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Published by johntss124, 2021-06-21 19:15:07

日语综合教程8

日语综合教程8

いとま(暇) [名] ①休む間。用事のない時。ひま。②それをするの

に必要な時間のゆとり。③休暇。

逢着(ほうちやく) [名•自サ変] でくわすこと。

<さめ [名] ①「くしやみ」に同じ。②くしやみが出たとき唱

えるまじない語。

患え(うれえ) [名] ①なげき訴えること。愁訴。②悲しみ。なげき。

心配。③憂鬱で心が晴れないこと。なんとなくも

の悲しく、ものうい感じ。

ともかくも [副] ①(下に打消を伴って)どのようにも。なんとも。

②どのようにでも。なんとでも。③「ともかく」

に同じ。

たかをく くる(高を [慣] せいぜいそんな程度だろうときめてかかる。見く

括る) びる。あなどる。

おそるおそる(恐る [副] おそれかしこまって。こわごわ。

恐る)

ふためく [自四] ①ばたばたと音を立てる。②さわぎたてる。

肩で息を切る [慣] 苦しそうに息をする。

今しがた(いましがた) [名] いますこし前。たったいま。

なんぼう [副] ①どれほど。どれぐらい。なんぼ。②どんなにか。

はなはだしく。ひどく。

かみつく(嚙み付く) [他五] ①嚙んで離れずにいる。食いつく。②(議論など

で)くってかかる。

しがみつく [自五] 力をこめてとりつく。強くすがりつく。

言葉と表現

モ〉なん+助数詞+となく …j

「何(なん)」「幾(いく)」など不定の数量を表す言葉に「人」「回」などの助
数詞がついたものを受け、「なん+助数詞+となく」の形でその数量がかなり多
いことを表す。書きことばである。話しことばでは「何人も」「何回も」「幾組
も」のような表現のほうがよく使われる。

❶ 昼間見ると、その鴉が、何羽となく輪を描いて、高い鵡尾の周りを鳴きなが
ら、飛び回っている。

❷杏子は一日に何回となくそうしたことを考えたc
佃知恩院は永享三年に炎上し、その後何度となく火を蒙ったC
❹ 時雄は懊悩した。その心は日に幾遍となく変った。

40日语综合教程第八册

❺ 公園のベンチには若いカップルが幾組となく腰掛けて愛を語り合っている。

j4…二ともなく.............. .…......... ........一・・一… ........ 一

「ともなく」は、「見る・聞く ・言う・考える」のような人間の意志的な行為
を表す動詞を受けて、その動作がはっきりした意図や目的なしに行なわれてい
る様子を表す。その前に「何-どこ・誰」などの疑問詞を伴うことが多い。

❶さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのであるC
❷ どこを眺めるともなく、ぼんやり遠くを見つめている。
❸平気な顔をして、黙って海岸に立って、遠くの雲を見るともなく見ていたC
❹誰が言出すともなく丑松の噂を始めたのであったc
❸聞くともなく私は聞いたCかれらの会話にたびたび金閣寺や銀閣寺の名の出

るのを。
なお、「疑問詞+助詞+ともなく」の形で、場所・時間・人物・物などの「ど
の部分かは特定できないが」という意味を表す。
❶ どこからともなく、沈丁花のいい香りが漂ってくる。
❷ 三沢はどこからともなぐ姿を現わして、アルさんの傍へやって来た。
❸ 誰からともなく拍手が起こり、やがて会場は拍手喝采の渦に包まれた。
❹ 生徒たちは夜遅くまで騒いでいたが、いっともなくそれぞれの部屋に戻って

いった。

書・ーつ音便.............. 一..... 一..... .... .I….—一・j

1. 動詞のう音便
現代語では、動詞のう音便はワア行五段活用動詞にしか現われない。共通語
としての東京語では、書きことばにたまに現れるくらいで、関西方言では話
しことばにさかんに使われている。「思うて(た)」「習って(た)」「会うて
(た)」と発音する。
❶この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思う"たのじや。

2. 形容詞のう音便
形容詞のう音便は、共通語でも丁寧な表現としてよく使われる。「寒うござ
います」「早うございます」「嬉しゅ"!存じます」などとなる。

I学習の手引き

❶「下人」の行動と心理の推移を四つの場面に分けて整理してみよう。
❷ この小説で次の点はそれぞれどのように描かれ、そしてまた、どのような効果を

持っていると言えるだろうか。

第3課羅生門41

1) 季節•天候•時亥IJ
2) きりぎりす•鴉
3) 「下人」の身体的特徴や衣服•持ち物
4) 「老婆」の容貌•外見や声
❸次の二つの「勇気」は、それぞれどのような「勇気」か、具体的に説明しょう。
1) さっき門の下で、この男にはかけていた勇気
2) さっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気
❹「老婆」との出会いによって「下人」はどのように変わったか、まとめてみよう。
❺ 結びの一文には、どのような効果があるか考えてみよう。

練習

ー、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1.「きりぎりすが一匹とまっている」の表現は、場面を設定するうえでどのような
効果をもたらしているか。
2下人の「大きなにびき」は、どのような表現効果をもたらしているか。
3.「SentimentalismeJという外国語の使用には、作者のどのような意図が込められ
ているか。
4「一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子をうかがって
いた。」とあるが、「下人」のことを「一人の男」と呼び換えたのはなぜか。
5.「ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからであ
る。」とあるが、その「ある強い感情」とは、どのようなことによって引き起こ
された、どのような感情か。
け「そうしてこの意識は、今まで険しく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ま
してしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就し
た時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。」とあるが、下人はなぜ憎
悪の心を冷まし、安らかな得意と満足に浸ってしまったのか 。
7. 「下人の心には、ある勇気が生まれてきた。」とあるが、それはどんな勇気か、な
ぜ生まれたのか。
8. 「そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下をのぞき込んだ。外には、ただ、
黒洞々たる夜があるばかりである。」とあるが、「短い白髪」と「黒洞々たる夜」
とを対比させるイメージはどのようなものか。

二、次の日本語を中国語に訳しなさい。
1.どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまは
ない。選んでいれば、築土の下か、道端の土の上で、飢え死にをするばかりで
ある。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばか

42 日语综合教程第八册

りである。選ばないとすれば—— 下人の考えは、何度も同じ道を低回したあげ •
くに"やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたって
も、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないということを肯定しな
がらも、この「すれば」の片を付けるために、当然、その後にきたるべき「盗
人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的に肯定するだけの、
勇気が出ずにいたのである。
2. 下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、こ
の老婆に対する激しい憎悪が、少しずつ動いてきた。ーーいや、この老婆に対
すると言っては、語弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる悪に対する反感
が、一分ごとに強さを増してきたのである。この時、だれかがこの下人に、さっ
き門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、
あらためて持ち出したら、おそらく下人は、何の未練もなく、飢え死にを選ん
だことであろう。
3. しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。そ
れは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっ
きこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方
向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷
わなかったばかりではない。その時の、この男の心持ちから言えば、飢え死に
などということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い
出されていた。

三、次の文章を読んで、後の問に答えなさい。
あれだけの、ほんの①ニ卽:ばかり走った後なのに、青年はすっかり虚脱したよう

になり、左右から腕をとられ、半ば抵抗する感じで腰を落として足を前の方に突っ
張りながら、本当は抱きかかえられて歩いてきた。彼はさっきと人が変わったよう
に見えた。青ざめ、時々幼児のようなカのない抵抗に身をくねらし、目だけは、自
分がどうなるかを不安がるようにあてもなく周囲に迷わせ、(②)捕えられたとい
うことによって、非力な罪悪に汚れた自分を世間にさらされるのにまかせ、威厳を
まったく持たない恥かしめられた一人の人間になっていた。もう彼には、③わなを
破って林へ逃げこむ動物のような、突風のように映像を残さずに消え去っていく生
命の奔騰はなくなっていたCまわりの連中は、よく見れば仕着せ[口を着た小僧や
中僧⑵たちで、泥棒をとらえたことによって顔を輝かせ、英雄的な気分になり、
④見てくれがしに獲物を引きずって、両側に立ち止まった通行者の間を自分たちの
店の方へ戻って行った。

⑤なぜ、これが異様なのか。私は今の光景が自分の中に起こした痛々しい、心の
やわらかいところを踏みつけられたような印象のまわりをまさぐった。彼は私自身
の姿のように思われた。私のなかに、彼の引きずられて行ったときと同じ人間がい
て、あのようにされることをたまらないと思い、立ちすくんだのだった。

第3課羅生門43

そして、⑥その印象が異様なのは、⑦周囲の人間が、みんな威厳、あるいは気取
り、仮面のようなものを自分の外側に持って歩いているのではないか、と私が感じ
たためのようだった。逃げていく彼は、何かそういう凡人以上であり、約束を破っ
て高く飛ぶ存在だった。しかし引き捕らえられた彼は、低い穴の底のようなところ
にいて、屈辱を露出したことによって、⑧人間の原型のようにみじめだったCそし
て、街上の何百という正しい身なりをした人たちは、それを蔽い、つくろい、飾り
立てながら、その仮の自分を自分だと思いこむことによって安心して生きている 。
私はそう思ったとき、町中が、社会そのものが異様に見えた。そのころの不安定な
生活ゆえ、あるいは気質のゆえに、あるいは自他の心の中をのぞいてみるような仕
事の性質から、その青年と自分とが二人、むき出しの姿でその街上にいたように感
じたのだと思った私は、また同時に、自分の将来をも、⑨かい間みたような気がし
た。私はやがて、汚れた浴衣を引っかけ、だらしなく髪を伸ばした青春期を去って、
家庭を持ち、身繕いをして平然と人と挨拶を交わすようになる。彼ら街上の人間た
ちと同じような殻を身につけて、その殻を、仮面を自分だと決めた上に、あらゆる
考え方や生活を築いて行くあの⑩ 人形のような存在になるに違いない、と。

注:[1!仕着せ=商家などで、使用人に季節ごとに与えた衣服。
[2]小僧や中僧=小僧は年少の男子の店員、中僧はそれよりやや年長になったもの。

個❶ ①「二町」の「町」の正しい意味を一つ選びなさい。

A,街道の単位 B• 丁目の順番 C.距離の単位 D,面積の単位

dD 空欄(②)を埋めるのに最も適当なものを次から一つ選びなさい。

A,しかも B.それで C.だから D.しかし

③「わなを破って林へ逃げこむ動物のような、突風のように映像を残さずに

消え去っていく生命の奔騰」とは、「彼」のどのような時の姿なのか、次か

ら一つ選びなさい。

A• 一生懸命逃走する時の姿 B,人に捕まえられた時の姿

C,抱きかかえられた時の姿 D,通行者に見られた時の姿

③「わなを破って林へ逃げこむ動物のような、突風のように映像を残さずに

消え去っていく生命の奔騰」と同じ内容の句を次から一つ選びなさい。

A,約束を破って無責任な存在 B•約束を破って高く飛ぶ存在

C,新世界を獲得した楽な存在 D,旧世界を壊した気楽な存在

(1B ④「見てくれがしに」の意味として最も適当なものを次から一つ選びなさい。
A,これを見てくれと声ほがらかに B,これを見てくれと得意な様子で
C,これを見てくれと胸を張るように D.これを見てくれと言わんばかりに

44日语综合教程第八册

⑤「なぜ、これが異様なのか」と⑥「その印象が異様」とは主人公が自分の
印象を通常の感覚に比べて「異様」と受け止めているのだが、その通常の感
覚とはどういったものか、次から一つ選びなさい。
A, 泥棒は人に迷惑をかけずに、制裁されても仕方がないという感覚
B, 泥棒は自分とは無関係の犯罪者で、制裁されて当然だという感覚
c,泥棒は自分とは無関係ではないが、制裁されてどうかという感覚
D,泥棒は憎むべきだが、制裁される程度のものではないという感覚

dD ⑦「周囲の人間が、みんな威厳、あるいは気取り、仮面のようなものを自分

の外側に持って歩いているのではないか」とは作者の感想だが、それはどの

ような姿から抽象された感想なのか。もし文章中からその姿が描かれている

一文の初めの5文字を抜き出して記せば、次のどれになるか、ー^選びなさ

い。

A.あれだけの B.彼はさっき C.もう彼には D.まわりの連

dD ⑧「人間の原型」をわかりやすく具体的に言い換えたと見なしても良いよう

な語句を次から一つ選びなさい。

A,仮面のようなもの B,むき出しの姿
C, 人形のような存在 D.正しい身なり

備❸ ⑧「人間の原型」と反対の意味で使われている語を次から一つ選びなさい 。

A,仮面のようなもの B,むき出しの姿
C,人形のような存在 D.正しい身なり

⑨「かい間み」の意味として最も適当なものを次から一つ選びなさい。

A,買物の隙間を利用すること B,隙間からちらりと見ること
C,暇の時にちょっと見ること D.暇の時にそれらをすること

(iiD ⑩「人形のような存在」という比喩は、どのような意味で使われているのか、
次から最も適当なものを一つ選びなさい。,
A•独自の思想、感情などがなく、仮の自分を飾り立てている存在。
B・生活の安定のみを求め、「仮面」に何ら後ろめたさを抱かない存在。
C. 人間としての根元的存在を顧みず、ただ表面的な悦楽を求める存在。
D, 家庭を持ち、身繕いをして平然と人と挨拶を交わしながら生きる存在。

(〇 次の中から、主人公の心境として妥当と思うものを一つ選びなさい。

A,主人公は、人間はその原型的な不安を克服して生きなければならないと考
えている。

第3課羅生門45

B•主人公は、自分のjの感情を、三つの原因に由来するもので、一過性の、
仮のものだと考えている。

c•主人公は、将来自分も世間の人と同じようになるだろうと予想し、そのこ
とにやりきれない気持ちを抱いている。

D•主人公は、やがて生活が安定すれば、自分も当然世間の人と同じような生
き方をするようになると判断して、安堵している。

(読み物

たる

セメント樽の中の手紙

•葉山嘉樹

松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分はたいして目だたなかったけ
れど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に覆われていた。彼は鼻の穴に指を
突つ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしやちこばらせている、コンク
リートをとりたかったのだが一分間に十オずつ吐き出す 、コンクリートーミキ
サーに、まに合わせるためには、とても指を鼻の穴に持っていく間はなかった。

彼は鼻の穴を気にしながらとうとう十一時間、——その間に昼飯と三時休みと
二度だけ休みがあったんだが、昼のときは腹のすいてるために、も一つはミキ
サーを掃除していて暇がなかったため、とうとう鼻にまで手が届かなかった——
の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏細工の鼻のように硬化したようだっ
た。

彼がしまい時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽から、小さな
木の箱が出た。

「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものにかまってはいら
れなかった。彼はシャベルで、セメントますにセメントを量り込んだ。そしてま
すから舟へセメントをあけるとまたすぐその樽をあけにかかった。

「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ。」
彼は小箱を拾って、腹かけのどんぶりの中へ投げ込んだ。箱は軽かった。
「軽いところをみると、金も入っていねえようだな。」
彼は、考える間もなく次の樽をあけ、次のますを量らねばならなかった。
ミキサーはやがて空回りを始めた。コンクリが済んで終業時間になった。
彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、ひとまず顔や手を洗った。そ
して弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長

46日语综合教程第八册

屋へ帰って行った。発電所は八分どおりできあがっていた。夕闇にそびえる恵那
山は真つ白に雪をかぶっていた。汗ばんだ体は、急に凍えるように冷たさを感じ
始めた。彼の通る足下では木曾川の水が白くあわをかんで、ほえていた。

「ちえつ!やりきれねえなあ女鼻。」彼はうようよしてる子供のことや、またこ
の寒さをめがけて生まれる子供のことを考えると、全くがっかりしてしまった。

「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着
たり、住んだり、べらぼうめ! どうして飲めるんだい!」

が、ふと彼はどんぶりの中にある小箱の事を思い出した。彼は箱についてるセ
メントを、ズボンのしりでこすった。

箱にはなんにも書いてなかった。そのくせ、がんじようにくぎづけしてあっ
た。

「思わせぶりしやがらあ、くぎづけなんぞにしやがって。」
彼は石の上へ箱をぶっつけた。が、壊れなかったので、この世の中でも踏みつ
ぶす気になって、やけに踏みつけた。
彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。
それにはこう書いてあった。
—— 私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕機へ
石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れ
るときに、その石と一緒に、クラッシャーの中へはまりました。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へおぼれるように、石
の下へ私の恋人は沈んでいきました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤
い細かい石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入っていきま
した。そこで銅鉄の弾丸と一緒になって、細かく細かく、激しい音にのろいの声
を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人のいっさいはセメントになつ
てしまいました。残ったものはこの仕事着のボロばかりです。私は恋人を入れる
袋を縫っています。
私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いてこの樽
の中へ、そうとしまい込みました。
あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私をかわいそうだと思っ
て、お返事下さい。
この樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとうご
ざいます。
私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われ
るのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅のへいになったりするの
を見るに忍びません。ですけれど、それをどうして私に止めることができましよ
う!あなたが、もし労働者だったら、このセメントを、そんな所に使わないでください。

第3課羅生門47

いいえ、ようございます、どんな所にでも使ってください。私の恋人は、どん
なところに埋められても、その所々によってきっといいことをします。構いませ
んわ、あの人は気性のしっかりした人でしたから、きっとそれ相当な働きをしま
すわ。

あの人は優しい、いい人でしたわ。そしてしっかりした男らしい人でしたわ。
まだ若うございました。二十六になったばかりでした。あの人はどんなに私をか
わいがってくれたかしれませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布を着
せる代りに、セメント袋を着せているのですわ!あの人は棺に入らないで回転が
まの中へ入ってしまいましたわ。

私はどうして、あの人を送っていきましょう。あの人は西へも東へも、遠くに
も近くにも葬られているのですもの。

あなたが、もし労働者だったら、私にお返事をくださいね。その代り、私の恋
人の着ていた仕事着の切れを、あなたにあげます。この手紙を包んであるのがそ
うなのですよ。この切れには石の粉と、あの人の汗とがしみ込んでいるのです
よ。あの人が、この切れの仕事着で、どんなに固く私を抱いてくれたことでしょ
う。

お願いですからね。このセメントを使った月日と、それから詳しい所書と、ど
んな場所へ使ったかと、それにあなたのお名まえも、御迷惑でなかったら、ぜひ
ぜひお知らせくださいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

松戸与三は、わきかえるような、子供たちの騒ぎを身の回りに覚えた。
彼は手紙の終わりにある住所と名まえを見ながら、茶わんについであった酒を
ぐっと一息にあおった。
「へべれけに酔っぱらいてえなあ。そうして何もかもぶち壊して見てえなあ。」
とどなった。
「へべれけになって暴れられてたまるもんですか、子供たちをどうします。」
細君がそう言った。
彼は、細君の大きな腹の中に七人めの子供を見た。

(大正十五年一月)

『葉山嘉樹全集 第一巻』(1975)による

|…注・...•釈

❶ 葉山 嘉樹(はやま よしき)(1894—1945)
小説家。福岡県に生まれた。本名は嘉重。早稲田大学文学部中退。その後、船員・鉄道の臨時雇
員•セメント工員•新聞記者など、多くの職業についたが、『セメント樽の中の手紙』などを発表
し、作家として認められた。小説『海に生くる人々』『今日様』などがある。

48日语综合教程第八册

❷才
容積の単位。1オは1立方尺、約2.78リットル。

❸舟
セメント・砂利・水を混ぜ合わせる容器。

❹恵那山
岐阜県中津川市の南東にそびえる木曾山系の中の一山。高さ2190 メ ートル。

❺升
容積の単位。1升は約1.8リットル。

❻破砕機
固体原料を適当な大きさに砕く機械。

❼経帷布
仏式で死人を葬るとき死人に着せる着物。白麻などで作るのが普通。

i学習の手引き

❶1)この小説に書かれているのは、今から約六十年前の生活で、今の我々の生活とは
いろいろ異なる点がある。その点で気づいたことをメモしておこう。また、そう
いう別の世界の小説を読むことで、かえって現代に通じる人間の心を感じるとこ
ろもある。ひととおり読んで感動したことがあったら、それもメモしておこう。

2) 描写の特徴を考え、話し合ってみよう。
3) 手紙の入った木の箱を見つけたとき、与三はどのように反応したか。
4) 次のそれぞれの表現には、女工のどんな気持ちが表れているか。

① そうして焼かれて、りっぱにセメントになりました。
② このセメントを、そんな所に使わないでください。いいえ、ようございます、

どんな所にでも使ってください。
③ その代わり、私の恋人の着ていた仕事着の切れを、あなたにあげます。
5) 手紙を読む前と後とで、与三の気持ちに違いがあるかどうかを考え、最後の部分
はどのような意味をもっているかについて話し合ってみよう。
❷ 与三は女工に手紙を書くだろうか。もし書くとしたら、どんな手紙を書くだろうか。
与三に代わって女工に手紙を書いてみよう。
❸1)次の下線の語には、それぞれどんな気持ちが感じられるか。
① ちえつ!やりきれねえなあ。
② べらぼうめ!どうして飲めるんだい!
③ あの人は優しい、いい人でじた相。
2)「彼の通る足下では木曾川の水が白くあわをかんで、ほえていた。」の下線部分
を、わかりやすい表現に改めたうえで、この表現の特徴を考えよう。また、これ
と同じような特徴をもった表現を、本文中からー、二箇所書き出そう。

第3課羅生門49

4第 課

故郷

!一本…艾.................................

厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、わ
たしは帰った。

もう真冬の候であった。そのうえ、故郷へ近づくにつれて、空模様は怪し
くなり、冷たい風がヒューヒュー音を立てて、船の中まで吹きこんできた。苫
のすきまから外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの
活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。

ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか 。
わたしの覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。わたしの故
郷は、もっとずっとよかった。その美しさを思い浮かべ、その長所をことば
に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、ことばは失われてしまう。
やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる 。そこでわたしは、
こう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなふうなのだーー進歩もない
かわりに、わたしが感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自
分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は決して楽しいものでは
ないのだから。
今度は、故郷に別れを告げにきたのである。わたしたちが長いこと一族で
住んでいた古い家は、今はもう他人の持ち物になってしまった。明け渡しの
期限は今年いっぱいである。どうしても旧暦の正月の前に、住み慣れた古い
家に別れ、なじみ深い故郷をあとにして、わたしが今暮らしを立てている異
郷の地へ引つ越さねばならない。
明くる日の朝早く、わたしはわが家の表門に立った。屋根には一面に枯れ
草のやれ茎が、おりからの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほか
なかった理由を説き明かし顔である。一緒に住んでいた親せきたちは、もう
引つ越してしまったあとらしく、ひっそり閑としている。自宅の庭先まで来
てみると、母はもう迎えに出ていた。あとから八歳になるおいの宏児も飛び

50日语综合教程第八册

出した。
母は機嫌よかったが、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。わた

しを座らせ、休ませ、茶をついでくれなどして、すぐ引つ越しの話は持ち出
さない。宏児は、わたしとは初対面なので、離れた所に立って、じっとわた
しのほうを見つめていた。

だが、とうとう引つ越しの話になった 。わたしは、あちらの家はもう借り
てあること、家具も少しは買ったこと、あとは家にある道具類をみんな売り
払って、その金で買い足せばよいこと、などを話した。母もそれに賛成した。
そして、荷造りもほぼ終わったこと、かさばる道具類は半分ほど処分したが、
よい値にならなかったことなどを話した。

「ー、二日休んだら、親せき回りをしてね、そのうえでたっとしよう。」と、
母は言った。

「ええ。」
「それから、閏土ね。あれが、いつも家へ来るたびに、おまえのうわさをし
ては、しきりに会いたがっていましたよ 。おまえが着くおよその日取りは知
らせておいたから、今に来るかもしれない。」
このとき突然、わたしの脳裏にふしぎな画面が繰り広げられた—— 紺碧の
空に金色の丸い月がかかっている。その下は海辺の砂地で、見渡すかぎり緑
のすいかが植わっている。その真ん中にー、二歳の少年が、銀の首輪をつ
るし、鉄のさすまたを手にして立っている。そして一匹の「猗」を目がけて、
ヤッとばかり突く。すると 施 は、ひらりと身をかわして、彼のまたをく

ぐって逃げてしまう。
この少年が閏土である。彼と知り合ったとき、わたしもまだ十歳そこそこ

だった。もう三十年近い昔のことである。そのころは、父もまだ生きていた
し、家の暮らし向きも楽で、わたしは坊ちやんでいられた。ちょうどその年
は、わが家が大祭の当番に当たっていた。この祭りの当番というのが、三十
何年めにただー回順番が回ってくるとかで、ごく大切な行事だった。正月に、
祖先の像を祭るのである。さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、
参詣の人も多かったので、祭器をとられぬように番をする必要があった。わ
たしの家には「忙月」が一人いるだけである。(わたしの郷里では、雇い人は
三種類ある。年間通して決まった家で働くのが「長年」、日決めで働くのが
「短工」、自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めのときなどに、決
まった家へ来て働くのが「忙月」と呼ばれた。)一人では手が足りぬので、彼
は自分の息子の閏土に祭器の番をさせたいが、とわたしの父に申し出た。

父はそれを許した。わたしもうれしかった。というのは、かねて閏土とい
う名は耳にしていたし、同じ年ごろなこと、また閏月の生まれで、五行の土
が欠げているので父親が閏土と名づけたことも承知していたから。彼はわな

第4課故郷 51

をかけて小鳥を捕るのがうまかった。
それからというもの、来る日も来る日も新年が待ち遠しかった。新年にな

れば閏土がやって来る。待ちに待った年末になり、ある日のこと、母がわた
しに、閏土が来たと知らせてくれた。飛んでいってみると、彼は台所にいた。
つやのいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、きらきら光る銀の首輪を
はめていた。それは父親の溺愛ぶりを示すもので、どうか息子が死なないよ
うにと神仏に願をかけて、その首輪でつなぎ止めてあるのだ。彼は人見知り
だったが、わたしにだけは平気で、そばにだれもいないとよく 口をきいた。半
日もせずにわたしたちは仲よくなった。

そのとき何をしやべったかは、覚えていない。ただ閏土が、城内へ来てい
ろいろ珍しいものを見たと言って、はしやいでいたことだけは記憶に残って
いる。

明くる日、鳥を捕ってくれと頼むと、彼は、
「だめだよ。大雪が降ってからでなきや。おいらとこ、砂地に雪が降るだろ。
そうしたら雪をかいて、少し空き地をこしらえるんだ。それから、大きなか
ごを持ってきて、短い突つかえ棒をかって、くずもみをまくんだ。そうする
と、小鳥が来て食うから、そのとき遠くの方から、棒に結わえてある縄を引っ
ぱるんだ。そうすると、みんなかごから逃げられないんだ。なんだっている
ぜ。稲鶏だの、角鶏だの、はとだの、藍背だの……oJ
それからは雪の降るのが待ち遠しくなった 。
閏土はまた言うのだ。
「今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼
間は海へ貝殻拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、なんでもあるよ。『鬼お
どし』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には父ちやんとすいかの番に行
くのさ。おまえも来いよ。」
・ 「泥棒の番?」
「そうじやない。通りがかりの大が、のどが渇いてすいかを取って食ったっ
て、そんなの、おいらとこじや泥棒なんて思やしない。番するのは、穴ぐま
や、はりねずみや、猗さ。月のある晩に、いいかい、ガリガリって音がした
ら、猗がすいかをかじってるんだ。そうしたら手にさすまたを持って、忍び
寄って……oJ
そのときわたしはその「猗」というのがどんなものか、見当もっかなかっ
た—— 今でも見当はつかない—— が、ただなんとなく、小大のような、そし
て獰猛な動物だという感じがした 。
「かみつかない?」
「さすまたがあるじやないか。忍び寄って、猗を見つけたら突くのさ。あん
ちくしょう、りこうだから、こっちへ走ってくるよ。そうしてまたをくぐっ

52日语综合教程第八册

て逃げてしまうよ。なにしろ毛が油みたいにすべっこくて ……〇J
こんなにたくさん珍しいことがあろうなど、それまでわたしは思ってもみ

なかった。海には、そのような五色の貝殻があるものなのか。すいかには、こ

んな危険な経歴があるものなのか。わたしはすいかといえば、果物屋に売っ

ているものとばかり思っていた。

「おいらとこの砂地では、高潮の時分になると『跳ね魚』がいっぱい跳ねる

よ。みんなかえるみたいな足が二本あって……。」

ああ、閏土の心は神秘の宝庫で、わたしの遊び仲間とは大違いだ。こんな

ことはわたしの友達はなにも知ってはいない。閏土が海辺にいるとき、彼ら

はわたしと同様、高い塀に囲まれた中庭から四角な空を眺めているだけなの

だ。

惜しくも正月は過ぎて、閏土は家へ帰らねばならなかった。別れがつらく

て、わたしは声をあげて泣いた。閏土も台所の隅に隠れて、嫌がって泣いて

いたが、とうとう父親に連れていかれた。そのあと、彼は父親にことづけて、

貝殻をひと包みと、美しい鳥の羽を何本か届けてくれた。わたしも、ー、二

度なにか贈り物をしたが、それきり顔を合わす機会はなかった。

今、母の口から彼の名が出たので、この子どものころの思い出が、電光の

ように一挙によみがえり、わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。わ

たしはすぐこう答えた。 E

「そりやいいな。で——今、どんな?……OJ
「どんなって……やっぱり、楽ではないようだが……。」そう答えて母は、戸

外へ目をやった。

「あの連中、また来ている。道具を買うという口実で、その辺にあるものを

勝手に持っていくのさ。ちょっと見てくるからね。」

母は立ち上がって出ていった。外では、数人の女の声がしていた。わたし

は宏児をこちらへ呼んで、話し相手になってやった。字は書ける? よそへ

行くの、うれしい?などなど。

「汽車に乗っていくの?」

「汽車に乗っていくんだよ。」

「お船は?」

「初めに、お船に乗って…… OJ
「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意に甲高い声

が響いた。

びっくりして頭を上げてみると、わたしの前には、ほお骨の出た、唇の薄

い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰に当てがい、スカートをはかな

いズボン姿で足を開いて立ったところは 、まるで製図用の脚の細いコンパス

そっくりだった。

第4課故郷53

わたしはどきんとした。
「忘れたかね?よく抱っこしてあげたものだが 。」

ますますどきんとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた 。

「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えてい

るだろ。」と、わたしに向かって「ほら、筋向かいの楊おばさん……豆腐屋

の。」
そうそう、思い出した。そういえば子どものころ、筋向かいの豆腐屋に、楊

おばさんという人が一日じゅう座っていて 、「豆腐屋小町」と呼ばれていたっ

け。しかし、その人ならおしろいを塗っていたし、ほお骨もこんなに出てい

ないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日じゆう座っていた

のだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。そ

のころうわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年

齢のせいだろうか、わたしはそういうことにさっぱり関心がなかった。その

ため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいか
にも不服らしく、さげすむような表情を見せた 。まるでフランス人のくせに

ナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのをあざける

といった調子で、冷笑を浮かべながら、

「忘れたのかい?なにしろ身分のあるおかたは目が上を向いているからね

……oJ け

「そんなわけじやないよ……ぼくは……oJわたしはどぎまぎして、立ち上

がった。

「それならね、お聞きなさいよ、迅ちゃん。あんた、金持ちになったんで

しょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんながらくた道具、じやまだ

から、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けっこう役
に立ちますからね。」'

「ぼくは金持ちじやないよ。これを売って、その金で……oJ
「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない? 現に、おめか

けが三人もいて、お出ましは八人かきのかごで、それでも金持ちじゃない?

ふん、だまそうたって、そうはいきませんよ。」
返事のしようがないので、わたしは口を閉じたまま立っていた。

「ああ、ああ、金がたまれば財布のひもを締める。財布のひもを締めるから

またたまる……。」コンパスは、膨れつ面で背を向けると、ぶつぶつ言いなが

ら、ゆっくりした足どりで出ていった。行きがけの駄賃に母の手袋をズボン

の下へねじこんで。
そのあと、近所にいる親せきが何人も訪ねてきた。その応対に追われなが

ら、暇をみて荷ごしらえをした。そんなことで四、五日つぶれた。

ある寒い日の午後、わたしは食後の茶でくつろいでいた。表に人の気配が

54 日语综合教程第八册

したので、振り向いてみた。思わずあっと声が出かかった。急いで立ち上がっ

て迎えた。

来た客は閏土である。ひとめで閏土とわかったものの、その閏土は、わた

しの記憶にある閏土とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔のつや

のいい丸顔は、今では黄ばんだ色に変わり、しかも深いしわがたたまれてい

た。目も、彼の父親がそうであったように、周りが赤くはれている。わたし

は知っている。海辺で耕作する者は、一日じゆう潮風に吹かれるせいで、よ

くこうなる。頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身

ぶるぶる震えている。紙包みと長いきせるを手に提げている。その手も、わ

たしの記憶にある血色のいい丸々した手ではなく、太い、節くれ立った、し

かもひび割れた、松の幹のような手である。

わたしは感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案

がっかぬままに、ひと言、

「ああ、閏ちゃん—— よく来たね…… oJ
続いて言いたいことが、あとからあとから、数珠つなぎになって出かかっ

た。角鶏、跳ね魚、貝殻、猗……だがそれらは、なにかでせき止められたよ

うに、頭の中を駆け巡るだけで、口からは出なかった。

彼は突つ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いた

が、声にはならなかった。最後に、うやうやしい態度に変わって 、はっきり

こう言った。

「だんな様! 〇J

わたしは身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔てて

しまったのを感じた。わたしは口がきけなかった。

彼は、後ろを向いて、「水生、だんな様におじぎしな。」と言って、彼の背

に隠れていた子どもを前へ出した。これぞまさしく三十年前の閏土であった。

いくらかやせて、顔色が悪く、銀の首輪もしていない違いはあるけれども。

「これが五番めの子でございます。世間へ出さぬものですから、おどおどして

おりまして……oJ
母と宏児が二階から降りてきた 。話し声を聞きつけたのだろう。

「ご隠居様、お手紙は早くにいただきました。全く、うれしくてたまりませ

んでした、だんな様がお帰りになると聞きまして……OJと、閏土は言った。
「まあ、なんだってそんな、他人行儀にするんだね。おまえたち、昔は兄弟

の仲じやないか。昔のように、迅ちゃん、でいいんだよ。」と、母はうれしそ

うに言った。

「めっそうな、ご隠居様、なんとも……とんでもないことでございます。あ

のころは子どもで、なんのわきまえもなく……OJそしてまたも水生を前に出
しておじぎさせようとしたが、子どもははにかんで、父親の背にしがみつい

第4課故郷55

たままだった。
「これが水生?五番めだね。知らない人ばかりだから、はにかむのも無理な

い。宏児や、あちらで一緒に遊んでおやり。」と、母は言った。
言われて宏児は、水生を誘い、水生もうれしそうに、そろって出ていった。

母は閏土に席を勧めた。彼はしばらくためらったあと、ようやく腰を降ろし
た。長ぎせるをテーブルに立てかけて、紙包みをさし出した。

「冬場は、ろくなものがございません。少しばかり、青豆の干したのですが、
自分とこのですから、どうかだんな様に……OJ

わたしは、暮らし向きについて尋ねた。彼は首を振るばかりだった。
「とてもとても。今では六番めの子も役に立ちますが 、それでも追っつけま
せん。……世間は物騒だし……、どっちを向いても金は取られほうだい、き
まりもなにも……。作柄もよくございません。作った物を売りにいけば、何
度も税金を取られて、元は切れるし、そうかといって売らなければ、腐らせ
るばかりで……oJ
首を振りどおしである。顔にはたくさんのしわがたたまれているが 、まる
で石像のように、そのしわは少しも動かなかった。苦しみを感じはしても、そ
れを言い表すすべがないように、しばらく沈黙し、それからきせるを取り上
げて、黙々とたばこを吹かした 。
母が都合を聞くと、家に用が多いから、明日は帰らねばならぬと言う。そ
れに昼飯もまだと言うので 、自分で台所へ行って、飯をいためて食べるよう
に勧めた。
彼が出ていったあと、母とわたしとは彼の境遇を思ってため息をついた。
子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪戯、役人、地主、みんな寄ってたかっ

て彼をいじめて、でくのぼうみたいな人間にしてしまったのだ。母は、持つ
ていかぬ品物はみんなくれてやろう、好きなように選ばせよう、とわたしに
言った。

午後、彼は品物を選び出した。長テーブルニ個、いす四脚、香炉と燭台ー
組、大ばかり一本。そのほかわら灰もみんな欲しいと言った。(わたしたちの
所では、炊事のときわらを燃す。その灰は砂地の肥料になる。)わたしたちが
旅立つとき来て船で運ぶ、と言った。

夜はまた世間話をした。’とりとめのない話ばかりだった。明くる日の朝、彼
は水生を連れて帰っていった 。

それからまた九日して、わたしたちの旅立ちの日になった。閏土は朝から
来ていた。水生は連れずに、五歳になる女の子に船の番をさせていた。それ
ぞれに一日じゆう忙しくて、もう話をする暇はなかった。客も多かった。見
送りにくる者、品物を取りにくる者、見送りがてら品物を取りにくる者。タ
方になって、わたしたちが船に乗りこむころには、この古い家にあった大小

56日语综合教程第八册

さまざまのがらくた類は、すっかり片づいていた。
船はひたすら前進した。両岸の緑の山々は、たそがれの中で薄墨色に変わ

り、次々と船尾に消えた。
わたしと一緒に窓辺にもたれて、暮れてゆく外の景色を眺めていた宏児が、

ふと問いかけた。
「おじさん、ぼくたち、いつ帰ってくるの?」
「帰ってくる?どうしてまた、行きもしないうちに、帰るなんて考えたんだ

い?」
「だって、水生がぼくに、家へ遊びにこいって。」
大きな黒い目を見はって、彼はじっと考えこんでいた。
わたしも、わたしの母も、はっと胸を突かれた。そして話がまた閏土のこ

とに戻った。母はこう語った。例の豆腐屋小町の楊おばさんは、わたしの家
で片づけが始まってから、毎日必ずやってきたが、おととい、灰の山からわ
んや皿を十個余り掘り出した。あれこれ議論の末、それは閏土が埋めておい
たにちがいない、灰を運ぶとき、一緒に持ち帰れるから、という結論になつ
た。楊おばさんは、この発見を手柄顔に、「犬じらし」(これはわたしたちの
所で鶏を飼うのに使う。木の板にさくを取り付けた道具で、中に食べ物を入
れておくと、鶏は首を伸ばしてついばむことができるが、犬にはできないの
で、見てじれるだけである。)をつかんで飛ぶように走り去った。纏足用の底
の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。

古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名残
惜しい気はしない。自分の周りに目に見えぬ高い壁があって、その中に自分
だけ取り残されたように、気がめいるだけである。すいか畑の銀の首輪の小
英雄のおもかげは、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやり
してしまった。これもたまらなく悲しい。

母と宏児とは寝入った。
わたしも横になって、船の底に水のぶつかる音を聞きながら、今自分は、自
分の道を歩いているとわかった。思えばわたしと閏土との距離は全く遠く
なったが、若い世代は今でも心が通い合い、現に宏児は水生のことを慕って
いる。せめて彼らだけは、わたしと違って、互いに隔絶することのないよう
に……とはいっても、彼らが一つ心でいたいがために、わたしのように、無
駄の積み重ねで魂を擦り減らす生活をともにすることは願わない。また閏土
のように、打ちひしがれて心がまひする生活をともにすることも願わない。
またほかの人のように、やけを起こして野放図に走る生活をともにすること
も願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。わ
たしたちの経験しなかった新しい生活を。
希望という考えが浮かんだので、わたしはどきっとした。たしか閏土が香

第4課故郷 57

炉と燭台を所望したとき、わたしはあいかわらずの偶像崇拝だな、いつに
なったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今わた
しのいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むも
のはすぐ手に入り、わたしの望むものは手に入りにくいだけだ 。

まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その
上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もとも
とあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のような
ものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道に
なるのだ。

『魯迅文集 第一巻!(1976)による

|注釈

〇 魯迅(ルーシュン/ろじん)(1881—1936)
魯迅は中国の裕福な地主で地方役人の家に生まれたが、父の死などの不幸が重なって、家が没落
し、苦労の末、医学で身を立てようと日本に留学した。しかし、だんだん民族の問題を考えるよ
うになり、医学よりも文学によって民族の心の病を立て直そうとペンを握り始めた。『故郷』は
1921年の作品である。

❷ 竹内 好(たけうち よしみ)(1910—1977)
中国文学者、竹内好は、自らの思想をよりどころとして、早くから魯迅を研究し、魯迅の紹介者
としてもすぐれた業績を残した。

❸ 二千里•二十年
遠い距離、長年という意味。今の中国の1里は、約500 メートル。

❹苫
すげやかやで編んだむしろの一種。船などの出入り口に掛けて雨露を防ぐもの。

❺一族
大家族制度で家長を中心に生活している血縁の家族の集まり。

❻さすまた
長い柄の先に、U字型の鉄の金具を付けた昔の武器の一種。

❼チャー匯)
穴ぐまに似ているという動物。

❽節季
決算期。盆と暮れ。

❾閏月
旧暦で、季節とのずれを調節するために数年おきにある月を繰り返す、この繰り返される月。
五行
古代中国で宇宙を生成する要素とされた木、火、土、金、水のこと。中国では昔から年月日時に、
十干十二支を配した数え方があり、その干支にはそれぞれ五行の要素が当てられた。ここでは閏
土の生まれた年月日時のどれにも土に当たるものがないということ。

(D城内
町の中。中国では町全体が城壁で囲まれていた。

58日语综合教程第八册

®おいらとこ
私たちのところ。おいら、主に男性が用いる語、第一人称。

®稲鶏・角鶏・藍背
いずれも田畑を荒らす鳥。

®スカートをはかないズボン姿
当時の中国の婦人は、ズボンの上にひだのあるスカートを着けるのが、一般的だった。

@豆腐屋小町
原文は、豆腐西施。「西施」は中国古代の美人の名。日本の小野小町同様、美人の別称として用
いられているため、こう訳されたもの。

®きせる
刻みたばこを吸うときに使う道具。

®纏足
昔中国で、女性の足に、幼時から布を堅く巻きつけて足を大きくしないようにした風俗。

!新しい言葉

こみあげる(込み上げる)[自下一] 押し上げるように出てくる。
自分のいる家や城などを、他人の手に渡すこと。
明け渡し(あけわたし)[名] 枯れ、折れた茎。
風①や水の勢いに従って横にゆらめくように動
やれ茎(やれくき) [名] <〇②他の意志や威力などに屈したり、引き寄せ
られたりして服従する。また、女性が男性に言い
なびく (靡く) [自五] 寄られて承知する。
いかにも説明しているかのような様子。
説き明かし顔(ときあ[名]
静まり返っている様子。
かしがお)
気持ちをみたす方法がない。心がなぐさめられな
ひっそり閑と(ひっそり[副] いで苦しい。
じゃまになるほど大きい。
かんと) ぶら下げる。つり下げる。
①急いでいるさま。おちつかないさま。②(接尾
やるせない [形] 的)だいたいそれぐらい。ばかり。
生活、生計のありさま。
かさばる [自五] (子供が)見馴れぬ人を見て泣き、はにかみ、また
つるす(吊るす) [他五] は嫌うこと。
そこそこ [副] ①かわく。乾燥する。②調子にのって、うかれさ
わく、、。
暮らし向き(くらしむき)[名] 品質が悪いので米粒にしないで殻っきのままにし
人見知り(ひとみしり)[名] てある稲の実。

はしやぐ [自五] 第4課故郷59

くずもみ [名]

結わえる(ゆわえる) [他下一] 結ぶ。く くりつける。

(五十)がらみ [接尾] (五十歳)前後の。「がらみ」は年齢を示す数字の

あとにつけて、「およそ、そのくらい」という意

味を表す。

筋向かい(すじむかい) [名] 家などが斜めに向かい合うこと。

さげずむ [他五] 見下ろす。軽蔑する。

どぎまぎ [副・自サ変]不意をつかれたり威圧されたりして、とっさに適

切な対応ができず、うろたえあわてるさま。

お出まし(おでまし) [名] 出てゆくこと、出てくること、出席することなど

の尊敬語。

膨れつ面(ふくれつつら)[名] 気に入らないという気持ちをはっきり表した表

情。

行きがけの駄賃(ゆきが [慣] 事のついでに他の事をするたとえ。

けのだちん)

似もつかない(にもっか [形] すこしも似ていない。

ない)

思案がつかぬ(しあんが [慣] どうしていいか考えがまとまらないこと。思案に

っかぬ) 暮れる。

数珠つなぎ(じゅずつな [名] 数珠のように多くの人、物をひとつなぎに

ぎ) すること。
うやうやしい [形] 礼儀にかなって丁寧な。

おどおど [副・自サ変]恐れて落ち着かないようす。

めっそう [形動] とんでもないようす。
わきまえ [名] 物事の善し悪しなどを正しく判断すること。

分別心。

物騒(ぶっそう) [形動] 穏やかでなく、危険なようす。

作柄(さくがら) [名] 農作物のでき具合。

元は切れる(もとはきれ [慣] 作物を育てたり市場に出したりするときにかかっ

る) た金(原価)も回収できないほど安くしか売れな

い。かえって損をしてしまう状態。

でくのぼう(木偶坊) [名] ①人形。でく。くぐつ。②役に立たない人、また、

気転がきかない人をののしっていう語。•

がらくた [名]. 価値のなくなった道具や品物。

手柄顔(てがらがお) [名] 功績を誇った顔づき。

っいばむ(啄む) [他五] くちばしでつついて食う。

じれる(焦れる) [自下一] いらいらする。

気がめいる [慣] すっかり気力がなくなって、ふさぎこむ。

60日语综合教程第八册

打ちひしがれる [自下ー] 押しつぶされて、心身ともにまいってしまうこ
[名] どレ〇
やけ(自棄) うまくいかず、投げやりになること。
野放図(のほうず)
まどろむ [名・形動]ずうずうしくて横柄であること。

[自五] ちょっとの間、うとうとと眠る。

言葉と表現

〇…〜とばかり〜・一…ーーーー….…… ...... .…一….

「ばかり」は副助詞。大体の量、程度または限定の意味を表す。「一週間ばか
り」「わずかばかり」「小説ばかり」「遊んでばかりいる」「子供とばかり遊んで
いる」などのように使う。•

「とばかり」の形は、その文脈によって意味が違う。

1. 「副詞+とばかり」で、動作(または行為)のその勢いの速さ、重さなどを強

調して言う。

❶そして一匹の「猗」を目がけて、ヤッとばかり突く C

❷ あっとばかりに飛び上がった。

❸ 群衆がわっとばかり押し寄せて来た。 •
❹どっとばかり倒れた。

2. 「〜とばかり思う」の「ばかり」は「限定」の意味である。つまり、「ほとん

どそれしか思わなかった」という意味である。

❶ わたしはすいかといえば、果物屋に売っているものとばか_纺思っていた。

❷山田君が行くものだとばかり思っていた。

3. 「〜とばかり(に)」「〜といわんばかり(に)」の形で、「まるで〜というよう

に」という意味を表す。つまり、「いかにもそのようなことを言いたそうな

様子に見える」という意味で使う。

❶ 今がチャンスとばかり、チャンピオンは猛烈な攻撃を開始した。

❷ 私が話しかけたら、あの人はいやだとばかりによこを向いてしまった。

eお前は黙っていろと言わんばかりに、兄は私をにらみつけた。

a—かたわら一.….….—1....... 一...... ......... ...一—…—..... )

「かたわら」は、「名詞+の+かたわら」または「動詞+かたわら」の形で、
副詞的に使われる。「主な活動•作業以外の空いた時間に、一方で」という意味。
書きことば的な表現。

第4課故郷61

❶自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めのときなどに、決まった

家へ来て働くのが「忙月」と呼ばれた。 .

❷ 役人勤めのかたわら、小説を書く。

❸ あの教授は、自分の専門研究をするかたわら、好きな作家の翻訳をすること

を趣味にしている。

七9一…ー占.)―うにも~ない ...... .... . —…一一—_____________ j

「〜(よ)うにも〜ない」は、「そうしょうと思ってもできない」「どうしても
〜することができない」という意味を表す。多くの場合、「帰ろう•にも帰れない」
「起きようにも起きられない」のように、動詞の意志形を受けて、後ろに同じ動
詞の可能の否定形を繰り返す、というような形をとる。

❶ それに一日じゆう座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見
ようにも見られなかった。

❷助けを呼ぼうにも声が出ない。
❸ 機械を止めようにも、方法が分からなかったのです。
❹ 少し休みたいけれど、忙しくて休もうにも休めない。
❺ こんな恐ろしい事件は、忘れようにも忘れられない。

迹ー・〜がてらー一……'......一....... 一—一—ーー—一一—ーーーーーーーーーーー! ーーー!

「がてら」は接尾語。名詞や動詞の連用形について、「〜をかねて〜する」「〜
のついでに〜する」「〜かたがた〜する」という意味を表す。

❶ 見送りにくる者、品物を取りにくる者、見送りがてら品物を取りにくる者。
❷ 買い物がてら、その辺をぶらぶらしない?
❸散歩がてら本屋に立ち寄る。
❹ 京都においでの・節は、お遊びが工らぜひ私どものところへもお立ち寄りくだ

さい。

遂ー.よくーもー.—.—…'..... 一——一一—一—-_____一————一ー—______ i

「よくも」は副詞。驚き(賞賛)、非難などの気持ちを表す。

1.驚き。困難なことをやったり起こりそうもないことが起こったりしたことに

対する驚きを表す。
❶ 纏足用の底の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。
❷ 田中さん、よ<_も"あんな早い英語を正確に聞き取れるもんだね。

62日语综合教程第八册

❸ それにしても大火傷をした身で逃げきって、よくも命びろいをしたも
のだ。

2非難。迷惑なことやひどいこと、非常識なことなどをすることに対して、「そ
うしてそんなことをするのか」という怒りや非難、あきれ、軽蔑の気持ちを
表す。
〇よくもみんなの前で私に恥をかかせてくれたなC
❷ あなた、よく(も)そんな人を傷づけるようなことを平気で言えるもので
すね。

•❸こんな状態にいながら、よくもそんな笑い方が出来たものだC恥を知る
がいい。

、学習の手引き

❶ 故郷をあとにする「わたし」の心境をとらえ、人間や社会に対する考えを深める。
❷ 場面や人物を比較することにより、描かれている状況をあきらかにする。

1) 次のような観点で比較し、説明しよう。
① 二十年前の故郷と今の故郷
② 思い出の中の閏土と今の閏土
③ 昔の楊おばさんと今の楊おばさん
④ 今の宏児・水生と将来の宏児・水生

2) 「だんな様!……」と言ったときの閏土の気持ちについて話し合おう。
3) 故郷をあとにするときの「わたし」の思いを「新しい生活」ということばを手が

かりにまとめよう。
4) 故郷をあとにするときの「わたし」がいう「希望」について、自分の考えを文章

にまとめよう。

練習

「故郷」の日本語訳を次の二種挙げるが、対照して見て、翻訳者がそれぞれ施した工夫と
それぞれの表現の特徴を、考えてみなさい。

故郷 竹内好訳 故紀S 井上紅梅訳

厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れ わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て '
て二十年にもなる故郷へ、わたしは帰った。 二十余年も別れていた故郷に帰って来た。

もう真冬の候であった。そのうえ、故郷へ近 時はもう冬の最中で故郷に近づくに
づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風 従って天気は小闇くなり、身を切るよう

第4課故郷63

がヒューヒュー音を立てて、船の中まで吹きこ な風が船室に吹き込んでびゅうびゆうと鳴

んできた。苫のすきまから外をうかがうと、鉛 る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい

色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気 空の下にしめやかな荒村があちこちに横た

もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂 わっていささかの活気もない。わたしはう

寥の感が胸にこみあげた。 ら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。

ああ、これが二十年来、片時も忘れることの おお!これこそ二十年来ときどき想い

なかった故郷であろうか。 出す我が故郷ではないか。

……(中略) ……(中略)

「忘れたのかい?なにしろ身分のあるおかた 「忘れたの?出世すると眼の位まで高く

は目が上を向いているからね……oJ なるというが、本当だね」

「そんなわけじゃないよ……ぼくは……oJ 「いえ、決してそんなことはありません、

わたしはどぎまぎして、立ち上がった。 わたし... 」

「それならね、お聞きなさいよ、迅ちゃん。あ わたしは慌てて立上がった。

んた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだつ 「そんなら迅ちゃん、お前さんに言うが

て、重くて不便ですよ。こんながらくた道具、 ね。お前はお金持になったんだから、弓I越

じやまだから、あたしにくれてしまいなさい しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多

よ。あたしたち貧乏人には、けっこう役に立ち 道具なんか要るもんかね。わたしに譲って

ますからね。」 おくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道が

「ぼくは金持ちじやないよ。これを売って、 あるわよ」

その金で……oJ 「わたしは決して金持ではありません。

「おやおや、まあまあ、知事様になっても金 こんなものでも売ったら何かの足しまえに

持ちじゃない?現に、おめかけが三人もいて、 なるかと思って... 」

お出ましは八人かきのかごで、それでも金持ち 「おやおやお前は結構な道台さえも捨て

じゃない?ふん、だまそうたって、そうはいき たという話じやないか。それでもお金持

ませんよ。」 じゃないの? お前は今三人のお妾さんが

返事のしようがないので、わたしは口を閉 あって、外に出る時には八人舁きの大轎に

じたまま立っていた。 乗って、それでもお金持じやないの?ホホ

「ああ、ああ、金がたまれば財布のひもを締 何とおっしゃろうが、私を瞞すことは出来

める。財布のひもを締めるからまたたまる ないよ」

……。」コンパスは、膨れつ面で背を向けると、 わたしは話のしょうがなくなって口を噤

ぶっぶつ言いながら、ゆっくりした足どりで出 んで立っていると

ていった。行きがけの駄賃に母の手袋をズボン 「全くね、お金があればあるほど塵ツ葉

の下へねじこんで。 一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなけ

ればますますお金が溜るわけだ」

…… (中略) コンパスはむっとして身を翻し、ぶっぶ

つ言いながら出て行ったが、なお、行きが

けの駄賃に母の手袋を一双、素早く搔っ

64 日语综合教程第八册

払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。

……(中略)

わたしは、暮らし向きについて尋ねた。彼は わたしは彼に暮向のことを訊ねると、彼

首を振るばかりだった。 は頭を揺り動かした。

「とてもとても。今では六番めの子も役に立 「なかなか大変です。-・あの下の子供にも手

ちますが、それでも追っつけません……世間 伝わせておりますが、どうしても足りませ

は物騒だし…… どっちを向いても金は取られ ん。…… 世の中は始終ゴタついております

ほうだい、きまりもなにも……作柄もよくご し、…… どちらを向いてもお金の費ること

ざいません。作った物を売りにいけば、何度も ばかりで、方途が知れません……実りが悪

税金を取られて、元は切れるし、そうかといっ いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛け

て売らなければ、腐らせるばかりで……oJ られ、元を削って売らなければ腐れるばか

……(中略) りです」

……(中略)

まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い 夢うつつの中に眼の前に野広い海辺の緑

緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空 の沙地が展開して来た。上には深藍色の大

には、金色の丸い月がかかっている。思うに希 空に掛るまんまろの月が黄金色であった。

望とは、もともとあるものともいえぬし、ない 希望は本来有というものでもなく、無と

ものともいえない。それは地上の道のような いうものでもない。これこそ地上の道のよ

ものである。もともと地上には道はない。歩く うに、初めから道があるのではないが、歩く

人が多くなれば、それが道になるのだ。 人が多くなると初めて道が出来る。

読み物

山月記

•中島敦

隴西の李徴は、博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南
尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを 潔
しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交
を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏§なって長く膝を俗悪な大官の前に屈す
るよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は
容易に揚がらず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来
た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々とし

第4課故郷 65

て、曾て進士に登第した頃の豊頰の美少年の面影は、何処に求めようもない。数
年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、ー
地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したた
めでもある。かつての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にも
かけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の俊才李徴の自尊心
を如何に傷けたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は
愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に
発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分らぬこ
とを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駆け出した。彼は二度と戻って
来なかった。附近の山野を捜索しても 、何の手掛りもない。その後李徴がどう
なったかを知る者は、誰もなかった。

翌年、監察御史、陳郡の袁イ參という者、勅命を奉じて嶺南に使し、途に商於
の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うこと
に、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今は
まだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。袁イ參は、しかし、供廻
りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を退けて、出発した。残月の光を頼りに林中の
草地を通って行った時、果たして一匹の猛虎が草むらの中から躍り出た。虎は、
あわや袁イ參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の草むらに隠れた。
草むらの中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し眩くのが聞えた。
その声に袁イ參は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思い当たって、叫
んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁修は李徴と同年に進士の第
に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁修
の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

かす

草むらの中からは、暫く返事が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が
時々漏れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「いかにも自分は隴西
の李徴である」と。

袁修は恐怖を忘れ、馬から下りて草むらに近づき、懐かしげに久闊を叙した。
そして、なぜ草むらから出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分
は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿を
さらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起こさせる
に決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に会うことを得て、愧赧の念を
も忘れるほどに懐かしい。どうか、ほんのしばらくでいいから、我が醜悪な今の
外形を厭わず、かって君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろう
か。

後で考えれば不思議だったが、その時、袁修は、この超自然の怪異を、実に素
直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行をとど
め、自分は草むらの傍らに立って、見えざる声と対談した。都のうわさ、旧友の

66 日语综合教程第八册

消息、袁修が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同 。
志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁イ參は、李徴がどうして今
の身となるに至ったかを尋ねた。叢中の声は次のように語った。

今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してか
ら、ふと目を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て
見ると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出
した。無我夢中で駆けていくうちに、何時しか道は山林に入り、しかも、知らぬ
間に自分は左右の手で地を攫んで走っていた。何か体じゆうに力が満ち満ちたよ
うな感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱のあたりに
毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見る
と、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違い
ないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれま
でに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自
分は茫然とした。そうして恐れた。全く、どんな事でも起こり得るのだと思うて、
深く恐れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分からぬ。全く何事も我々
には分からぬ。理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由
も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに死を思う
た。しかし、その時、眼の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのを見た途端に、自分
の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分のロ
はうさぎの血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最
初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底
語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が返って来る。そう
いう時には、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、
経書の章句を誦んずることもできる。その人間の心で、虎としての己の残虐な行
のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。しか
し、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなって行く。
今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が
付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろし
いことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり
埋れて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するよ
うに。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回
り、今日のように道で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き食うて何
の悔いも感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったん
だろう。初めはそれを覚えているが、しだいに忘れてしまい、初めから今の形の
ものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。
己の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあ
わせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、その事を、この上なく恐ろし
く感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、悲しく、切なく思っている

第4課故郷67

だろう! おれが人間だった記憶のなくなることを 。この気持は誰にも分らな
い。誰にも分らない。おれと同じ身の上になった者でなければ。ところで、そう
だ。おれがすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがあ

る。
袁イ參はじめ一行は、息をのんで、畿中の声の語る不思議に聞き入っていた。声

は続けて言う。

ほかでもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業未

だ成らざるに、この運命に立至った。かって作るところの詩数百 篇、もとより、

まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在ももはや分らなくなっていよう 。ところ

で、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録していただ

きたいのだ。何も、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙

は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したとこ

ろのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

袁イ參は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随って書きとらせた。李徴の声は草

むらの中から朗々と響いた。長短およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して

作者のオの非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁修は感嘆しながらも漠

然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものである

ことは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非

常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。

旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らをあざけるがごとくに

言った。

恥ずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、おれ

は、おれの詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあ

るのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。笑ってくれ。詩人になりそこなっ

て虎になった哀れな男を。(袁修は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、かな

しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の思いを即席の詩に述べて見

ようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。

袁修はまた下吏に命じてこれを書き取らせた。その詩に言う。

偶因狂疾成殊類 偶々狂疾に因って殊類になる

災患相仍不可逃 災患相仍って逃るべからず

今日爪牙誰敢敵 今日は爪牙誰か敢へて敵せんや

当時声跡共相高 当時は声跡共相高かりき

我為異物蓬茅下 我は異物と為りて蓬茅の下にあれども

公已乗輕気勢豪 君は已に$8に乗りて気勢豪なり

此タ渓山対明月 此の夕べ渓山明月に対し

不成長嘯但成嗥 長嘯を為さずして但だ嗥を為す

時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを

告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じ

68 日语综合教程第八册

た。李徴の声は再び続ける。
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依

れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交
を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近い
ものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自
分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいう
べきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いた
り、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった 。かといっ
て、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊
心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て
刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として
瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と
慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人
間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、
この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、
友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて
了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費し
て了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余り
に短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するか
も知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己より
も遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家
となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付い
た。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間と
しての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったに
したところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎に虎に近づ
いて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼

く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かに
この苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、
ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか
考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はな
い。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかった
ように。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

ぎょうかく

漸く四辺の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処からか、暁角が哀しげ
に響き始めた。

最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時
かヾ)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもうーつ頼み
がある。それは我が妻子のことだ。彼等は未だ虢略にいる。固より、己の運命に

第4課故郷69

就いては知る筈がない。君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰
えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願
だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らっ
て戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。

言終って、叢中から慟哭の声が聞えた。袁もまた涙を泛べ、欣んで李徴の意に
副いたい旨を答えた。李徴の声はしかし忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻って 、
言った。

本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったな
ら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけてい
るような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。

そうして、附加えて言うことに、袁イ參が嶺南からの帰途には決してこの途を通
らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかも知
れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方
を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇
ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会
おうとの気持を君に起させない為であると。

袁修は叢に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、
堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁修も幾度か叢を振返りながら、涙の中に
出発した。

一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草
地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。
虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の
叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

『李陵・山月記』(新潮文庫1969)による

!注釈

❶ 中島 敦(なかじま あっし)(1909—1942)
小説家。東京都の生まれ。漢語の素養が深く、知的な、格調の高い文章で自己の人間観を語った。
小説『光と風と夢』『名人伝』『李陵』などがある。

❷隴西
現在の中国甘粛省の隴西市。

❸才穎
才知が並外れて優れていること。

❹天宝
唐の玄宗皇帝の時代の年号(742—756)〇

70 日语综合教程第八册

❺虎榜
進士(官吏登用試験の合格者)の姓名を掲示する木札。

❻江南尉
「江南」は、唐代の行政区画の一つ、江南道のことで現在の長江以南の、江蘇•安徽・浙江•福建・
江西・湖南の各省にまたがる地域。「尉」は軍事や警察などをつかさどる官。

〇狷介
自分の考えにとらわれ、他人と協調しないこと。

❽故山
故郷。ここでは住み慣れた所の意。

❾虢略
現在の河南省霊宝市。

(B峭刻

厳しく、険しいこと。

(D炯々として

光り輝き、鋭い様子。
®登第

試験に合格すること。
®怏々として

心が満ち足りない様子。
狂悖
人並みはずれて、わがままなこと。
®汝水
河南省の老君山から発して南東に流れ、淮河に注ぐ川。
®監察御史
官吏を取り締まる官。
®陳郡
現在の河南省淮陽県。
®嶺南
唐代の行政区画の一つ。嶺南道のこと。現在の広東省・広西壮族自治区一帯の地域。

(E)商於

現在の河南省内郷県の西の地。


人の名前などに添えて、親しみや敬意を表す語。
®峻峭
厳しく、きついこと。
®異類
人間ではない生き物。
®畏怖嫌厭
恐れ、嫌うこと。
®愧赧
恥ずかしさに赤面すること。
適経書
儒教の経典。五経(「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)などを言う。
密記誦

記憶し、そらんじること。

第4課故郷71

函長安
漢代から唐代にかけて繁栄した中国の旧都。現在の陝西省西安市。

密狂疾
精神病。

零殊類
「異類」と同じ。「異物」も同じ意。

函蓬茅
よもぎとちがや。ここでは草むらのこと。

®車召

立ち乗りをして指揮を執る物見車。 ・
®長嘯

声を長く引き伸ばして、詩を吟じること。
函嗥

ほえること。叫ぶこと。
®倨傲

おごり高ぶること。
®憤悶

憤りもだえること。

而慙恚

恥じ憤ること。
曲暁角

夜明けを知らせる角笛。

I学習の手引き

❶「遂に発狂した」とあるが、ここにいたるまでの、「李徴」の心情をまとめてみよう。
❷「理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生き

て行くのが、我々生き物のきたあだ。」には「李徴」のどのような考え方が表されて
いるか、考えてみよう。
❸「己は詩によって名を成そうと……共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との
所為である。」とあるが、「李徴」の性格を文章に即して分かりやすく説明してみよ
う。
❹「人間はだれでも猛獣使であり、……虎だったのだ。」には、「李徴」のかっての自
分に対するどのような見方が述べられている 、考えてみよう。
0 時刻の推移を暗示している表現を指摘し、場面の展開をたどってみよう。
❻ 作者は「李徴」の生き方を通して何を書きたかったのか、話してみよう。

72 日语综合教程第八册

5第 課

[本文 エッセイ

橋を架ける

•水上蜘

小さいころ、母はよく、谷の奥へ私を連れていって、蓑一枚ぐらいしかな
い小さな田の畦に座らせ、自分は胸までつかる汁田で苗を植えていた。この
谷は暗くて、一日に日が三時間ほどしかささなかった。村でも極めて貧しい
谷であった。そんな谷の口に私たちの家があった 。

谷には畑もあった。そこで、母は芋や大根をつくった。ここへ行くのに、深
い川が一つあった。木橋が架かっていたが、大水のたびによく流失したので、
母はよく橋普請した。自分だけの働く谷だから、村の衆に頼める工事ではな
い。宮大工の父がその日は必ずどこからか帰ってきて、山から丸大を二本
伐ってきて、狭い川に差し渡し、その上へ栗材のコロを並べて、流土を積む
と、私たち兄弟にも踏ませて赤土の固い土橋にした。一年ほどすると土橋は
古ぼけてわきに草が生え、草の下に、神社の軒たる木を見るような、栗材の
切り口が白く並んだ。また、これが古くなると、栗材は腐って、橋の裏には,
椎茸がいっぱいできた。母はこれを穫って私たちの弁当の菜にしてくれた。
母は、自分一家の収穫のための谷田へ渡された橋を、その生涯に何度架けた
だろう。若狭はずいぶん台風の過ぎる所だから、おそらく十回ぐらいは架け
たと思う。いつ架けても、この橋は丸大の切り口の上に土の盛られた、椎茸
のみのる橋であった。

私は、九歳でこの母に別れた。京都の寺へ小僧に出たからだが、故郷のこ
とを思うと、母の架けていた橋がまぶたに浮かんだ 。今日も、それは浮かぶ。
旅をしていて、汽車が、似たような山の谷を過ぎると必ず浮かぶ。ああ、日
本という国は、どうして、こんなに似た谷や山が多いのか。青森でも、四国
でも、九州でも、我が在所の谷と似た谷を見た。それらのいずれの谷にも、奥

第5課エッセイ73

へ行くと、小さな橋が架かつマ,ろだろう、と私は思ったものだ。
ささやかな、みのりのため代 母が心尽くして架ける橋。それは、私たち

一家の主食を得るための、つまり、命の橋であった。だのにどうして、あの
橋は、あれだけ粗末にできてレて、美しかったのだろう。

今日、村上華岳や富岡鉄斎とまでゆかなくてもいい 、田舎絵師の描いた山
水画を見て、そこに、丸太の切り口の見える草の生えた橋が描かれていると 、
つい涙ぐんでしまうのだ。

熱田の精進川に裁断橋という古い橋が架かっている。そこに、次のような
彫字のある青銅の擬宝珠がある 。銘文は次のようにみえる 。

(天正) (小田原) (陣) まうす
てんしやう十八ねん二月十八日に をたはらへの御ちん ほりをきん助と申十

八になりたる子をたたせてより 又ふためともみさるかなしさのあまりに い

なり (落涙) じ (ぶ)

まこのはしをかける成ははの身にはらくるいともなりそくしんしやうふつし

給へいっかんせいしゆんと後のよの又のちまて此かきつけを見る人は

念仏申給へや卅三年のくやう也

小田原の陣に豊臣秀吉に従って出陣して死んだ堀尾金助という若者の三十
三回忌の供養のために母が架けた橋である。今この橋は、人々の商工の道の
ために恩恵を施していて残存する。私がこの橋に泣いたのは、ずいぶん前の
ことだが、読者はこの私をセンチメンタルだと思われるか 。

誠実な心情によって架けられた橋は美しい。とりわけ、ここ裁断橋の銘文
は、日本人ならはらわたを刺されずにはおられまいと思う。

初めにこんなことを書いたのは 、科学文明が月旅行を予測させるほど進み、
日本の道路に架け渡される橋もみなコンクリートで、東名高速や、ほかのハ
イウェーを見てもわかるように、巨大である。道路を、鉄道を、川を、谷を
またいで、レジャーに生き急ぐカー族のためにある。コンクリートの橋も、大
ぜいの工夫たちの力を集めてつくられた。何々組の請負とはいうものの、実
は、この工事が、青森や秋田から農閑期を利用して出かせぎに来た、若者た
ちの土の手によってつくられていることを思えば、やはり、文明の架橋も、裏
には椎茸こそ生えないが、働き手の哀話は尽きぬように思う。これは、千里丘
で開かれた万国博の、化け物屋敷や石油コンビナートを連想させるあの建物
などの場合もそうである。開会式の前日に、工事で死んだ二十幾人かの慰霊
祭があった。それらの遺族が、皆、私の母のような田舎者の顔をして列席し
て、おいおい泣いていたのを 、私はテレビで見て、落涙している。

越前岬で、奇妙な木を見た。それは波にあらわれた岩石の上に、あぐらを
かいた一本の木であった。遠くだから何の木だかわからなかったが、実がな
るとみえて、渡り鳥がいっぱい降りていた。岩の上に生える木は、人間より
も美しい生きものである。鳥がうんちの中に入れてひり落とした種が、岩に

74 日语综合教程第八册

へばりつき、その種にまぶりついた海藻や、いろいろな小さな動物がそ房芽

のために土となって死んだのである。その死を、芽は栄養にして、岩の裂け
めに生え、とうとう十年後にメロンの膚のように、その岩をまいた。石は木
にとって栄養であった。この岩石を取り除けば、木は死ぬだろう。木は北海
の果ての波かぶる岩の上でまた子孫に自分の根を譲って生きるのである。鳥
が訪ねてきて、花や実をついばんでゆく姿は、生々輪廻の神秘を考えさせる。
私の心は深くこの木に打たれた。

今、日本の家庭に、名もない波かぶる岩の上に生えた木に負けないほどの
心で「家」を守る人は何人いるか。

私は、ある年の冬、故郷の畑を歩いていて、大きな石に出くわした。畑中
にころがっていた。わきへよけようと思って、これをこじあけてみた。びっ
くりした。石の下に、いっぱい虫が生きていた。みみずもいた。芋虫もいた。
名も知らぬ妙な黒い蟻のようなのもいた 。それらの虫が、けんか一つせずに、
石の下でじっと春を待っているのがいじらしかった。私はその石をもとどお
りにしておいた。

私はもうーつの石を見た。そこは北海道の神居古潭であった。石狩川が曲
がる場所なので、岩石ばかりのすさまじい光景の所だったが、そこの岸に、ー
本の木が、石を抱いて生きている。それは、やはり鳥がどこかから実をつい
ばんできた種に違いなかった。石と石の間に落ち、そこに芽をふいたものの、
生きてゆくためには、とうとう日のあたる石上へ出ねばならなくなり、その
木は十全に生きたときに、栄養にもならぬ大石を抱いていたのである。石の
上につまりあぐらをかいて、巨根を張っていた。

この木の心、鳥の心、石の心が、東洋の生きる心の深さを教えている。私
は理屈を言うのがきらいである。見たもの、感じたものを書いたにすぎない。
だが一つだけ理屈を言いたい。

若い人たちや、現代人は、あるいは前衛派の人たちは、あるように見せか
けているだけで思想をもっていない。つまり方向が見えていない。それは、広
角レンズのカメラを買ったようなもので、自分の目が開きすぎていて情報が
入りすぎるため、前向きだか、後ろ向きだかわからなくなり、前方の物にピ

ントが合っていないのである。思想とは田の心と書き、木を見る心と書く。中
国の人は偉いと思う。なんのことはない、田の心、木を見る心がイデオロギー
ならば、私の母や、熱田の精進川に生きた一人の天正の母のほうがよほど思
想家だったと私には思われる。

明日を語るはやすいが、しかし、明日は雨か晴れかさえもわからぬことを
知っていなければならない。科学はまだ、台風を止めることさえできぬ 。とす
れば、生きる世界は、石だらけではないのか。遠い天正の昔に、子の三十三回
忌に橋を架けた女心を、国民はよくかみしめねばならぬ 。断絶。応仁の乱以後

第5課エッセイ 75

から続いているこの国の人殺しや家族崩壊に思いをいたし、昔人がみやびな石
ころの出る谷々に架けた橋のように、自分自身の橋をもたねばならぬ。

よし、どこも、ここも、家々に断絶の嘆きがあるならば、橋架けるしか生
きがいはあるまいに。

明日に向かって放つ矢は、今日がその矢じりであって、その今日にわかっ
ていることは、昨日までの私たちの失敗の暦以外ないではないか 。

妙なことを書いたが、ふるさとの谷の木橋に椎茸がまた生える季節がやっ
て来る。それを汽車に乗って、見に行くのが、私のささやかな生きがいのー
つである。そのような母の架けた橋をもたぬ今日の若い子らを哀れに思う 。

『生きるということ!(1972)による

、注釈

❶汁田
湿田のこと。年じゅう水の干ない田。

❷宮大工
社寺・宮殿の建築を専門にする大工。

❸たる木
屋根の裏板を支えるために、むねから軒に渡す材木。

〇若狭
旧国名。今の福井県の西部。

❺村上華岳(1888—1939)
日本画家。多くの宗教の題材を描いた。

〇 富岡鉄斎(1836—1924)
幕末・近代の南画家。のびのびとした豪放な絵で知られる。

〇熱田
名古屋市の南部。

❸精進川

名古屋市熱田区伝馬町辺りにあった川。大正15年に埋めたてられた。

❾擬宝珠
欄干の柱の上などにかぶせる、ねぎの花の形をした飾り。

®てんしやう十八ねん

1590 年。
(D ほりをきん助 堀尾金助(1573—1590)

御供所村(今の愛知県丹羽郡大口町豊田の一部)の郷士。堀尾吉晴の子。
®そくしんしやうふっ

即身成仏。現在の肉体のままで、仏になること。

76日语综合教程第八册

®いっかんせいしゆん

逸岩世俊。堀尾金助の戒名。
(B小田原の陣

小田原(北条氏政)征伐のための陣。
®豊臣秀吉(1536—598)

安土 •桃山時代の武将。尾張の国(今の愛知県の西部)中村の百姓の出身。後に関白太政大臣とな

り天下を統一した。
®千里丘

大阪府吹田市北部の一地区。
働万国博

万国博覧会。1970年開催。
®越前岬

福岡県西部、日本海に突出する岬。
西生々輪廻

生あるものはすべて死滅しないで、さまざまな境涯に生まれ変わり、迷いの生死を繰り返すとい

う仏教の教え。
®神居古潭

北海道旭川市の南西にある峡谷。アイヌ語で「神聖な地」の意。
®石狩川

北海道中央部を西流し、石狩湾に注ぐ川。全長365キロメートル。 '
®前衛派

社会運動や芸術運動で革新的な活動をするグループ。 ・
®応仁の乱 ’

室町末期の1467(応仁一)年から1477年にかけて、京都を中心として起こった戦乱。

新しい言葉

普請(ふしん) [他サ変] 家を新築、改築すること。
コロ [名] 重い物を動かす時、下に敷いてころがすのに用い
る堅く丸い棒。また、細くて短い薪材。
在所(ざいしょ) [名] ①すみか、ありか。②(本文では)国元、郷里、田
舎。
みのり(実り) [名] ①草木が実を結ぶこと。②成果があがること。
センチメンタル [形動] 感じやすく、涙もろいさま。感傷的。センチ。
またぐ(跨ぐ) [他五] 股を開いて物の上を越える。
コンビナート(俄 [名] 総合企業。総合工場。

kombinat) [他五] 「ひり」は、「ひる(放る)」の連用形で、体外へ強
ひり落とす

第5課エッセイ 77

いじらしい [形] く出す、たれる、の意。たれ落とす。
イデオロギー(德 [名] (か弱い者の懸命な様子が)痛々しくかわいそう
[名・形動] だ。可憐である。
Ideologic) 人間の行動を決定する、根本的なものの考え方の
みやび(雅) [名] 体系。
①宮廷風であること。都会風であること。優美で
矢じり(やじり) 上品なこと。②洗練された感覚をもち、恋愛の情
趣や人情などによく通じていること。風雅。風流。
矢の、とがった先端。

I. 学習の手引き

❶「私」の母の架けた粗末な木の橋や堀尾金助の母の架けた橋は美しかったと言ってい
るが、どういう点が美しかったのか。

❷「私」は、現代のコンクリートの巨大な橋や万国博の建物を見て、どういうことに心
を打たれているか。また、それらは、「私」の母や堀尾金助の母の架けた橋とどのよ
うな共通点があると言えるか。

❸「木の心、鳥の心、石の心」が教える「東洋の生きる心の深さ」とは、どういうこと
か、簡潔な語でとらえてみよう。

❹「田の心、木を見る心がイデオロギーならば、私の母や、熱田の精進川に生きた一人
の天正の母のほうがよほど思想家だったと私には思われる。」について、次のことを
考えよう。
1) 「若い人たち」や「現代人」、あるいは、「前衛派の人たち」と比べて、「私の母や、
熱田の精進川に生きた一人の天正の母のほうがよほど思想家だった」と思ったの
はなぜか。
2) 「思想家」という語を辞書で調べて、ここで用いられている「思想家」との意味
の違いを明らかにせよ。

❺「私」の母のような生き方について、みんなの意見を発表しよう。

練習

ー、次の日本語を中国語に訳しなさい。
1. 越前岬で、奇妙な木を見た。それは波にあらわれた岩石の上に、あぐらをかいた
一本の木であった。遠くだから何の木だかわからなかったが、実がなるとみえ
て、渡り鳥がいっぱい降りていた。
2. 今、日本の家庭に、名もない波かぶる岩の上に生えた木に負けないほどの心で

78日语综合教程第八册

「家」を守る人は何人いるか。
3.明日に向かって放つ矢は、今日がその矢じりであって、その今日にわかっている

ことは、昨日までの私たちの失敗の暦以外ないではないか。

二、次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
戦後日本の、家族のかたちは大きく変わりました。若い夫婦の別居が多くなりま

した。結婚すると親の戸籍から別になる、という民法の精神的な影響もあります。戦
災のあと、住宅の復興がいちばんおくれていて、大家族を入れるだけの部屋のゆと
りがないことも原因です。

けれども、若い女性が自由な空気のなかでそだって、おばあちやんと同居するの
を好まないムードが広がったことも、否定できません。

若いサラリーマンでは、結婚して団地に家庭をもつ、というのが理想になってい
ます。この理想はかなり実現され、団地のなかのおばあちやんは、百戸について五
人(『団地ジャーナル』調査)というのが相場です。団地に住んでいる細君の九割ま
でが、①おしゅうとうさんに「つかえる」気苦労なしに、自由をたのしんでいるわ
けです。(②)、この自由はただではありませんでしたC③その自由の代償を払っ
ているのが赤ちゃんです。

はじめて赤ちゃんをもった夫婦というものは、アフリカからチンパンジーをプレ
ゼントされたのと変わりません。なにをどれだけ食べさせたらいいのやら、いま泣
いているのはなにをうったえているのやら、さっぱりわかりません。

おばあちやんが同居していれば、赤ちやんとはこんなものだと、かんたんに解決
することが、夫婦で育児書の索引をひっぱっての、大論争になります。

おばあちやんは、その個人的な経験しか教えないのだから、医者や保健婦にきい
たほうが科学的だ、と思っている人が多いようです。私もまえにはそう思っていま
した。しか、し、ながいこと小児科の医者をやっているうちに、おばあちやんの「真
価」を(④)。

おばあちやんの個人的な経験だ、と思っているもののなかに、何千年か日本列島
に住んでいる日本人の、(⑤)がひそめられているのです。四季の移り変わりの
大きい、湿度のたかいこの島の上で子どもをそだてるには、⑥大陸の石造りの家で、
すわることを知らな]/、人たちの育児法とはちがうやり方があるのですC

明治になって、西洋の知識がどっと流れこんできたとき、育児法の(⑦)を、医
者だけが代理人になってやったことに問題があります。西洋式の医者は、病気のな
おし方については、たしかに以前からの漢方医よりすぐれていました。この医者が、
病気のなおし方という国際的な知識と、子どものそだて方という民族的な方法とを
ごっちやにしてしまったのです。なんでも西洋のやり方がいいというので、西洋の
医学の一部として、(⑧)を輸入しました。

完全に日本の育児の伝統が忘れ去られてしまったのです。

第5課エッセイ79

日本の風土と習慣のうえに何千年か生きてきたやり方は、その後は医者を通じて
は教えられませんでした。⑨これを今日に伝えてきたのが、おばあちやんなのです。
OD①はどんな人か。

A,主人の母 B.妻の母 C•主人の父 D•妻の父

(1D (②)にはどんなことばが入ると思われるか。

A.その上 B.それで C・ところが D・さらに

函 ③はどういう意味か。

A, 若い女性の自由の犠牲になっているのが赤ちやんである。
B, 若い女性が自由であればあるほど、赤ちゃんの費用が高くなる。
c•若い女性が自由になればなるほど、逆に赤ちゃんの自由が奪われていく。
D,若い女性が自由になると同時に、赤ちゃんの育て方も自由になった。

(④)にはどんなことばが入ると思われるか 。

A, みとめることができなくなりました。
B. みとめないわけにはいかなくなりました。
c.みとめようとは思わなくなりました。
D,みとめなくてもいいようになりました。

(⑤)にはどんなことばが入ると思われるか。

A,生活体験の遺産 B,日常生活の苦労

C,国民生活の実態 D.生活記録の報告

⑥とはだれのことか。 B,おばあちやんたち
A•日本人たち D,西洋人たち
C,チンパンジーたち

(ID (⑦)にはどんな言葉が入ると思われるか。

A,輸入 B,輸出 C,勉強 D,伝統

(ID (⑧)にはどんな言葉が入ると思われるか。

A・やり方 B,育児法 C,日本式の育児法 D,西洋式の育児法

⑨「これ」 は何を指しているのか。

A・やり方 B・育児法 C•日本式の育児法 D,西洋式の育児法

<IKRこの文章に題をつけるとしたら、どんなものがいいか。

80 日语综合教程第八册

A.おばあちやんの育児法 B,おばあちやんの効用
C,西洋医学の罪 D•日本式の育児法

木のぬくもり

小原二郞

日本人は木の中に生きてきた民族である 。それは北から南へ細長くつなが
る国土が、豊富な緑に恵まれていたためであった 。そうした風土の中で、我々
の祖先たちは、この世に「産霊神」がいて、その神が、住む土地にも眺める
山川草本にも、霊魂を与えると信じていた。『和名抄』には「本霊」あるいは
「本魂」という言葉が出てくるが、それは樹本に精霊が宿っているという意味
で、本は神が天から降りてくる「よりしろ」だったのである。

このような樹本を信仰の対象とする受け取り方は、本が切られて材本に
なったのちも引き継がれる。「お札様」というのはその代表的なもので、あの
白本の肌に精霊を感じているのである。

我々は機械文明を象徴する自動車の中に、本片のお札様が祭られている矛
盾を笑うが、それはついこの間まで、敷地の中に御神本を祭っていた屋敷林
の伝統の縮図だと見れば、納得できることである。日本人の心の中では、立
ち本と材本とは切れ目なしにつながっているのである 。

私たちは長い間、本綿と本の中で暮らしてきた。だが明治以降それを捨て
て、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。それは天然
材料よりも人工材料のほうが優れていると信じたからであった。だが、今明
治百年の体験を経て、鉄は万能ではないし、コンクリートは永久的な材料で
はないことが、ようやくわかってきた。それが本を見直そうという動きを生
んだのであるが、それよりももっと大きな理由は、鉄やコンクリートには人
の心を引きつける何かが欠けていることに気がついたからであった。

本綿や本に囲まれていると、私たちは何か心の和むのを覚える。それはこ
れらの材料がかっては生き物であって、その生命のぬくもりが人の肌に、ほ
のかな体温を伝えてくれるからである 。

一般に、鉄やプラスチックのような材料は、新しいときがいちばん強く、古
くなるにつれて弱くなる。機械も同じで、性能は年代とともにほぼ直線的に
下がっていく。ところが本はいささか事情が違っているのである。

今、千三百年たった法隆寺のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とでは 、どち
らが強いかときかれたら、それは新しいほうさ、と答えるにちがいない。だ

第5課エッセイ81

が、その答えは正しくない。なぜなら、ヒノキは、切られてから二、三百年
の間は、強さや剛性がじわじわと増して二、三割も上昇し、その時期を過ぎ
てのち、緩やかに下降する。その下がりカーブのところに法隆寺の柱が位置
していて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっているからである。つま
り、木は切られたときに第一の生を断つが、建築の用材として使われると再
び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月を生き続ける力を持つ
ているのである。

木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違う。
それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙な差であ
るが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段も取り扱いも違っ
ている。たとえば、ヒノキの中では木曾産のものが最高級だ、といったよう
な評価である。

また、木はそれが生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして
長持ちするということも、木に詳しい人たちのよく知るところである。これ
は木の持つ風土性とでも言うべきもので、どこか食べ物の話に似ている。そ
の土地でとれた素材を使い、伝統の調理法で作った料理がいちばんうまい、
というのと同じような意味あいである。

ヒノキの属には世界に六つの種があるが、なかでも日本のヒノキは材として
の風格が一段と高い。だからこそ白木造りの建築が生まれたのであるが、それ
は日本という風土の中に置かれたときが最もふさわしく、また性能も発揮す
る。つきつめて言えば、本曾のヒノキは本曾で使われたとき、奈良のヒノキは
奈良で使われたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。

私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼を置くあまり、数
量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきた
きらいがあった。だが、自然が作ったものは、本のように原始的で素朴な材料
であっても、コンピューターでは解明できない側面を持っているのである。

自然がこんなにもかけがえのない大切なものだと思われるようになった時
代は、かってなかったにちがいない。「二十世紀は機械文明の時代だが二-一
世紀は生物文明に移る。」という意見がある。今、私たちにとって大切なのは、
科学万能主義の行き過ぎを反省し、生命を持つものの神秘さにもっと目を向
けることであろう。本綿や本のよさを見直そうという最近の動きは 、そのこ
とを示唆しているように私は思う。

私たちはこれまで、本は時代遅れの原始的な素材だと思っていた。だから
それに新しい技術を加え、工業材料のレベルに近づけることが進歩だと考え
た。その結果、改良本材と呼ばれるものが次々に生み出された。それらは従
来の本の欠点を補い、大量の需要に応じ、生活を豊かにするのに大きく役
立ってきた。たしかに本材工業は発展したのである。

82日语综合教程第八册

だが一方、最近になって、一つの疑問が持たれ始めてきたように思う。そ
れは木というものは自然の形のまま使ったときがいちばんよくて 、手を加え
れば加えるほど本来のよさが失われていくのではないか、という反省である。
考えてみるとそれは当たり前のことだったかもしれない 。木は何千万年もの
長い時間をかけて、自然の摂理に合うように、少しずつ体質を変えながらで
き上がってきた生き物だったはずである。木は自然の子で、そのままが最良
なのである。

だから木を構成する細胞の一つ一つは、寒いところでは寒さに耐えるよう
に、雨の多いところでは湿気に強いように、微妙な仕組みに作られている。あ
の小さな細胞の中には、人間の知恵のはるかに及ばない神秘が潜んでいると
みるべきであろう。それをはいだり切ったり、くっつけたりするだけで、改
良されると考えたこと自体、近代科学への過信だったかもしれない。それは
ちょうど、一時流行した自然を征服するという言葉に、実は思い上がりの面
のあったことが、今反省されているのと同じ事情ではないだろうか 。

木を取り扱ってしみじみ感ずることは、木はどんな用途にもそのまま使え
る優れた材料であるが、その優秀性を数量的に証明することは困難だという
ことである。なぜなら、強さとか、保温性とか、遮音性とかいった、どの物
理的性能を取り上げてみても、木はほかの材料に比べて、最下位ではないに
しても、最上位にはならない。どれをとっても、中位の成績である。だから
優秀性を証明しにくい、というわけである。

だがそれは、抽出した項目について、いちばん上位のものを最優秀だとみ
なす、項目別のタテ割り評価法によったからである。今見方を変えて、ヨコ
割りの総合的な評価法を取れば、木はどの項目でも上下に偏りのない優れた
材料の一っということになる。木綿も絹も同様で、タテ割り評価法で見てい
くと最優秀にはならない。しかし「ふうあい」まで含めた繊維の総合性で判
断すると、これらが優れた繊維であることは、実は専門家のだれもが肌で
知っていることである。総じて生物系の材料というものは、そういう性質を
持つもののようである。

人に人柄があるように、木にも木柄がある。ヒノキは貴族的で、スギは庶民
的だといったようなことである。人間と同じように使い手次第で名品にもなる
し、駄作にもなる。平凡でありながら非凡なのである。日本文化の中における
木は、そういう形で生かされてきたし、今後もまた生き続けるにちがいない。

近ごろ、コンピューターよりも人ピューターのほうが頼りになるとか、エ
ンジニアよりも勘ジニアのほうが高級だよ、という意見を吐く人があるが、
味わい深い言葉だと思う。

『日本人と木の文化』(1984)による

第5課エッセイ83

注釈

❶ 小原 二郎(こはら じろう)(1916—)
建築学者。長野県生まれ。建築の分野に人間工学を取り入れ、日本人が住みやすい住まいを作る

ため、伝統的な木の文化の見直しを図っている。著書に『人間工学からの発想』『法隆寺を支えた

木』などがある。
❷産霊神

天地万物を創造する神。
〇『和名抄』

『倭名類聚抄』の略称。源 順(911—983)が書いた日本最初の分類体の漢和辞書。承平年間(931

—938)に成立。
❹よりしろ

本・岩•人形など、神霊が乗り移るとされるもの。
❺お札様

寺社で配られる守り札。
❻御神木

神社の境内に祭られている、神霊が宿っているとされる本。
〇法隆寺

奈良県生駒郡斑鳩町にある寺で、世界最古の本造建築物。
❽ヒノキ(檜)

ヒノキ科の常緑高本。日本特産種。材は帯黄白色、繊密で光沢、芳香があり、諸材中最も用途が

広く、建築材として最良。
❾剛性

ねじったり曲げたりされた物体がもとに戻ろうとするカ。
®木曽

長野県南西部の本曽、川流域の総称。
❿属

生物を分類するときの一集合単位。ヒノキ属には、ヒノキ、サワラなどの種がある。
®ふうあい

織物の見たり触ったりした感じ。

!新しい言葉

ぬくもり [名] あたたかみ。ぬくみ。
じわじわ [副] ゆっくり少しずつ確実に進行するようす。
立地(りっち) [名] 産業を行う土を決定すること。
しっくり [副・自サ変] 調和するようす。
つきつめる(突き詰 [他下一] ①最後まで考え抜く。②思いつめる。

める) [名] かわりとして用いるもの。かわり。
かけがえ(掛け替え)

84日语综合教程第八册

思い上がり(おもいあ[名] 思い上がること。つけあがること。うぬぼれ。
がり) 考えただけでなく、実際に体験して理^^する。

肌で知る(はだでしる)[慣]

~きらいがある ]

「〜のきらいがある」「〜するきらいがある」は、「そういう傾向をもつ、そう
なりやすい」という意味を表す。よくないことがらの場合に用いる。書きこと
ば的。

❶ 私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼を置くあまり、数
量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてき
たきらいがあったC

❷彼はいい男だが、なんでもおおげさに言うきらいがあるC
Oあの政治家は有能だが、やや独断専行のきらいがあるC

eかけがえのない j

「かけがえのない」は連語、形容詞的に使われる。「代われる人・物のないほ
ど大切な〜」という意味。

❶自然がこんなにもかけがえのない大切なものだと思われるようになった時代

は、かってなかったにちがいない。 ・

❷かけがえのない人

❸かけがえのない命

I学習の手引き

❶「日本大は木の中に生きてきた民族である。」とあるが、日本人と木のかかわりにつ
いて、本文に即して説明してみよう。

❷ 木の「本来のよさ」とはどういうものか、、整理してみよう。
❸筆者は、「タテ割り」と「ヨコ割り」とでは、本についての評価がどのように変わる

と言っているのか、考えてみよう。
❹ 筆者の考える日本人と本の将来的な関係について、自分たちの生活形式をふまえな

がら、意見を述べ合ってみよう。

第5課エッセイ85

練習

ー、本文の内容に基づいて、次の質問に答えなさい。
1.「第一の生」と「第二の生」とは、それぞれどういうことか。
2「自然の摂理」とは、具体的にはどういうことをさしているか。
3「総じて生物系の材料というものは、そういう性質を持つもののようである。」と
あるが、どういう性質か。

二、 次の日本語を中国語に訳しなさい。
1.我々は機械文明を象徴する自動車の中に、木片のお札様が祭られている矛盾を笑
うが、それはついこの間まで、敷地の中に御神木を祭っていた屋敷林の伝統の縮
図だと見れば、納得できることである。日本人の心の中では、立ち木と材木とは
切れ目なしにつながっているのである。
2だから木を構成する細胞の一つ一つは、寒いところでは寒さに耐えるように、雨
の多いところでは湿気に強いように、微妙な仕組みに作られている。あの小さな
細胞の中には、人間の知恵のはるかに及ばない神秘が潜んでいるとみるべきであ
ろう。それをはいだり切ったり、くっつけたりするだけで、改良されると考えた
こと自体、近代科学への過信だったかもしれない。それはちょうど、一時流行し
た自然を征服するという言葉に、実は思い上がりの面のあったことが、今反省さ
れているのと同じ事情ではないだろうか。

三、 次の文章を読んで、後の問に答えなさい。
囚 速く、大量に、均質なものを作りたい。そのためには機械やそれと同様な手段・
手法を応用しなければならない。その技術が高度化すればするほど、そこに供
給される原料•材料も均質化され、標準化、規格化されねばならなかった。エ
業標準規格といったものが各国で制定されている大きな目的の一つもそこにあ
るようだ。そして製品もまた均質化し規格化される。食品産業などはその点で
はむしろ低次のものど言えよう。それでもすでに香りと野生と個性とを急速に
失いつつある。
回 こうした現象を私は“硬くなる”と規定する。それぞれが個性を持つ①がゆえに、
全体として不均質だとされるものを排除し、②あるいは強引に均質化して近代化
が進められてきたわけだが、それを言い換えれば硬くなった、とするのである。
回 ③例えば木材。いま各方面で木材のよさの見直しがさかんであるが、近代工業
生産の原料としては、硬くなりえなかったがために疎外されてきたところがあ
る。木材は樹種によっても産地によっても性質が大きく違う。同じ一本の木で
も辺材と心材とでは④まったく物性が変わる。こんなものは近代工業生産の材
料には不適だとして⑤排除される。⑥せいぜい均質のベニヤとかチップにして
やっと⑦加入を許されてきた。微粉砕したパルプが製紙用原料として使われる

86日语综合教程第八册

のが、それでも木の最高の工業的応用、というところであろう。原料の生産の
段階から調質され、均質化される金属や合成樹月旨などの石油化学製品に比べて、
木ははるかに硬くない、硬くしにくいものであって、言い換えれば⑧“柔らか
い,,のである。
回 その木を相手に、その個性の違いを巧みに使い分け、生かすことをもって特長
とする大工などの伝統的な木工の仕事も、やわらかいということができる。い
わゆる職人仕事の本質は、対象とする原料•材料を均質化するのではなくて、逆
にその違いを利用し、個性を楽しみ、それに適した作り方をするところにある。
家の土台にはクリやマツを、柱にはヒノキやスギを、梁にはマツを、といった
具合で、すべてがやわらかいのである。そして、それらの伝統の職人仕事が、近
代化の中で無視され、退けられてきたのも、均質化、標準化の、いわば硬くな
らねばならぬ近代化の鉄則に外れていたからである。
回 ことは生産の場だけではなく、法律も政治も社会や団体の規則や制度も、硬く
なることをもって近代化とされ、管理社会が固く.私たちを⑨締めつけるように
なってきたことは言うまでもない。急激に発達してきた情報技術すら一方的に
硬くなっている。やわらかいものは非難され、はじき出されるようになった。
回 硬くなることによる近代化は、たしかに私たちに多くの利便を提供してくれた。
よく言われることだが、新幹線は驚くほど速く人を運ぶ。しかし⑩駅弁の多様
さを楽しむことはできなくなった。
回 もし、これからの私たちの進歩の目標が⑪旦辻個性があり、多様化が許され、
それを楽しむことの豊かさにあるとしたら、これまでの近代化の過程で無視し、
退けてきたやわらかいものへの視点の回復こそが急務であろう。それは、たん
なる懐古趣味でも、飽食のあげくの気晴らしでもない。もっと積極的な、@ほ
んとうの豊かさへ向けての新しい目標設定であるC

(村松貞次郎「やわらかいものへの視点」より)

(1D ①「が」はどんな用法か、次のA、B、C、Dの中から最も適当なものを一つ

選びなさい。

A, 主格を表す B.連体を表す C.接続を表す D.並立を表す

②「あるいは」、④「まったく」、⑥「せいぜい」、⑪「もっと」の中には、こ

の文章における意味用法から考えれば異質のものが一つ入っている。それを

次のA、B、C、Dの中から選びなさい。

A・あるいは B・まったく C.せいぜい D•もっと

(MB ③「例えば木材」は、本文全体から見て何の例か、最も適当なものを次のA、

B、 C、Dの中から一つ選びなさい。

A,近代工業生産材料 B,近代技術発達

C•日本的伝統美 D.反近代技術

第5課エッセイ87

(SB ⑤「排除」は複合語だが、その前後二字はどんな関係にあるか、次のA、B、

C、Dの中から最も適当なものを一つ選びなさい。

A•主述関係 B,連体関係 C•並立関係 D.連用関係

dS ⑦「加入を許されてきた」とあるが、それは何への「加入」か、最も適当な

ものを次のA、B、C、Dの中から一つ選びなさい。

A,同じ一本の木 B,ベニャやチップ

C•辺材と心材の物性 D•近代工業生産の材料

d❻ ⑧「柔らかい」の意味として最も適当なものを次のA、B、C、Dの中からー
つ選びなさい。

.A.均質である B.個性的である

C,非個性的である D,標準的である

個» ⑨「締めつける」を別のことばで言い換えるならば、最も適当なものはどれ

か、次のA、B、C、Dの中から一つ選びなさい。

A・非難する B,多様化する C,均質化する D,排除する

OD ⑩「駅弁の多様さ」は何の比喩か、最も適当なものを次のA、B、C、Dの中
(〇
から一つ選びなさい。

A・生産 B•均質化 C•材料 D•個性

⑫「ほんとうの豊かさ」とはどのようなものか、最も適当なものを次のA、

B、 C、Dの中から一つ選びなさい。

A,近代化の鉄則に外れないようにすること

B・個性と多様性を認め、それらを楽しむこと

C. 管理社会を拡大し、私たちの利便を図ること

D・情報技術を発達させ、より一層均質化すること

債皿 本文を内容的に大きく起、承、 転、結の四つの部分に分けるなら、分け方と

して最も適当なものを次のA、 B、C、Dの中から一つ選びなさい。

A,囚—|BCD|—^"11一回 B.囚—恒回—叵U—包

c. [ab]-Fcd]-^f1-[g| D. |ABC|—^1ー回一回

心が生まれた惑星

NHK取材舞

現代の科学のいちじるしい進歩は、一方でロマンに満ちた宇宙誕生のシナ
88 日语综合教程第八册

リオを描きだし、他方で、物質の極限の粒子であるクオークに代表されるミ
クロの世界の謎をも、少しずつ解きあかしはじめている。私たちはすでに、世
界の謎をほとんど知りつくしてしまったかのようだ。しかし、本当にそうな
のだろうか。

星を見て美しいと思う 「心」、異性に抱く淡い愛清、いつまでも忘れられな
い懐かしい記憶、肉親や知人の死を悼む気持ち、芸術家にひそむ驚くべき創
造力など、私たちの心の刻々の変化は、すべて脳の働きによるものである。ま
さに、人間の「脳」は35億年の生物の進化の結晶であり、「心」はそこに宿っ
た、宇宙でもっとも神秘的な世界だといえる 。

脳とはどのような存在なのか。どのような過程をへて、私たちの脳は今日
ある姿に進化したのか。そして、心はいつ生まれたのか。

アメリカのテキサス農工大学の人類学者、ラルフ・ソレッキ教授は、1950
年代から60年代にかけて数次にわたり、北イラクの山中にあるシャニダール
という洞窟の調査を行った。数万年前のネアンデルタール人の遺跡を発掘し
たのであるが、そこで教授は、人間の心の起源とも呼びうる重要な事実を発
見した。

一つは、ネアンデルタール人が埋葬されていたということ。そしてもうー
つは、その人骨化石のかたわらの土を分析したところ、花粉が出てきたこと
である。

シャニダールの洞窟は、間口 20 メ ートル、奥行き45 メ ートルの大きなもの
で、周囲を3千メートル級の山並みに囲まれ、はるか下に川を見下ろす位置
にある。この洞窟の地面を掘りさげたところ、6万年前の地層と4万5千年前
の地層が現われ、全部で九体のネアンデルタールの人の骨が見つかった 。

そのうち、4万5千年前の地層から見つかった一号人骨は、推定年齢40歳
前後の男性。地震による落石で死亡したものらしく、頭の左側に大きな穴が.
あいていた。頭蓋骨を詳しく調べると、目の周囲の骨がねじれており 、生前
は左目が不自由な状態であったらしい。また、右腕はなにかの事故で切断さ
れており、切断された骨の先端が治癒していることから、事故後、そうとう
の年月を生きていたことが分かった。歯を調べると、年齢以上に摩耗してお
り、おそらく 口に物をくわえて運搬していたことが推測された。

ネアンデルタール人の生活は狩猟採集によるものであり 、ハンディキャッ
プのあるこの人物が狩りに参加したとは考えにくい。これらの事実からソ
レッキ教授は、この人物は洞窟の中で仲間に食料をもらいながら生きのびて
いたのではないかと考えた。これは動物には見られない行動である。

この一号人骨からさらに数メートル掘り下げた地点に、6万年前の地層があ
る。この地層で埋葬所が見つかった。体を曲げた状態で埋葬された人骨が発
見され、四号人骨と名付けられた。そして、周囲の土を分析したところ、大

第5課エッセイ89


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