちている。その貝を昔の人々は忘れ貝と称したが、忘れるための道具は、
実は忘れ貝そのものではなく、そのような貝が打ち上がる美しい渚だったのだ
ろう。
2松林の本陰に寝ころんで松の枝をったう風の音を聞き、砂丘に咲き乱れたハマ
エンドウの花むらの中に座って広い海を眺め 、汀線に打ち上げられたくさぐさ
の貝を拾い、渚に足を浸してフジノハナガイの波遊びを見る、そんな体験をし
た子供たちは、大人になっても、渚や砂丘を四輪駆動車で走りまわったりする
ことはないだろう。

三、 次の文章を読んで、後の問に答えなさい。
今からもう十年あまりも前になる。南太平洋のトンガでの調査を終えて、東京の

我が家に帰ってきて奇妙に思ったことがいくつかあった 。
そのうちのひとつは日本人がやたらに忙しがっていることであった。①駅では人

びとがさきを争って階段をかけあがり、プラット・ホームにとまっている電車にと
び乗ろうとする。わずか三分か五分も待てばつぎの電車がくるというのに。

ラジオでは交通情報というのをやっていて、どこどこ何丁目の交差点では②信号
何回待ちなどと教えてくれるcさらに精神安定剤のコマーシャルは「お忙しい毎日、

, 第2課日本の渚• 21

いらいらの連続であなたの心と体はすっかり疲れています。この薬を飲んで眠れば、
翌朝のお目ざめはすっきり」などとたいそう親切である。

どれもこれも、南太平洋帰りのわたくしにはびっくりすることばかりであった。
このことを会う人ごとに話すと、「いいですなあ。むこうはのんびりしていて」とや
や(③)な返事がかえってくるのが落ちであった。

くるかこないかわからないトラックに乗せてもらおうと、半日でも一日でも道端
でしんぼう強く待つことに慣らされたり、④時間がもったいないという観念などな
い人びとの中での暮らしがある程度身についてしまったわたくしには、なぜ東京の
人びとはこんなに忙しそうに働いているのか、なぜ精神安定剤の世話になるほどい
らいらしなければいけないのか、さっぱりわからなかった。

おおげさにいえば、これはわたくしが自分の生まれ育った文化から受けた、⑤は
じめての大きな文化的衝撃であった。ちなみに、当時は日本の経済が成長期にむ
かって突進していた1960年代の勇ましい日本であった。

それから数年、どうした理由からか日本人は(⑥)という批判が急に高まって
きた。週休二日制をとり入れようとする動きと並んで、余暇をいかに過ごすかとい
うような問題があちこちでとりあげられはじめた。⑦ちょうどそのころ、ある雑誌
で遊びの特集をする企画があり、わたくしはそこで遊びの分布図を作る作業にたず
さわった。またその後、世界各地の余暇を研究する会に参加したり、遊びや余暇に
ついての小さな文章を書く機会を通じて、南太平洋から東京に帰ってきたときの経
験をおりまぜながら、もうすこし自分なりに⑧整理してみたいと思うようになった。

HD ①で、なぜ「さきを争って階段をかけあがる」ことになるのか。

(BB②で、だれが「信号を何回も待つ」のか。

dB (③)にはどんなことばが入ると思われるか。

A,嘲笑な B.軽蔑的な C,好意的な D,同情的な

dD ④のような意味を表すことわざはどれか。

A,果報は寝て待て B.急がば回れ
C・時は金なり D,光陰矢のごとし

(ffiB ⑤で、なぜ「文化的衝撃であった」のか。

HD (⑥)の中にはどんなことばが入ると思われるか。

A・遊びすぎだ B・休みすぎだ
C.余暇を取りすぎだ D・働きすぎだ

22 日语综合教程第八册

dB⑦「ちょうどそのころ」とはいつごろか。

dD⑧「整理してみたい」とあるが、 何を整理するのか。

A,自分の作業 B•自分の経験

C,余暇を如何に過ごすか D,なぜ精神安定剤の世話になるか

!読み物

飛翔

•高橋和E

1

鳥たちは、白っぽい杉苔の一面にはうシベリアの高原から飛びたった。白樺の
林が、迫ってくる寒気に樹皮を剥奪されながら山麓に茂っている。鳥たちの羽ば
たきは冷たく乾燥した響きとなって四辺に拡散する。眠られぬ夜の不健康な瞳の
ような太陽は、そのときちょうど、西の地平線のまぎわにあった。白い夕暮れが、
暮れなずむ淡い光を、風とともに送ってくる。ちりちりと木々の梢がふれあい、
杉苔の平原が波立った。鳥たちは相互に鳴きかわしながら、寒風を撃って南へと
旅立つ。旅立ちの前に、羽をととのえ、伴侶をたしかめねばならない。鳥の大群
は、最初、なんの秩序もなく大空を乱れ飛び、叫び声をあげる。幾度かの鳥の翼
の協奏が空しく灰色の空に消えたころ、やっと先頭は南へ方向をさだめ、飛翔し
はじめた。定まった順位に従い、あるものはその順位を破りながら。

それが果てしない虚空の旅のはじめであった。
鳥たちの背は灰褐色、腹は黄色く、そして体全体に黒い斑点があった。先頭に
立った鳥の体躯は先導者にふさわしく頑健だった。それゆえに彼が力強く翼を上
下動させ、風に乗って流れるとき、その斑点もまた最も鮮やかだった。それは彼
ら渡り鳥の種族の表徴であり、自然の数奇でもあった。灰色の空にごま塩のよう
に散らばる鳥の群れは、淡い白在の日の光にふれて、砂金のようにきらきらと

光った。
視野の広まった下界には、黒々とした川が、荒涼とした高原のあいまを縫って

いた。本来ならば純白に見えるはずの水の帯は、夕暮れ時、不思議に黒光りする
のだ。半年間、その辺りに住みなれ、華やかに鳴きかわした鳥たちに向け、川は
別れを告げているのかもしれなかった。黒色のはなむけは必ずしも不吉を意味す

第2課日本の渚 23

るものではない。流れたゆとう秋の川は、黒く光ることによって明日の天候を保
証し、はるか鳥たちの向かうべき方角をもその流れによって示唆しようとしてい
るのだったから。おおむね、若い鳥たちは上空を飛び、年とったものは低空を、
そして中間帯に娘らと子供たちがいた。毎年の強行軍がそうした隊伍の編成を鳥
たちに教えたのだ。上には悠々と分厚い雲海が広がり、下は前人未踏の森林地帯
とヒース、山の峰と雪の肌、静謐な河川とうごめく大地とがあった。鳥たちの影
は、雑草と砂礫の丘陵を駆けすぎ、徐々に喬木の草むらへ、そしてそれから湿原
へと落ちていった。

飛びたってから間もなく、一羽の鳥が哀しげに鳴きながら群れから離れ、と
り残されていった。理由は簡単だった。羽に傷があったからだ。羽毛は変わり
なくふさふさとしていたけれども、羽のつけ根の筋が一本切れていた 。そのた
め体は左に傾き、突風のくるたびに、平衡を失って、数メートルずつ下降した。
鳥はべつだんなにも考えなかった 。羽のつけ根に傷はあっても苦痛はなく、下
降はしても地面にたたきつけられるわけではなかったから 。なぜ進路が西の方
にゆがむのかも知らず、鳥は群れを追って南に飛ぼうと努力した 。しかし、そ
の努力にもかかわらずスピードは落ち 、他の鳥たちがひと羽ばたきで進める距
離を、彼は二度も三度も羽ばたかねばならなかった。徐々に、そして確実に落
伍してゆく鳥の目に、丸く地球が、地球自体がそうである以上に丸っこく見え、
その上空を滑ってゆく仲間の群れが、無意味な霧の流動のように映った。細か
い霧の粒子が荒野の夢と荒野の悲哀とをかきたてながら、ゆっくりと移動して
ゆく。はげ上がった山の岩場から、雪の気配を宿した谷間の茂みへと霧は流れ
てゆき、そして消えていった。まだ大丈夫だろうど、ふり向くと、背後には鳥
影はなく、今度、前を見ると、そこには層雲の波が低くたちこめているばかり
であった。風は西よりながら順風だった。背後から吹かれ、押されて、鳥は病
んだ羽を支えながら、自然に推進する。ゆっくりと。風がやんだとき、その鳥
は仲間を求めて合図の鳴き声を発した。返答はなかった。水か砂か、それとも
泥沼かもしれない上地のしみが、そのとき、まばたきを忘れた鳥の目に 、二度
と忘れえない鮮明さで映っていた。

2

一夜が明けた。鳥たちの群れはやや地形の変化に富んだ草原に来ていた。彼ら
の、そして彼女らのえさになる昆虫は、多く凋落しつつある草の根や 、樹々の皮
のうちに隠れていた。死期を待つ昆虫は硬い殻におおわれてやせていたが、それ
ゆえにえさの捕獲は容易だった。地面を低くはう喬木の梢をめざして、鳥たちは
一文字に下降する。保護色も鳥たちの俊敏な目はごまかせない。昆虫たちは、体
を一瞬ぴくりと顫わせるだけで、次の瞬間には鳥の鋭いくちばしの中に含まれて

24 日语综合教程第八册

いた。今年生まれたばかりの幼い鳥ほど、分不相応な大きな虫を目当てにする。
くちばしに含んだまま舞いあがり、のみ下しかねて振り落とし、それをまた虚空
で受けとめるのである。何度か繰り返しているうちに、昆虫の四肢はばらばらに
くだける。比較的柔らかな胴体だけをのんで旋回する鳥の足から、ひきちぎれた
昆虫の残骸が、ひらひらと、子守りの歌のように散ってゆく。

胃袋いっぱいにえさを飲み込み、草の露を吸って満腹した鳥たちは、重くなっ
た体を、南向きの傾斜地の木立ちに宿して休息する。多くの鳥が眠り、少数の鳥
が上空を旋回しながら、あたりを見張る。一定の時間がすぎると見張りは交替
し、そして夕刻、再び鳥たちは果てしない飛行にとりかかる。一羽が行方不明に
なっていても、依然、鳥の群れは鳥の群れであった。二日目の飛翔は前日よりも
いくらか早かった。まだ疲れはなく、かえってその飛翔に調子がついたからだっ
た。たとえ少しえさを食いすぎたとしても、運動がその消化を促進する。先頭に
いた鳥は、依然、先頭に立っていた。彼がその位置を他の者に譲ろうとして、旋
回すると、鳥の大群は扇をひるがえすように、先導者の軌跡を追って大旋回した
から、一回りしてみると、やはり順序は同じだった。

二日、三日、四日……タイガは無限に続いた。どの盆地にも、どの地塁にも、
樹長四十メートルにも達するカラマツやモミ、そしてエゾマツが鬱蒼と茂ってい
た。鳥たちは外敵を避けて夜に飛翔し、朝、灰色のモミの木、黒褐色の松の樹皮
をついばんで、松の木くい虫や様々の昆虫のさなぎを食った。鱗状の樹皮がはが
されるとき、黄化した樹冠もまたわずかな震動にぽろりと落ちた。そのあたりは
去年通ったなじみの径だったろうか。森の個性は森の広大さに埋没し、光と影と
のあまりに鮮やかな対照が針路を曖昧にする。

鳥たちはもう無駄な遊戯はしなかった。樹脂が香り、松の球果が音をたてて転
げてもいったん閉ざしたまぶたはもう開けない。鳥たちは最小限度に動き、えさ
を探し、探しあてたえさは、昆虫のひげやつめ、さなぎの袋まで余さず食い、そ
して眠った。

鳥たちは用心深くなっていた。外敵に対して? いや仲間に対して。なぜな
ら、豊かなシベリアの夏の楽園はすでに遠のき、今までのようにくちばしでえさ
をころがして愛玩していては、いつ横あいから仲間にかすめとられるか知れな
かったからだった。確かめもせず慌ててのみこんだのが、樹皮や石ころであって
も、鳥たちはだれを憤るわけにもいかなかった。鳥の胃袋にとって、二、三の石
ころは負担であるよりもむしろ咀嚼に役立つ。とはいえ、少しでも重すぎれば、
これからの長い飛翔、とりわけ海の上の休みなき飛翔には、それはその鳥の死と
なって結果する。

鳥たちが互いに猜疑深くなりつつあったある朝、疲れた鳥たちが、凍土とけわ
しい隆起断層のはざかいを休息場を求めて飛んでいたとき、後尾の一羽がふいに
悲鳴をあげた。悲鳴をあげたとき、その鳥はもう死んでいた。鷹だった。断崖の

第2課日本の渚 25

棚から、翼の先が熊手のようにとがった黒い鷹が、ふわりと飛びたち、上空に舞
いあがったかと思うと一気に急降下した。一羽、二羽、三羽、鷹は自己の存在を
誇示するように音高く飛び、そして渡り鳥に追いすがる瞬間、頑丈な足で小鳥を
蹴落とした。鷹の一撃は、つぐみの首を折り頭骸を粉砕する。算を乱して遁走す
るつぐみ、襲いかかる鷹。雲は朝焼けて、赤紫色にあかね色に、そして真紅に変
色し、太陽はおのれひとりの栄光のために燃えつづける。北地の鷹は獲物をわし
づかみのまま地上に降りるのではなく、次々とその足とつめで鳥たちを撃ち落と
す。それゆえにそこに鷹の姿がある限り、渡り鳥にはただ無意味な犠牲を積み重
ねることができるだけだった。どんなに群れをかき集めてみても、鳥たちには反
撃はおろか抵抗する武器すらない。方法はただひとつ、逃げること、ただひたす
らに逃げることだった。幾羽の仲間が鷹の餌食となっただろう。鳥たちは風に散
る雲霞のように一斉に引き返し、針葉樹林の中に身を隠した。

3

長かったタイガにも、暗 蒼 色のカラマツ、エゾマツの中に、楓やハンの木
の黄色が混じりはじめ、やがて樹海は尽きて褐色の草原地帯に出た。旅程はほぼ
その三分のーを過ぎたのだ。霜におおわれた草原をふいにトナカイの群れが走
り、また小さなフェルト屋根の小屋があって、そのそばからは、一条二条、畜糞
を燃やすかすかな煙が上っている。放牧された羊が、地面に散乱した小さなほこ
りの粒のように動いている。

また一日、また二日、そして三日、四日……鳥たちはややスピードを落としな
がら飛びに飛んだ。ある時は地上から発射される猟師の弾丸にその仲間の数羽を
失い、ある時は人間たちが彼らを真似て作った飛行機の音におびえながら。

やがて鳥たちの鼻に塩気と藻の香りがねばった。もう海は間近なのだ。海に出
れば、その行程の半ばは終わる。そして、次の日の朝、鳥たちは、なだらかな丘
陵のかなたに、銀色に鱗をなびかせている海の肌を見た。ああ、限りなく広がる
海、すべての生物たちの遠き故里……。海浜の林に大休止した鳥たちは、その夜、
雁か鴨か、彼らよりも速いスピードで天空を駆ける渡り鳥の一群を見た。みごと
な隊伍は、月面をシルエットのようによぎりながら、見送る同類に挨拶する。い
やその鳴き声は挨拶ではなかったろうか。かなたに月光を受けて光る海に影を落
としながら彼らは一足先に海上に消えてゆく。静かな海の上には、帯状に月の反
映が伸び、あたかも無数の真珠が海底から発光して誘惑しようとしているように
見える。この光を掬め、この水に身を捨てよと。,

先導していた鳥の目に、ぽとりと水滴が落ちた。空気は生暖かく膨張して濡
れ、風はやみ、部厚い夜の層が地殻の胎動のように揺れた。鳥たちがすでに海上
を南下しはじめて二日目の夜。湿気をはらんだ上昇気流が海面よりせりあがって

26 日语综合教程第八册

鳥の腹をぬらし、暗黒の虚空一面にざわめきの音が満ちた。波の音ははじめは不

あらし

吉な私語のように、やがて鼓を乱打するように高鳴る。まぎれもなく、それは嵐
の前ぶれだった。

だが、天と海に何事が起っても鳥たちには見えない。ただ後ろの者は前の者の
羽音を頼りにし、前の者は後の響きに追われてひたすらに飛ぶ。やがて雨が斜め
に鳥たちに降りそそぎはじめた。鳥たちがずぶぬれになるのに時間はかからな
かった。雨滴をはじいていた羽の脂も絶え、冷気は皮膚から肉へと浸透する。

水にぬれて体は重く、石つぶてのように、次には矢のように、そして懸河のよ
うに降る雨に打たれ、まず、附踱部にアルミニウムの標識をはめられた鳥が、み
とるものもなく海に落ちた。鳥はなぜ自分の附踱部にアルミ枷のがはまっている
のかを知らなかった。ある日ふと気づいてみると、自分の片足がわずかながら重
くなっていたのだ。振っても蹴ってもはずれない以上、それは彼の運命であり、
そして運命もまたいっしか日常と化す。だが今、全力をあげて風と闘わねばなら
ぬ時、再びそれは重い運命となって甦えったのだ。鳥はその枷のために風雨に敗
れ、平衡を失って墜落する。荒れ狂う海は、なおも虚空にあこがれる鳥を波頭で
打ちのめし、鳥は海面に横転したまま、激しく浮沈する。やがて三半規管も潮に
狂い、天と海底との上下の感覚も失ってみずから欲するかのように海底に没する
のである。すべての生き物の発生地であり、それゆえにすべての生きものの墓場
たるにふさわしい海の底へと。もはや苦痛もなく、鳥は一瞬、平和な浄土の幻影
を夢見た。

鳥たちは懸命に飛んだ。時速四十マイル。もし鳥たちのスピードが風の瞬間風
速を下回れば、彼らの進路は狂い、ひとたまりもなく虚空にあおりあげられ、ま
た大波の谷間にたたきつけられるからだ。だが、一羽の墜落が、死の合図ででも
あったかのように、鳥たちは次々と風の壁にはばまれて海に隕ちた。つがいの鳥
は自分の伴侶が海のもくずとして消えたことを知っていただろうか。子は親の死
を知っていただろうか。いや、おそらくは知らない。ただ盲目の意志だけが、彼
らの生命であり、何らかの自覚や知覚はすなわち死だった。信じられないほどの
高い波頭が、下層を飛んでいた老いた鳥たちの体を巻きこみ、その触手をさらに
上へと伸ばす。

一夜明けてみれば、鳥の大群はその半ばを失っていた。多くの伴侶、多くの仲
間たちが暗黒の幕間に奈落へと姿を消した。天の償いは?ただ無意味に輝く日
の光だけー〇雲はどのように柔らかそうに見えようと 、それに抱かれて仮睡む
こともできない。疲れきった鳥たちには、どこにも休息の場所はない。あるのは
ただ無限の蒼海と、無限の深淵だけなのだから。海にさしかかるはじめ、くちば
しに木の葉や木片をくわえていた鳥たちも、それは暴風雨にもぎとられてしまつ
ていた。太陽はゆっくりと、東から天頂へ、そして西へと移動していく。

再び夜。彼方に一つの燈が見えた。陸だ。事実その燈火は、瞬きながら鳥たち

第2課日本の渚27

を優しく手招くように見えた。先導者は一声高く鳴きあげ、その燈火に向って加
速度を加えた。最後の力をふりしぼって一〇近寄るにつれ、燈火の脚は海面を
愛撫するようにさすらいながら移動する。

そして突如、鳥たちは、あまりに強烈な閃光に目つぶしされ、中枢神経を冒さ
れたまま、その光の輪の中に吸い込まれた。無量光、あまりに明るい闇、何もな
い闇……先導者は翼をひるがえそうとして果たさず、燈台の特殊ガラスに衝突し
て一瞬にして息絶えた。緩慢な落下が、これまでの努力への報酬と慰安ででもあ
るかのように、彼は一塊の肉塊と化してゆっくりと落ちていった。続いて一羽。
また一羽。二、三、四、五、十、二十、百……数え切れぬ群れが燈台に魅せられ、
光に裏切られて死んだ。声もなく、ただ衝突の際の物理的な響きだけを残して。
遅れた一群、そしてたまたま光源からずれて飛んでいた一群だけが助かった。も
はや鳥たちに指導者はなく、ふいに寂しくなった周囲の静寂を恐れて、鳥たちは
大旋回する。間近に迫った陸地をいったん見捨てて、ふたたび疲労と不安の海へ
と。打ち寄せる波が海岸線に砕ける一瞬、無数のプランクトンが発光して、いつ
せいに波頭をあおじろく染める渚を見捨てて——〇

4

「こちらは〇〇テレビ放送取材班でございます」アナウンサーは、オーバーの
襟を立てたままマイクロホンに唇を寄せて小声で言った。「私たち<四季のしお
り〉報道班はいま北陸の地、XX山へ来ております。現在では珍しい霞網狩猟の
実況を、これから皆様にお伝えしようとするわけでございます。ちょうどいま時
刻は午前六時、日はすでに一時間ほど前にのぼり、——テレビが色彩テレビでな
いのが残念ですが、—— 山腹には針葉樹にまざって楓や紅葉など、あちこちに紅
葉しておりまして、ほとんど黄金色に、いや山全体が色彩饗宴のといってよい輝
きでございます。霞網と申しますのは、蜘蛛の糸のようにほそい絹の鳥網であり
まして、テレビを通じて映っておりましょうか、高い杭といま一つの杭の間に長
く二重に張ってございます。時折、光のかげんで、ちらちら光りますのが霞網で
ございまして、すでに準備は万端ととのっているわけでございます。霞網による
渡り鳥の捕獲は、戦前では各地の一年間の集計が一千万羽にも上ったといわれま
す。ただ戦争中の乱獲により、鳥類が極端に減少しましたため、戦後、特定地域
いがいは霞網の使用は禁止されましたが、当地XX村では、数日後に行われます古
式ゆかしい山祭の前後二週間、農林業組合の管理のもとに霞網捕獲が許されてお
ります。川魚や乾物いがいに動物性栄養源の乏しい山村の人々にとりまして、こ
れは一種の行事でありますとともに、待望久しい季節の料理でもあります。とり
わけ渡り鳥の中では、らぐみは小さいながらも最も美味なものだそうでございま
す。秋たけまして、山腹に吹く風は冷たく、梢の響きもまた心なしか寂しげでご

28 日语综合教程第八册

ざいますが、さて、ここにXX村の猟師さんであり、炭焼き業にも従事しておら
れます、早瀬さんがいらっしやいます。もう相当のご高齢の方でいらっしやいま
すが、鳥の羽ばたきの音がきこえてまいりますまで、しばらくお話をおうかがい
してみましょう。えー、早瀬さん、お寒い中を大変でございますね。」

「うん、いや。」話しかけられた老人は、煙管の火を手の中に受けて、巧みにつ
ぎ火すると、ゆっくり煙を吐き出した。

「鳥たちは今日まいりますでしょうか。」
「そりや解らん。」
「そこにつれてきていらっしやる鳥籠の鳥はどういう役目をするんですか。」
「ああ、おとりじや。この鳥が鳴いてくれるとな。飛んできた鳥が、この山に
舞い降りる。」
「しかし、元来渡り鳥であるろぐみをどういう風にしてお飼いになるわけです
か。」
「誰が考えたのか、わしは親爺に教えられた通りにやって来とるがの。渡り鳥
が北へ帰る際に迷って残った鳥を捕まえておいての。それにいいえさをやって、
夜更けまで電燈の下で起して育てるんじや。だから、おとりの鳥一羽を飼うの
も、なかなかの手間じや。鳥は春になると夫婦恭呼び交わして鳴く。秋にも鳴か

んわけじゃないが、それは鳥同士の勢力争いの時での。けれどもが、電燈の下で
育って一日を長うして、春先に鳥が食べる虫の餌を与えておくと、秋にも春のよ
うに鳴くんじやな。仲間が鳴けば、鳥たちは寄ってくる。」

「は、は、なるほど。聴視者の皆さんに見えておりますでしょうか。この籠の
中にいるのがそのおとりのろぐみでございます。つぐみは燕雀とも呼ばれます
ように、ちょうどすずめ位の大きさでして、——だが雀よりずっと足は長いよう
でございます。体は背と腹の部分がくっきりと色分けされておりまして、上部は
灰褐色、顔と腹部は黄白色、そして体全体に灰色の斑点がございます……oJ

カメラはアナウンサーがひっきりなしに喋り続ける間 、山頂の松の梢や、
かなたに俯瞰される日本海の波立ち、そして微妙に変化する雲のたたずまいを空
しく映し出した。雲のかたちは何を訴えるでもなく、感情のないカメラの中で
刻々に変化する。

「あつ飛んでまいりました。」とアナウンサーは興奮して言った。
「し一つ。」老人が言った。
「いま空の一角に小さな煤煙のように見えるのがそれでございます。では、も
う声をたてるわけにはまいりませんので、聴視者の皆さんとともに、しばらく沈
黙のまま成り行きを見守りたいとぞんじます。」
「ちちち、キーツ。」と老人は草むらに身を隠し、喉仏を震わせて鳥籠に向けて
鳥の鳴き声をまねた。鳥籠の中のおとり鳥は、不安げに羽撃き、とまり木を二、
三度往復して、あたりをきょろきよろと見回す。鳥にも感情があるとすればおそ

第2課日本の渚’29

らく... いや、どんな感情の表現よりも先に鳥はキーツと反射的に鳴いた。飼い
ならされ、誘われれば鳴く自らの声に苛立つように、途切れ途切れに。

暴風雨のために数百羽のうちの大半を失い、鷹に襲われ、飛行機に衝突し、燈
台の火に迷い、見る影もなく隊伍を縮めた鳥たちは、それでもなお飛び続けてい
た。太陽は東の空に輝き、日本海の灰色の波はいま眼下に途絶えようとする。懐
かしい陸の隆起が、あたかも救いの手をさしのべるように岬を海中にのばしてい
る。渺 々とした、あまりにも広い海に比べて、陸地はその形の複雑さゆえにか
えって不純に見え、矮小に見える。しかし、鳥たちは覚えていた。たとえ、堂々
たる海の単純さに比べて、それがいかにみにくく矮小であろうと、その島、その
平野、その山の緑が鳥たちの第二の故郷であることを。年をこえて風が東に変
り、花咲き花散るまで、そこが鳥たちの棲家となるのであることを。

鳥は城の春、人の憂いには涙せず、樹々の緑と豊かな果実に長鳴する。幻聴
だろうか。とりたちは自らの安堵のこだまのように、山腹の木陰に鳴く同類の声
を聞いた。一足先に到りついた別の集団か、それとも嵐にはぐれた仲間の鳥か。
しばらくの逡 巡があり、そして、鳥たちはいっせいに鳴き交しながら、その山
腹へと下降していった。

「なんという荘厳。」アナウンサーは大仰に感嘆した。「何十羽、いや百数十
羽の鳥がわずかの間に一つの霞網にかかり、太陽にそのとらわれの身をさらして
おります。何故でしょうか。ひとたび網目にかかった鳥は、ほんの二、三度もが
くだけで、まな板の上の鯉のように目を閉ざしてぐったりとなります。霞網はお
びただしい獲物の重みにぐったりと垂れ、杭もたわまんばかりであります。おび
ただしい鳥、おびただしい鳥の死骸……oJ

「どうれ。」老人は無精ひげの頰を満足げにほころばせ、煙管を石ころの上では
たいて立ち上がった。風が吹き、重々しく霞網が揺れる。いや、細い絹糸は見え
ず、あたかも虚空に 磔 にされたように、鳥の死骸だけがゆらゆらと揺れ、そ
して止った。

それが鳥たちの長い旅の終りだった。

短篇集『散華』(1967)による

I.注釈

❶ 高橋 和巳(たかはし かずみ)(1931 — 1972)
小説家・中国文学者。戦後の社会状況の中で独自な文学活動を展開し、思想と実践の一致をめざ
した。小説『憂鬱なる党派』『悲の器』『邪宗門』、評論『文学の責任』『孤立無援の思想』などが
ある。

30 日语综合教程第八册

❷ヒース(heath)
ツツジ科エリカ属の小低木。ヨーロッパ原産で荒野に茂る。

❸喬木
高い木。

❹ タイガ(俄taiga)
シベリアの大針葉樹林帯。

❺っぐみ
東部シベリアで繁殖し、中国、朝鮮、日本で越冬する。全長約24 cm、日本には大群で飛来し、単
独か小群に分かれて生息する。

❻ フェルト(felt)屋根
フェルトは、羊毛などの獣毛を圧縮して作った布地。蒙古などの遊牧民の住居包は、フェルト張
りの饅頭型組立式である。

〇懸河
流れの急な川。早瀬。

❽枷
罪人の首や手足にはめて自由を束縛する刑具。転じて、行動を束縛するもの。

❾三半規管
脊椎動物の内耳にある平衡感覚をつかさどる器官。

❿マイル(mile)
1マイルは、約1.6キロ。

®奈落(梵naraku)
地獄。花道や舞台の下の地下室。

®無量光
量れないほど多い光。仏教では、阿弥陀の衆生に与える光明をいう。

® プランクトン(plankton)
水面にあるいは水中に浮遊する小生物の総称。

価霞網
目に見えぬほどの細い糸で作り、高く張って小鳥を捕える網。

值燕雀
ツバメ ・スズメのような小さな鳥。

❿俯瞰’
高い所から見おろすこと。

血渺々
はてしなく広いさま。

密城の春
杜甫の「春望」の「国破山河在 城春草本深」。

[学習の手引き

❶ 次の描写で示されているのはどんな情景か、分かりやすく述べてみよう。
1) 暮れなずむ淡い光
2) 流れたゆとう秋の川

第2課日本の渚 31

3) うごめく大地
4) 鳥たちは一文字に下降する
❷ 渡り鳥は長い行程の中で次々に脱落していくが、その点について具体的に説明して
みよう。
1) 脱落し、死んでいく鳥たちはどのように描かれているか。
2) 脱落した鳥と群れとの関係はどのように表されているか。
❸ 本文の「4」はそれまでと違って、テレビの実況中継の現場からの描写である。こ
の作品の結びとして、「4」はどんな印象を与えるかを考えてみよう。
❹ この文章を読んで感じたことを話してみよう。

32 日语综合教程第八册

3第 「課

羅生門

I本文

•芥川龍之か

ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つ
ていた。

広い門の下には、この男のほかにだれもいない 。ただ、所々丹塗りの剥げ
た、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路に
ある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が 、もう二、
三大はありそうなものである。それが、この男のほかにはだれもいない。

なぜかというと、この二、三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢
饉とかいう災いが続いて起こった。そこで洛中のさびれ方はひととおりでは
ない。旧記によると、仏像や仏具を打ち砕いて、その丹が付いたり、金銀の
箔が付いたりした木を、道端に積み重ねて、薪の料に売っていたということ
である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとよりだれe
捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよいことにして、弧

狸が棲む。盗大が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、こ
の門へ持って来て、棄てて行くという習慣さえできた。そこで、日の目が見
えなくなると、だれでも気味を悪がって、この門の近所へは足踏みをしない
ことになってしまったのである。

そのかわりまた鴉がどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、そ
の鴉が、何羽となく輪を描いて、高い陽尾の周りを鳴きながら、飛び回って
いる。殊に門の上の空が、夕焼けで赤くなる時には、それがごまをまいたよ
うに、はっきり見えた。鴉は、もちろん、門の上にある死人の肉を、ついば
みに来るのである。—— もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えな
い。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草の生えた石段
の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段あ
る石段のいちばん上の段に、洗いざらした紺の襖のしりを据えて、右の頰に
できた、大きなにきびを気にしながら、ぼんやり、雨の降るのを眺めていた。

作者はさっき、「下大が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下大は

第3課羅生門 33

雨がやんでも、格別どうしょうというあてはない。普段なら、もちろん、主
人の家へ帰るべきはずである。ところがその主人からは、四、五日前に暇を
出された。前にも書いたように、当時京都の町はひととおりならず衰微して
いた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実
はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待ってい
た」と言うよりも「雨に降り込められた下人が、行き所がなくて、途方に暮
れていた。」と言うほうが、適当である。そのうえ、今日の空模様も少なから
ず、この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した。申の刻下がりから降
りだした雨は、いまだに上がるけしきがない。そこで、下人は、何をおいて
もさしあたり明日の暮らしをどうにかしょうとして—— いわばどうにもなら
ないことを、どうにかしょうとして、とりとめもない考えをたどりながら、
さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。

雨は、羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めてくる 。夕闇は
しだいに空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した薑の先
に、重たく薄暗い雲を支えている。

どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいと
まはない。選んでいれば、築上の下か、道端の上の上で、飢え死にをするば
かりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてし
まうばかりである。選ばないとすればーー下人の考えは、何度も同じ道を低
回したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、い
つまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという
ことを肯定しながらも、この「すれば」の片を付けるために、当然、その後
にきたるべき「盗人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的
に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

下人は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。タ冷
えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との
間を、夕闇とともに遠慮なく、吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきり
ぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

下人は、首を縮めながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の襖の肩を高くして、門
の周りを見回した。雨風の患えのない、人目にかかる惧れのない、ひと晩楽
に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったから
である。すると、さいわい門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った
はしごが目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである 。
下人はそこで、腰に下げた聖 柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら 、
わら草履を履いた足を、そのはしごのいちばん下の段へ踏み掛けた。

それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの
中段に、一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子を

34 日语综合教程第八册

うかがっていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頰をぬ
らしている。短い鬚の中に、赤く膿を持ったにきびのある頰である。下人は、
初めから、この上にいる者は、死人ばかりだとたかをくくっていた。それが、
はしごを二、三段上ってみると、上ではだれか火をとぼして、しかもその火
をそこここと、動かしているらしい。これは、その濁った、黄色い光が、隅々
にくもの巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れた
のである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、ど
うせただの者ではない。

下人は、やもりのように足音を盗んで、やっと急なはしごを、いちばん上
の段まではうようにして上りつめた。そうして体をできるだけ、平らにしな
がら、首をできるだけ、前へ出して、おそるおそる、楼の内をのぞいてみた。

見ると、楼の内には、うわさに聞いたとおり、幾つかの死骸が、無造作に
棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわ
からない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物
を着た死骸とがあるということである。もちろん、中には女も男も混じって
いるらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かって、生きていた人間だ
という事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開いた
り手を延ばしたりして、ごろごろ床の上に転がっていた。しかも、肩とか胸
とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光を受けて、低くなってい
る部分の影をいっそう暗くしながら 、永久におしのごとく黙っていた 。

下人は、それらの死骸の腐乱した臭気に思わず、鼻を覆った。しかし、そ
の手は、次の瞬間には、もう鼻を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほ
とんどことごとくこの男の嗔覚を奪ってしまったからである。

下人の目は、その時、初めて、その死骸の中にうずくまっている人間を見
た。檜皮色の着物を着た、背の低い、やせた、白髪頭の、猿のような老婆で
ある。その老婆は、右の手に火をともした松の木片を持って、その死骸のー
つの顔をのぞき込むように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、たぶ
ん女の死骸であろう。

下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をするのさ
え忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じた
のである。すると、老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今
まで眺めていた死骸の首に両手を期 ’一ると、ちようど、猿の親が猿の子のし
らみを取るように、その長い髪の弓 ?一本ずつ抜き始めた。髪は手に従って
抜けるらしい。

その髪の毛が、一本ずつ抜ける。 こしたがって、下人の心からは、恐怖が
少しずつ消えていった。そうして、 」れと同時に、この老婆に対する激しい
憎悪が、少しずつ動いてきた。ーー Iや、この老婆に対すると言っては、語

第3課羅生門 35

弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強
さを増してきたのである。この時、だれかがこの下人に、さっき門の下でこ
の男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、あらため
て持ち出したら、おそらく下人は、何の未練もなく、飢え死にを選んだこと
であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片の
ように、勢いよく燃え上がりだしていたのである。

下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。し
たがって、合理的には、それを善悪のいずれに片付けてよいか知らなかった。
しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を
抜くということが、それだけで既に許すべからざる悪であった。もちろん、下
人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れて
いるのである。

そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、はしごから上へ飛び上がっ
た。そうして聖柄の太刀に手を掛けながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老
婆が驚いたのは言うまでもない。

老婆は、ひと目下人を見ると、まるで 弩 にでもはじかれたように、飛び
上がった。

「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行
く手をふさいで、こうののしった。老婆は、それでも下人を突きのけて行こ
うとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人は死骸の
中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、初めから、わ
かっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒し
た。ちょうど、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である 。
「何をしていた。言え。言わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆を突き放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色を、
その目の前へ突きつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震
わせて、肩で息を切りながら、目を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、
見開いて、おしのように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて明
白に、この老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているということを
意識した。そうしてこの意識は、今まで険しく燃えていた憎悪の心を、いつ
の間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それ
が円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、
下人は、老婆を、見下ろしながら、少し声を柔らげてこう言った 。
「おれは検非違使の庁の役人などではない。今しがたこの門の下を通りか
かった旅の者だ。だからおまえに縄を掛けて、.どうしょうというようなこと
はない。ただ、今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それをおれに

36 日语综合教程第八册

話しさえすればいいのだ 。」
すると、老婆は、見開いていた目を、いっそう大きくして、じっとその下

人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い目で見たの
である。それから、しわで、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも
かんでいるように、動かした。細い喉で、とがった喉仏の動いているのが見
える。その時、その喉から、鴉の鳴くような声が、あえぎあえぎ、下人の耳
へ伝わってきた。

「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじや。」
下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同
時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑と一緒に、心の中へ入ってきた。す
ると、そのけしきが、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死
骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、墓のつぶやくような声で、口ご
もりながら、こんなことを言った。
「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかもし
れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいなことを、されても
いい人間ばかりだぞよ。現に、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸
ばかりずつに切って干したのを、干し魚だと言うて、太刀帯の陣へ売りにい
んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りにいんでいたことであろ。
それもよ、この女の売る干し魚は、味がよいというて、太刀帯どもが、欠か
さず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思うて
いぬ。せねば、飢え死にをするのじやて、しかたがなくしたことであろ。さ
れば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとても
やはりせねば、飢え死にをするじやて、しかたがなくすることじやわいの。
じやて、そのしかたがないことを、よく知っていたこの女は、おおかたわし
のすることも大目に見てくれるであろ。」
老婆は、だいたいこんな意味のことを言った 。
下人は、太刀を鞘に収めて、その太刀の柄を左の手で押さえながら、冷然
として、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤く頰に膿を持った
大きなにきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いて
いるうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の
下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上
へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こう
とする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかつ
たばかりではない。その時の、この男の心持ちから言えば、飢え死になどと
いうことは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出さ
れていた。

「きっと、そうか。」

第3課羅生門37

老婆の話が終わると、下人はあざけるような声で念を押した。そうして、ひ
と足前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟上をつかみな
がら、かみつくようにこう言った。

「では、•おれが引剥ぎをしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え
死にをする体なのだ。」

下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎ取った。それから、足にしがみつこ
うとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。はしごの口までは、わずかに
五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎ取った檜皮色の着物をわきに抱え
て、瞬く間に急なはしごを夜の底へ駆け下りた 。

しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を
起こしたのは、それから間もなくのことである。老婆は、つぶやくような、う
めくような声をたてながら、まだ燃えている火の光を頼りに、はしごの口ま
で、はって行った。そうして、そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下
をのぞき込んだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

下人の行方は、だれも知らない。

『芥川龍之介全集 第一巻』(1977)による

k注・釈

'❶羅生門

朱雀大路の南端にあった平安京最大の楼門。

❷朱雀大路

大内裏正面の朱雀門を北端とし、羅生門を南端として平安京の中央を南北に貫通する街路。

❸市女笠

漆塗りのすげ笠。ここでは、それをかぶった女、の意。

❹揉烏帽子

柔らかくもんだ烏帽子。ここでは、それをかぶった男、の意。

❺旧記

古い記録。この部分の記事は『方丈記』に見える。

0鴉尾

宮殿・仏殿などの棟の両端に取り付けた魚の尾の形の飾り。

〇 Sentimentalisme
フランス語。ここでは、感傷的な気分、の意。

❽申の刻下がり

午後4時過ぎ。 >

❾山吹

山吹色のこと。黄色。

❿汗衫

汗とりのひとえの着物。

38日语综合教程第八册

(D聖柄

皮などを付けない木地のままの刀の柄。
®鞘走らないように

鞘から刀身が抜け出ないように。
®やもリ

ヤモリ科の爬虫類。
®おし

口がきけない人、の意。障害者に対する差別的なニュアンスが含まれているため、現在では使わ
れなくなっている。
®檜皮色

檜の樹皮のような赤黒い色。
ゆ頭身の毛も太る

異常な恐ろしさの形容。『今昔物語集・巻二十七』などにある表現。
®弩

石をはじき飛ばす武器。
(©検非違使の庁

平安時代、都の警察・裁判をつかさどった官庁。
應)蓦

ひきがえる。
®四寸

一寸は約3.03センチメートル。
绒太刀帯の陣

皇太子の身辺を警護する役人の詰め所。
®菜料

おかずの材料。
函引剥ぎ

追いはぎ。通行人をおどかして衣類や持物などを奪うこと。また。それをする人。

、新しい言葉

きりぎりす [名] 現在のこおろぎのこと。
洛中(らくちゅう) [名] 京都の市中。京中。
さびれる(寂れる) [自下一] ① にぎやかだったところが衰えてさびしくなる。
② 勢いが衰える。荒れはてる。
ひととおり(一通り) [名・副] ①一度通り過ぎること。②世間なみであること。
尋常。普通。③あらまし。一往。ひとわたり。④
こびりつ・く [自五] 一つの方法。
しっかりついて離れない。かたく くっつく。
洗いざらす [他五] 幾度も洗って染色がさめる。
「ひまをやる」に同じ。①休暇を与える。②奉公
暇を出す(ひまをだす) [慣] 人などを解雇する。また、妻を離縁する。

第3課羅生門 39


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